自由からの逃走 新版

  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488006518

感想・レビュー・書評

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  • 自分にとって、現代社会を理解する上での枠組み、視座になるもの。ユダヤ人を迫害したナチス期ドイツとの比較を通して、僕たちがどんな社会に生きているのか、僕たちがどんな人間なのか、その重要な側面を教えてくれる。人間の根本性質を見事に抉り出した古典的名著。

  • 非常に興味深い。一見すると、組織に属する誰もが求める自由だが、実際にその自由とやらに置かれた人間は、その孤独感に耐えうるのだろうか。実際には、それに耐えきれず、むしろ服従を求めることが多い。ナチなどの例をあげながら論じられている。自分の行動を振り替えれば、当てはまることは多い。それを踏まえて、自由から逃げずにどう打ち勝つか…です。

  • ちゃんと読んでないんですけど、文明批判のように感じるね。資本主義社会においての自由は、何度その内実を検討してきたか。インターネットの普及が完全になる前に、今度はAIの労働の場への進出が囁かれ、持て余した自由について再び考え直さなければならなくなるだろう。日本は戦後、デモラクシーを表面的に認めながら、我々が社会サイクルにおいて生をまっとうするシステムをうまい具合に用意していたが、我々の理解よりずっと先へ突っ走る自由と、どのように整合性をとるかってのはまるで希望がない。

  • 自己の属する組織から自由になるということは、その組織が自分に与えてくれていた意味を手放すことと引き換えである。その意味を失った個人は、圧倒的なまでに大きな存在である自然・世界と向き合わなければならず、自己の無意味さを意識せざるを得ない。これを回避するには、愛と生産的な仕事によって自己を世界と結びつけるのが真っ当だが、これが難しいと、自我の統一を破壊するような絆であろうとも、縋ろうとする。

  • 人間は自由を求めているようで、実は縛られることを欲しているというような心理学の本。現代(といっても1941年)は、中世になかった自由を謳歌できるはずなのに実はそのために人間が不安定になり何かに束縛されないと生きていけないらしい。その束縛される対象が神であったり、金(資本)であったり、ファシズムであったりするとのこと。ナチスドイツがなぜあのように大衆の支持を集めることができたのかという疑問を出発点として、人間がいかに束縛されやすいものであるかを心理学的に考察。ルソーの「社会契約論」と、読んではいないがマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をまとめるとこのような考えになるのではないかと思う。訳者の解説では、さらにマルクスとフロイトの影響を受けているということらしい。ただし、やはりかなり知的な大学生でもないととても歯が立たない本だと思う。私は表面を撫でることくらいしかできなかった。

  • 持つ、ある。芸術家としての創造性。

  • 読んで なるほど と思ったのは
    ・自由→孤独感と無力感→逃走 となる
    ・愛とサドマゾは違う

    超大型書店かネットでしか 買えない本だが、買って良かった。再読するたびに 理解度が深まる気がする

  • 近代(宗教改革、資本市場)が個人の自由を生み出したが、それと同時に人々に孤独や孤立を生じさせた。そうした孤独や孤立を補うため人々は自由を忌避し逃避しようとし、権威主義への従属、破壊性の発揮、機械的画一性の希求を志向する。自由から逃避し、権威に従属しようという衝動が、ナチス・ドイツの台頭生み出したと、といったところか。
    70年も昔の著作だし、学術的な妥当性はよくわからない。しかし、人が権威主義的なものを志向するというのは納得感ある。
    興味深いのは、ナチスは中産階級からの支持を集めたという話題。中産階級が権威主義に弱いというのは、日本においても似たようなものかもしれない。

  • akirameru

  • 「かれはその個人的自我の完全性を犠牲にして、新しいはかない安定を見つける。かれは孤独にたえられないので、自我を失う道を選ぶ。このようにして、自由からの自由は新しい束縛へと導く。」

     著者のフロムは1900年生まれで、本書はナチスドイツをの台頭を目にしながら書かれたんだと思います。著者自身もユダヤ系でナチスドイツから逃れています。
     題名の自由からの逃避とはつまり、ヒットラーやファシズムに傾倒するドイツ国民についての言葉のようです。

     都市化・産業機械化によって共同体や帰属先を失った人たちは、消極的自由を獲得しましたけど、その先にあったのはファシズムでした。そんな社会を見ながら、フロムは自由は拡大しながらも健全な人間性を保つための可能性として、自発的行動という積極的自由の必要性をといています。
    自由であることが幸福であると確信している人と、そんなこと気にする余裕がない人しかいない時代で、人間が人間に期待していた時代であると言えます。
     今風の表現を使って言い換えると、自由からの逃走とは不自由の選択となるのでしょうか。

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著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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