知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582762365

感想・レビュー・書評

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  • 知のあり方について考えさせられる。ちょっと前まで、「人は固有の歴史コンテクストにいる」ってことが全く理解できなかっただけに、より納得できる。

    普遍性の原則を持ち、権威に屈するなという当たり前の主張ではあるが、いかにそれが難しいか。私たちは隠蔽され、捏造された「知ることができないこと」を知らなければないのである。

    日本の思想に触れていたり、明らかに西洋を相対化する目線で語っており、新鮮であった。

    また、パレスチナ問題など現在の政治に関して無知なのが、誠に歯痒く感じたので、勉強していきたい。

  • "Intellectual" たるもの、権威の作り出す物語に常に懐疑的であるべきであり、そのためには権威の外側に居るべきである、という話。

  • ▼二元論(善か悪か)が支配的な世界において、《彼ら》の側につくか、あるいは《われわれ》の側につくか――大勢の《われわれ》が間違ったことをしていると感じた時に、告発できる勇気が、「知識人」には求められる(もっとも、その大勢から好かれはしないだろうが)。
    ▼また、保守的にならずに、周縁に位置そ続けること。なので対応力云々というよりも、「知識人」とは、常に変化の中で生きる人のことを指すのだ。
    ▼ご都合主義者たちに意見しようものなら、皆から睨まれるこのご時世に、《プロ》という隠れ蓑に逃げることなく、現代社会のモラルの在り方に対して発言ができる、すべき《アマチュア》として生き続けようと努めたならば。歴史は、彼/彼女を「知識人」と呼ぶだろう。
    ▼推薦書として手にとったわけだけれども。あ~あ、難解だったこと(笑》

  • 「アマチュア」であること。
    、、、それが「知識人」には必要なんだそうな。今、システムというか、インフラみたいなものをみんなが作ってくれて、だからプロであることに意味がなくなっているんじゃないかな〜と勝手に思っています。そもそも「仕事」のスタートはプロではなかったと思うし。だから、プロであることの価値とか、貨幣によってそれにレベルをつける意味とか、なんだかよく分からない。「知識人」とは関係ないけど。。。

    ただ、エリートには知識人であってほしいし、「知識人」って言うのは「愛がある」人のことなんじゃないかな?先日、あるTV番組で「兼好法師は何者にもなれなかった人」との見解を話されていました。それを聞いて、「知識人だ!!」と思ったのです。サイードが生きていたら、「知識人って兼好法師だと思うんですけど、どうですかね?」って聞いてみたい。「徒然草」教科書に載ってるところしか読んだことないけど。

  • エドワード・W・サイードの『知識人とは何か』を読む。
    自分が部活の現役のとき、後輩が読んでいて面白そうで、興味を持っていたのだが、やっと自分で購入して読み終わった。

    印象深く含蓄に富み、今後の思想形成に影響を及ぼすと個人的に感じたので、記憶に留めるために要約とそして後に感想を残しておきます。時間があったら、読んでもらえれば幸いです。

    --------------------------
    【要約】
    本書は文字通り、現代にはびこる『知識人』について著者独自の考えを記した本。


    サイードが主張するに、本来あるべき『知識人』とは、一般の公衆に成り代わっり、思想なり、哲学なり、意見なりを普遍的に表象し続ける存在。そして彼らのこうした振る舞いが世俗権力や国家から無視されるのならば、断固としてそのような侵犯行為に抗議しなければならないと彼は述べる。

    しかし、現代の『知識人』はそうではない。現代の『知識人』は堕落したと主張する。彼の述べる変化を二点挙げよう。

    ○権力の批判精神という責務を忘れた彼らは、逆に自身の知識を利用し組織化することで利害を生み出し、権力を手に入れ、世の中に対
    する支配力を拡大している。

    ○また、知識が『専門分化(スペシャライゼーション)』することにより、教育レベルが高くなればなるほど、『知識人』は狭い知の領域
    に閉じ込められる。

    そのように専門家の地位を確保しようとすべてを犠牲にする結果、彼自身の独自の発見や感動は圧し殺され、自発性の喪失が起こって、他人からの命令にしか反応しなくなる。



    それではサイードはどのような『知識人』を求めるのか?これも主に二点述べている。

    ○彼によれば、『知識人』は亡命者になれ、と述べている。
    社会的適応をよしとせず、主流から離れたところにいるのを好み、体制派に取り込まれることもなく、抵抗を続けた人、そんな亡命者に

    なれと指す。

    ○また、一つの専門分野に重武装したエキスパートではなく、幅広い分野を横断した『アマチュア』になれとも指摘している。こうする

    ことで、常にアウトサイダーとして、社会を冷静に見つめられ、批判者精神を維持できるというのである。


    そしてもう一つ、忘れてはいけないこと。
    サイードの言う『知識人』とは、現在のどのような人を指すのか?
    それは、他ならぬ本書の読者自身である。
    本書を持つ僕たちも、知識人の持つ責務から逃れられないのである。そうサイードは述べているのだ。

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    【感想】
    サイードの指摘する、『知識人』の堕落の論点、本当にそうだと合点がいった。

    政官業の腐りきった癒着で、多くの乗客の命を奪う事故を起こした某航空会社。
    政権与党とつるみ、平気で情報操作を行い国民を洗脳する某広告代理店。
    そして政財界、マスコミすべてを支配し、危険を常に隠蔽し続け、結果招いちゃいけない歴史的大事故を起こした某電力会社。
    これだけじゃなく、本当に腐敗しきった組織なんていくらでもあるけど、こうした構図って上記のサイードの指摘にズバリと当てはまるのでは。そう感じました。

    しかし、嘆いてばかりではいられない。
    権力を批判し、常に冷静な観点で社会をチェックするのは他ならぬ僕たち。
    権力の暴走を食い止め、より良い政治を追及するために、僕らは常に努力して『知識人』とならねばならないのではないでしょうか。



    自身の専門分野を駆使し、保身と出世のために、腐敗した権威に迎合する人間。
    一方で、既存の権力に対して、常に批判の精神を持ち続け、問題があれば脅威に屈することなく異議を唱える人間。

    あなたなら、どちらの『知識人』を選びますか?

    僕は勿論、サイードの主張する『知識人』となる道を選びます。
    生涯かけての、人生課題です。
    これからも、常に精進していきたいと思います。

    非常に有意義な本でした。

  • 知識人とはマージナルな存在であり、「周辺」からアマチュアの目線で真実に切り込んでいく存在。
    という講演をまとめたもの。

    イギリス的な「偉大なるアマチュアリズム」の伝統を色濃く受けた著者は、イギリス統治時代のパレスチナ出身。
    出自からしてマージナルなので、「知識人とはこれだ!」という主張が重い。

    彼の言う「アマチュアリズム」は、ゆるい自由ではない。
    「専門」の狭い枠から大きく広がった、自由闊達な知識であり、思考なのだ。

  • 知識人とは
    ・常に批判精神を持つこと。
    ・minorityの立場であったとしても、majorityに対して意見を言えること。
    ・専門的な視野よりも客観的に見ること。

    自分には難しかった。。。

  • 原題は『Representation of the Intellectual』(知識人の表象)
    訳者あとがきにも何故『知識人とは何か』とタイトル付けたか理由は書いてあるけれど、原題のほうが良いなぁ(笑)

    読んだ感想としては昔から言われている学問研究に於いての権威主義に関する問題が今も根強く残っていて、それを打開しようとしているのかな?と感じた。

    サイードが知識人として誰を表象としているのか分からないけど(著作中ならサルトルかな)

    解説をカン・サンジュンが書いている為ということもあるが知識人として一番大事なのは知的であれ、社会的であれ故国亡命・喪失という要素なのだろうと思う。

    …ところで、読後に「日本でこの本の条件に当てはまる知識人とは誰だろう」と考えた結果、一人だけ思いついた。

    彼は様々な場で講演をし(自発的ではないにしろ)、言説を記し、当時昇り調子だった日本、西洋文化を痛烈に批判し、中国を擁護したこともあった。
    そして文学者にもかかわらず、数学、物理学にも興味を持ち、謡の『アマチュア』だった。知識人としての個人に悩み続けた彼を知識人として思い出さずにはいられない。

    とても面白い知識人論だった。残念な点は著作内で賞賛しているチョムスキーの政治論と同じように「批判する対象や大きな目標は分かったけど、じゃあ具体的にまず何をしろっていうの?」と思ってしまうことかな。しょうがないんだけどね、それをしたら扇動家と変わらないし。内容はこれがベストだと思う。

    おんぶに抱っこじゃなくて、「何をすべきか」は我々が見つけることなのかなと思う。

    【読んでみるとこの著作の理解が深まる気がする本達】
    夏目漱石『道楽と職業』
    ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』
    東浩紀『動物化するポストモダン』
    ソフォクレス『オイディプス王』
    マックス・ヴェーバー『職業としての学問』

  • アマチュアリズム

  • 【出会い】
    学生時代確か生協で、逝去して特集平積みしてたかなんかで。
    知識人ぶろうと思ったんでしょう。
    眠っていたところ、このテーマがふと気になったのと、著者がパレスチナ人ということで、やっとひも解いてみる。

    【概要】
    知識人論。6回にわたるBBCでの講演の記録。
    曰く「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」
    表紙に掲げたこの一文が、的確に本書のメッセージを要約している。

    【感想】
    読んでしまえばあっという間だった。
    知識人の具体像として誰かと言うとよくわからない。
    勝手な解釈かもしれないが、知識人とは「姿勢」であるかもしれない。
    そう考えると、職業として専門家であったとしても、知識人的な姿勢は持ちうるのではないか。
    著者の思想の背景には亡命パレスチナ人としてのアイデンティティの曖昧性のようなものがあるのだろう。
    この点に関しては、似たような境遇にある知人から心境を類推。

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著者プロフィール

エドワード・ワディ・サイード
(إدوارد سعيد, Edward Wadie Said)
1935年11月1日 - 2003年9月25日
エルサレム生まれのパレスティナ人で、アメリカの文芸批評家。エルサレム、カイロで幼少時を過ごし、15歳の時にアメリカに渡る。プリンストン大学を卒業後ハーバード大学に学び、コロンビア大学の英文学・比較文学教授を務めた。サイードはまた、パレスティナ民族会議のメンバーとしてアメリカにおけるスポークスマンを務め、パレスティナやイスラム問題についての提言や著作活動など重要な役割を担った。『オリエンタリズム』(平凡社)、『知識人とは何か』(平凡社)、『世界・テキスト・批評家』(法政大学出版局)、『文化と帝国主義』(全2巻、みすず書房)などの主著が邦訳されている。

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