テレサ・テン十年目の真実 私の家は山の向こう (文春文庫 あ 30-2)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167438036

感想・レビュー・書評

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  • 時間があれば

  • 「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」等の楽曲は知っている。テレビ
    の歌番組で歌っている姿も何度か目にしている。でも、テレサ・テンは私に
    とっては特別な歌い手ではなかった。

    それでも、彼女がタイで急死したとのニュースには驚いた記憶がある。
    42歳、気管支喘息による発作だったという。

    そんなテレサの最後の来日となった折りにインタビューをしていたのが
    本書の著者である。「わたしのこれからの人生のテーマは中国と闘う
    ことです」。台湾と中国、ふたつの祖国の間で揺れ動いたテレサは、
    著者に再度のインタビューの機会を約束した。だが、彼女の急死で
    約束は果たされなかった。

    「中国と闘う」。それは天安門事件に衝撃を受けたテレサの決意だった
    のだろうと思う。台湾と中国との関係、居を構えた香港の中国への返還
    を控え、民主化を叫ぶ学生たちに中国政府が加えた弾圧にテレサは
    心を痛め、学生たちの行動に共感していた。

    私がテレサ・テンという個人にまったく関心がなかったせいかもしれな
    いが、彼女の生い立ちからその死後までを追った本書には知らないこと
    がたくさん詰まっていた。

    天安門事件をきっかけとしたテレサと政治との係わりもそうだが、子供の
    頃から歌の才能を開花させ、台湾や香港では「台湾の美空ひばり」と呼ば
    れていたこと。そのテレサが日本デビュー後は他の新人歌手同様に扱わ
    れているのを見て、香港からやって来たリンリン・ランラン(懐かしい~)が
    「どうしてアグネス・チャンに個室が与えられてテレサさんはわたしたちと
    同じ控室なんですか」と驚き、テレサが姿を見せると興奮してサインを
    お願いしたこと。

    そして、やはり一番気になるのは彼女の死の真相だ。急死であったことも
    あり、日本のメディアでは謀殺説が多く語られていた。曰く、テレサはスパイ
    だったから口を封じられた等々。

    それらの説には根拠がなかったのだろうと思う。否、テレサがスパイで
    謀殺されたことにしておけば、誰かが得をしたのかもしれない。金銭的
    にね。

    発作による急死。それが本当なのだろうと思う。亡くなる前から彼女と
    生活を共にしていた14歳年下のフランス人男性の行動には不可解な
    部分もあるけれど。ほとんどテレサのヒモのような生活をしていたらしい
    が、彼と一緒にいることで幸せであったのならいいんだけど。

    もし、天安門事件がなかったらテレサ・テンにはこう少し違った人生が
    あったかもしれないと思うとちょっと切ない。自分で作った歌を歌いたい
    と思っていた願いも叶ったかもしれないものね。

    中国国内での民主化運動に共鳴して開催されたコンサートでテレサ・テン
    が歌った「私の家は山の向こう」の日本語訳を以下に掲載する。この歌
    を歌ったのは1回だけだそうだ。

    私の家は山の向こう
    そこには豊かな森があり
    そこには果てしない草原がある
    春には稲や麦の種を播き
    秋には刈り取り新年を待つ
    張おじさんは愁いなく
    李おばさんはどこまでも楽天的
    ヤオトンから狸鼠が出てきてからは
    全てがすっかり様変わり
    それは深々と埋もれていた白骨を喰らい
    人間的な善良を毒とした
    私の家は山の向こう
    張おじさんは喜びを失い
    李おばさんは笑顔をしまいこんだ
    鳥は暖かな巣を飛び立ち
    春は冷え冷えとした冬へと変わった
    親しい友らは自由を失い
    麗しい団欒を捨て去った
    友よ一時の歓楽を貪るなかれ
    友よ一時の安逸を貪るなかれ
    できるだけ早く帰って
    民主の火を燃やそうよ
    私たちの育った所を忘れちゃいけない
    それは山の向こう
    山の向こうなの

  • 付属の音源が貴重。なんとも複雑な気持ちになる。普段の商業ベースと無関係、という点ではまさに彼女が自発的に歌いたい歌であったのだろうが、亡くなる前に彼女が構想を練っていた音楽はどんなものだったのだろうな、聴きたかったな、と思う。

  • 05年テレサの没後10年の年に出版された本が文庫化されていたので再読。





    10年かけて、没後から遡るように丁寧になされた取材と調査に基づいていて
    著者からの理解と愛情が感じられる。



    前半では、どちらかというとおしとやかなイメージのあったテレサの
    案外率直でサバサバした物言いから
    歌手という華やかな表の顔だけの人ではなく
    一人の自分の考えと意見を持つ
    大人の女性であるテレサが浮かび上がってくる。


    ただこの本は読んで行けば行くほど、後半にかけて徐々につらくなっていく
    それは一つの出来事から、徐々に自分を見失っていた時期の
    姿も書かれているからかもしれないし、結末の分かっている小説を
    読んでいるようなやり切れなさがまだ
    何処かにあるからかもしれない。
    人の一生にどういうものであれ判断を下せる言葉などないのだけれど
    その最後はどうして寂しく感じてしまう。


    一人異国で生涯を終えた、という事よりも
    歌手になりたくて生涯を歌っていたい、歌うことだけは止められない
    と願っていた人が歌手として大きな存在になればなるほど
    様々な事情に翻弄され、疲れてしまい、やがては歌えないと言うようになり
    そしてそのまま逝ってしまった事がとても寂しい事に思えたから。


    個人的な考えだけれど
    テレサの心の中にあったのではないかとずっと思っていた
    のは「まだ見ぬ故郷の美しさ」だった。
    だからあんなにも場所を問わず人の心に
    歌声は浸透したのではないかと思っていた。

    それは現実に生まれ育った台湾を想う気持ちとは
    また別のものとして、あったのじゃないだろうかと


    訪れたこともない国を故郷、と呼ぶのは日本にはあまり
    馴染みの無い考え方かもしれないけれど
    外省人として台湾に渡った第2世代という背景や、今よりもずっと遠かった
    両岸という事情に、尚更夢は美しく理想化されていたのかもしれないと
    ずっと思っていたのだけれど。


    その美し過ぎた夢故になのかどうかは私には分からない。
    ただ確かにテレサの中に存在していただろう
    「理想の一つ」がうち砕かれた時に
    どれほどテレサが心傷付き、全てに背を向けたくなったのかという
    想いを追いかけて、心に寄りそうようにして
    丹念に書かれている本だけれど
    心情を慮り過ぎているわけではなく

    本文中にも書かれているけれど、これは著者とテレサの約束でもあり
    没後に流れた報道に対する、冷静に事実を積み重ねた反論でもあったので
    だからテレサを取り巻いていた様々な現実的な問題や、
    人間としての強さも弱さもハッキリと感じられるのが
    つらいことでもあるけれど
    読んで後味の悪さはない。


    ただもうどのような理由にも何者からも囚われることなく
    静かに眠るテレサに
    安らぎがあってほしいと思うだけだ。
    そして歌を聴き続けよう。



    テレサが日本語で歌っていた「香港~Hong Kong~」という曲について
    テレサ自信も強い思い入れがあったようだ、
    と書かれていた事も印象に残った。
    個人的にとても好きな曲なのだけれど、とても切ない切ない曲だし
    あの歌に込められた想いがあったなら
    それは余計切ない話でもあるのだけれど。
    でもテレサの歌には、どんなに切ない曲にでも
    どこかに必ず人を慰める優しさがあった。
    それは単純に自分の想い一色で歌を聴かせようとしない
    テレサ・テンという歌手の
    才能であり優しさだったのかもしれない。



    本書のタイトルでもあり
    単行本版の特別付録になっている
    「私の家は山の向こう」~我的家在山的那一邊~
    1989年5月27日 香港ハッピーヴァレー競馬場での音源
    が「テレサ・テン メモリアルベスト-永遠の歌姫-」
    というベスト版に収録されている。
    文庫だけで読まれたという方も
    あのテレサ・テンという一人の女性の
    切実な思いと、願いの込められた歌声を
    機会があったらぜひ聴いていただきたいと思う。

  • 「謎に葬られたアジアの歌姫へ。」

     切なさを帯びた繊細な歌声で人々を魅了したアジアの歌姫、テレサ・テン。しかしタイのチェンマイで謎の死をとげるまでの42年の彼女の生涯は、台湾と中国という二つの祖国の間で常に翻弄され続けた。著者は彼女の心情を共感と愛情に満ちた取材で探っていく。

     かつて語学学校で知り合った台湾人の女性が「中国は台湾とは別の国」ときっぱりと言い放った言葉を思い出す。国情が混乱する中、国民党軍とともに大陸から台湾へ渡った「外省人」の両親のもとに生まれたテレサ・テンはどうだったろうか。

     その答えは、1989年民主化を求める学生運動に対して中国政府が「血の弾圧」を行った天安門事件に彼女が激しい衝撃を受け、その後生涯を通じて中国の行く末を憂い中国政府のやり方に抗議の姿勢を崩さなかったことに見て取れる。

     海峡を挟んだどちらの中華にも根を持つテレサ・テンは、どちらとも無縁ではいられず「世界のどこにいても私はチャイニーズ」と言って憚らなかった。しかし同時にそうした心情が緊張関係にあったどちらからもしばしば政治的に利用されたことが痛々しい。彼女のそうした複雑なスタンスがその謎の急死に至って「謀殺説」「麻薬死亡説」「エイズ説」はては「軍のスパイ説」と様々な憶測を呼んだ。

     テレサ・テンの心情を慮りながら彼女の死、そして台湾の国家元首並みだったというその葬儀までを綴った著者が、そのあとに続いて、彼女を巡る様々な噂や憶測を検証していく「春を待つ花」は、中国や台湾の奇怪きわまる政治的な闇をも想像させてスリリングだ。

     テレサ・テンは、アジアの歌姫として日本はもとより世界に愛され、幼いころは自分の歌で家を支えるなど貧しい時代もあったが優しい家族にも恵まれ、もちろん恋愛もした。それにもかかわらず著者によってここに再現された一人の人としてのテレサ・テンには、いわく言い難い寂しさ哀しさがつきまとう。言葉にせずともそれらが自ずからあの切ない歌声に昇華していたと感じるのはあまりにセンチメンタルに過ぎるだろうか。

     テレサ・テンは生前著者の仕事を「日本にわたしのことを本に書いてくれるひとがいるのよ」と家族に語っていたそうだが、真実を明らかにしたいというジャーナリストとしての真骨頂ともいえる本書は謎に葬られた彼女への何よりの手向けとなったにちがいない。

  • 19530129-19950508
    二度目のチェンマイですが、メーピンホテルに投宿。
    09JAN'08IN 14OUT

  •  1974年生まれの自分にとって、テレサ・テンは殆ど印象に残っていませんでしたが、このノンフィクションで存在感が大きく増しました。綿密なデータと証言集めが感じられ、それだから非当事者にも具体的なイメージが湧いてきました。

     天安門事件との関係やチェンマイでの急死に理解が進んだことで、80年台後半から90年台前半にかけての中国に関する政治的駆け引きが、テレサ・テンという個人を軸に炙り出されることと思います。

  • 台湾の大スタアであつたテレサ・テンさんの評伝であります。
    日本でも人気者でしたが、台湾における存在感はその比ではないと言はれてゐます。
    中国と台湾、香港の間で「国際難民」(彼女自身の言葉)として翻弄された彼女の生涯は、まことにドラマティック。実際にドラマ化されて木村佳乃さんがテレサ役を演じました。

    中国共産党の「精神汚染」キャンペーンにより、テレサ・テンの歌は大陸では取り締まりの対象になりました。理由は、あまりにも子供じみた、非論理的なものです。
    曰く「扇情的」「反動的」「退廃的」「いかがはしい」「歌詞がポルノ的(!)」等々...
    禁止されれば一層聞きたくなるのは人の常であります。こつそりと聴く人は多かつたとか。

    楊逸さんの小説『時が滲む朝』の中で、民主化を夢見る中国の学生たちが、夜ひつそりと音量を下げてテレサ・テンの歌に聞き惚れる場面がありますが、かかる背景があつたからこその描写でした。

    さういふテレサですから、タイのチェンマイで亡くなつた時も、いろいろな憶測が流れたものであります。中でもひどいのが軍のスパイであるといふ説。日本のマスコミも無責任に書きたてました。
    著者の有田芳生氏は、情報源とされる男性に会ひ、事実はどうなのかを確かめるのですが...

    テレサ・テンさんが健在なら、もうすぐ60歳といふことになります。きつと、若い時分にはなかつた魅力をファンに振りまいてくれたのでは...と詮無いことを考へながら、彼女のCDを聴いてゐるのであります。

    http://ameblo.jp/genjigawa/entry-11416924530.html

  • ところどころ、じーんとくるエピソードがあった。
    テレサを知ると、「愛人」や「つぐない」よりも「別れの予感」とか「恋人たちの予感」の方が彼女らしいなと思ったりして、再評価できた楽曲がたくさんあったな。
    単行本はCD付きで、本書のタイトルとなった曲が収録されていたらしい。
    何とかして聴いてみたいなぁ。

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著者プロフィール

有田芳生 ARITA YOSHIFU
1952年、京都府生まれ。ジャーナリスト。出版社勤務を経て、1986年にフリーランスに転身。『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で霊感商法批判キャンペーンに参加。その後、『週刊文春』(文藝春秋)などで統一教会問題の報道に携わる。都はるみ、阿木燿子、宇崎竜童、テレサ・テンなどの人物ノンフィクションを週刊誌各誌で執筆。2010年、参議院選挙に出馬し初当選。2022年まで2期務め、拉致問題、ヘイトスピーチ問題に取り組む。近著『改訂新版 統一教会とは何か』(大月書店)、『北朝鮮 拉致問題――極秘文書から見える真実』(集英社新書)のほか著書多数。メルマガ「有田芳生の『酔醒漫録』」(まぐまぐ)で統一教会のタブーを精力的に発信する

「2023年 『統一協会問題の闇 国家を蝕んでいたカルトの正体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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