- Amazon.co.jp ・本 (96ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163917122
感想・レビュー・書評
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とてつもない怪作だわ。
これで本の帯に「問題作!」とか「衝撃の」とかいう枕詞が添えられない時代は、進んでるなぁとオヤジの感嘆が漏れる。
と同時にこの作品で、何かしらの渇きが癒えたのも確か。どういうことか。何かとは。
障害者、セックス、ネットスラング、ハラスメント
タブーも4乗になると、もはや神々しく見える。変にドラッグとかより、もっと触ってはいけない活字を舐めさせられたようで、不快な舌心地がする。知ってるような知らないような略語を孫引きして、やっぱり分かってなかったことに落胆しながら。がんばって読んで、この世界観が、少なくとも私にとっては間違いなく快楽だった。
書いちゃダメ、が文学としてキラキラ光を放っている。
春画をまじまじ見れる自由のような気がした。
そんな私に作者は鉄槌を下す。
── コルバン『身体の歴史』によれば、20世紀初頭に「視線の犯罪化」によって見世物小屋は衰退し、入れ替わるようにハリウッドのクリーチャーが持て囃されるようになった。着ぐるみのワンクッションをおけば奇形の異様さを呵責を遠慮もなく目で楽しむことができるようになる。
見せ物小屋とは、小人や奇形などを集めて金を取るアレか。その代替がエイリアンやポンキッキなのか。ショッキングでしかない。敢えて、健常者たる私たちは(私は障害者のはじくれだが)、すると一体そこに、何を求めてしまうのだろう。
つい見てしまう。観る。視る。看る。
ひざ上丈のスカート。そこから細く伸びる脚。
下腹部が寒くなるような生々しい傷口も、つい。
ハゲ散らかした頭頂部にはありったけ微笑みをこめて。
ただしハゲは立派であればあるほど見ない。つまり普通、は見ないのか。ただ異常を見たいという欲なのか。
我孫子さんのサイコサスペンスを持ってレジに並ぶ時、人は満足を求めているのだろうか。もしかして安心でも買おうとしているのだろうか。
それは、見せ物小屋のようにと言っていいのか。
そこを掘りたいが、答えにありつけなそうで怖い。
障害者への視線が悪意か。と自分に問いかけても、答えの出ない偽善とか差別への言い訳をしなければいけないことの方が面倒臭い。もう無視無視。そもそも視線犯罪者の私はただの既婚インセルにすぎない。(なんて覚えたての単語を必死で使いこなそうとしているおやじ構文一歩手前)ドーパミン禁欲法でも試そうか。
話をおかしくさせたのでもう1点、これは単純に気になったことがあり、この作者は句読点が少ない。とくに読点「、」がない。
ゆるゆると文章が続くのに、一切読みにくさを感じない。なぜだ。むしろ、ぬるりとしたセンテンスが易々と脳内に入ってくるかのよう。
これには小さくない感動があった。自分の文章は読みにくいのに。
── 両親とお金に庇護されてきた私は不自由な身体を酷使してまで社会に出る必要がなかったから。私の心も、肌も、粘膜も、他者との摩擦を経験していない。
この作者の放つ稲光のような表現の自由度に、恐れ入った。『正欲』などでも得られなかった読書体験。
摩擦不足のおやじには、良い刺激だった。
でもやっぱり、自分の信じた道がちょっとグラつくくらいの怪作。黄土色のミニオン化した自分なんて理解したくない。そのために、こうした作品に理解をつぎ込んでいるのだ。
それでも、1人の人間の痛みを分かったことになるのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館本
かなりパンチのきいた一冊。
本好きあるあるのくだりは、心がズキンとしました。
いろんな立場を考えなくてはいけないのだろうけど、そうすると何も発言できなくなる。そうだよね、わかるー! みたいな共感の心地よさも少なくなる。
私は私のスタンスを大事にしようと思ったことでした。
産むこと、中絶を選択すること。
これは女性の権利といえないこともなく、
アニーエルノーの「事件」を読んだときのことが思い出されたのでした。 -
気持ちの置きどころが見つけられなくて困っている。衝撃だったことだけは解っているけど、しばらくそれを言語化できそうにない。
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重度障害者の中年女性である主人公が、自分もふつうの人間と同じようにと、堕胎を夢見て、淫靡な自分の姿を想像するのは、ブレードランナーのレプリカントが「自分が人間である」という夢を見るように、越えられない壁を思わせる。いったん健常者の人生を手に入れたうえで台無しにしてやりたいと希求する主人公や、彼女に対し憐みと軽蔑を抱く弱者男性ヘルパーの感情は、人それぞれが自分の今生きている人生の現在の地点におけるルサンチマンな感情として共感できると思う。生きるための日常が日日自分の身体を壊し続ける行為であって、「何のために生きるか」ではなく「何で生きているのか」というほどに生と向き合っている重度障害者や周囲の人々の本当の苦悩など自分にはわかる由もないが、主人公が夢を見ることでなんとか生にかじりつきながら生きていく姿を通して、人が生きていく意味、自分が今生きている意味について思いをはせるという普遍的なテーマとして語られているのが素晴らしいと思う。
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簡単に感想が書けない小説だと思った。
すべての人は、当然まったく違う人間で、心も体も全員違い、生活も違い…
んーー
誤嚥性肺炎の原因が怖すぎるというか、ちょっとやばすぎて、
一言で言うと、わかるけど嫌いな小説。
怒りの作家から、早く愛の作家へ変わってほしい。
そして、愛の小説を読ませてほしい。
これがわたしの一番の願いです。 -
一冊丸ごと鈍器で殴られたかのように、すごい感情も欲望も剥き出しって感じだった。
だけど何だか急に現実を突きつけられたような、出口がないような。
当たり前は当たり前ではないし、それは紙の本のページをめくりながら姿勢を正してページをめくるという行為でさえ
腹立たしかったり妬みや嫉みで溢れていて
どんな病気になっていたとしても、清きものとしてではなく
事実、非常に人間臭くてそこには健常者も障がい者もへったくれもないってこと。
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強烈な1作
著者の私小説っぽいと思っていたら、最後の数ページで豹変、芥川受賞作品っぽいですね
さらっと読めてしまうので、何かを見落としたかなと読み返してみたけれど、新たな発見はなかったです
PV稼ぎの記事による検索汚染の件については、実感します
障害者の性欲に関しては、Eテレでもやってましたね
読書バリアフリーについても -
ヤフコメでアンチが湧いてたけど、本書に登場する本好きの健常者がそれなのよね。かく言う私も本の質感が好きな本好きさね。悪かったな(・з・)
アンチは「医療費安いしサポートされてる」と曰いながら、汗水垂らして働いて税金やら社会保険料を納めている。
障害者は「人権がない」と曰いながら、健常者が納めた税金で福祉を享受している。
私は哲学が嫌いなので「なぜ生きるか」とか考えるのが嫌い。「健常者と障害者どちらが正しいか・可哀想か」も議論するつもりはない。うるせぇどっちでもいいわ。
ただ、障害者がこうして怒りを強く訴えたことに価値があると思った。(ここで差別だと感じたならそれは正しい)-
追記
いいねが多いレビューを見ると賛否両論である。
内容的に賛否が分かれるのは仕方がないし、私も絶賛はし難い。ただ「すごいものを見た」と感じ...追記
いいねが多いレビューを見ると賛否両論である。
内容的に賛否が分かれるのは仕方がないし、私も絶賛はし難い。ただ「すごいものを見た」と感じた。
作者のコメントがどーのこーので拒否するのは、作中で「余計なことすんな」と言った田中と同じなのだが、そこは自覚してらっしゃるのかしらん(それに対して批判もしないが)
私としては、優生保護法を是としながら中絶してみたいと望む部分が「否」であった。望むのは勝手だが、障害の有無に関わらずそれを実行するのはダメだ。
なのに、健常者を主人公にした物語の中では簡単に中絶したり子育てできなかったり悲劇が生まれるし、それに対してここまでの批判はない。作者のが穿ったのはその部分で、世間は急所を打たれたと騒いでいる。いいぞもっとやれ。
私は声援を送りながら、アイタタターと悲鳴を上げつつ、今後も著者の紙の本を読んでやる。2023/09/15
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ハンチバック/市川沙央
芥川賞受賞作品。
100ページ未満なので半日で読了しました。
「性と生」について書かれているので
内容は大人向けです。
身体障がいのある女性が主人公で
世の中に対する様々な叫びが詰まっています。
この作者だから書ける作品。
「私の身体は生きるために壊れてきた」
という表現は胸に刺さります。
そして紙の本を好んで読める、苦もなく読める
この”当たり前”は”当たり前”ではないんだ、
と衝撃を受けました。
自分の障がいに対する無知さを痛感しました。
正直ラストがよく分からず飲み込めていません。
いきなり視点が飛んだな、と思いました。 -
間違いなくこの作者だから書けたもの、この作者にしか書けないものだ。それだけでもこの小説の存在理由たり得る。
この作者がこれから先どんな小説を書き得るのか……正直「一発屋」で終わりそうな気もするが、この小説は面白かった。読めてよかった。