私たちが人混みでもぶつからずに歩けるのは、自分のからだと他の人のからだとの距離感を感知して、接触しないように反応しているからだ。
ところが、この頃、普通だったらぶつからないはずなのにぶつかることがある。からだは接触しなくても、荷物が当たる。自分のからだと他者との距離を普通に推し量ることができなくなっている。すなわち感覚の鈍化が進んでいる。
座右の書というのは、自分の本棚の片隅につねに背を見せているからさっと手に取れるのであって、ふっとまた読んでみようという気になったときに手元になければ座右の書にはならない。どの本が自分を支えてくれるものになるかというのは、けっこう年月が経ってみないとわからない。座右の一冊になる可能性の高い本を手元に置く機会をあえて設けてやっているのに、それすら買わないということが私には理解ができない。
よくある質問だが、これまでにどんなアルバイトをしていたかとか、クラブやサークル活動で何をやっていたかと問われる。そこで学生は、いかに自分が一生懸命それに取り組んだかを話そうとするが、、企業側が知りたいのは「何を」してきたかではなくて、そういった経験を通じて、自分は「どんな意識が開かれたのか」であり、そこで得たことを今後「どのように活かせるか」だ。
勉強の目的は、社会でさまざまな課題に遭遇したとき、その事態をどう判断して、どういうプロセスで、どうやって解決したらいいかの判断に応用させていくためだ。だから、勉強ができるといっても、それを現実社会で多岐に応用していけなければ、本来は本末転倒なのだ。
「選手にとっていい監督は、自分を使ってくれる監督」。これは間違いない。ただし、使われなかったからと言って、ヘソを曲げるようなヤツは選手として最低。なぜ、自分が使われないのか、ほかの選手が起用されるのかをきちんと分析、判断して、ライバルに負けないものを見せないといけない。それが、選手に課された最低限の仕事。“プロ”という名が付くなら、余計にそうだと思う。
反対に、「監督にとっていい選手は、リクエストにきちんと応えてくれる選手」。監督はその選手が持っている能力以上のことを求めない。やれると思っていることを期待するだけ。監督の期待に応えられる選手が集まったのに勝てないとしたら、これはすべて監督の責任。
あるテレビ番組で、宮里藍さんと石川遼選手が一緒にラウンドする企画があって、遼くんがその「太極拳スイング」をまねしてこう言っていた。
「見ているより実際にやったほうがきつい。筋肉の隅から隅まで刺激がいく感じ。頭のてっぺんから指先まで全身で集中していないとできない」
スローな動きにすることで、すべての瞬間、全身に意識を張り巡らしていることになる。「意識小僧」フル稼働態勢だ。
私たちは、普段は、意識の世界に生きています。外界からのいろいろな刺激を受けて、見る、聞く、触れる、味わうなど感覚系が働き、物事を感知します。これらの情報をもとにして、考え、予測し、推論し、判断し、最終的に運動系に繋げて、行動として外に向かって働きかけます。そして、脳の中を巡るこれらすべての情報は痕跡として残り、記憶として蓄えられます。
このとき、情報の量が多いほど、すなわち繰り返し情報が入れば入るほど、脳内に残る痕跡(記憶)は大きくなります。
(『イチローの脳を科学するーなぜ彼だけがあれほど打てるのか』西野仁雄/幻冬舎新書)
能を日本を代表する芸能にまで大成させた世阿弥は、舞の心得として「目前心後」ということを言っている。
目は前を見ながら、心の眼は自分の背後に置かなくてはならないという訓えだ。心の眼を背後に置くには、いまいるところで自分が見ている自分の世界から離れて、外からの目線で眺めなくてはいけない。
これを世阿弥は「離見の見」と言った。「我見」から離れ、いわゆる俯瞰の視線で場を見る。そうすることで舞台から演者がどう見えているかという意識を持つことができるようになると言った。
【レッスン】口と右手と左手と足とをそれぞれ違うリズムで動かすリトミックだ。
まず、口では「アイウエオ・イウエオア・ウエオアイ・エオアイウ・オアイウエ」という発声練習をする。
右手は3拍子のリズムで、腕を上げる・横に出す・下げるという動きをする。
左手は4拍子で、横に出す・ひじを内側に折る・下げる・上げるという動きをする。
さらに足は、右を一歩出す・左を一歩出す、両足をそろえる、と3拍子で動かす。
(『成井豊のワークショップ 感情解放のためのレッスン』/論創社)
【マッピング・コミュニケーションのレッスン】紙の上に互いの意識を書き出して、それを図化して構造化していくのが、「マッピング・コミュニケーション」だ。4,5人でもいいし、2人の対話でもいい。真ん中にB4かA3サイズのくらいの大きめの紙を置いて、話す中から出てきたアイディアをどんどん書き込んでいく。
会議や打ち合わせには、必ずテーマがある。はじめに、いま何を求められて会議をしているのか、リクエストをキーワードで真ん中に書き込む。そのうえで、「ではどうするか」を話し合い、出てきたアイディアを次々書き込んでいく。その案で懸念されること、矛盾することも書いていく。その紙を意識の展開図だと考え、脳の中の意識をその場で広げていく。
人の苗字や名前を初めて聞いたとき、「どういう漢字を書くの?」とつい聞きたくなるのも、漢字のほうが覚えやすく、イメージが湧きやすいからだ。
それが日本語の特性だ。つまり日本人の言語能力、語彙力といったとき、それは漢字文化と密接な関係性があって、たとえば本を全然読まない、新聞も読まない、活字をほとんど読まない人は、語彙力が豊かにならない。
【視点入れ替え「なりきり自己紹介」レッスン】複数の人間が集まれば、対人コミュニケーションのレッスンができる。対人コミュニケーションのレッスンができる。対人コミュニケーショントレーニングには、演劇のワークショップ技法が役に立つ。
舞台に立つ人は、舞台の上から観客に「伝える」ことが仕事である。舞台上では、普通の生活と同じ意識量で台詞を言ったり、身振り手振りをしただけでは、まったく何も伝わらない。少しでも多くの「意識」を観客に届けるために、意識を開いたり高めたりするさまざまな身体的トレーニングを積む。
まず、AさんにBさんがインタビューする。その後、Aさんのことを知ったBさんは、今度は自分がAさんになりきって自己紹介する。次にBさんはCさんからインタビューされる立場になり、CさんはBさんから聞いたことをもとに、Bさんになりきって自己紹介する。こうやってインタビューする立場とされる立場と両方味わう。
自分が聞いた話を伝聞としてみんなに伝えるのではなく、当人になりきって伝えるには、聞いたことをそのまま言うわけにはいかない。立ち位置を180度変えなければいけない。
【立ち上がりレッスン】2人で床にすわり、目をつむる。片手を出し、それぞれ人差し指の先で、一本の割り箸の両端を支える。しっかりもっていないから、割り箸はぐらぐら揺れる不安定な状態だ。その状態から、割り箸を落とさないように注意しながら立ち上がる。立ち上がることができたら、今度はからだ全体を使って、割り箸を上下左右いろいろな位置に動かしてみる。
(鴻上尚史『表現力のレッスン』/講談社)
一つのことに捉われて、思い詰めない。オール・オア・ナッシングの思考様式に陥らない。他の可能性を排除しない。
保留する。意識が一つのところに固着しないよう、フックに引っかけて置いておくことを心がける。それに対応していくのが社会経験を積むということだ。
裸になって踊ってみせることで、自意識から離れる。もうこれ以上恥ずかしいことは何もない。と胎をすえることができると、失敗することも怖くなくなる。仕事に対して守りに入らずに攻めていける。なにより、自意識に回っていた意識を、他のことに有効活用できる。
人の意識をトレースするというのは、人の意識に入り込む感覚をもつことである。その人の意識になってものを見る。その人が何を意識してやっているのかをたどることで、その人の視点、その人のワールドに沈潜する。
自分の中に他者の意識を入れ込むことは「意識の複線化」になる。大勢の人を住まわせることができたなら、多様性を受容できる。心の中に占める自己への捉われrのウエイトも自然と小さくなる。
「汚い水の中では良い魚は育たないのと同様に、汚い工場からは決して品質の良い製品は生まれない。同様に、雑然としたオフィスでは、スピーディかつ効率的な事務処理はできない」
「工場がきれいになる、(従業員が)休まずに来るだけで会社は黒字になる。10%以上利益を上げている会社の共通点を調べると、当たり前のことを当たり前にやっている」(『日本電産 永守イズムの挑戦』/日本ビジネス人文庫)
理不尽だ、非合理だ、不条理だ、不公平だ、そう思うことが世の中にはたくさんある。だが、そういう状況を突き抜けることが、一番意識が広がる。抜けたら風通しがよくなる。視界が開ける。その喜びや快感を味わうためには、回り道だと思いながらもそこを突破していく。
信念というものは、カメラのフィルターのようなもので、世界の見え方を変える。そして、生体の機能はそういった信念に適応して変化する。信念がそれほど力をもつことを本当に認識できたならば、そのときこそ、自由への鍵が手に入る。遺伝子という設計図上の暗号は自分では変更できないけれど、心は自分で変えられるのだから。
(『「思考」のすごい力ー心はいかにして細胞をコントロールするか』ブルース・リプトン著 西尾香苗訳/PHP研究所)
「がんばれ」とか「しっかりやれ」と言うよりも効果的な方法が、生活習慣や環境を改めるところにある。みな、日常的なからだの構えから変えている。
ある企業の部長職を務めている私の友人は、毎朝、始業時間の一時間半から二時間前くらいに出社して、連絡事項や決済処理などを終わらせるのを日課にしている。
九時の始業前に部下に出すべき指示を全部終えて、たまっていた決済書類も処理しておくことが、その日の仕事をスムーズにまわしていくコツだそうだ。部下には早く出勤するように要請したことは一度もないというが、上司が朝早く来て事務処理をしているのをみんな知っているので、自然に早く出社する人が増えたと言っていた。
「グループ・フロー」は、全員が同調しているだけでなく、個々の力量がうまいバランスで均衡を保つ中で起こる。要するに、ゆるい環境でなく高いテンションで切磋琢磨しあう中で起きるのだ。
グループ・フローを生み出す10の条件が挙げられている。
①適切な目標
②深い傾聴
③完全な集中
④自主性
⑤エゴの融合
⑥全員が同等
⑦適度な親密さ
⑧不断のコミュニケーション
⑨先へ先へと進める
⑩失敗のリスク
この会社はアルバイトの採用をする際、寸劇を中心としたグループ・ワークを行なっているそうだ。採用募集に集まった初対面の人たちに、寸劇のパフォーマンスをやらせる。するとアルバイト同士、一気に仲良くなるという。
これは、よくわかる。学生たちに、演劇をやるといってグループで稽古をやったことがあったのだが、部活を一緒にやった仲間のような結束ができ、卒業式はみんな大泣きだった。卒業してからも、よく集まっている。演劇には、人との関わりを濃くする効果がある。
コールド・ストーンの採用の選考ポイントは、「リーダーシップがあるか」「積極的に参加し、仲間のいいところを引き出しているか」「チームプレイができるか」の3点。はっきり基準が示されているあたりが、採用する側にとっても、される側にとっても、非常に意識量が高くなるポイントである。
前出の『成井豊のワークショップ 感情解放のためのレッスン』にこんな記述がある。
テンションとは人が心の中で感じている気持ちのエネルギー量であり、パワーとは人が外に出す声や表情や動作の
エネル ギー量なのだ。
もともとテンションとは「緊張」という意味だ。日本ではそれを「やる気」や「元気」のように表現しているが、「人が心の中で感じている気持ちのエネルギー量」だと捉えれば、まさに「意識の量」だと言えそうだ。気持ちのエネルギー量が少ないとパワーは当然出ない。