- Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167192273
作品紹介・あらすじ
日残りて昏るるに未だ遠し-。家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし、藩の執政府は紛糾の渦中にあったのである。老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。
感想・レビュー・書評
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用人の身から隠居することになった三屋清左衛門の連作集。晩年の作品の特徴である明るさが、この作品でもにじみ出ていて、主人公清左衛門のコミカルとも言える日常が活き活きと描かれています。
当時の隠居は52歳なのかぁ。最初は寂寥感が・・・なんていっているけれど藩の陰謀など次々に事件に巻き込まれ結構忙しい日々。いい年なのに、人を見抜けず厄介な状況になったりと、おちゃめな感すらある清左衛門。
作者も57,8歳くらいの時の作品と思いますが、実体験らしきものも反映されているのではないでしょうか。なかなかその年でしか描けない、しみじみとした作品です。
はぁ、早く隠居したい。 -
著者 藤沢周平さんが、いかに素晴らしい作家であったかは十分に知っているつもりでありましたが。
この作品、つい最近の月刊誌「サライ」で知り、読んでみました。
前藩主時代に、家禄百二十石からはじまり、そのまじめで真摯な仕事ぶりと、口が固く決して裏切らない人となりが信頼され江戸屋敷用人となるまで出世した「三屋清左衛門」
藩主の交代も無事に終わり、仕事も後輩に引き継ぎ、嫡男に家を譲り自分は隠居と。
大きな信頼感は今の藩主も特別に持ってくれたようで、破格の待遇で無事に隠居生活に。
清左衛門はあれほどなりたかった隠居生活に実際になってみると虚しさと張り合いを無くしていた。
まずは体を動かそうと、昔通った道場に通い始め、勉学も再開する。
少し元気がないのを心配した息子の嫁、里江が声をかけ、目をかけてくれる。
そして残日録(日記)を書くことにした。
まだ前髪があった頃からの同輩との再会。
今でも交流があり現役の友人。
いつのまにか、身分に開きができて、会わなくなってしまった知人。
昔の苦い思い出。
現役を退いた身分だからこそと、依頼される仕事や用事で日々がすぎてゆくのだが、石のように現役当時から一切変わらない価値観、倫理観で清左衛門は数々の難問にも果敢に対処するという話。
最近読んだ時代小説の名作も、もしかしたらこれが根っこに存在したのではないか?と。 -
北大路欣也さん主演のドラマを観ていたので筋書きは知っていましたが、原作も本当に面白かった。
多分藤沢周平さんの著書は初めてだと思います。
母が好きで何冊か持っているので他の著書も読んでみたいです。 -
藤沢・ハマるわ…
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藩の勢力争いを背景に15の短編連作で主人公三谷清左衛門の目で見た人間模様が描かれている。
が、へそ曲がった見方をすると何とも羨ましい男の引退劇なのだ。
藩主からは格別の行為を受けて隠居場所を得る。
かつての剣の腕は隠居によってできた時間を使って道場通いを続けるうちに蘇る。
暇だらけだと思っていた隠居生活は、かつての藩の切れ者用人を頼ってくる現役の人々によって少なからず自尊心をくすぐられ、引いてもなお藩の役に立つ満足感を得る。
なおかつ女性にもモテるのだから。
歳老いた寂しさをそこに秘めているとは言え、かなり贅沢な境遇ですぞ。
しかしなんといっても藤沢さんの文章は良いなあ。
こういう文章が私に書けたなら、なんと幸福な事だろう。
流れる主題の合間に四季の匂い、自然の香り、人の心を差し挟む。
むしろ作品のテーマ以上にそちらを味わいたいという気になるほど。 -
三屋清左衛門残日録(文春文庫)
著作者:藤沢周平
発行者:文藝春秋
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
これぞ理想の隠居生活でのんびり読みたい日記風小説。 -
五十を過ぎ、藩主の代替わりに合わせて家督を息子、又四郎に譲って隠居した三屋清左衛門は、藩内で順調に出世し、最後は藩主の用人を勤めていた。
暇をかこつことになった清左衛門は、次々にトラブルが持ち込まれると、労を惜しまずその解決に奔走する。かねてより対立していた遠藤派、浅田派の派閥闘争が激化すると、その解決にも一役買うことになる。
第一線を退き、人生の黄昏を迎えた清左衛門が、老いと向かい合い、充実した日々を送る、ある意味理想的な老後が描かれている。今で言うと、六十五歳位で役員を引退した有能な会社人、といったところだろうか。何だか羨ましい。 -
久しぶりに藤沢周平読みました。
良いですねぇ。
日残りて昏るるに未だ遠し。
隠居した清左衛門は、老いと向き合う日々。
しかしいつの間にか、藩の紛糾の渦中に巻き込まれていきます。
連作短編集で、日常が描かれていきますが、背後には生きることへの深い洞察が見られます。
ーそうか、平八。
いよいよ歩く手修練をはじめたか、と清左衛門は思った。
衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。 ー 436ページ