- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334033224
感想・レビュー・書評
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読んでよかったの一言。
本を読んでも断片的にしか覚えていなかったり、
本の内容を誰かに話そうとすると、もやっとはいえるけど自分の言葉になってないことがありませんか?
この本は本を読んで、「わかったつもり」(よんだつもり)がなぜ起こるか、またそうならないためにどういった読み方をするのが良いかがわかりやすく書いてある本です
この本のいい点は、
実際に文を読んで自分が「わかったつもり」になってるのが体感的にわかるところですかね。自分の本の読み方がわかったつもりだったってのがわかるのがいいです。
これを読みながら思ったことは、「人に説明するつもりで読む」という行為がいかに頭に内容を落とし込むのに理に適っているかということです。
人に説明するためには自分の頭の中で読んだことを自分の言葉で組み立てなければならない。そんな根本的なことに気がつく良いきっかけになりました。
ちなみに、具体的にどういうことが「わかったつもり」を引き起こすのかは本を読んで確認して下さい。(本の内容が頭に入ってないからまとめられないやつではないです)笑詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
国語の教師だって、わからんものはわからん。
なぜわからんのか。
それは脳がわかったつもりになって、
読み飛ばすから。
じゃあ、どうすればいいの・・・
そこを知りたかったのに・・・
結局、自分次第なんかいな・・・
いまいちすっきりしませんでした。 -
文章をサラっと読んだだけでは「わかったつもり」状態になっていることを自覚しなければならない。
自覚してから「わかる」状態になるためのノウハウも書かれているが、めんどくさいから「わかったつもり」の状態でいいやって思った。そこまでしないとわからない文章の方に問題があるのではないか。
センター国語を勉強したい人には役に立つのかもしれない。 -
この、わかったつもりという厄介な問題について、なんで、わかったつもりになってしまうのか?ミスリードしてしまうケースがいくつかの文例を基に例示されているのだが、大学とか高校受験の国語の試験対策風。
読書を楽しむにもこういう基礎は必要だし前提だと思うが、まさに、「読解力がつかない本当の原因」について書かれた本。 -
何が何だかわからない文章を読んだ場合、我々の気持ちは安定してはいない。その場合、我々はわかろうと努力する。
怖いのは、わかったつもりになることだ。わかったつもりになると、それが不十分であろうと、間違っていようと一応、我々の気持ちは安定している。
安定しているのだから、この状態を壊すのは、難しい。
著者の西林克彦さんは教育学の教授。「わかる」ことに関する著書が数冊ある。
「まず 、自分は 『わかっている 』と思っているけれど 、 『わかったつもり 』の状態にあるのだ 、と明確に認識しておくことが必要です 」。
この認識は難しい。本書の素晴らしい点は、多数の教材を読者に与え、「わかったつもり」を実感させてくれる。まずは、「もしもし電話」という小学低学年の読むテキストで、不十分な「わかったつもり」が実感でき、「正倉院とシルクロード」というミスリードの罠、満載のテキストで間違った「わかったつもり」が実感できる。
「こうした 『わかったつもり 』の状態は 、壊すのにかなりの努力を要します 。それを実感していただければ 、本章の目的は果たせたかと思います 」とあるとおり、仕掛けの豊富な良書と思う。
個人的には、おっちょこちょいで、簡単に「わかったつもり」になる。やはり、「わかったつもり」は避けた方が良い。本そのものも、面白い。おすすめの★4つ。 -
「わかったつもり」という言わば"勘違い"こそが、より深い理解への妨げとなる。これを前提として、いかにして「わかったつもり」の状態が生じるか、またそれをいかに克服していくべきかが述べられている。
この本自体が浅い読みしかできていない気がするので再読したいと思っているが、個人的には現代の国語教育についての言及がもう少しほしかった。 -
・「わかったつもり」の安定状態で読みが停滞してしまう。更に理解を進展させた「よりわかった」状態があることを理解して、探求を続けることが大事。
・整合性という条件さえクリアできれば解釈は自由なので、正しい解釈は無限に存在する。
読むときもそうだが、書くとき,伝えるときも念頭に置いておきたい、重要な考え方だと思う。 -
現代国語というカテゴリーが存在する意義を教えてくれる。予定調和を積極的に理解する上で重要な役割を果たす。
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お薦めされて読了。
とても、「わかりやすい」一冊だと思う。
文章を読めることと、その文章を分かっているかどうかというのはベツモノだと思う。
ただ、初読がいかに「わかったつもり」な状況であっても、そこで得る感動は他に代えられない。
同じく、結果・結論によるミスリーディングが起こり得るとしても、一読してみなければ俯瞰的に文章を見つめることは出来ないだろう。
つまり、「わかったつもり」であることは意識すべきだけれど、未然に防ごうとはしなくて良いということだ。
「読み」を深めるためには、結局何度も文章に立ち返り、スパイラルに理解を続けていくしかないのだと私は思う。
そして、そのスパイラルの過程で各々が「わかったつもり」から抜け出していく。一つの作品から、沢山の論文が生まれるのは、決して一つが正しくて、後は間違った読みをしているわけではない。
どの方向へ認識を持っていくかというのも、その人の経験則やひらめきに左右される。もちろん、それは文を離れてはいけないのだけれど。
そこでは、書き手の、読み手への配慮も本当なら必要だろう。スムーズな理解を促す文章ではない作品は、幾らでもある。
また、わかっていないことと知らないことにも隔たりはある。書き手が明示しなかった情報で、我々が路頭に迷うことだってあるだろう。
「わかったつもり」が「わかった」になる瞬間の満足。
今迄に気づかなかった伏線から、思いもよらない道が拓けた時の高揚感。
「読み」を深めることは、読書を楽しむ者にとって一つの目的である。非常に良かった!