- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314007009
作品紹介・あらすじ
本書は、フランス現代思想を代表するボードリヤールの代表作で、現代消費社会を鋭く分析した本として高い評価のある本である。家庭電化製品や衣料、車といった各種の商品は、その使用価値だけで用いられるのではなく、社会的権威や幸福感といった他人との差異を示す「記号」として現われる。ここに消費社会の秘密を解く鍵があるという。さらにこうしたモノ=記号を生産されたモノに限定することなく、社会の森羅万象-ファッションから広告、教養や健康への強迫観念、暴力まで-にあてはめて考察することで、現代社会の様々な神話と構造をえぐり出すことに成功している。評判の高かった同書名訳書の。
感想・レビュー・書評
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100ページで挫折
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「私は高い物を買えるんだ」という富と社会的地位を誇示するための消費。消費されるものは社会的地位を示す記号。見栄。物の直接の(本来の)効用(使用価値)だけでなく顕示的な側面。→資本主義批判へ。ソースティン・ヴェブレンVeblen『有閑階級の理論』1899
友人や近所の人がある商品を持っていると自分も欲しくなる。個人の消費が、その人が接触する他人の消費行動から影響を受ける。個人の消費にかんする意思決定はそれぞれ独立してなされるのではない。デモンストレーション効果。ジェームズ・デューゼンベリー『所得・貯蓄・消費者行為の理論』1949
昔の社会は貧しく最低限の欲求(衣食住)を充たすことに精一杯だった。しかし産業化した社会では膨れ上がった欲求は操作され、消費が喧伝される。欲しいから買うのではなく、広告・宣伝で「欲しい」と思わせられている。消費者の欲望を充たすために生産されるのではなく、生産によって消費者の欲望がつくり出される。消費者の欲望は生産に従属している。ジョン・ガルブレイス『ゆたかな社会』1958
他人がある対象を欲していると自分も欲しくなる。人は他人の欲望を模倣する。ルネ・ジラールGirard『欲望の現象学』1961
「自分は周りの人間とは違う」。モノは他人との差異を表示するための記号。高級車、ブランド品。「他人とは違う自分らしさ」(差異)をアピールするための記号(情報)。商品の記号(e.g., レア, エコ/ロハス, 期間限定, シリアルナンバー, ヴィンテージ, 会員制, 創業〇年)。一方、商品の使用価値(丈夫, 長持ち, 正確)。▼誇示的な消費は都市でより顕著。知らない多数の他人からのまなざしに晒されている。村落だと、周囲の数人に「私すごい」と誇示しても、すぐに周知されてしまう。都市だと次から次へと「私すごいでしょ?」ができる。▼誇示的な消費は大衆一般に広がっている。自宅はボロアパート、食費を削ってでも、ブランド・高級品がもつ記号を買う。▼個人を超えた無意識の社会的強制(構造)として個人に押し付けられる。ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』1970
工業(モノ)から、知識・情報(非モノ)への移行。ダニエル・ベル『脱工業社会』1974 -
反消費社会のバイブル
社会科学の書物は、無意識や常識に基づいた行為の再発見のヒントとなる
我々の行為を客観的に観ることが可能になる
メタ視点の獲得 -
<閲覧スタッフより>
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所在記号:332.06||ホシ
資料番号:10095490
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易しい本ではないが、対象が実際の社会や事物などでわかりやすいし、少しでもソシュールに触れたことがあれば、いっそうピンとくる。
ただ、服を買うこと、そしてこの本を読んでいること、あまりにもいろいろのことがむなしくなる。 -
目の覚めるような面白さ。しかし読了後に脱力感、無気力感に襲われる。というのも記号の消費を実践していることに他ならない気もするが。それも含め感動的な本。
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広告が持つイメージの話が印象的だったんだけど、そのイメージの力には強いものがあって、僕らの生活のスタイルを形作っていく。みたいなことなのかなぁ・・・。でも難解だけど、読んでいて漠然と刺激は感じて、すごく面白かった。
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(感想文)
捨て読むところがなかった。
日本でなかなかな土人社会を生きてる私としては、ハイパーリアルに生ききれてなくて、残念なような、ほっとするような感じではある。20世紀日本なら、このままハイパーしちゃいそうだったのかもしれないけれど、21世紀ナウは没落しつつあるせいか、未開社会に無事戻りつつあるような。
とはいえ、半分足つっこんでる程度だから、消費社会の神話がありえるらしい。
いちいち言い回しがあちこち面白すぎる。パッとしないSFやロマン小説を読むぐらいなら、この本がいい。
ただ、ボードリヤールを何度も読んでると、いよいよ話の通じない人になってしまいそうだ。この思考ベースだと、社会が成立しえない、というのはどういうことか?というと、ホントの事言い過ぎ!というよりは、一面を語りすぎだから...と言っていいだろうか。
学校で原文で読みたかったな。
(メモ)
・取り揃えたモノを出来合いのパズルのように組み合わせて、自分探しをする消費者が拡大され、市民や人間としてのロールはずいぶんと縮小してしまった。
・オズの魔法使いが幻をみせる、記号の消費に明け暮れた「聖杯7」大量消費社会の時代について
・21世紀はマスメディア→ネットの時代になり、
公共空間がプライベート空間の延長を束ねたものでしかなくなってきたので、大衆の消費のスタイルも変化
・顕示的な記号消費からクラウド化。(中流から脱落・離脱。) -
今までに読んだ本の中でも特に難解だった(今まで新書ばかり読んできたせいもあるが)。
社会学の一分野としての消費社会論だったが、巻末の説明によれば「マルクス経済学にソシュール記号論を導入した理論」であるらしいので、哲学や経済学の要素を多分に含んでいる。
こういう「難解な古典」を読む経験が自分に足りていないことは自覚しているが、その数少ない経験と比較した時、本書からは他書に無い感覚を得た。
というのも、文章は難解で殆ど理解できないものの、「ここには自分の知らない、何か重要な示唆が多く含まれている気がする、それなのに十分に理解できないことが非常に悔しい」というものだ。
哲学の本を読んでいて、文章がスッと自分の中に落ち着いた時に、何とも言えない「発見の昂奮」のようなものを得ることがある。
この本には、理解さえできれば得られるはずの「発見の昂奮」が、他の本よりも多く、深く、存在する気がした。
そんなもの、理解できていないのだからなぜ感じるのか説明もできないのだが、僕はそこに一種の学びの神秘のようなものを感じる。
というか、昔どこかで読んだ内田樹の文章に同じことが書いてあったはずだ(だからそう感じるのかもしれないが)。
内容については、読みながらメモしたものをブログか何かでまとめてみたい。
本書をもとにレポートを命じられた大学生が参考にして、みんなでコピペがバレて落第してくれる程度の質にはしたいと思っている。