存在と無: 現象学的存在論の試み (3) (ちくま学芸文庫 サ 11-4)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480091086

作品紹介・あらすじ

人間の意識の在り方(実存)を精緻に分析し、存在と無の弁証法を問い究めた、サルトルの哲学的主著。フッサールの現象学的方法とハイデッガーの現存在分析のアプローチに依りながら、ヘーゲルの「即自」と「対自」を、事物の存在と意識の存在と解釈し、実存を捉える。20世紀フランス哲学の古典として、また、さまざまな現代思想の源流とも位置づけられる不朽の名著。3巻は、第四部「持つ」「為す」「ある」を収録。この三つの基本的カテゴリーとの関連で人間の行動を分析。人間の絶対的自由を提唱する「自由と状況」論や、独自の実存的精神分析の構想などが展開される。

感想・レビュー・書評

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  • 「即自」と「対自」はギリギリ理解できる。だが「対他」はいまいち実感としてつかむことができない。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/737888

  • 面白かったですね。

    ハイデガーの『存在と時間』は数年前に読み終えていて、本書はいつかは読みたいと思っていた代物です。いくつかの予備知識を頼りにどうにかこうにか読み終えたという感じ。しかしながら、他の哲学系書物同様に、何度か読まないと自分に落とし込めないな、とも受け止めています。

    ハイデガー同様に現象学的なアプローチで「存在」に挑んでいました。
    「即自」と「対自」を巡る果てしない論考が続いていました。
    ある一つの表現・モチーフに対しての、言い換えと多角的な省察が膨大です。言い尽くせるところまで言い尽くそうとしているのかもしれない。読者をどんどんひき込みあるいは追い込んできます。読み進めるうちに次第にサルトルのその文体に慣れてきてピンとくることもしばしばでした。文学的でもある。

    彼の言う「無」は無とはちょっと違うんだな、と。ちょっと自分の中で飛躍はあるのだけれど、この世からの消失という意味の「死」について、その意味や位置付けが書き換えられたような感触がある。

    パラドックス(一般的、通俗的な考え方から見ると)も多く、逆説好きな方には楽しめる読み物かも。

  • 存在と無 3―現象学的存在論の試み (3) (ちくま学芸文庫 サ 11-4)
    (和書)2009年08月26日 01:14
    ジャン・ポール・サルトル 筑摩書房 2008年1月9日


    関係性と言うことに話が行くとなかなか興味深い内容になると思えた。関係性と超越性のこの重要な関係が様々な言葉で語られているようにも感じる。

  •  第Ⅲ巻となる最終巻には「持つ・なす・ある」が収められている。所有・行為・存在に焦点を合わせた議論のテーマは、この浩瀚な哲学書のメインテーマでもある「自由の証明」であると言って大過ないであろう。
     一本道を歩いている私の目の前に巨大な岩が立ちふさがり、私は前に進むことができない。この状況のどこに自由があるだろうか。だがサルトルは言う。その岩が私にとって障害であるのは、私がその道を前進したいと思っている限りにおいてである。もしも私が周囲の景色を一望したいと望んでいるならば、その岩は恰好の足場となるであろう。要するに岩そのものは中性であり、それを邪魔な障害とするのも便利な道具とするのも全て私の自由である。
     誤解にさらされることが多いが、サルトルの自由論は「何をすることもできる」というポジティヴな自由論ではなく、「全ての行為に責任がある」というネガティヴな自由論である。「人間は自由の刑に処されている」というサルトルの言葉に象徴されるように、決定論の方がまだしも救いがあるように思われるその自由論は、首尾一貫しておりブレることがない。本書の最後に「道徳的展望」と題して次著が道徳論となる可能性が示唆されているが、それが発表されることはついになかった。
     故松浪信三郎氏の労作であるこの全訳が出版されて以降、『存在と無』新訳の話はついぞ聞いたことがない。それほど完成度が高いということであろう。二十世紀哲学の名著であり名訳である本書を、文庫本で読むことのできるわれわれ読者は幸せである。

  • 原書名:L'Être et le néant -Essai d'ontologie phénoménologique-

    第4部 「持つ」「為す」「ある」(「ある」と「為す」―自由;「為す」と「持つ」)

    著者:ジャン=ポール・サルトル(Sartre, Jean Paul, 1905-1980、フランス・パリ、哲学)
    訳者:松浪信三郎(1913-1989、東京、哲学)

  • 全三巻のうちで一番面白い。特に所有と贈与の問題は、自我をめぐるエコノミーのテーマを射程に入れる。ほとんど言及がないが、サルトルは貨幣についてどう考えていたのか。

    比喩が巧み。特に対自(=私)と即自(=世界)の関係を「スキーヤー」と「雪原」のそれに喩えるなどは舌を巻く。ドゥルーズは『存在と無』を好きで読んでいたらしいが、影響があったとすれば、こういうレトリックの所作に関してだろう。また「ねばねばしたもの」を論じる手つきはリシャールを思わせる。

  • この大著については、批判も含めてすでに書いた。
    もうちょっと補足するが、これは長ったらしいけれども、一般の哲学書に比べるとずっとわかりやすいはずだ。
    というのも、極めて日常的な具体例を、サルトルが無数に挙げてくるからだ。
    生活実感とこんなにも結びついた「哲学」は、カントにも、ヘーゲルにも、フッサールにも、ハイデッガーにもありえない。
    だがそれだけ、「文学」に近づいているように思えてならないのだ。

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  • ■恒例の興味を惹かない人には退屈な本シリーズ。好きな人はこれは1から3まで読むべき。

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