- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334035778
感想・レビュー・書評
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「メディア論」とあるけれど、内田センセイの
ことだから、ただの「メディア論」ではない
だろう…と想像はしていたけれど、果たして
その内容は想像以上!
こんな切り口があったのかと驚愕しながらも、
言われてみればその通り!というご指摘の
オンパレード。
例えば、電子書籍で「本棚」について論じられて
いる部分。自分が毎日本棚を眺めている事実に
改めて気づかされ、眺めることを力いっぱい肯定
された。驚愕、納得、歓喜!
そんな中でも圧巻だったのは「第六講 読者は
どこにいるのか」と「第七講 贈与経済と読書」
のニ講。
贈与経済については、最近のネット本やツイッター
本でも頻繁に取り上げられている概念だけれども、
内田センセイの指摘する贈与経済は、もっと根源的
なもの。
ここまで掘り下げられると、一読者としてはもう
降伏するしかない。でも、この降伏はかなり幸福だ。 -
それほどたいして期待はせずに読んだが、とてもとてもおもしろかった。著作権原理主義を嫌がる姿勢には同感。著作をビジネスではなく、贈り物として考える視点、そしてその視点の大本を語るのに「沈黙交易」を持ってきたのには驚いた。内田樹は、9条の話になるとえらく現実的になるのに、こういう話だととたんに理想論になる。魅力的ともずるいとも言える。""
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2010/11/29
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2010.12.25 高円寺の本屋さんで見つける。2011.3.18読了。
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・「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する
・「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりも、「自分がここで言わないと、多分誰も言わない」ことを選んで語る
・「命があやうくなると知るやたちまちそれを否認する」ような言葉が自分にどれくらい含まれているか点検する
・「変える必要がないもの」「惰性が効いているほうがよいもの」−医療、教育などの社会的共通資本
・本棚−「ほんとうはなにものであるか」よりもむしろその人が「どんな人間であると思われたがっているか」 -
さすが内田先生、メディア論をこういう話にまとめるとは・・・面白かった。
贈り物を受けたと思いなす力。
[more]<blockquote>P24 潜在能力が爆発的に開花するのは、自分のためというよりは、むしろ自分に向かって、「この仕事をしてもらいたい」と懇請してくる他者の切迫だということです。人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇請」によってなのです。
P30 天職というのは、他者に呼ばれることなんです。中教審がいうように「自己決定」するものではない。自分が果たすべき役割を見出すというのは本質的に受動的な経験なんです。
P40 「危機耐性」と「手作り可能性」はメディアの有用性を考量する場合のかなり重要な指標
P48 質保証の基本は「ピアー・レビュー」です。テレビメディアの質をある程度のレベルに維持するのは、他のメディアの責任だと僕は思います。
P59 おのれの無垢や未熟を言い立てることで責任を回避しようとする態度、それは今や一種の社会的危機にまで肥大化しつつあります。
P81 メディアがとりあえず弱者に味方をすることそれ自体は悪いことではないのです。それは間違いなくメディアの社会的責務の一部だと言ってよいと僕は思います。【中略】「同じ負荷をかけた場合に先に壊れるほう」を、ことの理非が決するまでは優先的に保護する。これはごく常識的な判断です。しかしメディアがある立場を「推定正義」として糧すると、それが「推定」に過ぎないことをすぐに忘れてしまう。
P84 「なぜ、自分は判断を誤ったのか」を簡潔かつロジカルにいえる知性が最も良質な知性だと僕は思っています。
P91 「誰が語っても真実であるような言葉」というのは「昨日は南の風が吹いて雨が降りました」というようなストレートニュースだけです。少しでも価値判断を含むものは、政治記事にしても経済記事にしても、そのコンテンツと重みや深みは、固有名を持った個人が担保するほかないと僕は思うのです。
P100 「世論」というのは、「誰もその言責を引き受けない言葉」のことです。つまり「自分が黙っていてもどうせ誰かがいうのだから言っても平気なこと」であると同時に、「黙っていても平気なこと」
P103 せめて僕たちにできることは、自分がもし「世論的なこと」を言い出したら、とりあえずいったん口を閉じて、果たしてその言葉があえて語るに値するものなのかどうかを自制することくらいでしょう。そう問うことは大切なことです。どうせ口を開く以上は、「自分がここでいわないとたぶん誰もいわないこと」を選んで語るほうがいい。
P145 本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕が思っているからです。そして、あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」という人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。書物の価値はそういうふうに順逆の狂った形で構造化されている。
P149 僕たちは全員が、例外なしに、「無償の読者」としてその読書歴を開始します。生まれてはじめて読んだ本が「自分でお金を出して買った本だ」という人は存在しません。僕たちは全員が、まず家の書棚にある本、図書館にある本、友達に借りた本・・・等をぱらぱらめくるところから自分の読書歴を開始します。
P159 電子書籍の最大の弱点は「書棚を空間的に形作ることができない」ということです。【中略】「私はこれらの本を(いずれ)読み終えるはずの人間である」と自分に言い聞かせて自己教化の手がかりとすることもできない。さらにいえば「蔵書を残す」ということができない。
P171 最後の受取手である第n者がお返しをしようと決意したその時までそれは「タオンガ」としては意識されていない。その品物には霊(ハウ)は含まれない。
P180 「価値あるもの」がまずあったのでもないし「誰かにこれを贈与しよう」という愛他的な意図がまずあったのでもない。たまたま手にしたものを「私宛の贈り物」だとみなし、それに対する返礼義務を感じた人間が出現することによって贈与のサイクルは起動した。人間的制度の紀元にあるのは「これは私宛の贈り物だ」という一方的な宣言なのです。端的にいえば、何かをみた時、根拠もなしに「これは私宛の贈り物だ」と宣言できる能力のことを「人間性」と呼んでもいいと僕は思います。
P201 ブリコルールというのはフランス語で日曜大工とか器用仕事をする人ということですけれど、要するに「手元にある有り合わせのものでなんとか当座の用事を間に合わせてしまう人」ということです。【中略】人が「無意味」だと思って見逃し捨て置きそうなものを「なんだかよくわからないけど自分宛の贈り物なのではないか」と思った人間は生き延びる確率が高い。そういうことです。
P205 人間を人間的足らしめている根本的な能力、それは「贈与を受けたと思いなす」力です。
</blockquote> -
オーディオブックにて視聴完了。
面白すぎて3回聴き直した。
内田樹の他の街場シリーズ、はよ。
のっけのキャリア論の話が本当に秀逸で、自分の才能に適した職業があるのではなくて、社会からの要請が才能を開花させるって話はほんとそうだと100回は頷いた。
紙の本も買ったので、改めて読書メモを書こう! -
大学の講義を本にした書物。こんな授業を受ける機会があれば今でも受講したい。大学生の早い段階で出会えれば、その後の学び方を大きく変える可能性がありそな一冊。
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よくある「メディア崩壊」の論評とはひと味もふた味も違った鋭く面白い切り口でメディアの本質と今後について書かれた良著。