原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

著者 :
  • 明石書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750335162

作品紹介・あらすじ

原子力発電所は、「東大話法」によって出現し、暴走し、爆発した――。現役の東大教授が原発事故をめぐって飛び交った言説を俎上にのせ解析。そこから浮かびあがったのは同じパターンの欺瞞的な言葉だった! もう私たちは「東大話法」に騙されない。

感想・レビュー・書評

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  • なんとなく見てたニュースが「なるほど。そういった理屈で考えられていたのか」というように理解できる。原発事故半年後に書かれた書物だがそれ以外の官僚や、ニュースコメントにも同じ理論が通用している。そういった意味で、社会の動きを捉えやすくなる一冊でした。

  •  読む価値がないって本当だったなあ。わざわざ確認してしまった。要するに,東大教員が得意とする責任回避の欺瞞話法が,原発事故の張本人だという主張。無意味な揚げ足取りに終始。
     著者が糾弾する「東大話法」は,別に東大関係者に限ったものでなく,日本中に蔓延しているという。東大関係者が特別にそれが上手いからそう呼んでるんだって。本書では,今回の原発事故にまつわる言説を具体的に攻撃していくのだが,その対象は主に香山リカ氏と池田信夫氏。
     言ってることが支離滅裂なところも多く,幼稚な表現も頻出。これで東大教授とは驚くよ…。京大の小出裕章氏は仮面ライダーで,原子力村ショッカーに改造された改造人間なんだって。著書のブログは「マイケル・ジャクソンの思想を明らかにする」ものらしいが,意味が分からない。
     そのブログの反原発記事に共鳴してくれる人の中には,地震兵器とかユダヤの陰謀とかを信じきっている人たちが多いそうだ。いったいなぜだろうと考えて著者が出した結論は,「原子力とオカルトとは共に、熱力学第二法則を乗り越えようとする幻想という点で同じ論理構造を持っている」からだって。
     本当に意味が分からないよ…。amazonのレビューに好意的なものが多いのも信じがたい。今年読んだ本の中でダントツのダメ本。

  •  自分の本棚の分類では「原発問題」というカテゴリーに入れたけれども,本書は,モノの考え方に関するとても大切な視点を与えてくれる本です。
     特に,専門家という人たちの「傍観者の論理」「欺瞞の言語」を鋭く見破る眼を持たないと,もう一度,あの原発事故と同じような目に遭うかもしれません。
     先日の武田邦彦講演会で,原発村の社員らしき人が,「武田先生の講演は東大話法だ」なんて言って内容を批判していて,そのときは,この本を読んだのかなあと思いました。ま,新聞にも取り上げられていたのでそれを読んだのかもしれません。だって,本書を読めば,その質問をした電力会社の人は,自分の立場に立って,電力会社社員としての役目を果たそうとしている意見だったからです。そういう立場で考え行動することが,結果に対して如何に無責任になってしまうのか…も本書で述べられています。
     本書のタイトルにもある「東大話法」の話も確かに面白いですが,私は,第4章の「役と立場の日本社会」が特に共感できました。

  • 福島第一原子力発電所の事故後うようよでききた
    先生方がなぜあくまで傍観者でいられたか
    を立場がそのように発言させたと考えれば得心がいくと解説した本である。
    論理的な思考が稚拙な日本人を煙にまくにはこの程度のレトリックで十分だということがよくわかる。
    また面白いことに話法なのである。記述法ではないのである。ところが原子力白書など東大話法満載であるのに誰もこれを声にだして読もうとはしない。
    立場に立つ人が自分の信念に反してまで発言することをやめても
    別の人がその立場にたつ。
    これは原始力に限らず、景気の復興、自給率の確保、教育の向上、市民生活の安全性の確保、男女共同参画の推進。
    なんでもよい それが社会にとって必要なことと認知されれば、それをテコに実効力がなくてもお金が人が流れ込むという問題があるのではないだろうか。
    私はそのようなもろもろを飲み込むブラックホールのようなものが今回の事故で見えた気がする。
    東大話法はその表層にすぎないと思えるのだがいかがであろうか。

  • ある事実を、自分の都合の良いように言い換え、都合の悪いことは相手を攻撃することで防御する。
    そういった会話の技法を「東大話法」として批判した本。
    原発問題と、東大話法が深い関係にあるという主張はもっともだと思う。

    ただ、こんなことを言ってしまうと、何も主張できなくなってしまうし、本書だって東大話法で構成されていると指摘することは容易だ。

    例えば、香山リカ氏や、池田信夫氏についての考察に多くのページを割いているのは、

    「<規則8> 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する」

    に当てはまるとも言えるだろう。また、

    「<規則10> スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる」

    という面もあるかもしれない。
    こういった批判に備えて、この考察の目的は個人攻撃ではなく、東大話法の性質を明らかにするためだ、といった主旨を書いているが、これも

    「<規則12> 自分の議論を公平だと無根拠に断言する」

    といえなくもない。
     


    さらに、第4章で、いきなり夏目漱石の話になって、急に原発の話に戻るのも、

    「<規則16> わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する」

    とか、

    「<規則17> ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる」

    あるいは、

    「<規則18> ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす」

    に当てはまると言えるのではないか。
     
    結局のところ、コミュニケーションの際にこういった方法は不可欠で、使うなというのはムリは話だ。

    むしろ、聞き手や読者への注意喚起という視点で書かれていたほうが、有益な書籍として、より価値が高まったのではないかと思う。

  • 「東大話法」という言葉をどこかで聞いて、
    ちょうど武田砂鉄さんの本を読んでいると、
    あっ この本のことか
    と 手にした一冊
    なかなか興味深く、面白く読ませてもらいました。

    特に 第四章「役」と「立場」の日本社会
    での考察には フムフムとさせられました。
    これは どこかで経験したフムフムだなぁ
    と思っていたのですが
    そうだ 半藤一利さんの著作を読んでいる時に
    味わう アレだな と思い至りました。

  • コロナ禍になって私が一番影響受けた教授の安冨歩さんの本
    原発事故が起きたときの官僚や専門家たちの欺瞞にみちた言動をどうしてそうなったのかを語っています。
    驚いたのはこのときの原子力の専門家や官僚たちの対応が今のコロナの専門家や官僚と同じということだ。
    当時の自分の感じた専門家の言動の気持ち悪さがこれ読んで納得しました。

  • この本における著者の筆致にはややアジテーションの激しさがあり、いくらか挑発的に過ぎるかもしれない。
    ただ、現代日本社会が「立場主義社会」で、社会の主導権がなすべき仕事や果たすべき役割にではなく、立場にあるという認識は正鵠を射ている。
    コロナとワクチンをめぐる専門家の言説のあり方も、まさに同じ「東大話法」であることに気づかされた。

  • んー。微妙。
    東大同士の悪口合戦のような。
    自分も原発反対だから応援したいけど、これじゃあ。
    推進派も何かに凝り固まっているんだろうけど。

  • 安富歩は、大阪生まれ、京都大学、住友銀行勤務、京都大学修士、名古屋大学助教授、東大助教授、教授という経歴の持ち主。前回の参院選にはれいわ新選組から立候補、落選。女装姿をしている。なんとなく、印象はキワモノのような気がしていた。原発について、勉強中にたどり着いた本書である。意外と緻密な論考をしているので、少し感心した。確かに、御用学者や官僚っって、自分の過ちを認めないように言い回しを使う。言っていることがわかんない。
     例えば、アメリカのニューヨーク国連本部で核不拡散条約の再検討会議で岸田首相が演説した。きれいな言葉を並べながら、被爆国の首相として、そして広島の出身として、核禁止に対して一言も触れなかった。では、なぜ演説したのかという理由よりも、参加したことに意義があるということなんだね。すべからく、傍観者としての存在をアピールした。これは、官僚の作成した東大話法なんだねと思った。核禁止に賛成をしていないことの言い訳に過ぎなかった。それで、広島出身の被爆国の首相かいといいたい。
     ふーむ。安富歩のいう東大話法は、「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのようにして、その主張を通す論争の技法であり、それを支える思考方法」である。東大話法は、以下の通りである。
    ①自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
    ②自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
    ③都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
    ④都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
    ⑤どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
    ⑥自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
    ⑦その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
    ⑧自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
    ⑨「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
    ⑩スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
    ⑪相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
    ⑫自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
    ⑬自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
    ⑭羊頭狗肉。
    ⑮わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
    ⑯わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
    ⑰ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
    ⑱ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
    ⑲全体のバランスを常に考えて発言せよ。
    ⑳「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
    まぁ。東大は、偉いんだぞ。東大が、我が国を指導しているんだという偉さが、以上のようなルールを作る。原発に対しても、「絶対安全」と東大話法で言い続けた御用学者たちは、原発メルトダウンの惨状をどうみているのだろうか。御用学者なりに誠実に自己批判文を出すべきだ。本書では、精神科医の香山リカとブロガーの池田信夫の発言に対して東大話法がどのように使われているのか、検証している。「役」と「立場」に対する考察が優れている。夏目漱石が「立場」という言葉の概念をうまく表現した。英語では、立場に該当するのが、standpoint,position,situation,stance,viewpointなどがある。また、東大話法は知らず知らず自分の中にも汚染されていると警告する。
     それにしても、原発という利権に関して、原子力の委員会から、社団法人、財団法人がたくさんあることに驚いた。天下り先を作って、御用学者や官僚をうまく運用している。
     広島、長崎という原爆の実体験は、アメリカによってデータ化された。そして、フクシマは、またしても放射能被曝のデータが収集できる。山下俊一長崎教授は、低被曝放射能のデータが集まることに、喜んでいるような感じでもある。専門バカは、ここに極めている。
     武谷三男、高木仁三郎、小出裕章氏たちの意見も説明されていて、早くから原発の危険性を指摘している。こうやって、原発について、勉強していくと、日本の官僚、御用学者はかなり歪んだ世界に身を置いていることがよく理解できた。最近のクイズ王になることが東大出の流行のようだが、知性の無駄遣いとムダな知性で、間違った論説を作り出して、結果として福島のメルトダウンを招いたことを感じた。キワモノ的教授も、いい仕事している。

  • 今回借りてきた安富本、2冊目にこれを読むのは正直ちょっとハードル高そうな気がしたのだけど、思いのほかしっかり読むことができた。もしかしたら、1冊目に読んだ『あなたが生きづらいのは‥』よりも読み込めたんじゃないかな?
    頑張った~。というのは、これまでの何冊かと同じようにメモ読(今思いついた造語です)したから。読む締切があって、書き込めないところが、図書館本を読む効能。簡単に読み返せないから、必要なところはメモしとくしかないので。その分、じっくりかみ砕く。速読はできないけど、熟読はできる。
    「魂の脱植民地化」とか「エントロピー」とか、安富さんが作り出した(?)言葉及びその筋の方にはよく知られているらしいけど、初めて出会う語にはちょっと目を白黒させたけど、なんとかかんとか理解できたかと思う。手を止めてググったりもした。
    そして噂の「東大話法」この法則はスゴイ。この本が出版されたのが2012年だけど、10年近くたって未だにあちこちに蔓延る事・・・。
    「立場」という言葉を、夏目漱石の用例から取られているのは、国文卒の人間としては(こういうのも「立場」かしら??)興味深かった。
    少しだけ気になったのは、233ページ
    「学者の言うことを信頼するかどうかを判定するには、その人の主張することを吟味するだけでは不十分」「その人が立派な人なのかどうか、それが大切」
    というところ。安富さんにしてはやや主観が過ぎるような気がした。何をもって「立派」と言えるんだろうと。この文脈では、ゴフマン博士のことを言われてて、氏の生き方や行動がそれを表してるんだろうと思ったけど、私たちが基準にするのに「立派」というのはかなり危なっかしい・・。
    あとエントロピーの理論。熱は宇宙に捨てられるというけど、今夏の洪水の原因が海水温の上昇にあると聞いて、う~ん・・と考えてしまった。辻村ちひろさんと一緒に撮られた動画とかあるけど、そういう点についてお話されたことはあるんだろうか?なければ、一度聞いてみたい。
    何しろ、まだ男性の恰好をされてた8年前の本なので(とはいえ語り口が優しく感じ、脳内では今の安富さんで何度か再生された)いろいろアップデートされてる部分もあるのかな?
    ということで、次の本へ・・。

  • とんがり過ぎていて、ヒリヒリしながら読み終えた。
    このヒリヒリ感は何故かと自分に問うと、
    「こんなこと言ってしまっていいのだろうか?」
    「その後の自分の行動が制限されてしまうのではないか?」
    と言った予想される反論の存在だ。
    単なる暴露本や煽り本とは違う。ところによっては私自身怖くなるくらい執拗な追及の言葉が並べられるが、それが一方で安富歩氏の佇まいを示し、信頼の裏づけとなるものでもあった。
     氏の世界観に浸りながら、世の中を眺めてそこで感じたものを自分の世界観に作用させたいと感じさせられた一冊。
     少しのあいだ氏の他の著作も追ってみることにする。

  • これはすごい。
    思想家というのは、こうして生まれてくるものなのか。

    立場主義社会という概念を整理してくれたことに感謝したい。

    自分も真実にしがみつく人間でありたい。

  • ここまで読む価値が無い本も珍しい

  • 安冨さんの本は何冊か読んだけれど、この本が一番分かりやすくてよかったと思う。

    私も東大話法に畏れ入り、自分も時には東大話法を使って誰かを欺いてるかもしれない。
    立場主義に毒されて、今、自分はこの立場で何を望まれているのかと常に考えてしまう。
    そこからなかなか抜け出せない。

    私は今、何を言いたいのか、何をしたいのか、分かるようになりたいし、自分の体や心が望むような発言や行動をしたい。
    でも、私は何をしたいのかが空虚で…と思ったら、沖縄戦で戦死した方が家族に宛てて書いた手紙のくだりで、本当は「寂しい、悲しい」と思っている気持ちを否定して、立場でものを考えないとならないとなれば、中身は空虚だというようなことが書いてあり、胸にぐさっと来ました。

    言い過ぎ、というような意見もある本ですが、私はそうは思いません。
    安冨さんの感じていることが、とてもよい精度で書き表されている本なのだと感じました。

  • 福島の原発事故の半年後くらいに出たのかな。理性的な安冨先生の抑え切れない焦りと怒りが滲みます。東大原子力にどれだけ金が流れ込んでいるか(他分野全部より一桁多い)、理解できない無責任な発言群は「東大話法」である、それだけで読む価値がある。「影響はない」じゃねーんだよボケ、という姿勢に密かに共感です。もう、言えなくなってしまった、住み続ける人たちがいるから(2019-07-29)

  • これも、時流に乗った俺がの本
    途中放棄

  • 東大を含め、いわゆる「良い大学」出身の人たちが多く集まるコミュニティに属していた時に、時々違和感を覚えることがあった。
    今はもう私はそこからは離れており、その違和感も忘れつつあったところに何かでこの本の存在を知り、タイトルを見て、もしかしたらと読むことにした。

    感想としては、やっぱりその傾向があるのねと思ったのが半分、もう半分はちょっと細かくケチをつけすぎじゃないのかな?そこまでチェックポイントにしたら、喋り辛くなるんじゃないの?というものだった。

    著者も、とにかく今の日本の状況を鑑みて、早くこの本を出さなければと思ったらしく、中身がまとまりきっていないことはこの本のなかで認めている。確かにそうだと思う。章によっては、このことについてそこまで長く、些末なことまで批判しなくていいのではと私は思うところがあった。

    「東大話法」と名前をつけられているが、著者が説明するように、これは別に東大出身者だけに見られる話しかたではない。
    実際に私がいた、エリートが多く集まるコミュニティでは、東大出身でもなくエリートではない人たちでも、そこに所属する期間が長くなり、同じコミュニティの人たちの話法に慣れていくにつれて、知らないうちにそういった言葉の選び方になっていた。

    今考えても、あれは責任を自分が被らないようにするための、言葉の選び方そして論理構成だった。

    ある日、エリート街道を歩んできたわけでもなく、たまたまそのコミュニティに入ることができた男性(私と同じような人だった)が、そのコミュニティの中の先生から質問をされ、自信満々にこの本で言う東大話法で回答をしたことがあった。

    先生は少し間を置き、「うーん、そうですか」と言ったきり、彼にはもう話しかけなかった。
    彼はそこに所属するうちにその話法を身に着けたけれど、正直なところ、本当に分かっている人が聞けば「こいつ自分を守ってるだけだな」と、その正体はバレバレなのだ。

    ただ、「仮にAならばBします/である」というような話の運びについては、一概に批判はできないのではないかとも私は思う。なぜならば、「その問題・話題について判断するには情報が足りないけれども、いま持ち合わせている情報で判断するならば~」という状況は有り得るからだ。
    もっとも、それはやはり保身と言われるのだろうか。この点について私はまだ判断を下せていないし、どうすべきなのか答えも出せていない。

    本書もそうである。
    いつもはあまり深く考えずにレビューの☆をつけているけれど、この本についてはどう☆をつけていいのかわからない。

  • 続編『幻影からの脱出』の方がちゃんとまとまっていて読み応えがあった。内容も重複しているし。まぁ、順番をちゃんと追わなかったこちらも悪いのだけれど。

  • 概ね素晴らしいと言っていい本。こういう良心回路を持った学者が東大におられるというのは心強い。ただし、人工地震説をろくに検証もせずに否定する態度は感心しない。否定できるだけの科学的根拠を出されたら、我々陰謀論者もそうだったのかと納得するところなのだが。残念なのはそこだけ。あとは本当に素晴らしい。名著。

  • 言葉の乱れが世の乱れ、という言葉にもあるように、原発推進者は言葉を巧妙に置き換えて原発用語を作り出し、他者だけでなく自分をも騙そうとする。

    日本には立場主義しかなく、その立場を守るためになら、どんな変哲なことでもやってしまう、奇妙なブラックな社会なのではないか、という筆者の問いかけは無視できない。

    東大話法は無意識に使ってるかも…笑

  • それは、東大関係者だけが使用する話法では無い。
    人の意志を支配し、自分に取って都合の良いように話を進めていく効果的な話法。

    それは、現在の高等点数至上主義教育の頂点とされる東大にあって、より強化され効果的に使用される。
    そして、東大の教育過程においては、その東大話法をうまく活用することが必須であり、結果として多くの官僚や電力会社等巨大企業の経営者等が使用する話法ともなる。

    詳細は、本文を参照していただくとして、福島原発事故以降、政財官、そして学、医の多くの分野の専門家達が話す言葉に、なんとなく釈然としないまま、でも、彼らの望むままに意見を進められていくような嫌な感じがしていた。

    その話の内容を、実例を挙げながら分析し、いくつかの特徴を抽出する。
    そして、その法則をあてはめて別の話を分析すると、綺麗に幾つかの特徴が表れていることがわかる。
    それを「東大話法」として体系化し、その話法に振り回されることなく、自分の意志を正しく持つための武器。本書には、そのような位置づけがあると思う。

    また、巻末の立場に関する議論も、見逃せない。それは、東大に限らず、われわれみなが多かれ少なかれ支配されている考え方だと思うから。

  • 「言葉の空転」を生ましめるのは情緒か。最近だと郵政民営化、改革、国際貢献など。小泉政権はシングルイシューポリティクスと批判された。一つの争点で政権選択を迫る手法だ。我々日本人はイシュー(争点)の内容を吟味することなく感覚で付く側を選ぶ。当時、私も郵政民営化に賛同した一人だ。今振り返るとまったくもって恥ずかしい限りである。不明はいつだって後で判明するものだ。馬鹿の知恵。
    http://sessendo.blogspot.jp/2015/10/blog-post_24.html

  • 2012年の発行で、2011.3.11 以来時間が経ったので、原発に関する論議は真新しさがなく少々退屈。本書で取り上げられている香山リカ氏、池田信夫氏のブログの文章の胡散臭さ、欺瞞(筆者は「東大話法」と名付けてる)についても、だいたいうなづけるが、立場を変えれば、つまり、香山氏や池田氏からしてみれば、あんたの方がおかしいよ!としかいいようがないんだろうなぁ、と流し読みして思った。それこそが、東大的目くらまし術とでもいうのか・・・

    時間がなく、流し読みしかできなかったが、学者でもなく別に誰と議論するわけでもないので、ない時間を割いて読まなくても別によかったかも。

    ただ、第4章「役」と「立場」の日本社会 の章は、きちんと読み込むと参考になりそうなので近いうち再読しようと思う。

  • 安冨歩の、自らは汚れを背負ずに批判するという姿勢がうかがえる。
    特段の構造や権威を措定せずとも、個も全体もうまくいく可能性があると考える傾向は、複雑系の研究者によく見られるようだ。そういう人が、専門外の領域に対しても発信力を持つようになると、<span style='color:#ff0000;'>ユートピア的楽観論で、実世界を支える地道な努力を一刀両断にするような乱暴な言説</span>をなし、同じように無責任で他に不満をぶつけたくてウズウズしている人々の喝采を浴びる。

    少なくとも、自分の専門領域以外の人を、藁人形論法でおとしめるような言説を得々として出版するような学者は、信用したくない。

  • 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
    自分の立場の都合の良いように相手の話を解釈する。
    都合の悪いことは無視し、都合の良いことだけ返事する。
    どんなにいい加減で、つじつまの合わないことでも自信満々に話す。
    自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を力いっぱい批判する。

  • ある方から「あなたの話は東大話法そのものだ」と言われたことで、東日本大震災後、この本が刊行されたしばらくあと(2012年3月)に本屋さんで見つけて購入したもの。僕の手元にあるのは第5刷ですが、初版第一刷が2012年1月15日なので、ずいぶんとたくさん売れたんですね。この頃は僕の積読人生の中でも一二を争う他種類購入期でしたので、うっかり埋もれてしまっていました。だけど指摘を受けて、そういえば購入してあったはず、と積読の山から発掘しました。これから徐々に読み進み、読み終わった時には何がしか、レビューを書き足そうと思います。それまで評価はペンディングにしておきます。

  • 2015/2/9:
     たけしのテレビタックル「女装子」特集で、東大教授の安富歩が出てきて、この本の著者なのにビックリ。
    2013/11/01:読了
     これはおもしろかった。
     「はじめに」が秀逸。

  • 虚偽とは何か?悪とは何か?本書を読み中がこの2つの疑問がぐるぐると頭の中をめぐっておりました。僕は『東大話法』なるテクニックを初めて知りましたが、思い当たる節がかなりあるなと、書きながら思っています。

    僕は初めて「東大話法」なる言葉とテクニックがあることを 本書から知りました。筆者いわく、次のような特徴があるそうで、それを引用すると、以下のようになるそうです。


    1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
    2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
    3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する
    4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
    5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
    6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
    7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う
    8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
    9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく
    10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる
    11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す
    12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
    13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
    14 羊頭狗肉
    15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
    16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する
    17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる
    18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす
    19 全体のバランスを常に考えて発言せよ
    20 「もし●●●であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける


    だとの事で、これを無意識にできるという人はよほどいろいろな意味ですごいのかしらと思っていると、(筆者も東大関係者ですが)東大の関係者は当たり前に使える(らしい)との事で、東大に在籍どころか、東大に在籍、もしくは卒業したことがある人にあったこともない僕としてはなんとも新鮮な驚きでした。ここでは、香山リカ女史が原発問題を論じる人々がネットに多くいるということをことを言っている文章(僕はそれ自体を見たことがない)やブロガーの池田信夫氏の「東大話法」(同じく文章そのものは見ていない)を取り上げておりますが、これを使って説明すると、見事にはまってくるのが印象的でございました。

    ただ、池田氏もこれに反論を試みているようで、「東大に勤務する彼が、しがない私立大学に勤務している私に「東大」というレッテルを貼るのも奇妙」「お前の言い方が悪い」という日本人に特有の話は非生産的」「私は「原子力を推進する」などと一度も書いたことはない」「彼のいう「東大話法」なるものは、自分と意見の違う人に「原子力を推進する人」などと嘘のレッテルを貼る党派的レトリックに過ぎない」ということをおっしゃっているそうですので、どっちが正しいかと思われる場合は両方の主張を読み比べてご自身で判断を下してください。

    筆者が本書で言うには東大話法は自分の信念や感覚にもとづくものではなく、相手を言いくるめ、自分に従わせるための言葉を使った暴力なのだそうです。この話法は東京大学の教授や卒業生だけが使う技術というわけではないが、使いこなせる能力を有する人は東大に多く集まっているのも事実だということで、自分の所属する組織にここまで弓を弾くようなことを書いて、この人は大丈夫なのだろうかと、読みながら心配にもなりましたが、真実かどうかはともかく、先にあげた20の「東大話法」を使っていくと、おそらく、相手を言いくるめて自分の意図通りに持っていくことは容易と推察される、そのことだけは読んでわかった気がしないでもなかったです。『虚偽』とは何か?『悪』とは何か?そういったことを考えるテキストとしては参考程度に読んでみるのもいいのではないでしょうか?いろいろ調べると、本書は賛否両論が多いので、興味を持った場合は一度ぱらぱらと内容を見たほうがいいのかもしれません…。

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著者プロフィール

東京大学東洋文化研究所教授。1963年、大阪府生まれ。
著書『「満洲国」の金融』『貨幣の複雑性』(以上、創文社)、『複雑さを生きる』(岩波書店)、『ハラスメントは連鎖する』(共著、光文社新書)、『生きるための経済学』(NHKブックス)、『経済学の船出』(NTT出版)、『原発危機と「東大話法」』(明石書店)、『生きる技法』『合理的な神秘主義』(以上、青灯社)、『生きるための論語』(ちくま新書)、『満洲暴走 隠された構造』(角川新書)ほか

「2021年 『生きるための日本史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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