脳の中の身体地図: ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ
- インターシフト (2009年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784772695152
感想・レビュー・書評
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脳科学の本が面白いのは、身近な疑問や習慣を事例として扱いながら、それを驚きの理由をもって説明してしまう所にあるのだろう。本書で挙げられるボディ・マップの機能とは大人になった後も脳内で随時更新され続けるものであり、それが摂食障害やイップス、変性意識状態といった原因になっているという。特に、体外離脱やドッペルゲンガーといったオカルトめいた経験は、特定の脳の部位への電気刺激によって再現可能だという事実には驚かさせられる。『脳のなかの幽霊』の共著者というのもあって、類書の中でもそのわかりやすさは頭一つ抜けている。
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いやー、面白かった。脳関連の本を読んでいる人ならこの本も決してはずしてはいけない一冊でしょう。結構ボリュームがあるので精読するのは大変かもしれませんがかなり興味深い内容が盛り沢山です。お勧めです。
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Sat, 20 Jun 2009
脳科学に結構批判的な事をしばしば言う谷口ですが,
重要性を無視しているわけではありません.
久しぶりの「脳関連本」 なかなか面白かった.
人間の知能を本当に理解しようとすると,人間の主観や幻覚を含んだ世の中の「見え」を無視できなくなってくる. フロイトやユングの精神分析の世界となると顕著であるが,結局,人間の精神的な病気や脳神経系にまつわる病気は その個人の苦痛や「見え」の問題であり,それを無視した知能理解は空虚だ.
で,そういう事を無視しない自然科学者っていうのは重要で,ラマチャンドランなんてのはそういう深遠なる点を理解する学者の一人でしょう.
さて,人間の心がいかに人間の体を理解しているのかという事についてのトピックがいろいろ書かれて いる. 学者ではなくサイエンスライターによる一冊.
身体図式と言えばペンフィールドのホムンクルスが有名. 身体の形状がデフォルメされた形で,一次体性感覚野,一次運動野にマッピングされているのだ.右は体性感覚野でのホムンクルス
http://ja.wikipedia.org/wiki/体性感覚
ここで運動野では手が特に大きいのが面白い.
(p.30) さらに,体性感覚野では,顔は首の隣ではなく,手の隣に位置する. また,面白いのはペンフィールドの実験によって, 「奇妙な話だが,刺激によっていかなる種類であろうと性的感覚が生じることは無かった」 と言うことであり,運動野では 「おしっこをしたくなったり,泣きたくなったりさせるスポット」を見つけることは出来なかったと言うことだ. 生殖器周りの”敏感性”というのは手の敏感性とは異なった担われ方をしているのだろう.
なんとなくなっとく.
一次運動野を刺激して得られる運動は 「ピアノの鍵盤に手のひらをたたきつけたときの音のよう」 だそうだ.つまり,協調構造的なモノが含まれない各リンク系(筋骨格系)への運動出力uのようなものを出しているに過ぎないのだろう.
前頭葉では一次運動野の前に,運動計画を立てるボディマップが存在する. これは運動前野と呼ばれる. ここを刺激するとより複雑でなめらかな動作の断片をひきおこすのだという. これは,高次の動作要素(high level behavior component)だとか運動プリミティブと僕らが呼んでいるものに対応するのかもしれない.
ちなみに,こういうボディマップはほかの動物にもある. いくつかの動物のボディマップがのっていたが,面白いね.
「生物から見た世界」 の 自己像 版だ
ボディマップといっても, ボディスキーマとボディイメージは異なる.   特に,女性におおい,自分の身体に対する過剰な劣等感はこのボディスキーマのトラブルである場合が多いという.
また,理研の入來らの実験についても触れ,道具を持つことによってボディスキーマが拡大する事についても触れていたりする. さらに,ミラーニューロンの話などもあり.
主観的世界を脳科学の知見を生かしながら再構成することは重要だなと,認識をあらたにしたのでした. ただ,この本は多少やっていたが, 対人関係の空間認識や,自らの行為系を通した空間認識などは 社会学,生態学的認識論で既に 活発に議論されてきたことであり,それを学ばずに脳科学の文脈だけで閉じる研究者が 増えたりすると切ないなぁと思ったりはする. 脳科学を部分ではなく,全体のシステムとして捉え,計算論的に機械学習やシステム科学の視点から 構築することは大切なテーマだろう. -
心と身体がどのように絡み合って感情のある身体化された自己を持つのか。こうした古くからあるナゾに対して、本書は脳内の身体地図を用いて答えようとする。まず著者が強調するのは、「身体は脳を入れて歩き回るための単なる運搬具ではない」ということ。両者の関係は完璧なまでに互恵的で、「身体と脳はお互いのために存在している」と断言する。これは、「真に知的なものは、身体のないメインフレームでは発達しようとしない」し、「現実の世界には、肉体を持たない意識など存在しない」ことを意味する。
本書では、この「人工知能学会が苦労してようやく得た教訓」をベースに、ヒトがどのように自分を見ており、そして自分が理解している現実が本当の現実とどれほどかけ離れているかを教えてくれる。
「私とは錯覚なのか」という哲学的難問に、科学の見地から学問的にならずに挑もうとする姿勢に好感が持てる良書。 -
まず、ボディマップって何ぞやというところから学ぶ。
脳科学をもう少しゆるくわかりやすく、そして具体的な例で確認しながら読み進める。
行動によって相手の感情を共感させるなどのコーチング的方法はよく読むが、脳が起因している症状として、第2~第3の手を感じるとか、自分の四肢に違和感を感じ続け、手術によって切り落としてしまうが、精神的には幸せになれた人などの例を見るとまだまだ脳の中では常識では思いつかない不思議な事が起こっているのだと興味深く思った。 -
あまり読み慣れない本で且つ翻訳物だったため、ちょっと私には…
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超常現象としてあるいは、宗教的な説明しかされてこなかった分野について科学から言わせてもらえば、脳が原因だったんですよ。
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ボディマップをうまく使えば新しいUX/UIが作れそうだ。
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全体を通じてボディ・マップ、感覚と脳の領域との対応についての話。 途中からダイエットやら精神疾患やら、具体的な事例の話が詰め込まれ、各事例は身体観を見直す視点を与えるものであるように思えた。
ただ、一つ一つの事例を追いかけていくのはなかなか大変だった。 冒頭を読むだけで充分だという人もいるかもしれない。