選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908670

感想・レビュー・書評

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  • 私自身は出生前診断を受けなかったけれど、受けるべきか否か、もし異常が見つかればどうするべきか、ずっと答えは見つからずにいた。

    生後たった3ヶ月の子を失った母親、医療当事者、ダウン症の当事者、障がいのある子と知りながら産んだ母親……この本でそれぞれの見解を知り、答えはますます出せなくなった。何のための検査なのか、命を選別することは悪なのか、守られるべきは誰なのか。

    途中、何度も苦しくなって泣いた。

  • 出生前診断で胎児の染色体に異常があると分かった時点で命を選別するのは、母親にとって想像以上に苦しいことだろうと思う。ダウン症の疑いがある子は生まないという意見は、ダウン症の人に対して「あなたは生まれてこないほうがよかった」と言っていること同じだと受け取られかねない。法律上、障がいを理由に 胎児を中絶することはできないが、経済的理由を援用すれば堕ろせるという。どんな子であろうと育てる決心をした人や、障がいのある子どもを引き取った里親の話もあり、そういうところにその人の人間性が表れるのだと思った。

    p32
    ダウン症とは、通常では二十三対、計四十六本ある染色体のうち、二十一番目の染色体が三本あるため染色体の数が計四十七本ある疾患だ。

    p62
    ダウン症の約九十八パーセントは遺伝するものではなく、偶然起きる染色体の疾患である。

    p81
    母体保護法第十四条には、〈人工妊娠中絶を行うことができる〉ケースとしてこう記されている。
    〈妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの〉
    中絶は、あくまで〈母体の健康を著しく害する〉場合のみ認められているのだ。
    しかし、出生前診断で染色体異常が認められる結果が出た場合、それを理由に中絶している人は現実には大勢いる。
    では、何を根拠に胎児の異常を理由とした中絶が行われているのか。
    それは母体保護法にある〈身体的又は経済的理由〉を援用したものだとされる。障害を抱えた子どもを育てていく経済力がないために中絶するのだから合法である、あるいは障害を抱えた子育てをすることで精神的な影響があるとの理屈を拠
    りどころにしているのだ。
    ここには胎児の障害や病気があることを理由とした人工妊娠中絶を合法化する、いわゆる胎児条項については一切書かれていない。このような障害を理由とした中絶を日本の法律は認めていないのが建前である。
    実際には建前に過ぎない。中絶するにあたり、妊婦の経済事情を調査するケースがあるとは聞いたことがない。中絶には本人と配偶者の署名捺印をした同意書が必要となるが、理由を本人が書く欄さえない。
    しかし、中絶するには、こうした理屈を取らない限り違法性を問われかねないのである。

    p82
    刑法には「堕胎の罪」の項目があり、このように記されている。
    第二一二条〈妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する〉
    第二一三条〈女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、二年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、三月以上五年以下の懲役に処する〉
    明治四十一年に施行された刑法において、今の時代においても堕胎は罪であり、胎児を中絶した女性と、中絶させた専門職は懲役刑に処せられるというのだ。言い換えれば、女性は妊娠したら子どもを必ず産まなければならず、産む産まないの選択の自由はないと定めているのが刑法なのだ。
    つまり人工妊娠中絶は、堕胎罪に抵触するが母体保護法によって免責されるという曖昧さの中で行われていることになる。さらに、胎児の障害が出生前診断によって判明したことを理由とした中絶は、法的になグレーの中で実施されていると言える。

    p85
    優生学とは、一八八三年にダーウィンのいとこのフランシス・ゴルトンが提唱したことから始まる。ゴルトンは「優生学とは、ある人種の生得的質の改良に影響するすべてのもの、およびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」と定義した。この優生学が思想的裏づけを与えたものが「優生思想」で、秀でた能力を持つ者の遺伝子を保護し、「劣悪な遺伝子」を抑制すべきだという考えである。

    p87
    日本における母体保護法の系譜を辿ると、第二次世界大戦中の一九四〇年に制定された「国民優生法」に遡る。この法律は〈産めよ殖やせよ〉の時代を背景に妊娠中絶を取り締まるためと、優生学的な理由による不妊手術が刑法の傷害罪に問われないようにするためという、二つの側面を併せ持つ。
    戦前に欧米各国で成立した断種法を政府が検討し、ナチス・ドイツの「遺伝病子孫予防法」を参考にして作られた日本初の断種法であった。
    断種法は「人口の質の低下を防ぐため」の法律である。背景には、「逆淘汰」への危機感があった。逆淘汰とは、人口に占める「劣等者」の比率が高まると、国民の資質が低下して、民族の退化を来すという考え方である。不妊手術や結婚制限によって「劣等者」が増えることを防ぎ、「優秀な健全者」の出産が重視された。
    この法律によって、「遺伝性精神病」や「遺伝性身体疾患」などの人に対する不妊手術が認められ、一方、優生的理由によらない一般の不妊手術についてや妊娠中絶については、人口増加策を反映して、届け出が義務化されるなど制限された。
    (中略)一九四八年に優生学保護法が成立した。
    (中略)
    時代の流れが変わったのは一九七〇年入ってからだ。一九六八年に日本で初めて出生前診断として羊水検査が行われた。(中略)一九九六年六月、「優生保護法の一部を改正する法律案」が国会を通過した。これが「母体保護法」である。
    (中略)そして優生保護法がなくなったからといって、我が国から優生思想がなくなったかというとそうではない。
    優生政策の主な柱の一つは、不妊手術によって障害を持った子どもが生まれないようすることである。
    優生保護法時代は、それは国家が強制する不妊手術によって行われた。
    優生保護法が廃止された現在は、カップルによる出生前診断によって行われているともいえる。

    p111
    保子はレスパイトケアという、ダウン症などの障害児を一時的に預かって、家族に休息してもらう活動も行っている。

    p126
    「この子が最初で最後になりました。妻の卵子は元気がないようでした。それは自然な人間の摂理です。運命だと思います。なんでもかんでも人間がコントロールできると考えて抗っている社会ですが、それが本当にいいことなのかと思うのです」

    p129
    母体血清マーカー検査とは一九九四年から日本で実施が始まった出生前検査の一つで、母体からの採血により、血中のタンパク質やホルモンの濃度に、妊婦の年齢や体重を加味し、ダウン症や十八トリソミーなどの染色体異常をスクリーニングする検査である。例えば、「ダウン症候群陽性確率何分の一」というような確率で結果がでるもので、確定のためには羊水検査が必要となる。二〇一三年から日本で臨床研究がスタートしたNIPTが登場するまでは、母体血清マーカーが出生前診断の主流であった。

    p166
    胎児の異常が判明した妊娠の大半が中絶しているという報道がされても、中絶の法的な根拠は議論されないどころか、問題視もされていない。

    p179
    子どもが生まれる前に、命を選ぶ機会はこれから格段に増えていくだろう。
    海外ではさらに胎児の染色体だけではなく、全ゲノム解析を行う検査が登場し、日本にも近いうちに銅にされるのではないかと予想される。今でも血液を米国に送ることで、日本では認められていない検査を簡単に受けることができるのだ。

    p180
    約四十万人の強制不妊手術をしたナチス・ドイツの断種法を手本とした日本の国民優生法的の下では、強制不妊手術は一件もなかった。これは「産めよ殖やせよ」を背景とした社会において不妊手術に対する抵抗感が大きく、強制不妊手術の施行が凍結されたからだ。
    だが、戦後になって社会が一変した後にできた優生保護法では、優生政策を徹底するために強制不妊手術を断固実施することになった。優生手術は本人の同意を得て行うものと、保護義務者が本人に代わってするものと、さらには本人や保護義務者のを必要としないものがあった。

    p200
    新型出生前診断では主に十三トリソミー、十八トリソミー、二十一トリソミーが検出できる。だが、最もターゲットにされているのは、二十一トリソミー、ダウン症だ。ダウン症の発生率と高年妊娠の相関が度々取り上げられることもあって、出生前診断といえばダウン症を調べるものだと思っている人も少なくないという。
    なぜダウン症なのだろうか。
    ダウン症は平均寿命五十歳を超える。天聖のようにダウン症に起因する合併症によって早くに亡くなる子どもは、裁判でも認定されたようにむしろ少数である。つまり、寿命という点で考えれば、ダウン症は重篤な疾患とは言えない。

    p219
    ダウン症は、出生前診断でどの程度の重篤さで生まれてくるか診断できない。

    p222
    なぜ胎児ばかりがチェックされ、異常が弾かれていくのか。重篤なアレルギーがあれば中絶するのか。重篤な心臓病があれば、癌の遺伝子があれば中絶するのか。これから胎児の遺伝子検査が進み、望めば生まれる前に多くのことが判明する社会になるだろう。その時に、どんな子を誕生させ、どんな子を殺すのか。

    「誰ひとり完全に正常な遺伝子を持っているはいない」

    p240
    出会った人のなかには、我が子に障害があれば子どもを産まないと決意していた人もいた。障害があっても産んで育てている人もいた。障害のある子どもを里親として引き取って愛おしんでいた人もいた。どの人が立派だ、どの人は悪い、と誰が決められるものだろうか。その人それぞれの精一杯のところで出した答えは、唯一の答えだ。
    五年に渡る取材を通して見えてきたことは、安易な中絶も
    、安易な出産もないということだ。どの人も、崖淵ギリギリのところまで考え抜いて、最後の最後に答えを出していた。そして、その答えは後になってみれば誤りだったと思うことも少なくないだろう。人間は時に間違う存在だ。選んだ道を良かったと思ったり、後悔したり、そうやって七転八倒して私たちはそれでも生きている。

  • “出生前診断”というのに、何故ダウン症だけが標的にされてしまうのだろうとずっと思っていた。
    出生前診断で胎児がダウン症であるとわかると、産まない選択をする人が多いという事は知っていたが、それが言葉にはし難い、ここにも書きたくない理由であったのだと感じ、やりきれない思いがした。

    出生前診断の誤診を受けて生まれ、ダウン症の合併症で苦しみながら亡くなった赤ちゃんと、その両親に産婦人科医が謝罪する事は、赤ちゃんの命の誕生を否定する事になるのだろうか。
    もしもダウン症だとわかっていたら生まない可能性が高かったと言った母親の言葉を借りるとしたら、命の選別という意味でやはりそうなのだろうか。
    でも赤ちゃんは生まれそして亡くなった。謝らないまでも人としてもっと誠意ある行動が出来たのではないかと思う。

    母体保護法、優生保護法、刑法、国民優生法などの法律を、知識としてきちんと理解している人がいったいどれくらい居るのだろう。
    狭間だらけの法律で辻褄を合わせても、人の心は置き去りにされたまま。

  • 本書のケースは、「誤診」という医師の介入がなければ、「ダウン症の子が生まれ、早期に死亡した」という、不幸ではあるがごく一般的な事象であったはず。しかし母親は、「誤診により生まれて」早期に死亡したことで精神的苦痛を受けたとし医師を相手に提訴に踏み切っている。ということはこの母親は、偶然や運命なら受け入れざるを得ないが、一旦人間(医師)の判断がなされた後では、結果が同じであっても許容できない、と主張していることになる。なぜ人間が介在すると許せなくなるのだろう?

    本書にあるように、出生前診断の技術進歩により、胎児の持つ器質的特性は出生を待たずとも把握可能となり、いわゆる運不運の要素は小さくなる傾向は続くとみられている。つまりどのような子供を産むのか、人間がある程度「決められる」時代になった。問題はこのキャスティングボートは人間が持つにはあまりに「重すぎる」ことだ。医師や両親は、常に「命の選別」という、優生思想と背中合わせの、いわば「神の決断」を迫られる。そして医師と両親はその「重すぎる」判断を相手に押し付け合う結果、その判断が「間違っていた」と判定されるや否や、ジャッジした側はきわめて強い批判の矢面に立たされてしまうのだ。本書は、この矛盾が「胎児条項(障害ある胎児の中絶を認める条項)」を欠いたまま弾力的に運用されている母体保護法に起因するとしているが、至当だと思う。

    NIPT(Non Invasive Prenatal Testing : 無侵襲性出生前診断)の一般診療化が開いた、「出生前診断の背後に潜む優生思想」というパンドラの箱。自分達がよもや「命の選別」や「神の決断」に関与していると気づかないまま、この検査を受けるカップルも少なくないことだろう。今後、人間が神の代わりに「選べる」ものはますます多くなっていく。本書はそれに備えるための社会的コンセンサスの醸成が不十分であると警鐘を鳴らすが、解決策は簡単に見つかりそうにない。
    「何でもかんでも人間がコントロールできると考えて争っている社会ですが、それが本当にいいことなのか」という、ダウン症の子を持つ弁護士の言葉が重く心に響いた。

  • 一人一人の言葉が重く、
    読んでからもモヤモヤが続く。

    生まれる前に障害が分かることの
    メリットって何があるんだろう?
    そのために、ものすごい悩みが
    当事者に突きつけられている気がして
    ならない。

  • 出生前診断、それに伴う「生命の選択」をテーマとしたノンフィクション。医師の誤診により出生前診断で異常を見逃したことの責任を問うた裁判がきっかけだという。
    裁判に訴えた母親を軸としながら、出生前診断の問題や歴史、障害者を抱えて生きるということ、優生学など様々な取材を織り交ぜたことで実に重厚な内容になっている。
    著者自身、障害児の可能性がありながら出産した経験があるという。それ故か、心を配って寄り添い、理解しながら取材していることがよくわかる。他の人ではここまでの聞き込みや表現は出来なかったのではないか。
    結局答えなんてないのだが、選択すること自体がいかにつらいことか。読み終えてずっしり重く、しみじみと考え込んだ。

  • 考えさせられせ本。
    出生前診断は誰のためなのか。診断をするかしないか悩むのも親、診断後の中絶するか悩むのも親。それに対するカウンセリングも不足してる。
    自分は出生前診断はしなかったけど、病院からの説明もなかったと思う。

    裁判をした親の気持ちも分かるし、批判する人の気持ちも分かるし、正解がないからこそ難しい問題。

    もし自分が障害のある子を産んだら、かわいいって思えるまでどれぐらいかからのかな。外に連れて出れるまでどれぐらいかかるのか。

  • まずタイトルに衝撃を受ける。出生前診断というのは命の選別に繋がり、遺伝病のリスクやダウン症児の出生の可能性が高くなった時に中絶を選ぶのかというのは本当に難しい問題だと思う。人は知識を持たずによく知らないものを体験すると正しい判断が出来なくなるもので、この本に出てくる医師も母親に正しい結果をなぜ伝えなかったのか、見たら一目瞭然の検査結果が送られてきているのに誤診をしたのか。結果の見落としなんてあるのだろうか。私は意図的に正しい結果を伝えなかったのではを邪推してしまう。

  • 出生前診断で検査をしたにもかかわらず、主治医の見落としで生まれるまでわからなかったダウン症の赤ちゃん。

    陽性だったら中絶をしたのか、しなかったのか。

    何より衝撃的だったのは、生まれてから治療をせず、亡くなるまで何もしないという選択があるということ
    看護師たちのメンタルも想像して以上だろう

  • ダウン症だと告知なく謝罪してほしいとの訴えやダウン症のとりまく家庭、世間についての話
    苦しんで亡くなった命、告知していなかったことはよくないと思うがダウン症で苦しんだのは医師のせいではない。生まれなかったら倫理的問題が無いとも言えない。
    世の中の全ての障害は医師が背負えない、医療措置で障害が残る例もある
    生まれてみないとわからない、ヒトはミスをする、したくてする人はまずいない、だからといってそれが免罪符とはならない
    命の選別、改良など、人に許される行為ではないが、当事者でないとわからない
    ただ非難するのは誰でもできる
    非難するのではなく、命に対しての見識をただしくもち、お互いを労りあう社会が必要
    ただ訴訟を起こしていなかったら問題提起できず、人が傷つき苦しんだことは風化していったでしょう

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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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