文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫 ダ 1-1)
- 草思社 (2012年2月2日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794218780
感想・レビュー・書評
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20130321読了。
なぜこの民族は滅ぼされたのか、なぜこの動物は家畜になってあの動物はならなかったのか、致死率の高い病原菌とそうでない病原菌の違いなど、なんとなくわかっているような気がしていたことを、クリアにしてくれる。
目からウロコとまでは行かないかもしれないが、でもかなり興味深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本は「人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?」という筆者の疑問について論じたものである。1万3000年前(最後の氷河期の終わり)から現在までの人類史を辿りながら、分子生物学、進化生物学、生物地理学等々・・・といった多様な学問分野の知見を援用し、各時点で生じた歴史的事象について論証していく様は、スリリングで、楽しく読み進めることができる。
上巻で触れられる主だった問いは、各大陸間で狩猟採集民族から農耕民族への移行時期が大幅に異なったのはなぜか?というものである。この問いに対し、著者は、環境的要因(気候、野生植物、動物の分布、大陸もしくは島々の連なる方向)に主たる理由があると主張する。
代表的な論拠を挙げると、古代メソポタミアの肥沃三日月地帯では、小麦、大麦、エンドウなどの野生種があり、栽培への移行が可能な状態にあった(実際に約1万年前から栽培が開始されたとみられている)のに対し、同じ温帯に属する北アメリカでは、野生種のあったトウモロコシの栽培に相当の時間を要することとなった。
この違いは、古代メソポタミア人と北アメリカ先住民の知識差異によるものではなく、単に小麦、大麦、エンドウは表皮が薄く栽培化が容易であったのに対し、トウモロコシの野生種のひとつと推定されているテオシントという植物が、表皮が食べられないほど堅く実が小さかったためである。トウモロコシの食用には、徹底的な品種改良が必要とされ、何世紀もの時間が必要とされたのではないかと、現在も考古学者の間で議論されているという。
こうした土地による初期条件の差異に加えて、狩猟採集を行うことと農耕を行うことのトレードオフを考慮すると(当然両方を一度に行えないので、より便益の高い一方を優先することとなる)、大陸・地域毎に農耕民族への移行の時期が大きく異なることとなったのは十分に説得力がある。なお、農耕民族への移行の時間的ラグが、文明の発展に以後どのように対応し、現代世界の勢力図に影響を及ぼしたか、については下巻で語られる。 -
我々が歴史を振り返るとき、現代は進歩していて過去は未開である、と無意識に判断しがちである。ニューギニアの人食い民族は未開な野蛮人で、それらを早く西欧社会の先進国の方向に導かなければならない。そう考えて覇権主義を唱えてきた正義の国だって存在している。
一方で、素朴な疑問も湧いてくる。圧倒的な栄華を誇ったインカ帝国はどうして少数のスペイン人に滅ぼされたのか。逆に南米からヨーロッパに侵攻する可能性はなかったのか。あるいは、近代まで狩猟採集生活を続けてきた原住民と、産業革命を起こした欧米人を分けた要素は何だったのか。
『銃・病原菌・鉄』というタイトルのとおり、狩猟採集から農耕へと食糧生産のスタイルが変化するにしたがって、余剰生産物が生まれ富の偏在が発生する。それが階級制度をつくり、やがて武力によって他の民族を侵略する“銃”の要素が生まれる。同様に、農耕によってある程度の人口密度が達成されると、そこに疫病が発生する。早期に免疫を得た民族に比べて、疫病に耐性のない民族は脆い。あるいは、鉄鉱石などの鉱物資源の偏在によっても国力の強さが規定されていく。
このような環境条件にしたがって、現代社会の構造が成り立っている。世界の多くの地で先住民を追いやったヨーロッパ系民族は、もともとは辺境の異端民族でしかなく、数々の偶然的要素によっていまの覇権構造がつくられていることが理解できる。
そこには西洋文明が正しいとか狩猟採集生活が間違っているといった判断基準ではなく、環境条件が変化するにしたがって支配的になるライフスタイルも替わるという当たり前の事実が示唆される。謙虚に歴史から学びながら、持続不可能な現代社会をどのように変えていくのか。我々に突き付けられた課題は重い。 -
高校では歴史を選択できなかったせいもあってか、中学ぐらいの知識しかなかったのですが、この本の視点は非常におもしろかったです。
そして日常当たり前のようにある食物や家畜などについても整理されていて、気付かされることも多かったです。
アメリカ大陸やアフリカ大陸が南北に長い陸地であるのに対し、ユーラシア大陸が東西に長い大地であることの反映ともいえる。そして人類の歴史の運命は、このちがいを軸に展開していったのである。
この一文で表されるところが紐解かれていきます。 -
ニューギニア人の「なぜ欧米の人々は繁栄し、様々な物を生み出しているが、ニューギニアの人々は何も持たないのか?その差はどこにあるのか?」という質問に対して、博士が25年の研究成果をまとめ答えたものがこの一冊である。スペイン人がインカ帝国を滅ぼしたのはよく知られているが、その差が生まれたのは何故か?という疑問に明確に答えてくれるのが本書だと思う。文系的な考察によりがちな歴史学を分子生物学、考古学、言語学の「証拠」を元に論理的に説明してくれる本書は、理系の人にも本当に読みやすくて知的好奇心を満足させてくれること間違いなし!お勧めの一冊である!
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問題提起の質に感動。なぜ、アメリカ大陸はヨーロッパに征服され、その逆が起こらなかったのか。新たな視点で物事を考えるきっかけをもらえる一冊でした。
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ボリュームにめげそうになりながらも面白く読了。
なぜヨーロッパが南北アメリカを支配することになりその逆でなかったのか。
ある時点で社会的技術的戦力的に差があったからということは認めるとして、その差はいつからどのようにできたのだろうか。それはなぜだろうか。
フムフム。
これこそが教養であり歴史を学ぶ意味。高校の世界史、高校が無理なら大学の教養課程で、教科書として取りあげて欲しい本。
目に見える事象のもう一つ外側を考える訓練になるし、前提を前提としてではなく別の因果関係の結果として読み直す態度が身に付くし、個人と社会の関わりを見直す契機になるし、食べ応えのある本だった。
長い間読みたいと思っていた本なので、文庫化してくれた草思社に感謝。 -
ヨーロッパによる南北アメリカがピサロやコルテスによる武器のみではなく、持ち込まれた天然痘によってももたらされたことは知っている人も多いはず、本書はそこから出発しながら、ではなぜ大群相手に圧勝できる地域とそうでない地域があるのかと問を転換し、人口密度、気温などから分析していく。基本的に人口が周密でなければ定住農耕に向かないし、集団感染が起きず、したがって集団抵抗を持たない。また、南北と東西の伝播のスピードに差がある点、栽培に向く野生種の植物、家畜化に向く動物の話など、どれも面白い。