賭博/偶然の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

著者 :
  • 河出書房新社
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本棚登録 : 65
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309244556

作品紹介・あらすじ

競馬をめぐるかつてない洞察にはじまり、ドゥルーズ/九鬼周造/フーコー/ドストエフスキーを斬新に読み解き、偶然の論理と倫理、そしてリスク社会の生をラディカルに問う、気鋭の哲学者による哲学の賭博。

感想・レビュー・書評

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  • (編集中)

  • 競馬好きの哲学者(という紹介で合っているのか?w)が「賭博とは何なのか?」という問いに向き合った一冊。タカモト式から入って予想する・賭ける・勝つという行為/結果の奥深さを教えてくれる第1章からもう面白すぎる。未来の予測精度を上げることに全力を注ぎながら「勝つ可能性が低いと考えられる」穴馬を買って、さらに「予想を裏切るサプライズを期待する」という矛盾。偶然にもあれこれ議論を呼んでいるサッカーのカタールW杯の最中に読めたのは良かった。

  •  「人生はギャンブルである――。」そう考えたことはありませんか?私は毎秒考えています。私たちの身体には根本的に「偶然性」が織り込まれていて、ここから自由に生きることは根本的に不可能なのです。
     では、社会の中に”偶然性”をことさらに回避するような風潮があるのはなぜなのか?私の考えでは、運の要素、コントロールできない要素が存在することを認めたくない(認めさせない)バイアスが働いているからです。そのバイアスなるものがどこから誰に働いているのかと問われれば、口をつぐむしかないのですが。
     この問題は、「ギャンブルとはそもそも何なのか」という問いとも密接に関係しています。私たちは「ギャンブル」と聞くと何かいかがわしいもの、アウトローなものを想定しがちですが、資本主義社会の成立に必要不可欠な「株式」や「投機」だって多分にギャンブル的な要素が含まれているではありませんか。あるいは年金や民間の保険だって同じです。私たちが払った金額に見合うだけの対価を受け取れる保証は、誰もしてくれないのですから。
     このように考えてくると、「賭博」も「偶然も」、立派に哲学の対象となることが明白に分かります。面白いですよ。
    (T.H)

  • 人間存在の偶然性について哲学的に考察をおこなっている本です。

    本書でまずとりあげられるのが、「タカモト式」と呼ばれる競馬の予想法です。「タカモト式」では、日本の競馬はすべてJRAの仕組んだレースであり、しかもJRAはその結果をさまざまなサインを用いてファンに伝えているという「世界観」にもとづいていると著者はいいます。こうした「世界観」は、偶然的な世界のうちに必然的な法則の兆候を読み取ろうとする、人間の思考のありようをカリカチュアライズしたものとしてみなすことができるでしょう。

    第二章では、九鬼周造とドゥルーズという二人の哲学者がとりあげられ、彼らの思想を著者自身の観点から読み解きつつ、「賭ける」という人間の行為はけっきょくのところ、世界の偶然性に対してどのように向きあうことなのかという問いが追及されています。最後に著者は、フーコーの生権力論などを手がかりに、偶然的な世界を計算可能なものとみなすリスク社会論の前提を吟味しなおす試みをおこなっています。

    著者の問題意識については理解できたように思いますが、本書の議論を通じて示された偶然性に対する感受性が、哲学的にどのような水準に位置づけられるのかという見通しがなかなか得られず、もどかしさを感じてしまいました。

  • とてつもなくしびれる本.後半は難しすぎてついていけなかった.

  •  生=権力論の襞に迫り、リスク社会論の盲点を突いて、生きることを、どこまでも偶然性を帯びた瞬間における賭けとして浮き彫りにするとともに、そこにある世界への信にもとづく倫理を構想しようとする力強い一冊。本書の通奏低音をなしているのは、著者の競馬への並々ならぬ愛であるが、それが賭けとしての生への洞察を深めている点が好ましい。それにもとづけば、生きるとは、偶然的な瞬間において、世界への信にもとづいて一歩を踏み出す賭けなのだ。そのような洞察が、ドゥルーズと九鬼周造の読解にもとづいて語り出されているわけだが、その読解に充てられた一節は、両者に通じていないと議論に付いて行きづらいかもしれない。また、著者の賭けの思想は、最終的に──著者の思いに反して──デリダに近いところに達しているようにも見える。

  • 賭博哲学についての良書です。
    特に1章において展開される賭博哲学は
    この分野においては今までない大変示唆に富んだ
    ものであります。このように考えを知識として持ちつつ、
    ギャンブルを行うとおもしろいものになるのではないかなと
    思います。
    予想の手法は経験論、記号論、「タカモト」方式の
    いずれをもっても楽しめていることが重要であり、
    的中させたものが正しいと考えます。
    しかしながら、いずれの方法も「あやうい」のであり
    ここに賭博の独自性が見出せる。

    また、ギャンブルが社会的に非難される理由として、
    今までは最高裁判例や刑法学者による
    「勤労の美風・健全な経済観念」論や
    「副次的犯罪」論が主要なものでしたが、
    檜垣氏は無責任論(賭博行為の本質は無責任であり、
    賭博に寄りかからざるを得ない。
    そのような無責任に対する社会からの非難)
    による社会感情があることを指摘しております。

    普段より哲学書を読まない者としては。
    2章・3章が難しかったです。
    考えて読むことを久しぶりにした気がします。

  • [ 内容 ]
    競馬をめぐるかつてない洞察にはじまり、ドゥルーズ/九鬼周造/フーコー/ドストエフスキーを斬新に読み解き、偶然の論理と倫理、そしてリスク社会の生をラディカルに問う、気鋭の哲学者による哲学の賭博。

    [ 目次 ]
    第1章 競馬の記号論(タカモト式とライプニッツ;競馬の経験論 ほか)
    第2章 賭けることの論理―九鬼とドゥルーズ(偶然性と出来事の時間;出来事性の分類論 ほか)
    第3章 賭けることの倫理―リスク社会と賭博(生きることの倫理;構造の無責任 ほか)
    終章 賭博者たち(ドストエフスキー;一九九一年五月府中・二〇〇五年五月梅田 ほか)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 競馬論、ではないけど、哲学的視点からの論考のアレとしての競馬は、斬新。

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著者プロフィール

檜垣 立哉 1964年生。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。大阪大学名誉教授、専修大学文学部教授。哲学・現代思想。著書に『生命と身体』(勁草書房)、『日本近代思想論』『ヴィータ・テクニカ』(青土社)、『バロックの哲学』(岩波書店)、『日本哲学原論序説』(人文書院)、『ベルクソンの哲学』『西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫)、『哲学者がみた日本競馬』(教育評論社)、監訳書にN.ローズ『生そのものの政治学』(法政大学出版局)ほか。

「2023年 『ニューロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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