- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480688071
感想・レビュー・書評
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「千夜千冊」の松岡正剛さんの読書術の本
読書前・中・後のうち、まっとうに読書中が中心の内容
参考になった点
・目次を3分くらい読む
・本に書き込む、マーキングする「本はノートである」
・読書は双方向コミュニケーション
・本は3冊並びでつながっている
・速読がだめではなく、全部速読という考えがだめ
・読書は交際
・背表紙の並びを見ているときから読みが始まる
・無知から未知へ、が読書の醍醐味
・「リンクをふやす編集的読書法」
・広瀬淡窓のスパルタ読書法
・「掩巻」書物を少し読み進んだら、そこでいったん本を閉じて、その内容を追想し、アタマのなかですぐにトレースしていくという方法
個人的にはちょっとだけ記述のあったブログ・SNSとか興味があったが、ちょっとだけなのが残念
将来的には本書で紹介されているような本とか読みたいな
興味を持った本
「アンナ・カレーニナ」
「本を読む本」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「編集工学」の提唱者として知られる著者が、みずからの読書遍歴を振り返りつつ、編集工学の視点から読書の意義を語った本です。
読書を「自己編集」であり、かつ「相互編集」としてとらえる見方が興味深いと感じました。「読む」というのは、表面的には文字やことばの意味を追いかけることなのですが、それだけにとどまらず、イメージやメタファー、社会観、さらには生理感覚までも参与するような、複合的な活動だと著者はいいます。さまざまな情報を交換するなかで人びとが「意味」を編集しているコミュニケーション空間のなかに「読書」という行為を置き、著者のスタイルを「モデル」として理解しつつ、読んでいる自分自身の「モデル」をつくりあげていくような相互編集行為としてとらえようとしています。
編集工学の観点から「読む」という行為を見ると、こういうふうに見えてくるのか、と驚かされました。 -
この本、タイトルこれでいいのかな?
そんなに多読についていっぱい書かれていたようには感じませんでした。
本来の速読術の話はものすごく納得です!
著者がとても本好きだということはすごく伝わってくるんですが、なんだかそれだけというか…
読書自慢に聞こえてしまったというのが本音かな… -
ちょっとこれ、悪意はないんやろうけど正剛さんの世界観がすごすぎて、ついていけへんかった。ちくまプリマ―新書とはいえ、これは中高生向け、なのか?
けっきょく、いろんなひとの「読み方」があっていいのだと思わされるけど、それにしてもこのひとの読書の量と深みはほんまにすごい。 -
「本を読むということは、知識や情報を記憶構造に入れるのではなく、編集構造に入れることである」
セイゴオさんのお話を自分なりにおおざっぱに一言でくくるとこんな感じだと思う。
「松岡正剛の書棚」を知人に紹介したら、本屋に行ったその知人が逆に紹介してくれたのが、本書。
自分の読書体験では、読んでいる最中に、どうにも思考がジグザグと蛇行してしまって進めないことが多い。
それに対して、時にもやもやとした感情も抱いていた。もちろん、それが心地よい時も多かったが。
そうして、読書の迷宮(自分は勝手にこう名付けていた)に迷い込んでしまい、元に戻れないほどに道を外してしまうこともあったのだが、実はそれこそが、氏の言う多読だった。
なんか、目の前の霧がすっと晴れていく気分だった。
飛び石のように、本から本へ、ぽんぽんぽんと飛び移って行きたくなるような、これから先のワクワクする読書体験をかき立てられる。
本を読みたくてたまらなくなる本、です。 -
別に多読とか速読をマスターしたい人向けではなくて、じっくり読書とは何かを語ってると思った方がいいっすね。それでも面白いけど。
目次、目次ですよ。 -
読書エッセイです。読書の達人……というよりも、方法の人です。
読書とは「整えるもの」である。
読書とは「イメージ」である。
読書とは「負と際」を生む切なさからの飛翔である。
整理し、頭の中に具体化し、覚えられるくらい図解して、内容を捉えてから、そこに欠けている部分を見極めて次へと向かうこと、
といった、読書のヒントを提供してくれます。
漫然と読むのではなく、本に対しての姿勢を語ります。
本はリスク(役に立つ読書なんてない。役に立つ人生とは何かと問うのと同じ)。
本はリスペクト(手料理を語るような感じで本を語る)。
本はリコメンデーション(免疫のように非自己が自己を生む)。
だそうです。本は、読む前と読んだ後では確かに違います。ああ、こうだったんだ、と。その嘆息の瞬間に、何かが生まれています。それは、知ろうと思って見ないようにしていた壁の向こうです。違う自己が自己であるとは、空海の彼流の解釈をここに応用しているわけですが、おそらくこの本の最もな箴言は「本はリスク」であることでしょう。
語られる内容は、
目次を参照し、内容を追想し、アウトプットするという常識的なもので、どんなモードで読むか、どんなモデルを頭に入れて修復しつつ読むかとか、そういえばそうだなという気づきは提供してくれます。
なので、この世にいるのかどうかわかりませんが、読書初心者や、もしくは読書をしまくって、いささか本に飽きてしまった人が、あらためて読むことは何なのかをあらためて見直すのに必要な本であるとも言えます。
ただ、言っていることは、読書して得たものを出力して並べたものをメタ認知して自己を知るという勉強法を、インタビュー形式にしただけで、これほどの分厚さになっているのは何なのか、どこが極意なのか、無知から未知へといった、語録の良さは、なるほど、覚えやすいしキャッチーだが、ここでも、こういう本があるよという、紹介の連続になり、読んでいるうちに彼の世界に迷ってしまう。
この本の最も素晴らしいところは「におい」である。
これはプリマー新書に共通しているのかもしれないが、買ったとき、なんとも言えぬ甘い芳香がして、香りが好きで読み進めていた。少しミントの混ざったような、柔らかなマーブル色の誘惑だ。何が染みこんでいたのだろうか。においは☆4つだ。 -
読書には無限の広がりがあるように思う。というのも、その本が参考にしている本が隠れているし、またその著者が熱烈に薦める本を読んでみようかということになるからである。つながりが、つながりを生んでいき気づけば興味の範囲が拡大していくのである。多読とはひたすら多く読むというよりむしろ、好奇心の対象、世界を知るためのヒントとなるタネが拡大していくことなのである。
江戸時代の本の読み方に「掩巻」というものがある。少し読んだら、いったん閉じて、どういうことが書いてあったか反芻して文章を味わうのである。いろんな食べ方があるように、いろんな読み方がある。読書も訓練によってより深く味わうことができるようになるのである。 -
読書の達人である松岡正剛氏の本
膨大な本を読んでいる著者の「読書を崇高なものととらえない方がよい」、「ファッションなどの日常の営みと同じで、読み方にも個性があってよい」の発言は説得力がある。
わりと気楽に読書しているけど、専門的な本や伝統的な文学は読んだことがない。著者のいうように自分で壁を作っているからだろう。
また、読書するにあたってのツールについても記述してあり、自分でも実践してみたいと思える内容だった。