現代語訳 武士道 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480065650

感想・レビュー・書評

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  • 武士道は武士だけでなく日本人全体の文化である。
    武士道は無くなるのではなく変容して受け継がれていく。

  • 以前から読もうと思ってた。現代語訳で妥協。

  • 禅、儒学と武士道の関係性をそれとなく理解。弓と禅、葉隠などとセットで読むと理解が深まる気がする。これきっかけに葉隠入門を読み直し、むしろそっちにハマった。

  • この時代の日本人の良さがほとんどなくなってしまったのは悲しい。でも、日本人のなかに武士道がきっと少しは残っているんだろう。

  • 余談ではあるが、最近1860年前後に興味がある。
    小松帯刀に興味を持ち始めたのがその発端である。

    これについて書き始めると本書の感想から外れてしまうのでやめておくが、その中で文久2年(1862年)あたりに特に興味を持ち始めていたところで、新戸部がまさにその年に生まれたのだというところでさらに興味を増した。歴史というのはこの連鎖がたまらない。
    閑話休題。

    現代語訳者の山本氏が言うように、明治人である新渡戸の思想には確かに現代に馴染まない部分もあるのかもしれない。
    ただ、自分としてはほぼほぼ共感以外の何物もなかったと言えるぐらい、すんなりと入ってきた。

    歴史をどの時点で輪切りにしたとしても、必ずそこにはその前後での「差異」が存在していると思う。
    差異の中身(本書で言えば武士道とデモクラシー)には時代性はあるとしても、差異そのものに対する感じ方には時代性はないのだと思える。

    それが新渡戸が言う、生き続ける魂なのかもしれないが。

  • 武士道について日本人が論じた有名な古典『武士道』。グローバル化が進む世界の中で、日本人の起源はどこにあるのか知りたくて読んでみた。
    古典であるにもかかわらず現代語訳のおかげでスムーズに読み進められた。
    この本を読んでみて、武士道が既に失われてしまったこと、日本人は武士道を取り戻すべきだという原理主義に陥ってはいけないこと、桜や侘び寂びを愛でる心には武士道の残り香が残っていることなどを学んだ。古来の文化は、外国の文化と同じように、今の日本の文化を相対化するために有用である。

  • 吉田松陰の言葉
    「かくすればかくなるものと知りながら
    やむにやまれぬ大和魂」
    この言葉は武士としての精神を代表する言葉だと思う。
    どうなるか分かっていたとしても、良いと思ったことは貫くという幕末の動乱の中から生まれた凄味のある言葉だ。
    切腹についても触れている。生きて恥じることより尊い死を選ぶ。今の時代には合わない考え方であるが、恥を好まないことが分かる。しかし、「生が死よりも怖ろしい場合には、あえて生きることが勇気なのだ。」という僧侶の言葉を読んで、なぜか肚落ちした。
    弱者への思いやりについても書かれていたが、これは敗者などの気持ちを慮ることだが、今の日本にも必要な心ではないだろうか。

  • 昔の5千円札の新渡戸稲造さんの本。100年以上前に英語で書かれたものを日本人が翻訳している。明治時代にこれだけの内容の事を英語で外人に紹介できているのはすごい功績である。太平洋戦争の特攻隊も、この武士道の教えを曲げて正当化して解釈している部分もありそうだ。これを指示する支持しないは関係なしに、この武士道の考え方が古い日本人の根底にあることはよくわかった。
    切腹のくだりなどは外国人から見ると、まったく理解不能、異星人並の扱いかもしれない。

  • 今、覚悟がたらぬリーダーに「武士道」を《赤松正雄の読書録ブログ》

     先の大戦でひとたび日本は滅んだ。蒙古襲来にも倒れず、ペリー来航始め列強の挑発をも凌いだのに、徹底的な敗北を喫したのである。で、それ以来、僅かな歳月の間に、懸命の努力の末、国家再建はなった。だが今、何かがおかしい。国破れて山河あり、国起ち上がって人心荒廃す、とでも言うしかない風景が現出している。なぜだろうか。新渡戸稲造『武士道』を読んで、その答えが分かった。

     この書物は、長く気になりながら読まずにいた。それが、テレビで放映(NHK「100分de名著」シリーズ)されたのをきっかけにテキスト共々取り組んだ。昭和20年生まれの私などの世代は、生命は地球よりも重いとの信念で生きてきた。どんなことがあっても生きて生きて生き抜くということでもある。名誉を重んじ、忠義のために命を投げ出し、切腹をも厭わぬなどといった立ち振る舞いは、遥か彼方の歴史上の事として棚上げしてきた。

     今、目の前に展開する無責任そのものの各界指導者たちのありようは、さすがの私も目を覆いたくなるばかり。切腹をせよとは言わぬまでも、生きる価値なし、さっさと隠居しないか、と怒鳴りたくもなる。新渡戸稲造は、ある時、彼が尊敬する外国人老教授から、「日本の学校教育に宗教教育がないのなら、道徳教育は子どもたちにどうやって授けられるのか」と繰り返して強く問われた。その衝撃から、彼は武士道こそ日本の道徳源だとの結論を出した。

     「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」(『葉隠』)との言葉に代表されるように、武士道は、戦時下における国民の覚悟としてかなり偏向的受けとめ方がなされてきた。そうした極端な形ではなく、もっと自然なリーダー論の中核とすべきではないか。忘れられた日本人の美徳を復興させるカギであり、男の覚悟の決め方の指南の書だと素直に思う。

     戦前の反動としてあらゆる価値観が逆転してとらえられてきた。「戦後民主主義」のもとで人生を費やしてきた私など命の深いところで巣食っている価値観は、いささか武士道と趣きを異にしている。武士道を何も一方的に礼賛するつもりはないが、いかにも武士、侍がいなくなったといわれていることが今の“日本沈没”と歎かれる事態と深く関わっているように思われる。

    • gayan2さん
      赤松さま

      突然失礼します。
      西影寛子の息子である、長屋智揮です。
      本棚を拝見しましたが、僕も「日本人としての生き方」に関心があり、日本人と...
      赤松さま

      突然失礼します。
      西影寛子の息子である、長屋智揮です。
      本棚を拝見しましたが、僕も「日本人としての生き方」に関心があり、日本人として生まれた以上それを大切に生きていきたいと思います。

      またお話出来る機会がありましたら、こういったテーマに関してお話できたらと思います。
      2012/06/05
  • 日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか。まずはこの一文にとてつもなく惹かれました。

    もう散々使われた例えだと思いますが、日本人を桜に例えた語りが好きでした。
    毎年桜が咲けばなんだかうれしい気持ちになって、毎年桜を見に行ってしまうよな〜と思いながら読んでいました。

    武士道の美しいと思う部分、さすがに病的だと思う部分、どちらもありますが、現代にふさわしい武士道…的なものを持てるように頑張って生きようと思える一冊でした。

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著者プロフィール

1862年南部藩士の子として生まれる。札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力した。辞任後は貴族院議員などを務め、33年逝去。

「2017年 『1分間武士道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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