「知の衰退」からいかに脱出するか?

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334975609

感想・レビュー・書評

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  • 2009年に出版された大前研一氏の著書。
    2013年に読んで書評を書くという少しずるい状態です。

    日本人は世界を見て考えるという行為を行わなくなり、集団IQ(集合知)が大変低い状態にある。
    このままでは、日本は更に負け組→敗北主義に陥り、大きな危機を迎える。(既に迎えている)
    この状況を打破するために、日本には根本的な改革が必要である。
    しかし、集団IQの低い日本人には、次世代を担うリーダーも不在であるし、集団IQがひ低いため、政治から国を変えることも難しい。
    そこで、各個人が現代を生き抜くリテラシーを身に付け、自ら率先して行動し、勝ち組に入るしかない。
    という内容です。

    マスコミ、政治家の体たらくについては同感です。
    ただ、世代間類型などは少しフォーカスが的を得ていないように感じます。
    全てを手放しに賞賛することはできません。
    論理性は一貫していて、一つの方法論としては完成度が高いと思います。
    説得力も高く、これを読み自分も変わらなければと思う方も多いと思います。
    大前氏の精力的な行動にも敬意を表します。

    ただ、個人的には違和感を覚える(腑に落ちない)点があります。
    大前氏は猛スピードで変化する世界情勢にすばやくキャッチアップしていくことを提唱しています。
    しかし、本当にキャッチアップし続けることが可能でしょうか?
    また、キャッチアップし続ければ、勝ち組に居続けられるのでしょうか?
    勝ち組国は本当に幸せでしょうか?
    また、日本人には投資マインドが低く、貯蓄重視に偏っている。
    その為、外資を中心とする投資家たちに搾取され続けている。
    これは事実と思います。
    だから、あなたも勉強し資産運用ができるようにならなければならない。
    という理屈なのですが、ここは腑に落ちません。
    搾取する側がいるということは、搾取される側もいるわけです。
    搾取する側に全員が向かった時、世界はどうなるのでしょうか?
    報酬とは本来、社会に利益をもたらした見返りとしてそれに見合ったものを受け取るものだと思います。
    投資とは、社会に貢献する企業、事業を応援して世の中が良くなった分の見返りを得るものだと考えます。
    単純に運用益を上げれば良いという考え方は賛同できません。
    文中に古典は教養として不要であるという内容がありますが、こんな時代だからこそ過去の思想に学ぶことも重要な気がします。
    誰もが努力すれば大前氏になれるわけではありません。
    足るを知ることも重要だと思います。
    なので、自分のアクションアイテムとしては、仕事やボランティアで社会貢献をしていくという現状を継続するということになります。(もちろん自己責任です)

  • レビューは遅くなったが、出版時に購入していろいろと考えさせられた本。

    今となっては、多くの大前氏の著書に通ずることが多いが、出版から4年経っても閉塞感が続いていることは確かだろう。1つの成功体験は、人間を安住させて、変化することから遠ざけることがあると思うが、まさに今の日本の状況だと思う。

    数年前の出版とはいえ、大前氏の著作に触れたことがない人には、読んでみる価値のがある一冊だと思う。

  • 本書の中で「集団IQの高いところが21世紀の勝ち組」になるとあります。

    しかし日本人は個々を見るとIQが高いが、集団となるとなぜかIQが著しく低下して
    グローバル化の中で取り残されてしまうそうです。

    では集団IQの高い国はどこかというと、それはシンガポールなのだという。
    シンガポールは少数のエリートが国を引っ張り、それに国民がしっかりとついていくことで
    これまで大発展と遂げてきたという。

    シンガポールは2007年には1人当たりのGDPで日本を抜いてアジアで№1のようだ。

    これは集団IQが高かったからだといえるだろう。

    今の日本の現状を見ると低IQ化はこれからも進んでいきグローバル社会では取り残されていくと思われます。

    著者は低IQ社会となってしまった社会から抜け出すために
    「三種の神器」を身につけることを提言している。

    その三種の神器とは「英語」、「IT」、「ファイナンス」。

    英語はすでに国際標準語なのだから国際社会から孤立するばかりか、
    こちらのことも理解してもらえない。

    ユニクロや楽天が英語を公用語にするとなり話題になりましたが、
    これは世界を市場と考える企業にとっては、これは当然の事でしょう。

    日本という国では英語は極めて高いスキルとされています。
    これは日本人がまだまだ英語を話すことが出来ない証拠でしょう。

    海外にいけば英語が話せることは当たり前です。
    ヨーロッパだと英語が出来ないと就職できないといわれています。

    国内の市場が伸び悩み、縮小している中で世界を市場として考える企業は増えると考えれば
    今後もユニクロや楽天のように英語を公用語にするという企業は増えていく事でしょう。

    私も英語に関してはもう少し勉強が必要かな。。


    次にITですがITというのは単に専門知識というのではなく
    ITを駆使して自分の仕事に、どう活かしていくかという事が重要だと思います。

    インターネットは私たちの社会生活を激変させました。
    一瞬にして世界と私たちを繋ぐ便利なツールです。

    インターネットは情報収集も情報発信もできコミュニケーションツールにもなります。

    インターネット以外にもITは進化していき
    情報革命によって私たちのより大きなツールになることは間違いありません。

    最後にファイナンスですが
    以前にも勝間 和代氏の「お金は銀行に預けるな」などを紹介しました。
    私は結構、ファイナンスの勉強が好きだったりします。
    私は資産運用のために金融の勉強し始めたんですが、すでに趣味のようになっています。

    金融は経済も含めて世界の市場も理解できますしハマると面白いんですよね。

    このように見ていくと三種の神器というのは「世界」と繋がっているものですね。

    つまり低IQ社会から抜け出すには世界で通用する人という事でしょうか。

    なんにしても今の社会では頭脳というのは一番の武器ですから
    その武器を磨く事と、駆使することは怠らないようにしないといけませんね。

  • 過激な発言もあるが、このくらいしないと今の日本は危機感持たないんだろうな。何に対しても疑問を持ち、考える力を持つことが必要。国として世界一を目指そうぜ、日本!

  • 随分前に図書館で予約していた本がやった順番が来ました。 何かのお勧めを見て予約をしたのですが、届いてみると また大前研一でした。 400ページ以上もある長編でしたが、次の予約の人がいるので 期限内に読み終えるため一気に読み終えました。 相変わらず強いメッセージで何とかしないといけないという 想いがこみあげてきます。 本書にもあるように、確かに無気力で考えない日本人は 危機的な状態だと思います。 本当にこのままでは中国・韓国などに遠く及ばない時代が来てしまいます。 またもよ大きく考えさせられる本でした。

  • 『集団IQ』という概念をキーワードに、諸外国を比較しつつ、今の日本に対して警鐘を鳴らしているもの、というように読んだ。
    各提言について、紙面の制約からか、根拠はともかく“言いっぱなし”の印象が強かったが…とにかく広い分野に知見があり、積極的に行動されていることに、素直な尊敬を抱いた。
    本書は『こういう行動をしなさい』という具体的なハウツーではなく、様々な事例をもとに、読者に気づかせるように仕向けてると感じた。様々なビジネス書に通底していることだが、行動することの重要性は、著者も強調されていたと思う。

    多少書かれてから時間が経過しているものだが、だからこそ著者の予測の結果が分かる部分もあり、興味深い。読み物として、現時点でも十分に楽しめるものであった。

  • 最後の二章が必読です。それ以外はやや展開が似かよっているものの、さすが大前さん。すごい。さすが大前さんはすごい。感情的な意見ではないから説明にも納得できる。ただ半分以上はやや展開が似かよっているものの、最後の二章が必読。

  • 私が唯一、絶対読もうとおもう著者のもの。次の時代を生き抜きたい方は必読です。

  • 厳しいことが書いてあったが、なるほどと思わせる部分が多かった。
    英語と金融は勉強しよう。

  • 著者の考えないことへの危機感の警鐘。
    教育への情熱を感じる一冊。

    以下レバレッジメモ

    社会全体が「別にそれでいい」と知の衰退に陥ってしまっており、IQが低くなってしまっている。集団に覚醒を呼びかけても応じてはくれない。「ピンチこそチャンス」と危機を脱出するのは気がついたあなただ。たとえ1人でも、行動を起こすしかない。誰も率先して行動しようとはしない現代の日本社会において、その作業はあなただけのユニークなものになるはずだ。人と違うことを恐れてはいけない。むしろ、横並び意識を捨てなければ生き残れないと肝に銘ずべきだ。
    いまや世界でビジネスをしようと思ったらyoutubeこそ欠かせないメディアなのだ。たとえば、日本のテレビを外国人が見ているわけはないから、これまでは外国人ビジネスマンとの間でテレビ番組に関する共通の話題はなかった。しかし、最近では国際的なビジネスマンのディナーの席では、会話がyoutubeの話題になることが多くなった。それで、常にyoutubeのアクセス数トップ10をチェックしておかないと、話が合わないということが起こるのである。このようなメディアの激変を、日本のテレビ界の人間たちは気づいてい入るが、今のところ何の手も打っていない。それは、前記したように、おバカ番組でいまだに何とか視聴率が取れてしまうからである。
    考えはするがなぜか行動には移さない
    今の日本人はとにかく行動しない
    頭の中で考えるぐらいまではやっているかもしれないが、それがアクションにまでつながるかというと、どうしてもできないのではないのだろうか?ソフトバンクの孫正義氏みたいに、すぐに行動に移せる人間が極端に少ない。孫正義氏は「失敗しても生まれた時の状態に戻るだけだ」と、どんな場合でもすぐに行動に移している。私の世代も考えたらすぐ行動する。戦後の貧しい時代を経てきているから、それしかないのである。
    レーガン以降、アメリカ人の多くは会社がひけた後に集まっては、そのまま夜の9時、10時まで、401k(米国の確定拠出型年金制度)の運用、株式投資、投信などを本当に真剣に勉強していた。それこそ夕食をとる時間すら惜しみ、パンとコーヒーを買い込んで、毎夜勉強会を開いていた。私も何度か参加してことがあるが、あの当時の熱気、熱意は確かにすごいものがあった、そして、これは金融崩壊した今でも続いている。日本人の経済・金融知識に対する無知・無関心は、アングロサクソンの世界では考えられないことだ。
    私は学生に次のように指導している。
    ■毎週土曜日に3時間ほど時間を作り、自分が関心のあることについてgoogleでネットサーフィンをする
    ■3時間のネットサーフィンだけでは時間の無駄なので、その結果、つまり「要はどういうことなんだ」「それなら私はこう考える」をレポートにまとめる。面白い写真やデータを見つけたらそれもレポートに添付する(このレポートが学生にとって最初の棚になる)
    自分の脳の中に棚を持っていない人が、いきなり10個森場作るのは難しい。しかし、このようなことを毎週繰り返せば、1年間で50個もの棚ができる。サボって年間10個しか棚ができなくてもゼロよりははるかにいい。何年かかけて30個の棚を持てた時、あなたの情報術は格段の進歩を遂げるはずだ。
    中国に行くたびに驚かされるのは、すべての国民が強い上昇志向を持っていることだ。司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いた、あのような状態が今の中国にはある。平たくいえば、中国人は皆「立身出世」願望の固まりである。従って、中国の教育は、初等教育の段階から子供たちに鮮烈な競争をさせることをいとわない。昔の日本の受験競争、受験地獄を再現したような、いや、それ以上にものすごい熱気の中で行われている。たとえば、英語の授業一つとっても、徹底した暗記と反復リピートを話せるようになるまでやらせている。私はある小学校で、子供たちが何時間も壁に向かって英語を話しているのをみたことがある。また、パソコン教育も徹底して行われている。中でもタッチタイピングが必須という認識が広まり、これも並ではない教え方でやっているところをみたときには正直驚いた。
    資産形成のチャンスがあったら、国際分散をして、その上で自分からリスクを取りに行くという、世界標準でいえばごく当たり前のことをやり始めたのである。ところが、日本はこれを封印してきた。2000年代になった今も、ほとんどの人がやっていない。しかし、今からでも遅くはないと、私は常々いっている。それは、この遅れを取り戻す能力を日本人は十分に備えているからだ。いくら集団知が低下したとはいえ、個人個人の能力は高く、勉強すればすぐに追いつき追い越せると、私は思っている。だから、結論としては、低IQ社会を変えていくためには、目覚めた個人を一人でも増やすしかない。決して他人任せにしない。国に任せない。自治体に任せない。そして会社に任せない。自分でリスクをとりにいく―これは各自の決断一つでできることだ。
    いま国民がいちばんわかっていないのが日本そのものがリスクであるということだ。これは、日本のグローバル企業の行動をみれば即座に理解できることである。彼らは少しでも有利な生産拠点、労働力、市場を求めて、いとも簡単に国境を越えて行動している。ボーダレスエコノミーでは、時刻にこだわること自体がリスクだからだ。実はグローバル企業というものは、どこも母国には期待してない。もちろん母国だから「よくなってくれたらいいなあ」とそれくらいには思っているだろう。しかし、「母国がだめでも世界で生き残るぞ」というのが彼らのメンタリティである。となれば、個人もこのメンタリティを持ち、それに基づいて行動すべきである。特に日本のような閉鎖的で制約が多い世界では国内にこだわればこだわるほど損をする。
    次世代リーダーに育成、人材教育が私の仕事
    それでも私は、日本に変わってほしいと願っている。こんな低IQ社会のままの日本でいることが、世界をみていると情けなくてたまらない。日本人のメンタリティが右左に大きく触れるものなら、いつかそういう日は来るかもしれない。しかし、それを待っていたら、本当にこの国はだめになってしまうと思い、人生の後半は人材育成教育に捧げようと決めたのである。私が人材育成に執着するのは、こういう理由からだ。一人でも多くの日本人が目編めた個人になること。そうして、国に頼らず、自分の足でしっかりとたつ生き方をすること、世界で勝負する力を身につけること。その上で、生活者として豊かな人生を送ること。それが私の願いである。現在私は、自分が主催する大学院、経営塾、アタッカーズビジネススクールなども含めて、毎日1万人以上の人々に私なりの見方考え方を発信している。そこで、繰り返しいっているのは「とにかくあなただけでも変わってください」ということだ。「あなた自身の生活を豊かにするか、あなた自身の会社をよくしてください。そういう人が増えることによって世の中も変わっていくのです」ということである。英語のコースも始めたが、これはブロークンでもいいから結果を出す英語を体系化したかったからだ。実際のところ、日本が本当によくなるためには小泉ならぬ大前チルドレンが10万人はいなくては無理だろうと考えている。多くの教え子を世に送り出してきたことは、私のささやかな誇りでもあるが、残念ながら10万の数には至っていない。私もすでに還暦をとっくに過ぎ、残された時間は決して長くはない。しかしそれでも希望は捨てず、これからも人材育成という大事業に毎日関わり続けていこうと思っている。今でも私は各政党から選挙に出てくれと頼まれる比例名簿のトップに持って行きますからという誘いもあった。しかし私は出ないとすべて断ってきた。そこでこのショウの最後に私が言いたいのは、次世代の人たちでそれでも政治家になって日本を変えたいと願い人がいるなら私が述べた三種の神器だけは早急に身につけてほしいということである。そうしなければ、この集団知が衰退した社会で、それを利用してうまみを得ている人々にあなたは利用されるだけだろう。もし、あなたの願いが国民のための政治であるなら、そこからスタートを切ってほしいということである。
    向学心というものが仮にあるとすると、単なるまねをするのではなく、自分本来が学ばなければいけないことだけをピックアップして学ぶ、そして身につける。こういうことになるだろう。たとえば松下幸之助氏は、フィリップスから学んだが、まねはしなかった。松下電器は「マネシタ電器」と長年にわたり揶揄されてきたが、彼が学んだことは事業部制をはじめとするフィリップスのいいところ“だけ”だった。自社にとって必要なところを抜き取り、ついにはそれを追い抜くようないい会社を築き上げた。つまり、松下の事業部制というのは、松下幸之助氏というフィルターを通した事業部制である。だから、松下幸之助氏の葬儀の時、友人代表を務めたのはフィリップスのデッカー会長だった。松下氏は英語は一言も話せなかったにもかかわらず、デッカー氏とは生涯の友だったのである。1989年のことだが、足の悪いデッカー氏が杖をつきながら葬儀に登壇したときの会場の驚きの光景が、未だにまぶたに焼き付いている。
    中国の話に戻すと私が中国には学ぶことがたくさんあると説明すると、たいていの人間が「大前さんは中国をほめすぎではないですか」「中国ってそれほどいい国ですか」「中国ってひどい国ですよ」といってくる。私にいわせると、中国の問題点を挙げれば、何時間でも話せる。政治の汚職、賄賂の横行、環境破壊、ビジネス慣行の前近代性、海賊版の横行、新労働法、偽装食品・・・それこそ、いくらでも話せる。しかし、そんなことを話しても、あるいは本意書いてもほとんど意味はない。必要なのは、この国から自分にとってプラスになる学べるところは何かということだけである。
    日本人も古典は読まなくなったが、これは何も日本人だけではないのである。ではかつての教養は、現代においてどういう言葉で置き換えればいいのか?どんな話題が、彼らエグゼクティブの共通の話題なのだろうか?
    「あなたは、近年の環境問題とその対策についてどう思うか?」
    「アフリカのエイズの人たちのために、あなたは最近何かをしたか?」
    これらが、彼らがほぼおきまりのように口にすることである。商談後のスモールトークでも、パーティでも、彼らはこんな質問を必ずしてくるようになった。教養というものの重要な機能の一つは知的基盤の共有である。とすれば、この質問に的確に答えられる知識と見識あるいは自身の経験を持っていなければならない。つまり、今共有すべきはかつて古典として幅広く通用したものではなく、つきつめれば「地球市民として具体的にどのように考え、どのようなアクションを起こしているか?」という意識なのだ。もちろん、自分が育った国、地域の文化や伝統への深い知識、理解も要求される。一般的な知識はもちろん、古典的教養も重要であるが、それ以上にグローバル化したこの世界では、1人の個人としての意識が重要視されるようになっている。従って、これを21世紀の教養と呼ぶしかない。さらに21世紀の教養ということで例を挙げるとたとえば哲学やギリシア神話の知識に変わって、今話題の中心にあるのはネット社会の最先端の動きである。私が世界のリーダーたちと会食してわかったのは、その席では、もう文学の話も音楽の話も出ないということだ。代わりに
    「Googleはこのあとどうなるか。銀行にまでなると思うか?」
    「あなたはyoutubeの今後をどう思うか?」
    「second lifeはまだまだ広がるか?」
    「マイクロソフトがヤフーを買収したら何が変わるか?」
    「skypeはこれから世界にどんな影響を与えるのか?」
    「facebookが大統領選を支配したことをどう思うか?」
    というような、ネット社会の最先端がどこまで行っているのかといった話ばかりなのである。Skypeはルクセンブルグの小さな会社が開発したIP電話のソフトだが、今やこの無料ソフトで世界中の人々がコミュニケーションをしている。ならば、それを使い、それが社会にどんな影響を与えていくかを自分なりに考えて置かないと、この話題には参加できない。もちろん、ここの話に限らず、どんどん変わっていくネット社会に関して、世界中で起こっている現象を把握していないと話にならない。だからもしそれはいったい何か?ときいてしまったら、「なんだおまえは遅れた人間だな」「それでよく会社の経営ができるな」「つきあっていてもこの会社将来くらいだろうな」と容赦のない反応が返ってくる。これも最先端の教養であり、それに対して自分なりの解釈と相手をなるほどと思わせるような意見が言えないと「彼は石器時代の人間だ」とみられることを覚悟しなければならないのだ。

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著者プロフィール

1943年、福岡県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得。(株)日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社。 以来ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を務める。現在はビジネス・ブレークスルー大学学長を務めるとともに、世界の大企業やアジア・太平洋における国家レベルのアドバイザーとして活躍のかたわら、グローバルな視点と大胆な発想で、活発な提言を行っている。

「2018年 『勝ち組企業の「ビジネスモデル」大全 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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