アイリス

著者 :
  • 東京創元社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488028930

作品紹介・あらすじ

子役として映画『アイリス』に出演し、脚光を浴びた瞳介は、その後役者として成功できずに高校卒業前に芸能界をやめた。だが、映画で妹役を演じ、現在は女優として活躍する浮遊子との関係は絶てずにいる。『アイリス』の栄光が、彼を過去へと縛りつけていた。そしてそれは、監督の漆谷も同じだった。28歳で撮った『アイリス』は数々の賞を受賞したが、彼自身はどれだけ評価を得ても、デビュー作を超えられないという葛藤を抱えていた。ひとつの映画が変えた俳優と監督の未来。人生の絶頂の、その先の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 賞を受賞したわけでもないのに途切れることなく新作を発表できるの、すごいなぁ。なんか太いパイプでもあるのだろうか。

    と、思わざる得ないくらいずっとあまり良い作品ではなかったけど珍しくこれはきちんと最後まで読めた。過去に囚われてる姿とか、ラストとか、繊細で、寂しくて良かったです

  • 「アイリス」という映画に出演した2人の子役と監督のその後についてのおはなし
    1章は、才能の壁にぶち当たり芸能界を引退した子役の1人瞳介視点の話
    その後成功を続けるもう1人の子役 浮遊子に対して、
    愛とも嫉妬とも違う倒錯した感情を抱きながら壊れていく様子が、淡々としているけれども退廃的で良い
    ラストも破滅的かつ美しくて好きです
    2章は監督目線の話
    1章とは対象的に才を持つ側の苦しみに焦点が当たる
    浮遊子の映画撮影のシーンなど読ませる所もあったが、
    個人的には1章の方が好き

  • 漆谷と浮遊子の抱える地獄はきっと違う。
    だけど家族愛を未だに疑似家族に求める瞳介と比べると二人の地獄は近い。
    どちらかというと二人の地獄への接し方が近いというのが正しい。地獄は孤独で苦しさばかりがあるけれど、他者のいない自分だけの地獄でもがく楽しさ。
    それは才能を持ってしまったものだけがたどり着く地獄であるのかもしれない。

  • アイリス

    著者:雛倉さりえ
    発行:2023年5月19日
    東京創元社

    見たことはあるような著者名だが、全く知らない作家だった。どうしてこんな小説を図書館で予約したのか。新聞の書評で読んだのかもと、検索してみると毎日新聞に短めの書評があった。「文章は端正で色彩豊かだ」と書かれているが、端正というより、深みが全くないといった方が正解。そして、読みづらくなじみのない言葉ばかりを使っているのを「色彩豊か」と表現しているのかもしれない。一言でいえば、自己満足で書いた小説、自己満足で勘違いしっぱなしで最後まで貫いた文体、だろうか。古典に出てくるような日本語(単語限定)を、使い慣れていない、自分のものになっていないのに使うから、そうなるのである。

    せっかくシチュエーションがいいのだから、もったいなくはある。非常に評価されヒットした映画「アイリス」で兄妹役を演じた子役、茂木瞳介(とうすけ)と梨島浮遊子、それを監督した漆谷圏(うるしたにけん)の3人の生き様を中心にした物語だが、瞳介は高校生の時に自分の才能に限界を感じて俳優をやめて大学へ進学していた。1歳年下の浮遊子は演技のことしか頭にない俳優として活躍している。2人は今も付き合いがあり、セックスをする仲。浮遊子は瞳介を「お兄ちゃん」と呼んだりしているが、2人がどんな心の関係なのか、その深みのようなものがまったく描かれていない。というか、描けていない。実力不足もいいところ。

    一方、監督の漆谷とも1年ぐらい前に仕事をした時から浮遊子はセックスをする関係になっていた。彼女は、両者に全てを話している。漆谷は浮遊子のことを「遊び以下」の関係と思っているが、話の中ではそうは感じられない描かれ方。どうもしっくりこない。一方の瞳介は妻がいるのに彼女とそんな関係になっている漆谷が許せず、「アイリス」共演者内の1人の命日で墓参りをした際、漆谷を責める。彼女と付き合うなら、離婚してからにしろ!と。

    漆谷は新作映画を撮っていた。浮遊子を起用していた。そして、新たな子役を選んでいた。それは、瞳介に似ていた。漆谷は、子役としての瞳介を忘れられず、それを超える子役も見つけられず、「アイリス」の過去に苦しみもがいているようでもあった。3人とも、もがいていた。

    というシチュエーションはいいが、文体、表現、そして描き方の浅さがどうにもならない。言葉遊びに終始した小説。その言葉遊びも、手抜きなのかそっち方面は苦手なのか、という部分があって、偏っている。例えば、
    「母のことを憐れだと思うとき、たぶん僕は、僕自身を憐れんでいる」という下りがあるが、こういうのはとてもありふれた常套句で、黴の生えた表現であり、しかも中身がない。なんか哲学的で絵になる言葉だと思い込んで使っているに過ぎない。

    映画の中で、子役が彫り師と交流し、自分の肌にも綺麗な絵がほしいとねだるシーンがあり、彫り師が油性マジックで貝殻と海星(ひとで)を描くと、こんなの嫌だ、本物のタトゥーがいいと子役が駄々をこねる。すると、
    「すぐに消えるものはさびしい。でも、ずっとのこるものはもっとさびしい」と彫り師は答える。これも、上記と同じで、著者はかっこよく哲学的な表現をしているつもりだが、中身がない、意味不明の言葉遊びに過ぎない。

    映画監督が生い立ちを語るところがある。子供のころから母親がおらず、勤務医の父親からほったらかされた彼は映画を観まくる。そして、著者が生まれる前に死んでいるような有名監督の名を上げながら・・・
    「タルコフスキー、ロベール・ブレッソンン、ルキーノ・ヴィスコンティ、鈴木清順、小津安二郎・・・時代も国もさまざまな監督たちの作品を、ひたすら眼で喰らった」と書いている。
    映画を眼で喰らってどうする。五感で感じろよ、と笑ってしまう。

    *******

    小説は2部構成。1部は瞳介の視点での一人称ロマン。彼は大学の学友の1人、かや乃ともセックスをする関係になっていたが、写真をやっている彼女が漆谷と浮遊子がホテルに入るところを目撃し、写真撮影する。瞳介は漆谷を苦しめるため、それをネットで拡散するように彼女に頼む。そして、世間では大騒ぎになる。

    2部は、漆谷監督の視点での1人称ロマン。同じ話がそれぞれの視点で出てくるが、それも結構漫画チックだったりする。

    ********

    漆谷が若手監督時代に世に出た作品名が「泡とコンクリート」。中身については一切、触れられていない。こんな劇映画のタイトルがあるかよ、と笑える。ノンフィクション映画じゃあるまいし。初期の村上春樹か(^o^)

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