- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163908670
感想・レビュー・書評
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私自身は出生前診断を受けなかったけれど、受けるべきか否か、もし異常が見つかればどうするべきか、ずっと答えは見つからずにいた。
生後たった3ヶ月の子を失った母親、医療当事者、ダウン症の当事者、障がいのある子と知りながら産んだ母親……この本でそれぞれの見解を知り、答えはますます出せなくなった。何のための検査なのか、命を選別することは悪なのか、守られるべきは誰なのか。
途中、何度も苦しくなって泣いた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書のケースは、「誤診」という医師の介入がなければ、「ダウン症の子が生まれ、早期に死亡した」という、不幸ではあるがごく一般的な事象であったはず。しかし母親は、「誤診により生まれて」早期に死亡したことで精神的苦痛を受けたとし医師を相手に提訴に踏み切っている。ということはこの母親は、偶然や運命なら受け入れざるを得ないが、一旦人間(医師)の判断がなされた後では、結果が同じであっても許容できない、と主張していることになる。なぜ人間が介在すると許せなくなるのだろう?
本書にあるように、出生前診断の技術進歩により、胎児の持つ器質的特性は出生を待たずとも把握可能となり、いわゆる運不運の要素は小さくなる傾向は続くとみられている。つまりどのような子供を産むのか、人間がある程度「決められる」時代になった。問題はこのキャスティングボートは人間が持つにはあまりに「重すぎる」ことだ。医師や両親は、常に「命の選別」という、優生思想と背中合わせの、いわば「神の決断」を迫られる。そして医師と両親はその「重すぎる」判断を相手に押し付け合う結果、その判断が「間違っていた」と判定されるや否や、ジャッジした側はきわめて強い批判の矢面に立たされてしまうのだ。本書は、この矛盾が「胎児条項(障害ある胎児の中絶を認める条項)」を欠いたまま弾力的に運用されている母体保護法に起因するとしているが、至当だと思う。
NIPT(Non Invasive Prenatal Testing : 無侵襲性出生前診断)の一般診療化が開いた、「出生前診断の背後に潜む優生思想」というパンドラの箱。自分達がよもや「命の選別」や「神の決断」に関与していると気づかないまま、この検査を受けるカップルも少なくないことだろう。今後、人間が神の代わりに「選べる」ものはますます多くなっていく。本書はそれに備えるための社会的コンセンサスの醸成が不十分であると警鐘を鳴らすが、解決策は簡単に見つかりそうにない。
「何でもかんでも人間がコントロールできると考えて争っている社会ですが、それが本当にいいことなのか」という、ダウン症の子を持つ弁護士の言葉が重く心に響いた。 -
一人一人の言葉が重く、
読んでからもモヤモヤが続く。
生まれる前に障害が分かることの
メリットって何があるんだろう?
そのために、ものすごい悩みが
当事者に突きつけられている気がして
ならない。 -
出生前診断、それに伴う「生命の選択」をテーマとしたノンフィクション。医師の誤診により出生前診断で異常を見逃したことの責任を問うた裁判がきっかけだという。
裁判に訴えた母親を軸としながら、出生前診断の問題や歴史、障害者を抱えて生きるということ、優生学など様々な取材を織り交ぜたことで実に重厚な内容になっている。
著者自身、障害児の可能性がありながら出産した経験があるという。それ故か、心を配って寄り添い、理解しながら取材していることがよくわかる。他の人ではここまでの聞き込みや表現は出来なかったのではないか。
結局答えなんてないのだが、選択すること自体がいかにつらいことか。読み終えてずっしり重く、しみじみと考え込んだ。 -
まずタイトルに衝撃を受ける。出生前診断というのは命の選別に繋がり、遺伝病のリスクやダウン症児の出生の可能性が高くなった時に中絶を選ぶのかというのは本当に難しい問題だと思う。人は知識を持たずによく知らないものを体験すると正しい判断が出来なくなるもので、この本に出てくる医師も母親に正しい結果をなぜ伝えなかったのか、見たら一目瞭然の検査結果が送られてきているのに誤診をしたのか。結果の見落としなんてあるのだろうか。私は意図的に正しい結果を伝えなかったのではを邪推してしまう。
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出生前診断で検査をしたにもかかわらず、主治医の見落としで生まれるまでわからなかったダウン症の赤ちゃん。
陽性だったら中絶をしたのか、しなかったのか。
何より衝撃的だったのは、生まれてから治療をせず、亡くなるまで何もしないという選択があるということ
看護師たちのメンタルも想像して以上だろう
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ダウン症だと告知なく謝罪してほしいとの訴えやダウン症のとりまく家庭、世間についての話
苦しんで亡くなった命、告知していなかったことはよくないと思うがダウン症で苦しんだのは医師のせいではない。生まれなかったら倫理的問題が無いとも言えない。
世の中の全ての障害は医師が背負えない、医療措置で障害が残る例もある
生まれてみないとわからない、ヒトはミスをする、したくてする人はまずいない、だからといってそれが免罪符とはならない
命の選別、改良など、人に許される行為ではないが、当事者でないとわからない
ただ非難するのは誰でもできる
非難するのではなく、命に対しての見識をただしくもち、お互いを労りあう社会が必要
ただ訴訟を起こしていなかったら問題提起できず、人が傷つき苦しんだことは風化していったでしょう