増補版 誤植読本 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480430670

感想・レビュー・書評

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  • 誤植に関するエッセイ集
    過去は植字工が一文字一文字拾って組版を作り、それが一頁となっていた
    今と違い変換や置換で文字を置き換えられる訳ではない
    字数が変わり頁を跨ぐことが有れば、それは後続する全てを組み直す必要がある
    リアルな世界での影響を作家も編者も知っていたからこそ命を賭して校正する
    現代はリアルを見えなくする事で擬似的な効率性を有難がる風潮だが、本質から目を背けすぎている感が強い

  • ことば

  • 2013-7-7

  • 有名な作者だけではなく,「裏方」とも言われる編者など多くの関係者から見た校正に関するエピソード集.著者側は「見つかって恥ずかしい」「原稿も間違っていた」「とんだ誤解だ」という感じでかなり生々しい感情が見えてくるが,校正側は「校正は難しい」とか「校正のやり方」などが強くでてきて仕事に対する意見が多いのが興味深かった.総じて「校正恐るべし」は名言だなと感嘆でした.

    エピソード集なので暇なときにページをめくる読み方をするとよさそう.

  • 大英博物館に世にも稀な聖書が保存されている。モーセの十戒の
    うちの「汝、姦淫するなかれ」が、「汝、姦淫すべし」となっている。
    「not」が抜けちゃってたのね。

    わっちゃ~。やっちまったなぁ…の見本である。そう、誤植である。
    よりによって聖書。しかもこの文言。モーセも目が点だろうな。

    印刷物と切っても切れないのが誤植である。どんなに目を皿のよう
    にして校正をしても、必ず見落としがある。

    専門学校時代には校正の授業も受け、校正の試験も合格した私だが、
    事務所勤務時代は先輩編集者から「お前の校正はザルだなぁ」と深い
    溜め息を吐かれたことは数知れず。今でも書いた文章の誤字・脱字は
    日常茶飯事である。

    本書は明治の文豪から現代のエッセイストまでの、校正・誤植に関する
    エッセイを集めた1冊である。

    「水着姿」ならワクワクするけど、「水着婆」だったら怖いもの見たさに
    なってしまう。「愛妻」なら微笑ましいが、「愛毒」だったら危険なものを
    感じる。

    「全知全能といわれる露皇帝」とすべきところを「無知無能」とやって
    しまったから、さぁ、大変!外交問題にまで発展しそうな誤植まで
    ある。

    「天皇陛下」が「天皇階下」ってのもありましたね。右の人たちに
    猛烈な抗議を受けそうだ。こんな誤植を防ぐ為に、「天皇陛下」の
    4文字を活字にしちゃった印刷所もあったとか。

    活版時代の話が多いので、現在のデータ原稿入稿しか知らない
    世代ではピンと来ないかもしれない。でも、今だって「ちゃんと校正
    してんのかよ」って本は結構あるんだよね。

    何も校正者の見落としだけで誤植が生まれる訳じゃない。手書き原稿
    の時代は執筆者の悪筆が生んだ悲喜劇だってある。大変なのよ、
    悪質の執筆者の原稿を読み下すのは。ブツブツ…。

    インパクトの強い誤植の話ばかりではなく、執筆者としての校正者に
    対する苦言、反対に校正者に対する感謝の思いも綴られている。

    印象に残ったのは吉村昭氏の「刑務所通い」と題された作品。

    大学の文芸部で少ない予算をやり繰りして文芸雑誌を出していた。
    印刷代を安く上げるために、小菅刑務所に印刷を頼んだ。校正の
    為に刑務所へ通う吉村氏は、校正刷りを間に挟んで囚人たちに
    親密感を感じる。なかには文学の素養のある囚人がいて、文章を
    巧みに直してくれる。

    ある時、吉村氏の書いた作品の最後に書いた覚えのない一節が
    あった。

    「雨、雨に濡れて歩きたい」

    囚人が付け加えた一節だ。吉村氏はこの一節を消すことに苦痛を
    感じる。しかし、やはり自分の作品が大事だ。

    「私は、複雑な気分で、赤い線を一本遠慮しながら引いた。」

    4ページにも満たないエッセイで、やられたよ。なんだよ、この余韻。
    これまで「うわぁ、なんだこの誤植」って結構笑いながら読んでいた
    んだけどね。すごいな、吉村氏は。

    文章を書く人、本を読む人なら楽しめる1冊である。どんなに技術が
    進歩しても、誤植ってなくならないんだろうな。それにしても、最近の
    校正ソフトに頼り切った校正はどうにかならないものだろうか。

  • 誤植についてのアンソロジー。
    詩で誤植があったが、そちらの方が良かったからそのままにしたとか意外な出会いも。
    吉村昭さんの刑務所に校正を頼んでいたエピソードがしんと染みました。

  • 現在放映中の校閲者が主人公の連続ドラマがある。その原作本も読んだが、実際に校閲や校正に携わる人、校閲される書き手等はどのように自身の仕事を受け止めているのかと興味を持ち、する側、される側それぞれの人々のエッセイを集めたアンソロジーを読んだ。
    神経を使う細かい仕事であり、校閲するほう、されるほう共々に「辛い」「痛い」感情を残すものだということがわかる。また校正によって思いもよらないよい表現に行き当たると言うこともあるようだ。
    文字媒体が存在する限り、校閲は存在し、緻密な仕事はこれからも続いていくだろう。

  • 文章を書く人にとって 1文字でも違うとがらりと内容が変わってしまうこともあり、文章を作ってから本になるまでの苦労が感じられます。

    自分で書いたものを読み直しても 文章の内容を知っているだけに「脳が誤字脱字を感知しない」と言うのは共感できる。
    下手に才ある人が校正しても 妙ちくりんな変換をすることもある・・とか。

    様々な文章に携わる人の誤植への想い
    地味だけど面白かったです。

  • 誤植にまつわるアレコレ。オムニバス。
    不意打ちで笑うので電車内注意。

  • 意図せず間違えたまま世に出てしまった本の、あれこれがさまざま載っています。
    笑ってしまいたいところですが、関係者にとっては青ざめる話です。
    やはり人間のすることですから間違いはおこるわけで。
    日頃売られている本は何度も何度もチェックが行われているんでしょうね。
    本に関わる人たちの苦労が詰まっています。

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著者プロフィール

高橋輝次(たかはし・てるつぐ)
編集者、文筆家。1946 年三重県伊勢市に生まれ、神戸で育つ。大阪外国語大 学英語科卒業後、一年間協和銀行勤務。1969年に創元社に入社するも、1992 年には病気のために退社し、フリーの編集者となる。古本についての編著を なす。主な著書に『古本往来』(みずのわ出版)、『古本が古本を呼ぶ』(青弓社)、 『ぼくの創元社覚え書』(亀鳴屋)など。近刊に『雑誌渉猟日録 関西ふるほん 探検』(皓星社)、アンソロジーに『増補版 誤植読本』(ちくま文庫)、『タイトル読本』(左右社)などがある。

「2020年 『古本愛好家の読書日録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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