- Amazon.co.jp ・本 (501ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751173
感想・レビュー・書評
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⑤ロシアの修道僧
第2部の後半はゾシマ長老の自伝が中心となる。長老自身が死ぬ間際に、集まった人々に語ったことを、後にアリョーシャが文章にまとめたという設定になっている。この、ゾシマ長老、いろいろな奇跡を起こすということで、町の人々の中でも大変敬われていた。アリョーシャもそれにひかれて修道院での生活を始めている。しかし、もともと、若いころから善き人で、修道僧としての生活をしていたわけではなかった。陸軍幼年学校を卒業した後、ゾシマは軍の仕事についていた。社交界にも出入りし、派手な生活を送っていたようだ。そのころ、美しい女性と出会い、その女性と結婚したいとまで思うようになっていた。しかし、最後の一言を口にすることができない。相手も自分のことを好きでいてくれていると思っていた。ところが、しばらくその地を離れてもどってくると、その女性は別の男性と結婚している。前から婚約もしていたらしい。自分のことを情けないやつと思ったことだろう。その後、その男性に決闘を申し込むことになる。決闘の準備をしてその場に向かう前に、なぜか宗教的な?気持ちにおちいる。前日に自分の部下であるところのアファナーシーを何らかの理由で(たぶん大した理由ではない)殴りつけていた。それが、とても罪深いことと感じ、決闘に行く前に、アファナーシーのもとに向かってひざまずいて謝っている。決闘(19世紀中ごろにまだそういうことが行われていたのだ、禁止されているという記述はあるが。)の場で、まず相手がピストルを放つ。その弾はゾシマの体には命中しなかった。次は自分が打つ番だったが、ピストルを林の中に投げ捨てる。そして許しを請う。怖気(おじけ)づいたのか、男としてはなんとも、情けない姿ではあった。周りの人からもそうののしられる。その後、ゾシマは軍を去り、僧侶となる決心をする。このときのことが世間にも知れ渡る。それで、ある人物が足しげくゾシマのところを訪ねてくることになる。そして、次第に自分のことを語りだす。このエピソードが実に興味深い。この男性、若いころに好きな女性がいた。そしてプロポーズをする。しかし、その女性には別に好きな男性がいた。よくあることだ。そして、女性からは二度と家へは来ないようにと告げられる。しかし思いはつのるばかり。そしてとうとうある行動に出る。夜、男は鍵がかけられていなかった窓からその女性の家に入る。そして寝室に向かい、身勝手な憎しみから、その女性を刺し殺してしまう。そんな中ではあるが、自分に嫌疑がかけられないように、冷静に部屋の中のものを手にしてそこから去っている。その後、女性の屋敷で問題があって追い出されていた下男が犯人として捕まる。しばらくして、下男は病死し、そのまま事件は解決したことになる。その後、男性は別の女性と結婚し、子どもをさずかる。しかし、その男性は自分がした罪にずっとさいなまれ続けることになる。そして、最近では何度も夢に現れるようにもなり、苦しみが増していく。もうどうにもがまんできない、皆の前で自分の罪を告白したい、そうゾシマに伝える。しかし、それでも幸せに暮らしている妻や子どもたちに迷惑がかかると、何度も何度も迷い続ける。ようやく、人々が集まる機会があり、その場で、長年隠し持っていた証拠の品々とともに、洗いざらい自分のした罪について話しをする。警察にも届ける。しかし、結果は、皆が彼は気が変になったのだ、ということで済まされてしまう。一週間後男は病死する。男性の妻などは、ゾシマの部屋に通い始めてから男が変になったと言い、ゾシマを悪もの扱いするようにもなる。それで、ゾシマはその町から去ることになる。それから、ずいぶんとたって、ゾシマが巡礼の旅にあるとき、軍にいたころ部下であったアファナーシーとたまたま出会うことになる。アファナーシーはゾシマに何の恨みもなく、逆に今は修道僧であるところのゾシマに、家族のことを祝福してほしいという。しかし、ゾシマは、自分は貧しい修道僧であり、祝福なんてできない。ただ、神に子どもたちのことをお祈りして差し上げると言う。さらに、毎日欠かさず、アファナーシーのことを祈ってきたとも言う。このようになれたのはあなたのおかげだとも。最後にゾシマは言う。「私は彼の主人であり、彼は私の召使だったが、今私と彼がたがいに愛情をこめ、心からの深い感動でキスを交わしたとき、私たちの間には、偉大な人間的一体化が生じたのだ。」
⑥アリョーシャ・ミーチャ(ドミートリー)
ゾシマ長老の死後、人々は何らかの奇跡が起こることを期待していた。ところが、それどころか、しばらくするとその死体から腐臭がただよい始めた。人々の間では、聖人の死後、その死体からは腐臭はせず、場合によっては芳香がかもしだされるとまで信じられていた。ところが、ゾシマ長老の死体が置かれた部屋は、窓を開けて空気を入れ替えなければたえられないほどのにおいが立ち込めていた。そのうわさはたちまちに町の人々にも知れわたった。そして、あれほどゾシマ長老をほれ込んでいたアリョーシャまでもが、そのことが原因で、気持ちが離れようとしていた。自分が今まで信じてきたものはいったいなんだったのか、自分はこれからどう生きていけばよいのか、そんな気分だったのだろう。そこへ、ラキーチンという人物が、アリョーシャを俗世界へ引き込もうと現れる。ラキーチンはグルーシェニカのいとこだ。以前から、アリョーシャを家に連れてくるよう、グルーシェニカに頼まれていた。グルーシェニカはまじめなアリョーシャを誘惑しようと考えていたらしい。自分の魅力で、このまじめで幼い青年を自分の思い通りにでもしようと考えていた。もちろん、このグルーシェニカとは、アリョーシャの兄ドミートリーと父フョードルの気持ちをとらえて離さないあの魅惑的な女性だ。グルーシェニカの家に到着したアリョーシャがソファに腰をかけると、グルーシェニカは自然にアリョーシャのひざの上に乗り、手を肩に回し、あまい声をかける。しかし、アリョーシャは意外と冷静だ。グルーシェニカのことを姉ぐらいにしか思っていない。自分のことをふつうにとらえてくれたことに感動したグルーシェニカは、アリョーシャに今の自分の気持ち、これからどうしたいのかなどを話し出す。彼女には5年ほど前に分かれたポーランド人の男性がおり、いまだにその人のことが忘れられないでいる。そして、その男性から最近手紙が届き、近々、近くまでやって来るという。今日にでもその知らせが届くのだという。その純情な思いを知った、アリョーシャは、ますますグルーシェニカのことを一人の人間として認めるようになっていく。そんな中、待ちに待った知らせが届く。そしてすぐに馬車に乗ってグルーシェニカはその男性の待つ町へ向かう。そのころ、兄のミーチャ(ドミートリーの愛称)はどうしていたのか。婚約者であるカテリーナから預かった3000ルーブルを何とかして返そうとかけずりまわっていた。そのお金は、一月ほど前グルーシェニカといっしょに一晩で大騒ぎをして使い切ってしまったものだ。それをしっかり返してしまわないと、グルーシェニカといっしょにはなれないと感じていた。それなら最初からそんな無駄遣いをしなければいいものを、グルーシェニカのことを、お金が目的で父フョードルにも近づいていると感じていたものだから、お金のない、あるいは借金をしているような自分のもとには来てくれないだろうと考えていたようだ。そんな中、グルーシェニカの居場所が分からなくなったミーチャは、きっと父フョードルの部屋に行ったものと思い、そこまでやって来る。事前に下男のスメルジャコフから聞き取っていた合図で油断させ、フョードルを部屋からおびき出す。しかし、それで、グルーシェニカがそこにはいないことを知ると、すぐにそこから逃げ出す。そのとき、下男のグリゴーリーに見つかり、塀をよじ登ったところで足を捕まえられる。ミーチャはグリゴーリーの頭を持っていた銅製の杵(きね)で殴りつける。倒れた男の頭に触れると、血が流れ出ていた。それをハンカチでふき取った後、急いでその場から離れる。そして、グルーシェニカの家に向かう。そこで、下女からすでに彼女がそこにはおらず、その昔の恋人の待つ場所へ向かったことを聞き出す。ミーチャは大急ぎで追いかける。その手には大金がわしづかみにされており、コートは血まみれであった。
⑦予審
ミーチャ(ドミートリー)はグルーシェニカと彼女の昔の恋人、その他数名の人がいる部屋に、ずけずけと上がりこんでいく。グルーシェニカは恐れ、おどろき、あぜんとする。ここでいったい何が起こるのか。ミーチャは意外と紳士的に(?)、みなといっしょに楽しく過ごそうとする。場所はこの間、3000ルーブルを手に、大騒ぎしたのと同じところ。今日もまた、3000ルーブル使って、飲めや、踊れやの大騒ぎ。またお金がもらえると、人々も集まってくる。ポーランド人の元恋人と、カードでかけ事を始めたりもする。ところが、そこにいた二人のポーランド人、どうもいかさまをしているらしい。ミーチャはどんどんお金を絞り上げられていく。どうやら、このポーランド人はお金欲しさに、グルーシェニカを呼び出していたらしいということも次第に分かってくる。ミーチャは二人のポーランド人を別室に呼び、3000ルーブルをやるから、グルーシェニカのことは忘れて、ここから出て行って欲しいと告げる。ところが、手元にきっかり3000ルーブルがないことを知った二人は言うことを聞いてくれない。そんなゴタゴタの中で、グルーシェニカも自分が5年間思い続けてきたこの男性はすっかり変わっていて、全く魅力のない人になってしまったことに気付く。そして、ミーチャへの思いを強めていく。ミーチャとグルーシェニカ、その二人の仲は急接近していく。ところが、ミーチャの頭の中にはグリゴーリーの血のことがある。もしも、死なせてしまっていたとしたら。せっかくうまく行きそうなこの恋はどうなるのか。そこへ現れるのが、警察署長に予審判事、検事などだ。やはり自分の犯した罪をとがめに来たのか。しかし、死んでいたのは下男のグリゴーリーではなく、父フョードルであった。グリゴーリーの方はけがをして一時意識をなくしていたが、今はもう意識も回復しているという。ミーチャは喜んだ。自分が殺してしまったと思っている男が、ちゃんと生きていたのだから。ところが、予審判事たちはミーチャが父殺しの犯人だと思ってその場にやってきていた。そして、いよいよ取調べが始まる。当時の、警察とか裁判所・法律などがどうなっていたのかは分からないが、警察へ連れて行くのではなく、その場で取調べが始まる。しかも、どう考えてもそれはかなり夜遅くだったはずなのだが、そのまま取調べは進み、朝まで進んでいく。そのため、ミーチャも途中で居眠りしているくらいだ。今なら考えられない。さて、ミーチャは正直に答えていく。確かに下男のグリゴーリーを傷つけたのは自分だ。しかし、父フョードルを殺したのは自分ではない。そこで、問題になるのが3000ルーブルという大金の出所だ。実はフョードルの部屋からあったはずのお金がなくなっている。ミーチャはここに来る前にはお金をほとんど持ち合わせておらず、質屋に自分のピストルを預けて10ルーブルを借りたりしている。しかし、父親殺し(?)の後に大金をにぎったミーチャはピストルをもう一度取り返している。どうやら、ここで騒ぎを起こした後、そのピストルを使って自殺をするつもりだったようだ。なぜ、ミーチャが今夜もそんな大金を持っていたのか、それが話の焦点となる。しかし、その点についてはなかなか話したがらない。そして、とうとう、なんとか予審判事たちに自分の無実を証明するためにもそのお金の出所について話し始める。実は一月ほど前にカテリーナから3000ルーブルを預かったとき、そのすべてを使ったのではなく半分だけを使っていた。したがって、手元には1500ルーブルが残っていた。それを、カテリーナに返して残りもいずれ必ず返すと言うつもりだったらしい。けれど、結局そのお金はお守りのように小さな袋の中に入れて、胸元にかけたままにしていた。なんとも情けない話だけれども、グルーシェニカにいいところを見せたいけれど、カテリーナに対しても完全な悪者にはなりたくなかったのだろう。そんなところが自分自身とてもはずかしい気持ちでいっぱいだったのだ。これで分かった。実は第2部の後半でミーチャ(ドミートリー・・・主人公アリョーシャの兄)は、アリョーシャに対して、自分の胸をたたいて、ここで破廉恥(ハレンチ)が行われようとしている、と言っていた。それが何のことかさっぱり分からなかったけれど、実は胸には、そのどうも煮え切らない、中途半端な1500ルーブルが隠されていたのだ。ここで、ミーチャの言うことをすべて信じれば、そういうことになる。しかし、いろいろな状況証拠やまわりの証言から、だれにもそんなことを信じてもらえないまま、連行されることになる。さて、ドミートリー(ミーチャ)の運命はどうなるのか。ところで、ミーチャは取り調べの中で、スメルジャコフ(カラマーゾフ家の下男・父フョードルから唯一、グルーシェニカに教えた合図を知らされていた。そして、それをドミートリーに教えてしまっていた。)がフョードル殺しの真犯人であると断言している。しかし、フョードルが殺された夜、スメルジャコフは癲癇(てんかん)の発作で寝込んでおり、意識もなく、医者にはあと何日かの命と宣告されるような身であったのだ・・・。 -
長い!
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2巻は順調に読み進めた。中々高尚な話しが多かった。
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みんなセリフ長い
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第1巻ではカラマーゾフ家をはじめとする主要な人物をそれぞれに描いていたが、第2巻ではその人物たちの結びつきがより深く描かれている。
なかでもイワンが物語詩をかたる「プロとコントラ」、ゾシマ長老の半生の回顧と説教を繙く「ロシアの修道僧」が表裏一体、相反するテーマをもって絡み合う。
まだ若いイワンの『神は存在しない』という思想と、老いて間もなく死を迎えるゾシマの『神は存在する』という教え。
それぞれ単独の物語といっても差し支えないのに、あくまで長大な物語のなかの一篇にすぎない潮流が、不吉な予兆を孕んで更なる展開を呼ぶ。
イワンとゾシマ長老の考えは全く反対のようだが、実は「人間を信じている」という点では共通するのではないかと思う。
イワンにとっては人間を信じるがゆえに、神の許しなど不要で、不死である必要もなく、教会も天国もまた不要なものなのだろう。人間は人間の力で罪を許し合い和解することができるし、その瞬間を見たいと思っている。
ゾシマ長老にとっては人間を信じるがゆえに、神の存在も、許しも、愛も、世界に満ちていて、人間はみな平等ゆえにそれらを遍く享受できる、その日を迎えることができると信じている。
このふたつの物語が、今後の展開の中にどう影響してくるのか、俄然楽しみになってきている。そしてまた、この作品が文学の最高峰といわれる意味も分かりかけているような気がする。
富めるものと貧しきもの、これから変わっていく、変わらなければならない国、そして不変の価値観について。
明治時期から戦前までの日本の学生が、ことのほかロシア文学を読み込んだ理由も、わかるような気がした。 -
ゾシマ長老の衰弱を気にしつつもアリョーシャはカラマーゾフの問題を解決するために奮闘する。カテリーナとグルーシェニカ、ドミートリーの間で生じている生々しい問題はイワンやヒョードルなどの人物をも巻き込み、より複雑怪奇な物語へと導いている。その問題について追究していくうちに我々読者はドミートリーの人物像を築き上げている。この第2部の謎めいた箇所といえばやはりイワンの話す大審問官の章。人間の姿として現れたその人に対して大審問官は、あなたが自由を与えたから人々は苦しんだとして批判した。これは聖書を読んでいないと分からないなと思った。そもそもこのカラマーゾフの兄弟を読むにあたって聖書の基礎知識が無ければ理解は不十分に終わる気がした。この物語は宗教面、ロシア情勢、階級社会、金銭面など様々な背景を含んでおり、重層的で多義的な物語であることがこの第2部で分かる。つまり様々な視点で見つめなければならないと感じた。また、第1部では説明的な文章が多く、物語の流れをいまいち掴めなかったが第2部でドミートリーの不穏な動きなどが目立つのを認めると我々読者も少しずつ何かしらの予期が生まれてきたではないだろうか。この予期がどんな形で生まれるのか第3部を読んで確認したい。