- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797673999
感想・レビュー・書評
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全盲の美術館鑑賞者、白鳥さんと美術館をめぐり、視覚や記憶の不思議、アートの意味、生きること、障害を持つことについて考えていくノンフィクション本である。
ただの順々な美術鑑賞記にならないよう、所々過去の話や別の話題に入ることがあり、飽きずに読める。
白鳥さんは全盲である。小学生低学年くらいまではぼんやり見えていたらしいが、今は全く見えない。しかし大変だとは思ってはいない。小さい頃も見えなかったためそこに特別感はなく、当たり前のことだったそうだ。
印象に残ったこととして、全盲の方の中にも感性の鋭い人とそうでない人がいるということ。晴眼者は盲人と聞くと手や耳の感覚が鋭いと勝手に解釈してしまう。
白鳥さんは作品の正確性を求めてなく、見える人が感じたことや、会話を聞くのが楽しいそうだ。
私も絵が好きで美術館など年に数回は訪れるのだが、どうしても完成で見ずに背景や歴史で見て紐付けてしまう。そのため率直に自分が感じたことを大事にしてそれを記憶している人にとても憧れがある。私も白鳥さんに話しかけるイメージで美術館に訪れてみようかと思った。
後半は美術館鑑賞よりも障害に対する偏見や考え方、そして優生思想にも話題が及ぶ。この手のノンフィクション本だと結果そのようなテーマになることは多々あり、割と漠然とした結論となることが多い。その点で少し最後は尻窄みのような印象を受けた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
体の不自由な人=守るべき存在
とは限らない。
見える人、見えない人がそれぞれできる事を補い合って生きていけばいいんじゃないか。
白鳥さんのタフな姿にちっぽけな「常識」が砕かれる。 -
「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」ってどういうこと?どうやって見るの?と単純に思った。カバーには白鳥さんと思われる方が吹き出しで「何が見えるか教えてください」と言っている。「そりゃそうだよ、言葉で説明するんだよ」と当たり前のことに納得する。最初の展覧会で有緒さんと友人のマイティが白鳥さんに絵の説明をするのだが、その自由さにまず心が動かされた。それ以後もその他の人たちと自分の見たまま、思ったまま作品について声に出して意見を出し合っていた。こんなに好きなこと言っていいんだ、人と違う見方を恥じることはないんだと思った。私ならこんなにのびのびと自分の思うままを言えないな、この人全然わかってないじゃん、全然見れてないじゃんと思われそうで。そういう自分が恥ずかしくなった。誰もがすごく知識を持っているわけでもないし、きちんと隅々まで見ているわけではないのだ。見落としたり勘違いしたりするのも当たり前なのだ。
こういう感じで読み始めたのだが、刺激的な本だった。強烈と言ってもいいほどの強さで迫ってくる本だった。
「見たい」「行きたい」「やってみたい」と好奇心は動かされ、白鳥さん、有緒さんの言葉に考えさせられ、その他の登場人物(?)もいちいち魅力的で。でもそれは有緒さんの文章経由なのだ。有緒さんって、あんたいつから友達みたいになってるんだよと自分で突っ込みたくなるが、そのような文章なのだ。
あまりにもいろいろなことに引っかかりすぎて、まとめた感想になりにくいので、でも記録しておきたいので、前から順番に引っかかったところを羅列しておきたい。
"Life goes on. "25ページ
"「(略)過去のことも過ぎ去っていくとどんどん記憶が変わったり、忘れちゃったりするじゃない?それで未来のこともよくわからない。そうすると、結局のところ、ちゃんと自分がわかっているのは『いま』だけなんだ。だから、俺は『いま』だけでいいかな。過去とか未来とかじゃなくて『いま』だけ。だから、俺はもう明日死んでもいいと思う」 75ページ 白鳥さん
ボルタンスキー展行きたかったな。2年前か。どこかで一つくらい作品見たことはなかったか。2ヶ月前にお亡くなりになったばかりなんだ。
コラージュやってみたい。前からやりたかったのだ。何回か講習とか受けて始めたいな。思わずYouTubeを見てしまった。
"そうやって自分の安全地帯を抜け出して、自分の手足で世界をまさぐりながら、わたしたちはこの世でただ唯一の「自分」という生を獲得していく。そうしていくうちに、そのひとが荒野にいることは自然なこととなり、荒野だった場所はそのひとにとって居心地の良い場所へ変わっていくのかもしれない。" 184ページ
木ノ戸昌幸『まともがゆれる』読みたい。
ディスリンピック2680 風間サチコ
すごい作品。実物見てみたい。6月まで現代美術館で見られたんだ。全く知らなかった。他の作品も見たい。
夢の家行きたい。妻有ってお蕎麦しか知らないじゃん。
マリーナ・アブラモヴイッチって人もすごい人だなぁ。
万里の長城のパフォーマンスもカッコ良すぎる。この世のカップルの最高な別れ方じゃないだろうか。その後の再会のエピソードも素敵。ドラマみたいだ。
"迷わずに行けよ、行けばわかるさ" アントニオ猪木
"正しい知識がなくとも作品について自由に語る資格はあるのです、というのがマイティの「鑑賞道」である。それが17歳から美術鑑賞を続けてきた彼女の信念で、この映画で伝えたいことのひとつだった。" 296ページ
『オー・シャンゼリゼ』こんないい歌だったか。
━━僕らはほかの誰にもなれない━━ 319ページ 白鳥さん
━━この世界で、笑いたいんですよ━━320ページ 白鳥さん
ただ、そこにいるひとたちと・・・・・いたいんですね━━。 320ページ ホシノさん
━━だってさあ、過去の記憶って思い返すたびに上塗りされているわけだから、どんどん変わっていくわけじゃない?そういう意味では、自分の記憶だと思っているものは、常に新鮮な状態の「過去の記憶」じゃない?━━
325ページ、247ページ、(73ページ)白鳥さん
"有緒 (略)その幸せはどこにあると思う?体験の中にあるのか、自分の気持ちなのか。
白鳥 うーん、俺にとっては時間だよね。うん、時間の中だね。
有緒 時間の中に幸せは流れる?
白鳥 うん。時間だから、それはとっておけない。あとはその経験を自分がどれだけ信じるか、思い出して確かなものだって信じていけるかっていうことかな。" 327ページ
"白鳥さんは美術館が大好きなのだ。" 329ページ
私も美術館が大好きだ。だから白鳥さんと有緒さんとその友人知人の方と一緒に美術館を訪れた気になれてホントに楽しかった。 -
美術館という場所は、静かに鑑賞し、解説を読まないと作品を理解できない、私にとっては難しいと感じるところの一つである。
しかし、この本を読み終わった時、作品を観る人の数だけ正解があること、作品をもっと自由に鑑賞して良いことを新たに学んだ。
1人でゆっくり鑑賞するのも楽しいけど、誰かとあーでもないこーでもないと、話しながら鑑賞すると倍楽しいかもしれない。 -
美術鑑賞というライフワークを通して、
モノの見方の偏見や凝り固まった価値観を解きほぐしてくれる1冊。
”人気を気にするだけの風潮”や”これを知っている人がイケている人で、これを知らない出来ない人はダサい”と言うレッテルを肩甲骨のごとく剥がしてくれる。
だから、読むことが気持ちがいい。
実際にこの本を手に取るような人は、自分も含めて差別に対しての憤りやリベラルに対する憧れを持っている人かと思われるけれど、そんな自分をして自身の無意識に根付く優生思想や鑑賞そのものをファッション的に取り扱ってしまうこと、あるいはそれらを表面的に扱う人や活動に対する嫌悪の有害性など、他にも沢山の自身の加害性についてをこの本は教えてくれた気がする。
今を生きる上で大切なことは、いかにもそれらしい理屈ではなくて、その理屈を実際の日常に当てはめた時に都度飲み込んで自分の中で改めて議論することだったり、理屈ではなくてその場の一人一人・ひとつひとつについて実際の体感や体験を通して誠実であろうとすることだと思った。
結局いい人であろう、魅力的な人になろうとするときに必要なのは、根本的には知識ではなく思いやりの心なんだと思った。
心が伴わないなら何をやっても意味がないのだと。
日常のすべての価値を忘れてしまったら、
この本がそのすべての価値を教えてくれる。
有名な作品は多くない、知らない作品ばかり。
でも、も、だからもなく、おもしろい。
自分のしたいを大切に。 -
先入観も偏見も 差別も優生思想も
程度の差はあるにせよ
多くの人の中 自分の中にあると
そこから始めないといけない
そして僕らは自分以外の誰かを
本当に理解することはできない
誰かの立場になって想像したとしても
人生や感覚まで体験することはできない
苦しみも喜びもすべてはその人自身のもの
僕らはわかり合えなさを抱えながら
ただ歩いていくことしかできない
寄り添うことしかできないのかもしれない
それでも
僕らは 一緒に笑うことができる
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〈「2022年 Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」受賞!
書店員が選ぶ、いちばん読んでほしいノンフィクションに。〉
「目の見えない人がアートを見るって?!」
興味をもち、読みました。
〈見えないひとと見えるひとが一緒になって作品を見ることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて「対話」という旅路を共有することだ〉
〈唯一できることは、自分がいま見ていないその場所に77億人の命があり、それぞれ与えられた時を生きていることを絶えず想像することだ。わたしはすぐにそれを忘れてしまうから、多少の努力を伴う。努力というと汗くさいけど、本を読み、旅をし、美術作品を見て、隣のひとと話すこともそのひとつだ。そこで得たわずかばかりの知識と想像力を駆使し、ステレオタイプなものの見方や「人間はそういう生き物だからしょうがない」という無力感と訣別していく。知らないものに慄いたり、壁を作るのではなく、あるがままの存在に手を伸ばす〉
〈わたしたちは、白鳥さんの見えない目を通じて、普段は見えないもの、一瞬で消えゆくものを多く発見した。流れ続ける時間、揺らぎ続ける記憶、死の瞬間、差別や優性思想、歴史から消された声、仏像のまなざし、忘却する夢―――〉
お互いに良い経験になったのが、よくわかりました。
自分が今後こういう経験をするかわかりませんので、
ノンフィクションとして読めて良かったです。 -
アートを鑑賞するとき、正解を求めていた。間違った解釈をしたくないというプライドのようなものがあって、心から楽しめていなかったと思う。
この本を読んで、人それぞれにさまざまな感じ方があってもいいのだと、救われた感じがした。正解はなく、むしろその人が感じたことがその人にとっての正解なのだろうと思えた。意味を考えるというより、細部にまで目を向けてじっくりと向き合って、自分の感性で自分なりの解釈を楽しみたい。
アートだけでなく、物事の考え方にも通ずるものがあると思う。 -
#3377ー57ー200
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「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」友人の誘いで、全盲の白鳥さんとアート巡りを始めた。著者の驚きと発見が詰まったノンフィクション本で、美術館に行きたくなる。
「なにが見えるか教えてください」
視覚障害者をアテンドしながら作品について話をする。「絵というものはひとりで見て、感じるもの」との概念が覆される瞬間を私も一緒に体感してみたくなった。
アート鑑賞を通して「見えない人」と「見える人」の間に思いがけない相乗効果が生まれるようだ。
①見えるひとは見たらなんでもわかるだろうと思っていたが、勘違いや思い込みのあることを知り気持ちが楽になった。
②見えるひとから「作品をじっくり見ることができた。ありがとう」と言って貰えて、驚いたけれど嬉しかった——白鳥さん
①目が見えないひとが傍にいることで、
わたしたちの目の解像度が上がり、自然とたくさんの話をしていた。
②白鳥さんとの芸術鑑賞は適度に無知である方が良い。
③みんなで見ていると、知らず知らずのうちに作品の核心に近いところにたどり着いている—— 著者
現代アートは苦手だが、大竹伸朗《ビルと飛行機 N.Y》と、風間サチコの三作品に興味を持った。
特に《ゲートビアNo.3》に心が惹きつけられた。作品の元になった版木から削り取られた朝鮮人、彼が「黒三ダム工事」に関わった大勢の朝鮮人労働者の1人だったという事実に驚愕してしまった。
著者の川内さんが視覚障害者の白鳥さんとアート鑑賞を通じて得たもの、それは作品がよく見えるとか、発見があるとか、目が見えないひとの感覚や頭の中を想像したいからではなく、「ただ一緒にいて笑っていたい」と素直に思えたことだと書かれてあった。
読み終えて、まだ見たことのないはずのアート作品をこの目で見たような気がしてきた。イメージすることができるという新しい感覚が確かにあった。本の中で美術館を一緒に歩き、お喋りをしながらの鑑賞は、私にとっても素敵な時間の共有となった。