- Amazon.co.jp ・本 (542ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167682033
感想・レビュー・書評
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絶望の度合いというのは人によって違うのだろう。
どんなことでも、例えそれが他人から見て些細なことだったとしても、心が深く暗い穴に落ちていくきっかけになる。
耐えられないほどの哀しみに襲われたとき、きっと人は自分を守ろうとするのだろう。
生き続けるための防衛本能が働き、気づかないうちに周囲に壁を作ろうとする。
今以上に傷つかないために、もうこれ以上に哀しまないために。
宗教というのは何だろう?
どうして人は宗教にすがろうとするのだろう?
人は人によって支えられ、人を支えることで生きていく喜びを得る。
誰かに頼られること。
それは自分自身の存在意義にもなる。
宗教というものがよくわからないのだが、観念的なものだと思っている。
信じればそこに真実が見えてくる(見えているような気がする)のだろうし、信じなければ何ひとつ得るものはない。
だって形のないものだから、目に見えるものじゃないから。
ずっと雪藤が彷徨っていた世界は閉ざされた世界だった。
誰も入り込めない。誰の言葉も届かない。
自分で抜け出すしか前に進む方法はない。
自分をありのままに認めることは難しい。
普段でさえ難しいことを、まして雪藤のような状態では尚のこと難しいだろう。
「元気を出して」
「頑張って」
励ましの言葉が逆に人を追い詰めてしまうこともあるのだ。
ありのままの自分。
弱さも、狡さも、どんな自分でも受け入れる。
雪藤がようやくたどり着いた心境は、それまでが過酷だったからこそもう揺らぐことはないだろう。
光の見える結末でよかった、と思える物語だった。 -
雪滕の妻子を失った悲しみの描写が酷くリアルで、貫井氏の文体に自分の感性がぴったりハマってしまっていることを感じる。天美との出会いから、それに固執し、依存し、徐々にまた壊れていく雪滕の精神構造の様子が痛々しい。その精神構造破壊の進み具合が絶妙。相変わらず人物の描き方も卓越しているし、メーター振り切ってぶっ壊れている人を描くのも上手し。宗教の怖さではなくて、宗教にハマっていく人の精神構造が怖い。もっと言えば、誰にもその破壊の過程へと陥る可能性があるからこそ、身近に感じられて怖い。慟哭とは違い、最後に救いがあったのも個人的には素敵だと感じた(ここは賛否両論だろうが)。マスターありがとう。
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事故で妻子を亡くした雪籐は、偶然町で出会った美少女の天美遙の特殊能力に救いを求める。
彼女の力はやがて多くの人を虜にし、活動は膨れ上がっていく。
やがて宗教化していくが、そこには幾つもの壁が立ちはだかる。
2017.1.8 -
題材が題材なだけに読んでいて楽しいものではなかった。
団体内の雪籐の立場とか読んでいて辛かったし。 -
これまで宗教や占いを信じる人の気持ちがよく理解できなかった。でもこの本を読んだ後なら理解できる気がする。
何かに救いを求めることは悪いことではない。でも、自分を救えるのは結局自分自身しかいない。今の現状を嘆くのも前向きに捉えるのも自分次第なのだと改めて教えられた。 -
エンディングはちょっと物足りなさを感じる。
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『愚行録』に続き、貫井作品六作目。妻子を交通事故で亡くした主人公・雪籐。触れた物に籠る想いを読み取れる天美遙。街中での出会い。再会。そして、のちに遙を中心とした"コフリット"と呼ばれる会(新興宗教団体?)の発足。合間には夫に先立たれ、娘にも逃げられた憐れな子安嘉子。が挿入され、どう絡んでくるのかワクワクしましたw後に遙があんなことになるなんて...(><;; 最後は雪籐、遙共に暗い夜を想っていた孤独の闇から抜け出せて良かったです。
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技巧派ベテランの力作なんだけど、ややマンネリ・新機軸無し、と評論家ウケがイマイチな2枚組アルバム、って感じ。クオリティは安定も、迫力不足は否めない。どこでひっくり返すのかな?とずっと期待してたのに最後までひっくり返らない。貫井作品にしては珍しくストレートです。