- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334727895
感想・レビュー・書評
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①全ての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。
②現代の人間はできあいのものなら、やすやすとまとめようとする奴隷的な根性から抜け出して、新しい神話を逞しく創造していくべき。
③ほんとうの新しいものは新しいものとさえ思われないものであり、たやすく許されないような表現の中にこそ、ほんとうの新鮮さがあるのです。
④子供の時に絵を描くように、絵を描くということはたくましい本能の欲求であり、生命の喜び、知的活動として誰もが持っているもの。
⑤花だから綺麗というように、テキトーに言葉を使うことがないように。本当に思ったことを伝える。
芸術は過去を振り捨てて新しいものを求めるが、芸道は過去を洗練させる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20年ぶりに再読しました。昭和の時代に日本で活躍した芸術家は、この本の影響を大きく受けていたのではないかと思います。その後に続く平成、令和の時代の芸術を理解する上でも、重要な書籍になりそうです。
「個人の芸術論を構築する上でも、岡本太郎の芸術論をベースにすれば良いと思う」と当時にメモをした記憶があります。正しく、自分の芸術論のベースになっています。 -
創作活動することによって、自分を表現したいと思った。
自分を表現する芸術がほしい。
テコンドーし始めた理由はなにか。
演劇、絵、ダンス自分はなにで表現できるか。 -
強く、強く影響を受けた。
自分がしていることは芸術ではなくただの芸だったと気付かされた。
なんて優しい人だろう。 -
岡本太郎の作品の強烈な色彩や形に目を奪われるのは、自由な精神的な世界を見せてくれるからだ。自分のもっていないものに制約されて、自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になるのです。(本文より抜粋)
あるがままを受け入れてもらえなかったらどうしようという不安に耐えられず、自分に自信がもてないから、一般的に受け入れられる「八の字」を選んでしまう。それは芸術だけでなく、人付き合いにおいても同じだ。つまり、わたし自身、あるがままにいたいという願望があるから岡本太郎の作品に目を奪われるのだろう。
あるがままを受け入れる美術教育について考えていきたい。 -
岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」が良かったので、1954年(!)初版の本書も読んでみた。岡本氏は本業はもちろん芸術家だが、たくさんの書籍を出版している。この本の何がすごいかというと、65年も前に書かれたのに、内容が全く古くないのだ。彼の現代芸術が必ずしも世間に受け入れられなかった時代に、最前線で戦ってきたのだから、説得力がある。
彼を昔テレビで見た時は、突飛な言動をしているように見えたが、彼の芸術に対する情熱が噴出してそうなっていたことに気付いた。岡本氏の、芸術に対してのみでなく、幅広い教養に感心してしまう。本書を読むと彼の頭の良さがわかるが、それをひけらかさないところに育ちの良さがまたにじみ出ている。
彼は最近、芸術と芸事(歌舞伎など)が混同されていることを嘆いている。芸術は新しくなければならず、芸は昔ながらの決まった型をつないでいくことがよいとされる。なるほどな、と思った。面白かった。 -
「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
これは、斬新な画風と発言で大衆を魅了し続けた岡本太郎の言葉である。時を経てもなお、新鮮な感動を呼び起こす「伝説の名著」の復刻版。 -
美術
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2018.08.27 社内読書部にて紹介を受ける。
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1954年に刊行された一般向けの芸術論。当時ベストセラーとなり、「一九五◯年代の若い画家たちに、強い影響を与えた」(赤瀬川原平の解説より)という。
元本は「カッパ・ブックス」の一冊として出たものだから、堅苦しさや難解さはない。岡本の文章もユーモアとウィットに富んだもので、すこぶる読みやすい。
「芸術とは何か?」「芸術の価値とは何か?」という大きな問いに、真正面から答える本。そのために西洋美術史の背骨部分をたどり、日本文化の特徴についても論じた内容になっている。
岡本太郎のことだから、教科書的な西洋美術史/絵画の見方入門にはなっていない。なにしろ、「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」というのが、本書で岡本が主張する「芸術における根本条件」なのだから。
といっても、けっして奇をてらった内容ではない。むしろ“真ん中高めの直球”という趣の熱い芸術論なのだが、たぐいまれなる自由な精神をもつ岡本ゆえ、ストレートな論も世間の常識からは遠く離れて見えるのだ。
刊行後60年近くを経てなお、芸術論として鮮度を保つと同時に、芸術に仮託した人生論としても読める。絵を描かない私でさえ、読んでいて何度も勇気づけられる思いがした。
印象に残った一節を引用する。
《芸術におけるほんとうの意味の新しさということは、へんな言い方ですが、新しいということになる以前にこそあるのです。すこし極端にいえば、新しいといわれたら、それはもうすでに新しいのではないと考えたってさしつかえないでしょう。ほんとうの新しいものは、そういうふうに新しいものとさえ思われないものであり、たやすく許されないような表現のなかにこそ、ほんとうの新鮮さがあるのです。》
《まことに芸術はゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける。そして逆に、ひらけたと思うときにまたゆきづまっているのです。そういう危機に芸術の表情がある。
人生だって同じです。まともに生きることを考えたら、いつでもお先まっくら。いつでもなにかにぶつかり、絶望し、そしてそれをのりこえる。そういう意志のあるものだけに、人生が価値をもってくるのです。つまり、むづかしい言い方をすれば、人生も芸術も、つねに無と対決しているのです。だからこそおそろしい。》
《(絵を描くなどして/引用者補足)自分の自由な感情をはっきりと外にあらわすことによって、あなたの精神は、またいちだんと高められます。つまり芸術を持つことは、自由を身につけることであって、その自由によって、自分自身をせまい枠の中から広く高く推し進めてゆくことなのです。》