- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784335501388
作品紹介・あらすじ
わたしたちの不安と恐怖は、どこからくるのか?グローバル化=個人化社会の根幹を問う社会学的分析。
感想・レビュー・書評
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「恐怖と不安は、不確実性ではなく、不確実性の認識に宿る」(P.15)
人間は「楽園追放」を通じて、知的創造性を手に入れた。言い換えればそれは、自己決定権(自分自身で自分のありようを決定できる権利)を手に入れたということである。人間にとってそれが、ポジティヴな状況でもネガティブな状況でもありうることはさきに書いた。(P.25)
フロイトを引きながら、文化は死の恐怖から自己を防衛するために創造されていることがあげられている。
原罪とは何か。
エイハブは執拗に白鯨を追い求めながら、ついにそれを捕らえ得なかった。それはまさに、わたしたちの知的な冒険の何であるかを明瞭に物語っている。にもかかわらず知的な冒険をやめないことこそが、わたしたちの原罪である。P37
AとBが、何かしら「自分の正体(あるいは本心)」を隠すことがコミュニケーションの実態である。その意味ではAとBは、相互に「見るな」の禁止を設けている。もちろんコミュニケーションの過程で、「相手の正体」が暴かれることもあるかもしれない。しかしそれは、AとBが完全に了解し合う状況とはほど遠いものである。このことを一般化して、こう言うこともできる。コミュニケーションの実態はミスコミュニケーションである、と。P45
常に、「得体の知れない」相手とコミュニケーションしなければならない不安と恐怖に満ちた状況の中にいる。そういえば、MCバトルで初見のあいてに、言うことがねえというディスはあるけれども、結構バトルを積み重ねた相手にも、言うことがねえというのがあった。基本、バトルは本当は言うことなんぞないのかもしれない。
実在論=リアリズム=普遍的なものは実在する=社会は実在する
唯名論=オッカムのウイリアム=実在するのは個別的なものだけで、普遍的なものは(個別的なものから抽出した)名称にすぎない=実在するのは個人だけ
人間=自己のデザイナー
人間にとって自己決定権をもつことは、一つの理想である。(でも、不安と恐怖がつきまとう)
祭りは、安全付きの自由を提供してくれるので、必要とされる。コミュニティに求めたいのも、安全付きの自由だろう。個人として不安に立ち向かうには、キルケゴールは「信仰」を持ち出すが、その信仰とは【「自分だけの神」の教祖=信者の一人である】P77の形である必要がある。ではその神はどうすればいいか。
【「神が存在する」ことに賭けても、失うものは何もない。つまりは「神が存在する」とするほうが、そうしないよりも期待値が高い。】パスカルのパンセを引きながら筆者はこう述べる。(P112)
そして、【わたしたちは今日、恒常的に「自己をデザインする」ことを求められている。つまりは自己を発見し、創造し、実現し、表現し、演出し、提示し、証明……することが、わたしたちの日々の課題となりつつある。そういう時代においてはプライドをもつ(自分で自分に誇りをもつ)ことが、生の根本的な技法となる。】のであるが、そうしたプライドをもって、自分をデザインすることが人間の夢であるが、その夢から醒めれば悪夢も同然である。ポオの「メエルシュトレエムに呑まれて」は樽に身を預けることで窮地を逃れたが、グローバル化=個人化の潮流のなかで、その樽にあたるものがなんであるか日々問われている。(P165)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
請求記号 361/O 54