- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784822246419
感想・レビュー・書評
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「世界を変えたこの10冊」、「レーガンとサッチャー」、日経電子版の購読開始。
いくつかの要素が、この本の呼び水となった。
歳を取ってきて、素直に人の言葉に耳を傾けることができなくなってきたからなのか、仕事中、もっと個人の自由にさせたらいいのにと思う機会が増えてきた。
確かに縛ってしまえば、コンスタントに70点の成果を出してもらうことはできるだろう。しかし、それでは、100点を越えることはできないし、やってる本人にはワクワク感が全く湧いてこない。
そんな息苦しさを吹き飛ばしてくれる一冊。
私が息苦しさを感じる場面と、筆者が自由を論じる場面は異なる。ただ、底流には、無用な制約を取り除き、個人の能力に賭けてみようという思いが共通しているように思う。
これを1960年に主張していたというから、驚きである。
変に学術的すぎず、論旨も明快で、爽快感を味わえる一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
正確には「自由」と「資本主義」ではないかな。
社会福祉や政府の役割を拡大する話は効果がすくなることと
不効率でありエゴによる独裁や戦争を招くという
自由からの自由主義の話は人間洞察としても理解できる。 -
発表から長い期間が経っても、学ぶべきものが多い名著。
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序章
第1章 経済的自由と政治的自由
第2章 自由社会における政府の役割
第3章 国内の金融政策
第4章 国際金融政策と貿易
第5章 財政政策
第6章 教育における政府の役割
第7章 資本主義と差別
第8章 独占と社会的責任
第9章 職業免許制度
第10章 所得の分配
第11章 社会福祉政策
第12章 貧困対策
第13章 結論 -
「資本主義と自由」M.フリードマン/村井章子 訳
経済学書。白。
日経BPクラシックス。
50年前の古典とは全く思えない、現在の経済問題をそのまま検討することのできる名著。
根本的な立脚点に共感出来るならば、数学的手法によらずとも納得できる言論にコマされそうになります。
現在の資本主義一辺倒に???と思う人は、一読をお勧めします。
とはいえ自分自身としては批判的に読解したいなと思う点多々なので、(4)
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@全体として、[新自由主義]に関する本
@[自由競争市場]について、[政府の介入の弊害を個別の事案に対して検討し]詳しく述べている
@[構成]なぜ経済的自由が標榜されるべきなのか?→金融、財政、労働政策の不当性について→福祉的観点に関する個別の論点→自由主義は手段の平等を通じた真なる個人の自由を目的とする。
以下メモ
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p30.「二十世紀の自由主義者は、〜福祉と平等の名の下に、国家の干渉と温情主義(paternalism)の復活を支持するようになった。
p38.「市民にとっては経済面で自由であるということの方が、〜どうかすると重要なのだ。
p.45.「倫理はあらゆることについて何をすべきかを語るが、自由は倫理ではないのだ。
p46.…自発的協力=市場は、ゲーム理論における、相互協力過程を経ることで、パレート最適が図られる、ということ。
p49.「市場反対論者の心の奥底には、こうした自由そのものに対する懐疑の念が潜んでいるのだろう。
p53.…不平等な富の分配が政治的自由の庇護となった ← 情報技術のソーシャル化がくつがえす、民主化の未来。アラブの春
§第1章のまとめ
政治的自由は経済的自由によって担保されている。資本的自由がない(全体国家的社会主義)の下では、政府が政治的自由を許容するとは考えられず、資金も調達できない。
共産主義者も市場にあればこそ雇用が維持される。
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p73.「自発的な交換を通じた経済活動では、政府がそのための下地を整えることが前提となる。」
→民法、商法、財産権及び通貨制度
p83.温情的配慮「政府が介入するのは、当事者に代わって別の誰かが決断することを是認しているから
§第2章のまとめ
政府は市場に介入すべきではない。政府の市場における役割は、法整備や貨幣供給などに限られ、また「温情的配慮」による社会福祉なども必要十分に留めなければいけない。
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p112.金融政策のルール化
個々別々のケースに対して都度法整備することは、木を見て森を見ないことになりかねず、多様性の自由を阻害する。言論の自由と比定しても、一定のルールのみを決めておけば、包括的に好ましい結果を得られる。
これにあたるのが〈インフレ・ターゲティング〉であり、通貨供給量調整である。
§第3章のまとめ
信用貨幣の供給は政府に許される経済介入の数少ないひとつである。とはいえ、自由裁量に任せるのではなく、経済の安定成長に資する大枠のルールをもって実施されるのが望ましい。
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p123.「全面的な為替管理と通貨の交換停止は〜独裁体制につながりかねないものだ。
p126.「政府が金価格を決めるのは、他の品物の価格を決めるのと同じく、自由主義経済と矛盾する。金本位制と似て非なるこのような制度は、金を貨幣として使用する本来の金本位制とはまったく別物と心得るべきだ。
p129.¥80/1$の時と¥120/1$の時とでは、為替市場での投資意欲は異なるから、終局的に売買高が釣り合うということは何らかの調整が働いているということ。この調整は、金本位制のもとでは「金の流出・流入」によってなされている。
p131.自国通貨安に対する処方。
①外貨準備高を取り崩す/外国に自国通貨準備高を増やしてもらう
②物価を他国より押し下げる
③為替変動で外国通貨高にする
④政府による貿易統制や介入
これらによらず、国際収支を調整する方法は、完全な国際金本位制と変動相場制の2つしかない。
☆通貨供給量が減ると物価が下落する??
☆フリードマンは変動相場制によって経常赤字はなくなると予見したが、そうはならなかった。
p150.「アメリカは自由を信奉し、自由を実現する。自由を強制することはできないから、自由を選ぶかどうかはそれぞれの国にお任せしよう。
§第4章のまとめ
貿易収支不均衡を阻止するためには国際金融市場も自由化を進めるべきである。このためにはすべて完全な金本位制(金が唯一の実体貨幣)または変動相場制(レートが各国物価と連動する)のどちらかしかない。
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p154.「景気後退が起きるたびに〜大恐慌再来の前兆ではないかという恐怖が頭をよぎるから〜公共事業を計画し法案を成立させる。
p157.「福祉国家をめざす立場からみると、政府支出でもって総支出を安定させるという理屈は都合がよい。
p160.財政政策における投資関数の乗数効果はそうそう都合良くはいかない。限界消費性向が低い程。
p164.国債の発行が民間支出に影響しないためには、〈流動性の罠〉、〈投資の限界効率の利子弾力性がゼロ〉という極端な二条件が必要となる。「どちらの条件も該当しなければ、どうなるか。」
→財政支出、M不変→IS右シフト、LM不変→Y+、r+
M=kPY より(P一定とすれば) Y不変でなければならず、r+
(M不変なので M = aY - br でa+?つまり取引的需要大??
(古典的二分法は?
§第5章のまとめ
財政政策に所得を増加させる効果はない。
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p178.「外部効果を理由に学校に政府予算を投じるだけでなく政府が運営まですることについては、そうしないと、民主的で安定した社会の基盤となる共通の価値観を教えられないからだという主張がよくなされる。
p182.「〜貧しい家の子供も豊かな家の子供も同じ一つの学校に通うしかなかった昔の小さな町のイメージで考えていないだろうか。そのような状況では、公立学校はたしかに機会均等の役に立っただろう。
p187.「官僚的な組織では給与の画一化はまず避けられず、〜労働者の大半は給与の均等化を歓迎し、能力給に反対するものだ。
p195.職業・専門職教育は「言わば人的資本への投資であり、機械や建物など物的資本への投資と基本的に同じである。となれば、投資の目的は、人的資本の経済生産性を高めることとなる。
p200.「理由はどうあれ、人的資本への投資不足が市場の不完全性に起因することはまちがいない。
p202.「必要なのは所得の再分配ではなく、人的資本に投資する資金が、物的資本に投資する資金と同じ条件で調達できるようにすることで〜「会社の株に投資するように、個人に持分投資する仕組みを政府が用意することが考えられる。
§第6章のまとめ
教育は人的資本の市場であり、政府がなすことは教育の運営や補助金を出すことではなく、物的資本の市場と同様に自由市場を実現することである。
基礎教育では、義務教育費分の支給と、教育団体の監督。
大学教育では、個人に対する補助金の給付。
職業・専門職教育では、個人に対する持分投融資事業の仕組みづくり。
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p212.「差別をする人は、その代償を払わされる。
→負担金や専売規定を設けることで"機会が失われる"。
p214.公正雇用慣行法の弊害。私企業の雇用の自由に干渉する。「〜強制されてもいない損害を防ぐのに政府を使う理由は何もない。」
多数者Aと非差別者Bがあったとき、AとBが同等の条件の際に"Bを選択しなければならない"のは妥当ではない。"Bを不当に差別してはならず"、差別的見地において合理的な区別があるならば"Aを選択する自由は差別ではない"。
§第7章のまとめ
資本主義においては、差別を撤廃する差別が自由競争を阻害する。
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p235.労働組合は労働市場の独占。「労働組合が賃上げに成功すると、そこでの雇用は必ず減ることになる。〜その結果、職探しをする人が増え、他の職種や産業では賃金水準が押し下げられる。
§第8章のまとめ
独占には、産業の独占、労働の独占、政府が関与する独占がある。
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p273.「独占を防ぐ何らかの措置をあらかじめ講じておくことはできても、消費者の利害が広く薄く分散しているのに対し生産者の利害は集中しているので、結局は独占化を完全に食い止めることはできない。
登録制、免許制がなくとも評価軸が働いているのが、いわゆるネット上での「口コミ」。
§第9章のまとめ
p290.免許制などの仕組みは実験や研究開発の余地を狭める。これに比べると市場は多様性に寛容で、専門知識や能力が広く活用され、特定集団の新しい試みが妨害されない。市場では、どれがいちばんいいかを選ぶのは消費者であって、けっして生産者ではない。
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分配の根拠。「格差を均す格差」金銭的以外の利益も含めて総和を平等とする。
所得の再分配の否定根拠として、宝くじへの投資。事後に再分配するならば、くじの存在意義を否定するに等しい。
p301.生産に応じて払われるのは、所得ではなく資源の分配である。
p306.「資本主義社会の方が他の体制の社会よりも所得や富の不平等が少ないということだ。
p310.資本主義社会では身分や階級は崩壊し、流動性が高まる。
§第10章のまとめ
累進的な所得税は特にこれから資産を築こうという人に対して意欲を削ぐ。所得の再分配は、費用と生産の総量を無視した、多数派による私有財産の侵害である。
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p323.低所得者層への社会保障に対して「自由主義者としては、責任ある大人に対してこのような態度で臨むことは認めたくない。」
結局論拠はこれなんだよな。すれば、「温情的配慮」とそもそもの立脚点で相入れない。
⇔
p338.「筋金入りの温情主義者がこう言い出したら、論理の誤りをついて意見を変えさせるのは不可能である。〜たとえ慈悲深く、多数決を重んじるとしても、彼らは根本的には独裁主義者である。
p326.最低賃金法、などに代表される"市場に対しての貧困層救済政策"は、結局市場原理によって破棄される。いわく、最低賃金を引き上げれば雇用は減るし、雇用義務を課せば費用が価格に転嫁される。
p328.米・農産物価格支持制度/日・戸別補償プログラム
消費者は二重に損をしている。
老齢年金の世代間格差。不公正以外の何物でもない。(所得の再分配)
p338.「自由を信奉するなら、過ちを犯す自由も認めなければならない。〜人が自ら選んだことを強制的にやめさせる権利はどこにもない。
§第11章のまとめ
社会福祉は温情配慮者のお節介であって、社会的損失と自由の阻害をもたらす。独裁主義の考え方と言ってよい。
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p347、負の所得税の提唱。負の方向にも累進的にすることもよいと思われる。
p353.「自由主義者は、権利の平等・機会の平等と、物質的平等・結果の平等との間に厳然と一線を引く。
「平等主義者はさらに一歩を踏み出そうとする。彼らが「誰かから取り上げて別の誰かにあげる」ことを認めるのは、目標を達成するための効率的な手段だからではなく、「正義」だからなのだ。
§第12章のまとめ
貧困に対しては無条件に所得の再分配をするのではなく、現行の社会保障プログラムを撤廃したコストを流用する形で「負の所得税」を検討するべきだ。
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p363.政府の施策が持つ重大な欠陥は、公共の利益と称するものを追求するために、市民の直接的な利益に反するような行動を各人に強いることだ。 -
自由主義、資本主義の立場から政府介入の問題点を指摘したもの。政府が介入すべきは、独占と外部性が生まれる場合のみ。それ以外は市場に任せるべきだと。
また、ケインズによれば政府支出には「乗数効果」があるとされるが、それは所得が消費に回される前提のもの。得られた所得が消費されなかったり民間投資の肩代わりとして政府が支出するのなら効果はない、とも。確かに。個人・法人問わず、いわゆる内部留保をいかに減らすか(将来への不安、リスクへの不安をいかに減らすか)が大切なんだろう。
ただ多少視点の偏りを感じるのも事実。バランスよく読書したい。 -
極めて明確な論理展開。極論的な例示はややもすると過激。ケインズ経済の疲弊、社会主義の台東という当時の背景を思うと、フリードマン氏の主張が如何に刺激に満ち溢れていたかがよく分かる。
彼の主張はダーウィンの進化論に似ている。計画経済は結果的に歪を生み、自然競争こそ経済の均衡が図れるという。
変動相場制や規制緩和など彼の業績は数知れないが、規制なき経済の行く末であったリーマン・ショック、そして昨今のTPP議論と、自由主義経済のあるべき姿を今一度考える良い機会かもしれない。