- Amazon.co.jp ・本 (501ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751173
感想・レビュー・書評
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やっと第2巻を読破。2巻から面白くなるという何かを見て期待を込めて読み進めていく。噂に名高い大審問官のところを楽しみにして読んでいったが、なんとなく理解できたような出来ないような。きっと読解力が自分に足りないのだろう、この部分の素晴らしさ、示唆的な所までは理解できなかった。最後の長老の言葉も、罪の告白のところまではよかったのだが、そのあとがなんだか難解で、だーっと読み飛ばしてしまった。後に大事な内容だったらどうしよう…とにかく話が進みそうな第3巻にいってみる。
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イワンの懐疑(子どもへの虐待と大審問官)とゾシマ長老の神への信仰。この二つが織りなすコントラストとその間で揺れるアリョーシャ。
それにしても読みやすい。 -
軽妙な会話がポンポンと続いていく部分は楽しく読めたが、翻訳者による巻末の読書ガイドにもあるように物語の展開はとても緩やか。宗教観に関する部分は咀嚼するのに時間がかかった。ただ、「常におこたりなく自分をかえりみて、自分が光となり、罪あるものを謙虚な愛で見つめよ」の箇所には、ガツンと頭を打たれた気分。誰もがこのような心持ちであれば、世の中うまく回るのにと思う。自分がそうあれるよう、心がけようと思う。
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やはり、プロとコントラの章のストーリー展開があとを予感させ、興味がわく。イワンの大審問官の話、ゾシマ神父の一代記を読むのがしんどかった。しかし、これらが今後にどう関わるのか、読みなおす楽しみがある。
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この世に戻ってきたキリストの前で大審問官の老人が展開したキリストの行いについての思想を展開する章が、キリストがこの世に戻ってくるという設定が斬新だったのと、自分がこれまで絶対的だと思っていた聖書に対して大審問官が批評を加えたという点で衝撃的だった。
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アリョーシャの聞き上手っぷりは才能なのかな。
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4部構成の2部なので、起承転結の承に当たるので大きな展開はなくやや冗長な感じがする。
1部はサクサク読めたが2部はちょっと手こずった。前半は1部に続くドロドロ劇だが後半はイワンの創作した詩やゾシマ長老の説教などキリスト教の素養のない人には分かりずらいだろう。
1部を読んでいる頃から感じていた違和感があった。ロシア正教って三位一体を信じていないの?調べてみたら東方正教会の中には三位一体を否定している所もあるようだけれど、ロシアは多分違うと思う。
キリスト教に入門した人がぶつかる壁が三位一体で、それが受け入れられなくて離れてしまう人も多い。反対にそれを一旦受け入れてしまうと、多くの事がしっくり納得できる。
無神論者のイワンが独自の理論を展開するのはわかるが、それを聞いた修道士のアレクセイが心かき乱される事に無理を感じる。三位一体理論を受け入れてる人からすると一般の人の話は子どもの理論を振りかざしてるように見えるものなので。
実は作中他の聖職者の会話にも三位一体がわかっていないんじゃない?と思う所があった。こんな事言ったら失礼かもしれないけどドストエフスキー自身もわかっていなかったのか?それとも当時のロシアの法曹界がそんな感じだったのか?
わかる人がいたら教えてもらいたい。 -
光文社にて再読。う〜む「大審問官」が今度は理解できるかと思ったが、やはり解けなかったな。だいたいわかる時が来るんかいな。
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2巻目。宗教観というか、神に対する思想や解釈が多い印象。特に登場人物、脇役の心の葛藤と宗教との関係が、宗教を持たない私にはすごく新鮮で、これが宗教の意味かと思わせる。人間の心のうちは、嘘をつかず直視すれば、どれだけ醜く渦巻いているのかよくわかる。彼らの告白を読むたびに、その汚れた渦巻きを自分の中にも見出さざるを得ない。あとイワンの話がとても気に入った。神は受け入れても、神の世界、つまり神のルールは受け入れない、なぜ子どもが犠牲になる必要があるのか、、、やっぱり、説明のつかない社会の不条理、運命の不幸みたいなのはあると思うし、そういう、巡り合わせというか環境によって、なぜ罪のない人が苦しまないといけないのかという、不条理への怒りとも言える、まだ私が中学の頃に抱いていたこの煮える想いを思い出し、懐かしく思った。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、2階開架 請求記号:983//D88//2