目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038540

感想・レビュー・書評

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  • 読み終えたあと、なぜか感想を上げるのを忘れていた本のメモから(2022年10月29日読了)


    目の見えない人は、見えないのではなく、晴眼者と違う見え方がしているのだ。
    この本を読んで、そのことに気づいた。

    朝、洗濯物を干しながらオーディブルでこの本を聴いていたら、起きてきたばかりの娘から「聴いてるだけで、内容はちゃんと頭に入ってくるの?」と聞かれた。
    字で読まないと本のスジが追えないのでは?と気になったのだろう。

    まさしく、それ。
    晴眼者が、目で見ることに頼りすぎていることをよく示した実例だなあ、と。

    人に読ませたくなって、あとから紙の本買っちゃいましたけど。

    結構読んで驚きがあります。

  • 大変勉強になった。
    わかりやすい文章で、読みやすくて面白い。
    「目の見えない人は世界をどう見ているのか」考察していくことで、見える自分にとっての当たり前を離れ、「変身」することができる。
    そもそも目が見える人だって正確にものを見ているわけじゃないし、みんながみんな同じものが見えてるわけじゃない。その人が見たいものしか見てないし、意識してなかったりする。
    見えない人に対して、印象派の絵について美術館員さんが説明するとき、最初湖のある絵で…と言いかけ、いやちがいました、野原の絵でした。といったやりとりが面白くて印象に残った。
    本書の中で、なぜよく絵を見ているはずの美術館員さんが野原の絵を湖の絵だと勘違いしていたのか、筆者が考察していてこれも面白かったので読んでみてほしい。
    いいだしたらあれもこれも、、見えない人は「道」に制限されていない・翻弄されない話や、点字は触るものではなく読むものだという話、見えない人と見える人が一緒に美術鑑賞をするソーシャル・ビューの話、どれもこれも面白い。
    そして最後は見えない人の「ユーモア」について触れる。ユーモアについては、見えない人に限った話でなく、誰にでもためになる有効な話だと思った。そして自分は見えるくせに視野が狭い、そう思った。
    とはいえ弱視や全盲とはまったく違う世界を生きているとはいえ、自分もド近眼。眼鏡がないと生活できないので、眼鏡が開発されていなかったら立派な障害者ですね。老若男女問わずかなりの人がそうだとは思いますが。そういえば眼鏡をかけないと見えない人と、眼鏡もコンタクトレンズも使わなくていいほど視力のいい人とも、少し世界が違うなあと振り返って思いました。目がいい人がよく眼鏡外した人に指を何本か出して見せて「これ何本に見える?」なんて定番のやりとりですよね。世界が違うからこそのやりとりかな。

    あとは障害という言葉…特に表記について。障害者の意味をよくよく考えると、見えないことが障害なのではなく、見えないことで日常生活に支障がある・できないことがあるのが障害なんですよね。
    その意味を考えればこそ、"「障害」と表記してそのネガティヴさを社会が自覚するほうが大切ではないか"と著者は言っていて、これはとても大事なことだ、と感じました。
    著者も語っていましたが超高齢化社会である日本では、かなりの人が障害者に相当する。この本はコロナ前なので語られていませんが(コロナ禍でも語られたかはわかりませんが)、個人的に、若者でもコロナの後遺症で日常生活が送れなくなる人が増えてくることをも考えると、より社会がどう変化していくべきか考える必要があるなと。考えて、それで大きなことでなくても何ができるだろうと、つい考えてしまいました。
    何はともあれ、本書を通して世界が広がったことに感謝。

    • 旅人さん
      感想は書いていないが、私は音が聞こえないってどういうことなのかを知ろうとしてジョー・ミル著『音に出会った日』を読みました。
      感想は書いていないが、私は音が聞こえないってどういうことなのかを知ろうとしてジョー・ミル著『音に出会った日』を読みました。
      2022/03/19
    • ゆまちさん
      音の世界の方ですか。それも面白そうですね。
      知らない本なので、調べていずれ読んでみたいです。教えてくれてありがとうございます。
      音の世界の方ですか。それも面白そうですね。
      知らない本なので、調べていずれ読んでみたいです。教えてくれてありがとうございます。
      2022/03/19
  • すごくいい本に出会えたなぁと感じてます。

    まず、とても読みやすかった。抽象的で概念的な内容を扱っているのに、都度理解しながら読んでいくことができた。
    なるべく平易な言葉を選んでくれているのもあると思うけど、具体例が豊富だからイメージしやすいし、話の流れが理路整然としているので、頭を整理しながら読める。このまま中高生の国語の教科書に載せられるレベルだと思う。

    そして、何より内容も面白くて、目から鱗の発見が多かった。
    障害者に対する考え方も変わったし、サポートする側とされる側という「福祉的な視点」を離れて、「目が見えること」「目が見えないこと」を文化的な差異として「面白がって」お互いを比較することで、自分たちの身体に対しての新しい視点が得られた。

    4章ででてきた美術館の「ソーシャル・ビュー」面白そう!機会があれば参加してみたいな〜

  • 目の見えない人のことを、私は視覚を奪われた人という認識を持っていた。意識的ではなく、無意識にそんな風に考えていたが、本書を読んで全く違った視点を得ることができた。この新しい視点を言葉でうまく伝えることができそうもない。著者がこの本で語ろうとしていることは、この本一冊で表現していることだと思えるから。
    短い言葉で端的に伝える技量が無い自分が情けない。こんな自分だが、諦めずに一端を伝えてみよう。本書を読みたくなる一冊であることを未読の人に伝えたいから。

    たとえば、感覚について。
    視覚、聴覚、触覚、味覚などの感覚は、それぞれ決まった器官が担っていると思っていた。視覚は目、聴覚は耳という風に。確かに、目は見ることが得意だが、それ以外の器官でも見ることができているのかもしれない。見るということをどう定義するかにもよるが、耳で見ることだってできるのだ。
    空間の認知能力という点においては、かえって目が思考の邪魔をしている可能性だってあることを示唆している。本書を読んで、私の通っていた高校の数学の先生から聞いた話を思い出した。四次元、五次元の世界をどう捉え、学ぶかというとき、多くの人が躓くのだが、盲目の学者は苦もなく先に学習をすすめることができるのだそうな。二次元に住んでいる人が、三次元の球体と遭遇する場合。二次元の人には、点が突然現れて、円がどんどん大きくなり、やがて、小さくなり点となって消える。この空間をどんな風に捉えて認識するかを頭の中で描くことができるのかが、問われるのだ。
    障害があるのと、無いのと、どちらが良いとかではなく、本書では「揺れ動く関係」という言葉で表現しているが、対等ですらなく、互いが干渉しあって過ごすことができる可能性に満ちた場づくりを実践している現場を紹介している。
    本書を読めば、私が何をもがいて表現しているかが、少しわかってもらえると思う。

  • 社会モデル(「障害が問題なのではなく、障害があることで抱える不自由を解決できない社会が問題なのだ」という考え方)がとてもよく理解できる名著だった

    僕たちの社会は多様性とか言いながら、マジョリティの視点を捨て切れていないんだ

  • 目が見えない人の世界の見方を知ることで、自分の世界の見方に気づける本だ。著者の伊藤亜紗氏は大学3年のときに専攻を生物学から美学に変更、いわゆる文転した異色の経歴の持ち主。その異色さがもたらす視点であるのか、本書を読んでいると、自分が当然だと思っていた世界がまったく当然ではなかったと思わされる経験をたくさんすることができる。見田宗介氏の『時間の比較社会学』で、古代、中世の日本、ヘレニズム、ヘブライズム、近代社会の時間の観念を理解することで、初めて近代以降の時間の観念を正確に、今までとは違った形で捉えられるようになったように、本書でも五体満足ではない人の視点から自分たちの視点が相対化、明確化される。私がとても好きなジャンルの本だ。

  • 著者のスタンスがとにかく面白い。かわいそうな存在としてでもなく、変に持ち上げることもなく、とにかく「面白い人がいるんだ、聞いて!」といった感じ。例えてみるとこんな感じ。

    目の見える、でも第六感の働かないあなたが、第六感が普通に使われているけど視覚がない世界に行ったとする。とても不便だ。周りは第六感があることを前提に生活が成り立っているから、あなたには様々な「障害者向け」のサポートが用意されている。
    第六感がコミュニケーションの主要な手段になっているから、人対人の関わりになるとあなたはどうしても置いてけぼりになってしまう。でも、人対物になると目の見えるあなたの方が圧倒的に強い。周りの人には不思議がられる。「どうしてあなたはそんなに物の気持ちがわかるのか。まるで私たちには感じられないものが感じられているみたい。不思議だ。」

    本書は、これをひっくり返したような世界を見せてくれる。
    例えば、ブラインドサッカーがどうして成り立つのか、全くわからなかったけど、本書を読むと少しだけわかる。ボールに入っている鈴の音だけでサッカーしているわけではなく、実は鈴がなくてもブラインドサッカーできるくらい気配で他の選手やボールの動きは「見える」とのこと。

    もう一つ、目から鱗だったのは、健常者(目が見える人)とのコミュニケーションが「言葉で説明すること」を経由するため、目の見えない人だけでなく見える人にも「言葉の豊かな世界」が広がるということ。例として美術鑑賞が挙げられている。目の見える人と見えない人が一緒に美術館に行って、目の見える人がどんな絵なのかを言葉で説明する。大きさとか色とか素材とか形とか印象とか、問われて言葉にしていく。目の見える人が一人で絵を見に来たら、数秒から数十秒で黙って見て次の絵に移ってしまうところ、一つの絵に数分から数十分の時間をかけて、見たもの感じたことを言葉にしていく。言葉にした本人もその言葉を聞いて絵の理解を深める。
    なんて魅力的なんだろう。想像するだけでワクワクしてくる。ぜひ体験してみたい。

  • 視覚を頼りにしていると、じゃあ目が見えなくなったらどうなるのか?と、目をつぶってみることがよくある。
    しかし、それは単なる感覚の欠如であり、そこにあるのは"欠損している"と感じるだけだという。
    著者も言う通り、全員がそうでないと前置きをしつつ、目の見えない人の見ている世界を説明する。
    読んでいくうちに、今まで見えてこなかった、感じ方、物の捉え方を知ることができた。

  • かなり興味深く読み進めた。
    「目が見えないからできない」ではなく
    「目が見えないからできる」という視点で
    物事を捉えていきたいと思った。
    何事も同じな気がする。

  • 麻生鴨さんの『伴走者』を読み終えた後だったので、興味関心がバチっとハマったタイミングに読めた。
    著者の「目の見えない人」に対する新鮮な気づきが、新鮮なまま伝わってくる文章表現。是非とも読んでほしいのだが、まず、興味を引き込まれた序章の文章を紹介したい。

    <見える人が目をつぶることと、そもそも見えない事はどう違うのか。(中略) それはいわば、四本脚の椅子と三本脚の椅子の違いのようなものです。(中略) 足が一本ないと言う「欠如」ではなく、三本が作る「全体」を感じると言うことです。>

    「障害」と聞くと、アンタッチャブルな話題と構えていた。しかし、本書に示される、見える人と見えない人の差異を「面白がる」視点を通すと、新しいアイディアや付き合い方が見える、豊かな話題、ポジティブな感情が持てるようになった。

著者プロフィール

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など多数。

「2022年 『ぼけと利他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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