選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 79
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908670

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】

    出生前診断と中絶という問題は倫理的で非常に複雑な上に、あまりに個人の考え方も様々なので読み進めながらも自分の考えも定まらないままだった。

    あとがきに筆者が書いているのと正に同じく、正直に言うと、私は本書を読み始めた時は光のことを批判的に捉えていた。
    医師の誤診によって子どもを出産するか中絶するかの自己決定する権利を奪われたと訴えるとはどんな人物だろうか、一体どういう経緯でそうなったのかと。

    読んでみると、医師の誤診に対する謝罪にあまり誠意を感じられず、生まれてきた子どもに謝ってほしいという光の気持ちはとても理解できた。天聖くんは苦しかっただろうに、辛かっただろうにと涙が出て、光の心のぶつけどころのなさに可哀想な気持ちにはなったが、当事者でなければ心の傷は到底分かることはできないのだろう。

    愛する我が子が同じ立場になったらどうするだろうかと想像を巡らせることはできても、実体験として自分がその状況に置かれなければ本当の意味での苦悩は理解できていないのではないだろうか。

    日本では法律のなかに「胎児の異常による中絶」という文言がないため、「経済的理由」を援用して実質的な選択的中絶がなされているという事実を初めて知った。

    また様々な立場の人々の話を読む中で「重視されるべきは女性の自己決定権なのか、障害者の尊厳なのか、公共政策なのか、医療なのか。それを決めるのは誰なのだろうか」という問いに揺さぶられた。

    そして「命の選択をする人は差別的なのか。障害があると中絶をする人は障害に理解がないのか。そんな簡単なものではない。」と筆者が述べるように、みんな悩みに悩み抜いて葛藤してギリギリのところで決断を迫られ、決断してからも後悔や苦悩があるのだろう。だから、そんな簡単な問題ではないのだ。

    先端技術と倫理の狭間で苦しむことの矛盾、家族に決定権が委ねられている現状。

    本書を読んでも自分なりの結論は出ないままだが、こういった事実を知ることで「文化という知恵」を持って、他者を理解しようと努めることからはじまるのではないかと感じた。


    【心に残ったフレーズ】

    96
    先端技術と倫理で苦しむことの矛盾

    98
    医療技術の進歩とともに、法律も共についていかなければいけない

    母体保護法の矛盾、医療が抱える問題点を社会へなげかけようと決心

    116
    裁判所は羊水検査は染色体異常の子どもを中絶することを前提とした検査だと位置づけている

    121
    もしも戻してもらえるなら元気な子にしてほしい。この子に障害があるのはドクターが悪い訳ではないから、神様にそう言いたい。

    127
    結果が悪いと感謝の気持ちは憎しみとなってこちらにぶつかってくる。
    医療の質という点でも、定時できっちり仕事を切り上げて帰宅する方がいいと考えるようになった。

    146
    苦しむだけの生であれば、生そのものが損害なのかを光の裁判は問いかけた。

    153
    人間は愚かだと思います。実体験として自分が痛みを受けないと理解することができない。

    163
    日本では法律のなかに「胎児の異常による中絶」という文言がないため、「経済的理由」を援用して実質的な選択的中絶がなされている

    198
    重視されるべきは女性の自己決定権なのか、障害者の尊厳なのか、公共政策なのか、医療なのか。それを決めるのは誰なのだろうかーー。

    208
    命の選択をする人は差別的なのか。障害があると中絶をする人は障害に理解がないのか。そんな簡単なものではない。

    215
    知ることの恩恵もある。選択する選択しないを含めて、本当の意味で選択できる環境を整えることが大切なのだろう。


    216
    生きてくれるだけで大丈夫
    笑っていてくれればもうそれで嬉しい
    という視線で娘を見ていた。

    223
    文化という知恵ーーー議論していく。


    239
    命に直面した人間の苦悩であり、愛する子どもを亡くした親の絶望であり、それでも前を向こうともがく生命の剛健な姿である。

  • とても考えさせられる本だった。出生前診断の誤診で誕生したダウン症の子供。たった三カ月でこの世を去った。誤診した医院を提訴した母親への取材をまとめたノンフィクション。提訴した心境は複雑。母親だけでなく、ダウン症の当事者、ダウン症だと分かって産んだ人、被告の弁護士、医療側などへの取材から多角的に出生前診断による命の選別という行為の意味に迫る。読んでもどうしたらよかったのか分からない。分からないものなのだろう。また読んでみたい。そういう作品でした。

  • 出生前診断の誤診によって生まれたダウン症の子に関するノンフィクション。詳細なインタビューと描写で涙なしには読めません。自分だったらどのように考え、判断を下すか、をずっと考えさせられます。奇しくも国による強制不妊手術に関するニュースが取り上げられており、合わせて考える機会になりました。生命の選別はどこからなのか、不妊治療で元気な精子と卵子を選ぶのは命の選別には当たらないのか。答えはないものの、十分に議論すらされていない現実を突きつけられました。

  • ●出生前診断を受けて「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。そして医師を提訴した。
    ●医師からの謝罪はなく、慰謝料の提示は200万円だった
    ●母体保護法では、そもそも障害を理由にした中絶を認めていない。
    ●裁判では「中絶権」そのものが争われた。子供は、望まぬ生を生きたと言うが、そもそも「中絶する権利」などない。医師側書面で主張した。
    ●判決は、被告1000万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。それは夫婦への慰謝料だった。

  • ロングフルライフ訴訟。この世に生を受け、苦しみに耐え、短い人生をまっとうした子。苦痛は避けられた。21トリソミー。責任は見落とした医師にもある。我が子に謝罪して欲しい。それが動機で起こした提訴。勝訴判決。だが、主張は汲み取られていない。訴訟は議論を巻き起こす。生きたことが”ロングフル”なのか。そもそも胎児の障害を理由での堕胎は法的に許されない。現実は違う。きれいごとで済まされない。生きにくさを拭えない程度にしか進歩していない科学。”障害”を与え続ける社会。「答えがない」は逃げ。たどり着けなくても考え続ける

  • とても考えさせられる本でした。私1人が知ったところで何もできないけれど、知ることができて良かったです。

    • 1511597番目の読書家さん
      謙虚ですね、私も、ダウン症に苦痛が伴なう事を知りませんでした。
       生まれて来ないと分からない、女性は大変な賭けを強いられていますね。
         
      謙虚ですね、私も、ダウン症に苦痛が伴なう事を知りませんでした。
       生まれて来ないと分からない、女性は大変な賭けを強いられていますね。
         
      2021/09/05
  • 出生前診断で”異常あり”との診断が出ていたにもかかわらず、担当医が誤って”異常なし”と伝えた結果、産まれてきた赤ちゃんはダウン症と他の合併症から3か月で亡くなったという事例がありました。この子のご両親は、自ら産む・産まないの選択の機会を奪われただけではなく、もしも正確に出生前診断の結果を伝えられていたなら中絶を選択していた可能性もあり、そうすればこの子は苦痛だけの3か月を経験しなくても良かったはずだ、との主張で担当医を訴えました。
    本書前半の合併症との壮絶な闘病の様子からは、確かに生後間もない赤ちゃんの境遇としては「産まれてこなければ、こんな苦しい思いをしなくても良かったはず…」とのご両親の思いが十分に伝わります。しかし、ダウン症の子供さんを育てておられる方のお話からは、「ダウン症の子供は生まれてこない方が良いと言われているようで辛い」と捉えておられるのも理解できます。子供を持っておられる方なら、出生前検査を受けるかどうか、もしも結果が良くなければどうするのか、という問題に直面した経験がある方も多いのではないでしょうか。”五体満足なら”と願ったことは誰もがあると思います。そうではない可能性を突き付けられたとき、直面する様々な問題や局面が多くの方への取材で描かれています。
    この問題は、どの人の考えが正しいと安易に判断できない難しさがあり、本書にもあるように「誰を殺すべきか。誰を生かすべきか。もしくは誰も殺すべきではないのか」という命の選択に直面せざるを得ない現実を浮き彫りにしています。
    中絶に臨場する医療関係者は、本来”命”を助けることを生業としているのに、その真逆に近い事を強いられることから、非常にストレスを感じながら処置に臨んでいるという事実は、本書を読んで初めて気づかされました。
    安易に綺麗ごとを並べるのではなく、この裁判の当事者や、医療関係者、ダウン症の支援団体、もっと重い障害を持つ子供さんを出産した方、ダウン症ながら大学まで進学した人、など多くの立場の方への取材で、本当にいろいろな視点、考え方があることが分かります。今後、医療技術の発達で、さらにこのような問題は顕在化する可能性もあり、誰もが真剣に考えるべき問題だと感じます。

  • 出生前診断、人工中絶、障害など、答えのない問いが次々と投げかけられる。

    人工中絶は優生保護法の観点でのみ認められていることを初めて知った。命に関する倫理観と自由な選択を支える科学技術とのせめぎ合いが、歪んだかたちで体現されてしまっていると感じた。

    お腹に宿った命は、いつから命なのか。
    子どもを産むということは、すべてを受け入れる覚悟をすべき。それは偽善ではないか。
    何もかもを選択できるということは、むしろツラいことなのではないか。

    自身が母となってみて、母親としての本能的な感覚に日々驚く。我が子への愛情のあまり、コントロールできない感情が芽生える。それは個々人で異なるであろうし、その感情を良いかたちでアウトプットできるとも限らない。
    しかしながら、子どもは例外なく母親を求める。
    その関係性が切なく、母親としてどうあるべきかを考えさせられる。

    生まれることは死と隣り合わせである。
    そのことが昨今の出産においては、忘れがちになっている。
    それは幸せなことであるが、大切なことも忘れ去られていないか。

    本書を読みながら幾度も涙し、命の重さを改めて考えさせられた。

  • 母体保護法に胎児条項がないため「経済的理由」を援用したことに対して、国を訴えた弁護士の言葉が心に残った。堕胎は、現在も経済的あるいは身体的理由しか許されておらず(だから、単に産みたくないのが理由であっても、どちらかにこじつけて行っている)、どちらでもないのに堕胎した場合は堕胎罪が適用される。胎児の異常が判明した妊娠の大半が中絶していても、法的な根拠は議論すらされない。「堕胎罪はあっていい、全員産むべきだと結論づけられればそのような社会設計をすべきです」(P166)堕胎罪があっていいかはともかく、全ての子どもを受け入れる社会設計になっていないことが問題なのだと思う。そういう社会設計をしようとすら、誰も思ってない。
    子どもの障害のある無しに関係なく、全ての子育てのサポート(もちろん就労支援、生活支援とも連携して)を国家レベルで責任持ってやります、となれば、虐待を受けて死ぬ子どももいなくなるだろう。安易に産んだ奴が悪いってのは、なし。だって、子どもには責任ないから。
    そもそも完全な子どもなんていないんだから。たとえ出生前にいろいろな障害が分かったって、育ててみて初めてわかるその子の特徴があるし、何が幸せかそうでないかは、本人が感じることで、他人が規定するものではないのだから。障害イコール不幸ではない。
    とはいえ、本当のところは当事者になってみないと分からないのが難しいところだとは思う。他人はなんだって言えると言われたら黙るしかない。

    中期中絶や重い障害の子を治療しないことで死に至らしめることは、いかに現場の、特に医師の指示を受けて働く看護師や助産師が苦しむか、というところも見過ごせない。新しい命を受け取る仕事をしたいと頑張っているのに、命を奪う片棒を担がされるのだから。本当はそんなことをしないで済む社会にすべき。
    「子どもを持つというのは未来に対する希望」(P235)という言葉は、政治家がまず噛み締めて欲しい。日本の出生率が下がっているのは未来に希望が持てないからですよ。どんな子どもも受け入れられる社会を作れば、命の選別で苦しむ人も減るし、子どもを産みたい人も増えると思う。
    子どもに対する責任を親から社会に移動させたい。
    子どもは親が責任持て、という窮屈な社会を変えることで、この出生前診断に関する問題も変わるのではないか、そうすれば命の選別に苦しむ人も減るのではないかと思う。
    立場によって考えも異なる難しい問題に果敢に挑んだ良書。

  • 普通ってなんだろう。世の中には様々に個性豊かな人々が暮らしています。その中に生まれてはいけない命というものがあるのでしょうか。
    この本は出生前診断で診断ミスをされ、障害のある子を生んだ方が起こした裁判についてと出生前診断やその周辺の実態が書かれています。
    結論の出ない問い。立場によっても変わる。経験していない側からすればその苦しみはわからない。いや、それさえ人によって変わるわけで・・・
    命の選択は果たして許されるのか。決して許されないとする立場もわかる。逆の立場もわかる。それじゃあ自分が当事者になったら?それはわからない。どちらを選んだとしても後悔と正解だという気持ちとで揺れ動くことになるんだろうな。
    それと私が無知であったのだが、優生保護法という法律で強制不妊が行われていたという事実。そしてそれがなんと1996年まで続いていたということが驚きだった。たった約20年前までそんなものがあったのかと。
    考えても考えてもコレという自分なりの答えはでてきません。ともかく2020年早々に良い本と巡り合うことができました。

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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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