乳と卵 (文春文庫 か 51-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (133ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167791018

感想・レビュー・書評

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  • 芥川賞受賞作「乳と卵」と掌編「あなたたちの恋愛は瀕死」の二編を収録。

    「乳と卵」
    女性の身体性と、そこからくる心理を描く物語。東京に住む語り手の女性のもとに、姉とその娘(姪)が泊まりにやってくる。姉は、出産を機にしぼんでしまった乳房を手術によって豊かにしたいと考えて実行寸前のところにいる。娘は10歳くらいの子で、女性としての身体的な自覚を、学校の授業なり友達との付き合いなりからしはじめている。女って卵子を持っていて大人になっていく段階で月経がおこるのだとわかって、それで、自分はいやがおうでもその宿命のレールに乗っていて外れることのできない、そこに無慈悲さや不条理なものを感じているふうな書き物をノートにしている。自動的に女だと規定される運命を受け入れたくなくて、過渡期というか間(はざま)というか、そういうところで格闘している様子が読めてくる(将来この娘がどうなるのかはわからないですが)。

    男の立場からすると、「わかるわー」とか「共感するわー」とかは言えないものの、たとえば自分が女性になった夢をリアルにみたときのように、小説にどぼんと飛び込んで読むことで、その身体性を想像しながら、「それだったらそういう気持ちになるのはまったくわからないとは言えない」と思えるくらいには、女性性というものが想像の目で見えるくらいに具現化されて、そのものとして表現されているんじゃないかなあと思いました。きっと、女性が読むと、すごく生々しい話なんじゃないだろうか。男と女がフランクに会話するとき、極端な言い方だと「お互い違う生物」でありながら、共通項を探りつつ、その共通項を足掛かりにして理解を深めるというのはありますよね。わかりあえない前提で、できるだけ寄せて、息遣いや体温を感じるくらいのレベルにまで近づけてわかることができればうまくコミュニケーションできたほうだ、といったように。まるまるその異性になることは想像の世界であってもできなくて、それができたら「わかりあえた」と言えるのだと思いますが、僕の考え上ではわかりあうのは不可能なんです。

    無理しているふうではないのだけど、大胆に感じられる文体。一文が長く、句点で区切られそうなところを読点でいちおうの区切り、からの主人公の語りがまだまだ蛇行していく。独特なんですけど、読み手である自身のあたまと作品の周波数が合いだすと、なんて巧みで「伝えよう」という表現力と気持ちが強いのだろう、とため息が出る。形式ばることを嫌い、でも形式の好ましい部分はそのままに、という感じもした。あと、主人公の語りから感じられる、見ているものや考えていることの解像度の揺らぎから、人の生々しさがページ上から立ちのぼってくるのでした。

    女性の主観で書かれていて見事なんだけど、それでバランスを、大局観みたいなおおきな意味でのバランスをうまく取れているのは、おそらく客観性が発揮されているからで、本文を夢中になって読む分にはどこにも作家の客観性のかけらほども感じさせないのに、読んでみた結果からいうと客観は用いられていた、っていうのが察せられて、そこがかっこいいよなあ、と独り合点のようにうなづいてしまいました。

    読んでとても味のある、夢中になる、どんどん読みたくなる、それでいて芸術性のある純文学で、野心的というか、才能が生半可じゃないぞ、と思って。


    「あなたたちの恋愛は瀕死」
    主人公は若さに少しばかりかげりがやってきた年頃の女性でしょうか。新宿を歩き回る話です。「乳と卵」とはうって変わって、都会のとがった心理が描写され、その鋭さは競争とか抗争とかいった世界の世界観から世の中を見ている者のそれだと思います。これまた芸術の象限にある小説で、なんだか現代美術みたいな感じもしました。「乳と卵」を読んで、川上未映子さんの作品は二冊目だけど、もう全面的に信じていいかと思っていた矢先、続くこの掌編を読んで、おっと危なかったな、と笑ってしまいました。「これは心してかからないと、殴られるぞっ」と思って。でも、笑ってしまっている場合でもない迫力がそこにはあったのでした。


    二作品とも、エネルギーというか力というかが生きたまま宿っている作品ではないでしょうか。外にぱーっと放射しているんじゃなく内の奥の方にこもっているのでもなくて、作品のそのものの領域におしなべて等分に力が根をおろしている感じがしました。

    というところですが、とても充実した読書体験でした。

    小説は、書くでもなく彫るものですね。あまり油断していると文字をぺたぺた貼るようにもなりますが、それじゃいけない、彫るんですよ。

  • 第138回 2007年下半期 芥川賞受賞作
    「私はまったく認めなかった。
    乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。
    一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。
    この作品を評価しなかったということで私が将来 慙愧することは恐らくあり得まい。」

    石原慎太郎氏に一票です
    樋口一葉を読んでみたくは なりました

    • あかねさん
      さてさてさん

      わたしなんかは自分の言葉で感想をまとめるのも断念するほど、とにかく感覚的に無理でした 川上さん…(;_;)
      石原さんは...
      さてさてさん

      わたしなんかは自分の言葉で感想をまとめるのも断念するほど、とにかく感覚的に無理でした 川上さん…(;_;)
      石原さんはいつでもどこでも好き嫌いがハッキリしていて、気持ちがいいです
      まさか満場一致で受賞作に選ばれたわけじゃないよなと思って、当時の評価を調べて そっくりそのままコメントを借りてきてしまいました(;´-`)

      宇佐見りんさんの「かか」は、表紙からしてキョーレツな我の強さを感じます…
      とっても気になりますが、川上さん並みに読みにくいとなると嫌な予感しかしないのでやめておきます…(え
      2024/02/16
    • さてさてさん
      あかねさん、
      なんともまとまりのないコメントを書いてしまってすみませんでした。書いた後でどうして書いたんだろう?と反省しておりました。”★...
      あかねさん、
      なんともまとまりのないコメントを書いてしまってすみませんでした。書いた後でどうして書いたんだろう?と反省しておりました。”★1つ=忘れられたい”はずであり、本当にごめんなさい。(私が★1つをつけたのはただ一冊、乾くるみさん「セカンドラブ」でして、結末の落とし方が人として許せないと憤って、レビューの最後に作者への長文の手紙を書きました。ただ、投稿直前に全削除したので、意味不明なレビューになりました…。いずれにしてももう思い出したくないです)

      川上さんのこの作品、とても感覚的な作りだと思いますので、受け止め方はさまざまだと思いますし、無理というのも分かります。内容的にも、なんやねん!という気もしますし。私、レビューから投稿まで三ヶ月くらい空けているのですが、公開前にこの作品の書名を見てなんだっけ?これ?と記憶が飛んでいました。ただレビューを読み返して鮮明に戻ってきたので、それなりにインパクトはあったのかなあと感じた次第です。石原さんの好き嫌いは私もハマる時がそれなりにあり、今回のコメントもなるほどととても感じました。選考ってどんな雰囲気なのか存じ上げませんが勇気が入ったことだと思います。流石!と思いました。さまざまな意見はあるべきととても思います。
      宇佐見さんの「かか」は私が読んできた中では圧倒的に難解でした。途中で断念を何度考えたことか。拷問のような読書でしたね。

      すみません。長くなってきました。
      あかねさんの本棚は私にとって未知の世界の作品多々です。山崎豊子さんはいつか踏破すべき未踏峰ですし、モンゴメリさんは幸いにも女性なので(調べてしまいました(笑))、こちらも面白そうです。外国の小説ってそもそも論で読んだことがないのでチャレンジありだなと思いました。
      まとまりのない文章ですみません。
      今後ともよろしくお願いします!
      2024/02/17
    • あかねさん
      さてさてさん

      わたしの★1つは、読んだ直後こそ 文句ばっかりダラダラ並べていましたが(メモのほうに)、今は気持ちも凪いで 冷静に振り返るこ...
      さてさてさん

      わたしの★1つは、読んだ直後こそ 文句ばっかりダラダラ並べていましたが(メモのほうに)、今は気持ちも凪いで 冷静に振り返ることさえできたので、全然コメント嬉しかったです、ありがとうございます!(*´▽`)
      さてさてさんの★1つは、トラウマに近いのですね…
      こっそりレビューを確認させていただいて、二度と蒸し返さないように気をつけます

      しかし、「かか」が断念をお考えになるほど難解だったということには驚きました
      さてさてさんのレビューから苦戦された様子を伺えてはいたのですが、まさか拷問レベルだったとは
      なのに高評価なのがある意味すごい
      というか何故だ!?
      それらを凌駕するパワーがあるのだと思うと、ますます気になります

      山崎豊子さん 大好きです♡
      読むには気合いが欠かせませんが、定期的に手に取りたくなる中毒性があります
      外国の小説を読むことはわたしにとっては一種の修行です…
      読めば読むほど、優れた小説を母国語で読めることのありがたさを 涙が出るほど痛感できます

      あああ、わたしのほうこそ散らかり放題のコメントです、すみません(;´-`)
      こちらこそ、今後ともよろしくお願いします!
      2024/02/17
  • 第138回(2007年)芥川賞受賞作品。

    あらすじ
    大阪生まれの姉妹で東京在住の妹夏子と大阪でホステスをしている姉巻子39歳。巻子の幼い娘の緑子。
    ある夏巻子と緑子は東京の夏子の家に来る。
    巻子は豊胸手術を受けたいと思っている。

    大きな胸は男のためのものか、女自身のためか、化粧も同じ様なものか。

    緑子はしゃべらず筆談で日記のような事を書いたり会話をしたりする。
    緑子は「(友人の)国ちゃんはナプキンを反対に使って、あそこが痛い」とか、「子供なんか生まない」とか、書いている。

    巻子が言うには、豊胸手術は3種類あって、1.シリコンを入れるのと、2.ヒアルロン酸注射して大きくするのと、3.自分の脂肪を抜いてそれを使って膨らますやつで、1のシリコンを入れる方法が今も1番多いけど、1番高い。

    東京のアパートから3人で銭湯に行く。夏子は巻子の胸が気になり、巻子の服を着ている時よりふた回りも痩せている事実。銭湯で巻子は色々な女の体を見ているが、夏子が何を見ているかを聞くと胸と答える。

    ある夜巻子の帰りが遅いのを夏子と緑子が心配していると巻子は酔っ払って帰って来て、ドタバタしているうちに、緑子は突然しゃべり出す。
    「お母さんほんまのことゆうてよ。」
    突然卵のパックの中にある卵を自分の頭にぶつける。すると続け様に卵の割り合いが始まる。
    「豊胸手術にいいことない。本当は何したいの?」
    「ほんまのことなんて、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで」


    印象に残った表現
    「悔いのないように、頑張るんやで」

    「胸なんかゆうたら水風船みたいなもん」

    「生まれる前からあたしのなかに人を生むもとがあること。大量にあったということ。生まれるまえから生むをもっている。」

    「三ノ輪をなめんなよ。」

    書評
    ある女の医療従事者が、整形手術を受けるのは、綺麗さでいうと上位1割と下位1割で、中間の8割の人は整形手術をしないと言っていた。綺麗な人はもっと綺麗にと執着し、綺麗じゃない人はどうにかブスから抜け出したいと言うことか。
    豊胸手術は何のためにと思う。女じゃないし、その人じゃないし、分からないとも思う。しかし胸は男を惹きつける女の武器ではある。
    人が何と言おうと自分はどうしてもしたいということはザラにあって、それには深い意味もないこともあるだろう。それは本人にしか分からないし、本人にも理由が分からないこともある。好き嫌いに理由がないように。
    特に男よりも多いであろう女がする整形手術は、患者の希望通りに手術をする。形成外科医はそれが仕事だからしょうがないが、どんな気持ちで手術をするのだろうか。形は整えたかもしれないが、後遺症があるとよく聞くので、本当に怖いと思う。一瞬整形手術で美しくなったものが崩れて行き、元より悪くなるのではないかという恐怖。手術をする前の何もしない状態よりも酷くなっていくこと。
    人は見た目で判断されることが多いという事実も、整形手術が存在する理由だろう。

  • 「心の中ダダ漏れ文体」とでもいいのだろうか・・・特に後半、恐らく読み手も鍛えられてからの流れがすごく良かった。しかし、これは男性の中には「それを言われたら何も言えない」と思う読者も多かろう。語り手のどこかに女性なら必ず、共感する部分がありそう。

  • 初めてこんなに女性目線での内側の心境に迫った小説を読んで、
    さいきん"女性であること、女性としての体を持っていること"の社会的な大変さや諸々を考えたりしてたけど、それでも後ろから殴られたような、どこまでいっても理解することはできないんじゃないかみたいな不安や罪悪感のドロっとした気持ちになった いろんな手段でもっていろんな人に共感したい

  • コンプレックスと単純に言い換えてはいけないのかもしれない。
    胸は男性である私には計り知れない、女性にとって想像以上に大切な部分なのであろう。
    久しぶりに圧倒される関西弁の洪水で、心の中を表現され。
    怒涛のように読み終えた。

  • けっこう前から気になっていた川上未映子さんの作品。
    せっかくなら芥川賞受賞作をと思い、本作を購入、読了。

    ふむふむふむ、こんな感じの作品ねーというのが率直な感想。
    めちゃくちゃ良い作品だっていうこともなく、でも決して悪いわけでもないという感じ。

    特徴的なのはテンポの良い会話文(かつ関西弁)と、独特な表現・言い回しでしょうか。
    それがこの作品の肝ですね。
    これはなかなか読んでみないと分からないかもしれません。

    何というか「生粋の小説」っていうよりは、読みながらふっと映像が出てくるような、そんな楽しみ方をする作品なのかなと思いました。

    あと、自由な作風かと思わせる一方で、ストーリーはかなり良く出来ていると思いました。

    「乳」にこだわる「母(巻子)」と、「卵」に敏感な「娘(緑子)」。
    風邪薬を多量に摂取する母、言葉を交わせず筆談のみでコミュニケーションを取る娘。
    色々と抱えている、お世辞にも順風満帆とは言えない家庭環境です…

    でも、娘は真っ直ぐな母親への愛を持っていて…
    ラストの今後の希望に繋がるような終わり方も個人的には素敵だなと思いました。

    ここから下は個人的に感じたことなんですが…
    ちょっと気になったのは、文章から何となく作者の意図とか、自意識みたいなものを感じてしまったところ。

    いわゆる「ちょっと私変わった文章書いてるやろ」みたいな雰囲気を自分は少し感じました。
    元々アーティストをされている(いわゆる自身の見え方を意識する必要がある職業)といった背景も、感じ方に影響しているのかもしれませんが…

    天才的な文章を書く女性作家という意味では、個人には綿谷りささんのほうが好みですかね。
    まあ、ここは蛇足ですね…

    <印象に残った言葉>
    ・は、じゃあさ、あなたがしているその化粧は男性精神に毒されたこの世界におかれましてはどういう位置づけになんのですか、その動機はいったい何のためにしている化粧になるの、化粧に対する疑いは?(P43、胸女子)

    ・確かに、一感想を云わせてもらえば、きれい、とか美しさの基準はそれぞれのものであるけれども、目の前の巻子の胸は、蚊にさされた程度の膨らみしかなく、そこに何かの操縦パーツかと思えるくらいの縦にも横にも立派に大きい乳首がついてあり、それに対してうまい言葉が見当たらず。(P59)

    ・ほんまにそれが、一番、っていうか、大事かなえ、例えば肌とかさ、その、もうらちょっと太ってみるとか、なんかまず、ってとこで、いっぱいあるやんって思うねんな、その、若さ取り戻す的な方向でっていうんやったらば。でもなんで、そういうのすっとばして巻ちゃん、胸だけがそんな?豊胸したら、巻ちゃんはどうなる?どうなれる?(P63、わたし)

    ・あたしは、お母さんが、心配やけど、わからへんし、し、ゆわれへん、し、あたしはお母さんが大事、でもお母さんみたいになりたくない、そうじゃない、早くお金とか、と息を飲んで、あたしかって、あげたい、そやかってあたきはこわい、色んなことがわからへん、目がいたい、目がくるしい、目がずっとくるしいくるしい、目がいたいねんお母さん、厭、厭、おおきなるんは厭なことや、でも、おおきならな、あかんのや、くるしい、くるしい、こんなんは、生まれてこなんだら、よかったんとちやうんか、みんな生まれてこやんかったら何もないねんから(P104、緑子)

    <内容(「Amazon」より)>
    娘の緑子を連れて大阪から上京してきた、「わたし」の姉でありホステスの巻子。
    巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。
    一方で、緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。
    夏の三日の間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める!
    日本文学の風景を一夜にして変えた、芥川賞受賞作。

  • 卵がまさかあんなことになるとは思わなかった

    母娘でも、
    100万以上払って豊胸する女もいれば、
    生理をはじめ、女性のからだになっていく成長に戸惑う女もいて
    そもそも普通の女ってどんなん
    女の完成形って正解ってどんなん
    女の葛藤がぶつかり合ってると思う
    でもどんどん変わっていく女って、いいよね

    女性のからだの変化について、
    それに戸惑う心がこんな形で描かれるとは!
    女性作家ならではの視点だと思う

    一文が長いので集中力がいったけど、
    古典的な?
    外国語から翻訳されたような?文体がおもしろい

    同時収録の短編は何か始まるかと思ったら突然終わった これもまた、女って楽しい

  •  
     満ち満ちているな。と思った。何に。声に。
     
     小説における声って、鍵括弧のなかだけじゃなくて、その間にある、~である、とか、~だった、三人称で彼は~と思った、も全部“声”だなと思う。小説だけじゃなくて、心のなかに思ったりすることも、それは、音にはなってない声なわけで、鍵括弧の要らない小説なんじゃないか、これは、と思うくらいに、声で満ち満ちていたというのが、飾らない素直な感想になる。

     で、羨ましい、と思った。女性のこと、女性について女性が思うこと、女性である自分について女性が思うこと。女性が女性の肉親に思うこと、女性が姉と甥に思うこと、なんかがそれは克明且つ、ひとの中にある言葉のままに綴られていると言った印象。これは、毎月生理が来て、いざとなれば、妊娠することのできる女性にしか持ちえない言葉だろうと、羨ましさが募るばかり。
     
     文章が途切れなく、というのも句点がなかなか振られず、読点で、息継ぎしながら読ませる書き方に、その長い声は、長いからこそ、すううっとしみいってくるような、なんというか、真水に近いような筆致で書かなきゃならない。長ったらしい比喩とか、その比喩あなた以外に通用する人いる?なんて文章にしてしまったら、冗長だれて読みにくいだけ。

     緑子がノートに書いていた文章も、緑子の話し言葉で、描かれて、そう、小説の美しい文体だとか、綺麗にまとめられた言い淀まない話し言葉なんてない。これは勝手な思い込みなんだけど、言葉に困ったりしない人は、あまり本にも手を出さないように思う。

     それで、本題。この「自分を置き去りにして勝手に大きくなっていく胸とか始まる生理」これ、どれだけか恐怖だろうと思う。男の人も、成長するにつれて筋肉質になったり、ペニスの包皮が剥けて、大きくなったりはするんだろうけれど、胸、おっぱい。この膨らみ方といったら、男の人の変わりようとは比べものにならないんじゃないかと勝手に想像してみる。そして、多分胸の大きさは、(広く)女性の人生を左右しかねない要素であることは間違いないと思う。爆発するかしないか未明な、未撤去地雷みたいな。
     
     “肉体”に対する恐怖。それもよく考えてみればそうだ。完全変態する昆虫たちは、例えば、羽化した蝶は、芋虫の頃の自分をどう思うんだろう。芋虫から蛹になったら、蛹になった自分は何を思うんだろう。「子どもなんか産まない」と言う緑子の気持ち。それらは、子どもができることで、自分に操縦力がなくなって、こどもに振りまわれながら、もしくは、生き血を吸われながら、奴隷のように生きていくほかなくなってしまうことへの恐怖かもしれないと思った。そして、そこに疑問を感じるということは、自分の存在を否定せざるをを得なくなることでもある。なにせ、いま、こどもであって、親である巻子の労働賃金と、文字通り、薄っぺらくなった乳を吸って、巻子の命を吸って大きくなって、いま、生きているのだから。

     巻子はだから、このお話の中で、母親として、母親ではあるけれど、女性としても生きようとする巻子
    の姿が、母親に依存して生きている緑子にとっては、非難され遠ざけられているように見えるわけで会って、母子家庭、シングルマザーが、同性の母親と二人で生きていくなかで芽生える、独特の問いにも思える。

     風呂屋に行って、多くの女性の裸を目にする私が、“この裸の現場では…体自体が歩き、体自体がしゃべり、体自体が意思をもち、ひとつひとつの動作の中央に体しかないように見えてくるのやった”は、多分、自身の性に振り回されほとほと困り果てたことのある人なら、どこかで感じたことのあるニュアンスじゃないだろうか。それを子宮脳とか男根脳だとか揶揄するけれど、わたしたちは、こと性に関してはだれもが等しく、この問題に直面していると言えないだろうか。後に“発生”と出てくるけれど、これはとても鋭いなと思った。発生というと、とても無機質で、生物的なかんじになるけれど、じゃあ誕生に目を移してみれば、やっぱりこっちも多分におかしさが含まれてることに気付くわけで。「産む」のではなく「産まされる」で、器としての女性、種としての男性は、遺伝子にハイジャックされてそれは無残に暴走する、テロリストの乗った旅客機そのものではないのかとすら思えてくる。でなければ、職を失うだけじゃなく、非難にさらされて、それって、9:1でデメリットが勝ってるよね、なんて言われかねない愚行に走るわけがない。カマキリのオスは性交中にメスに食べられるわけだけど、人間だってそうそう変わらないよね、なんて思えてくる。

     緑子の率直はその疑問と葛藤のオンパレードだ。それらの苦しみが、等身大の苦しみが、本作で一番、太かった声だと思う。母子が卵をそろいもそろって、次々と割りながら、本音をぶちまけ合う場面で、それでも、何の解決もなく、緑子は生きることの苦しみを口にして、ただ黙ってその苦しみを生きる巻子はそれを聞いて、わたしは自分の体を眺めて終わる。

     女が女として生きてことに、正当な理由付けのされている道徳観念とか、言葉上の女だったり、母親だったり、姉だったり、妹だったり、からは見えてこない、女性性について描写された作品で、この小説は、実は(わたしの作品ではないのだけれども)世の女性というよりも、世の男性にこそ読まれるべきなのではと思った。毎月、股から血が出て、分厚い生理用品の下着を持っていて、血はお湯で洗うと固まって、ナプキンがないときの憂鬱とか、ほんとに、男性が普通に男性として生きていたら、決して知ることも、見ることも、聞くこともない、女性の側面で溢れている。
     わたしにはとても勉強になった。勉強になったし、同時に、今度は男性性について、等身大の男性を通して描いてみたいと思った。性の境界が曖昧になっているのに、頑として確実であり続ける肉体世界のことをもっと書きたいと思った。
     この小説は“声”を“形”にすることを惜しまないことの大切さを教えてくれた。わたしの“書く”に、栄養を与えてくれた作品だ。


     『あなたたちの恋愛は瀕死』

     【あらすじ】
     女は男にティッシュを差し出された意味が分からず「ありがとう」と立ち尽くす。二度目の「どうぞ」でそれを受け取ると、男が違う人に差し出したティッシュをもう一度女は受け取った。女はそこを離れ、男は女の不可解な言動のためにイラつきながら仕事を続けた。数時間後、女は男へ話しかけに行った。男は驚き慄き、女を殴り倒した。

     【感想】
     配られたティッシュを挟んで展開する物語。本作のタイトル。なぜ「恋愛」であって「瀕死」なのかを考えた。
     街中で「どうぞ」とティッシュを差し出した男の言葉が、女には咄嗟に理解できず「ありがとう」と反射で答える。「どうぞ」と「ティッシュを差し出す」の言動が女にとってはちぐはぐで、嵌らないピースに感じられる。勧められた方は対応を迫られる。無視して通り過ぎるのか。受け取るのか。払いのけるのか。女の「ありがとう」もちぐはぐだった。遠慮のありがとなのか。受領の礼なのか。
     こういった塩梅で不完全な言葉とその使い手たちが、日々どれほどすれ違っているのかと考えると面白い。
     遅れて女はティッシュを受け取った。が、今度は、違う人に差し向けられたティッシュをもう一度とって「ありがとう」と言った。女に渡すつもりではなかったティッシュを横合いから取られ、要らない礼まで添えられた男は気分を害した。でも、そもそも女の必要としていないティッシュを、もしくは「利己的な贈り物」を押し付けたのは男だった。こうやって男と女は出会った。
     間を置いて次には「暴力」と「被暴力」へと構図は早変わりした。いや、変わったのだろうか?
    そもそも件の初めから、その本質は暴力だったのではないかと感じた。
     ここへきてなんとなくタイトルの意味が掴み始められる。
     「恋愛」の擦れ違いに似ている。
     ふたりが、互いの要求を通すために「お節介」や「余計」をふんだんにもりこんで相手に手渡す。相手はなんのことだか分からずに受け取るが、次には「見返り」を求められて困惑する。只より高い物はない。最初に手渡した方は、自分の望んだ形で返ってこない要求のために、腹が立ち、失望し、憎しみを募らせる。
     こんなことを繰り返している無数の「あなたたち」の「恋愛」は「瀕死」だと、分かりやすいメッセージになっている。

     殴りつけられて、気を失った女の頬は血が伝って、コンパクトの粉も、鏡も割れ粉々になった。冒頭、女は化粧品売り場を回って見ていた。女は休日でも化粧をする。執拗に手順を守って、違えれば、最初からやり直して。
     割れた鏡は自意識を映した虚像を、“小動物の骨”のように砕けたコンパクトは化粧という虚飾を、“この夜にあるはずのどんなささやかな光も届かない”女の頬は、これらに縋りつく女という営為の全体を破壊する。ひろく“女”は、こんなにも虚しく寂しく下らない生をしているのか。当人が女にがみついているのか、それとも当人に女がしがみついているのか。
     この徹底的で非好意的な女性性への攻撃が、それぞれの小道具を通して展開されていた。

     小説は“一語”を破壊するための営み。或いは武器。そう考える私にとって本作は小気味の良いお話だった。

  • この作品は、思春期の女の子特有の悩みや、葛藤が至る所に散りばめられていて、川上未映子さんの文体はとても美しくて読みやすいと感じました。特に女性に読んでもらいたい作品の一つですね。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』で第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。2019年、長編『夏物語』で第73回毎日出版文化賞受賞。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。その作品は世界40カ国以上で刊行されている。

「2021年 『水瓶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川上未映子の作品

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