利己的な遺伝子: 増補改題『生物=生存機械論』 (科学選書 9)
- 紀伊國屋書店 (1991年2月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (548ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314005562
感想・レビュー・書評
-
個体から遺伝子への視点の転換。
個体は遺伝子の乗り物に過ぎない。
動物の利他的な行動は、遺伝子の利己性によるもの。利己性とは、自己複製を意味する。自己複製を行う実体の生存率の差に基づいて、進化する。
日常生活では個体を基準単位とすることに慣れ過ぎている。だから遺伝子が主人公として進行する理論は目から鱗。でもよく考えれば当然の事だ。両親から半分ずつ提供された遺伝子は、複製され、分裂し、2分の1のくじ引きで表現型が発現した結果、こんな見た目でこんな言葉を発して生きている。遺伝子単位で考えると結構シンプルで、良くも悪くも全部DNAのせいにしたくなる。
淡々と進んでいくように見えるが、(反復)ゲーム理論に基づくと寛容性のある者が生き残るということも示唆されており、人間味(?)も感じられる。
人間の脳が生み出す、新たな自己複製子もある。ミームは模倣から生まれ、人々の脳から脳へ広がっていく。考えを共有することは文化を生み出す。それが人間の団結力の元であり、対立の原因にもなり得る。
翻訳書特有の分かりづらい文章もありかなりのボリュームだが、この知識量を限られた人だけで独占するのは勿体無いので、色んな人に読んで欲しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難しい。
こちらの基礎知識がないから難しいのか、訳文がわかりにくいのか。 -
今となってはだが、それでも衝撃的な一冊だったんだろうな。訳者が日高敏隆先生。大著だが読みやすい。
-
科学道100冊 2019
【所在】3F開架
【請求記号】467||DA
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/book/36413 -
原題:The selfish gene(1976)
著者:Richard Dawkins
訳者:垂水雄二、岸 由二、日高敏隆、羽田節子
【目次】
本書に寄せられた書評 [001-003]
一九七六年版へのまえがき(リチャード・ドーキンス) [004-008]
一九八九年版へのまえがき(リチャード・ドーキンス) [009-014]
目次 [/]
1 人はなぜいるのか 015
2 自己複製子 031
3 不滅のコイル 043
4 遺伝子機械 079
5 攻撃――安定性と利己的機械 109
6 遺伝子道 141
7 家族計画 171
8 世代間の争い 194
9 雄と雌の争い 224
10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう 264
11 ミーム――新登場の自己複製子 391
12 気のいい奴が一番になる 322
13 遺伝子の長い腕 374
補注 [427-523]
訳者あとがき(一九八〇年二月 日高敏隆) [524-527]
第二版への訳者あとがき(一九九一年一月 訳者を代表して 日高敏隆) [528-529]
訳者補注 [530-533]
参考文献 [534-545]
人名索引 [546-548] -
進化に関して、ダーウィンの自然選択説に立脚しつつ、「淘汰がはたらく基本単位は遺伝子である」と説く。
これは、進化の基本単位を個体や種であるとする立場と対立するものだ。
私には、ドーキンスのこの考えは大変自然で、その考え方に基づけば様々な生物現象を理解できるだけでなく、新たな観点から捉えなおすことができるのではないかと思った。
----------
生物の持つある特性を考えるとき、「それはその生物個体の生存にとって有利だからだ」と説明されることがある。 例えば「キリンの首が長いのは、そうであることによって高いところの餌を食べることができ、個体の生存に有利だからだ」など。こういった特性の進化は、「有利な形質を持った個体が生存し、子孫を残す」という自然選択説で容易に説明することができる。
しかし、「利他的な」行動、例えば鳥の親が子を守るために天敵の前に自ら身をさらす行動などは、個体そのものの生存には明らかに不利であるため、その進化のメカニズムを考えることは難しい。こういった行動は、血縁関係にある個体を守る行動、あるいはより拡張して、種というものを守る行動として説明されることがあり、それゆえ進化の単位は種であるという考え方が生じた。
しかしドーキンスは、自然淘汰の働く単位は個体でも種でもなく遺伝子であるという。そのうえで、遺伝子が自然淘汰に耐え繁栄するために必要なのは、個体や種に対する有利性などではなく、“利己的であること”だという。
だから、もし生物個体にとって致死となるような極めて“不利な”遺伝子があったとして、それが仮に遺伝子自身の増殖を有利に進めることができるような仕組みを持っていたとしたら、その遺伝子は個体にとって不利であるにもかかわらず自然淘汰に耐えて遺伝子プール内で増殖することになる。
一見すると理解しがたいが、著者は、この理論を、様々なモデルケースで、簡単な数理モデルを用いて説明しており、納得することができる。
この考え方は一見ダーウィン進化論に矛盾するものと思われるかもしれないが、実際には逆に、ダーウィン進化論の本質を改めて示すものだ。
さて、著者のドーキンスは徹底的な遺伝子主義者だ。
ただしこれは、一昔前に良く言われたような「生物の特性は遺伝子がすべて決めているのです!(=環境には依存しないのです!)」といった意味ではなくて、生物の進化を考える際に、最も重要なのは個体ではなく遺伝子である、ということ。
彼は遺伝子の本質を自己複製性とし、遺伝子を自己複製子と言い換えたうえで次のように言う。
「物理学の法則は、到達し得る全宇宙に妥当するとみなされている。生物学には、これに相当する普遍妥当性を持ちそうな原理があるのだろうか。(中略)たとえ炭素の代わりに珪素を、あるいは水の代わりにアンモニアを利用する化学的仕組みを持つ生物が存在したとしても、またたとえマイナス百度でゆだって死んでしまう生物が発見されても、さらに、たとえ化学反応に一切頼らず、電子反響回路を基礎とした生物が見つかっても、なおこれらすべての生物に妥当する一般原理は無いものだろうか。(中略)すべての生物は、自己複製を行う実態の生存率の差に基づいて進化する、というのがその原理である。」
そしてさらに、生命現象において中心的なのはあくまで遺伝子であって、生物個体はその遺伝子の乗り物(ヴィークル)に過ぎないとまで言う。
以上のような考え方は過激で信じられないことのように思われるかもしれないが、ダーウィン進化論の基本さえ分かっていれば、本書を読むことによってすんなりと理解できるものと思う。
遺伝子の利己性という考え方は、言われてみれば当たり前なのだけれど、ドーキンスによって明示的に語られるまでは意識されてこなかった概念であろうし、このことを意識することによって、現存する生物の種々の特性に対する見方も変わると思う。
(ブクレコから移植) -
借りて延長したが読了できず またの機会に
-
科学ノンフィクションで世の中に一番影響を与えたのはダーウィンの「種の起原」だろう、この進化論についてはこの「利己的な遺伝子」のドーキンスと「ワンダフル・ライフ」のグールドが論争を起こし「進化論の何が問題か」と言う本まで出来ている。進化論においてドーキンスが連続的な淘汰を主体にしているのに対し、グールドは不連続な淘汰(偶然?)を重視している。この本は1989年に改訂された第二版で1976年の初版について脚注で訂正、補筆、批判に対する反論をしているがグールドの批判に対する反論も載せられている。
利己的な遺伝子=遺伝子が利己的に出来ているので人は利己的に行動すると言う主張ではない。遺伝子は増殖するための最適戦略を、あたかも意志を持ったようにその乗り物である生存
機械(生き物)に働きかける。結果として繁栄する遺伝子が取った戦略がその時々で最適だったのであり、常に最適な行動を取る遺伝子が有るわけではない。自然淘汰は種や個体ではなく遺伝子に働きかけると言う話だ。環境変化に合わせて形質を変える進化論の見方をその時々の遺伝子の繁栄の仕方で説明していると言ってもいいかもしれない。
例えば同種の生物同士が協力をするのか、あるいは騙し合うのかについてもどちらが有利になるかを数学的に計算しており、例えば協力し合う遺伝子を持った個体群中に入っただます遺伝子を持った個体は当初は労無く利益を得ることが出来るため繁栄するが、だます遺伝子ばかりの群は協力し合う群に比べると全体の利益は低くなる。結果としてはある割合に落ち着くだろうと言う様な推測でそこそこに囚人のジレンマやゲーム理論の様な話がでてくる。
ドーキンスの趣旨は本来利己的な遺伝子がどうやって個体の利他的な行動の進化を促したかの思考実験にある。また人間に限って言えば利他的な行動を教育することが大事だと言っており、またドーキンス自身は無神論者だったようだが宗教に頼らなくても倫理的な行動がとれるとも言っている。 -
一言で言って面白いです。
難しい話を出来るだけわかりやすく書いてあるのは理解しましたがそれでも大変。
遺伝子が利己的かそうじゃないかだから仕方がないものである。(という解釈で問題ないのか不安だが)大体それを軸にテーマを説明しています。
つつきの順位のような可愛い動物の習性を例に出しつつ、階層秩序をつけるのは謙虚という名の遺伝子の戦略の一つだったのねみたいな現実的な良い話しばかりでした。