スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐 [DVD]
- 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988142332127
感想・レビュー・書評
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エピソード4から登場する人物も出てきて、また4から観直したくなった。
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クライマックスで耳に響く英語のセリフ。時制が聞き取れてしまったことが辛い。
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『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(原題:Star Wars: Episode III Revenge of the Sith)は、2005年米映画。
アメリカのスペースオペラである『スター・ウォーズ』シリーズにおける実写映画本編の第6作品目で、アナキン・スカイウォーカーを主人公とする新三部作の最終章『エピソード3』に当たる。
クローン戦争の終結と、アナキンがフォースの暗黒面に堕ちてしまう悲劇を描き、ダース・ベイダーと銀河帝国の誕生が主要なテーマとなっている。また、エピソード4でオビ=ワンがルークに語った、ジェダイがダース・ベイダーに抹殺された経緯と共にアナキンがシスに寝返った経緯が描かれ、旧三部作における主人公となるルーク・スカイウォーカーと、レイア・オーガナの誕生など、旧三部作への布石が随所で張られており、新三部作と旧三部作を繋ぐ重要な物語でもある。
冒頭のコルサントの戦いなど過去の本シリーズの実写映画本編に比べて派手なカメラワークが目立ち、他のVFX工房作品の大ヒットで王座を追われつつあるILMにとっては『宇宙戦争』や『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』と並び、2005年の勝負作と言われた。
アメリカ(MPAA)では、本シリーズの映画で初のPG-13(13歳未満の鑑賞には、保護者の強い同意が必要)に指定された。
興行的には成功したものの、1年で最低の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞でアナキン役のヘイデン・クリステンセンが最低助演男優賞(彼が主演にもかかわらず「助演」扱いされただけでなく、キャスト順ではオビ=ワン・ケノービ役のユアン・マクレガーが先頭に記載された)とされる結果となった。
2005年の間に全世界で関連商品を30億ドル以上売り上げ、LIMA(International Licensing Industry Merchandisers Association。国際ライセンシング産業マーチャンダイザーズ協会)から「ベスト・ライセンス賞」に選ばれた。
予告編では当時シリーズ最終作を銘打ったこともあり、“The saga is complete”という文字がラストに表示されていた。
本作の後、『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』はワーナー・ブラザース、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』以降はウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが配給を行ったため、本作は20世紀フォックスが配給を行った最後の『スター・ウォーズ』映画でもある。
ストーリー:
遠い昔、遥か彼方の銀河系で…。
クローン戦争の勃発から約3年が経過し、戦争は銀河共和国優位の情勢にあった。しかしそんな中、パルパティーン最高議長が惑星コルサントに襲来した独立星系連合軍に捕らえられてしまう。コルサント上空で繰り広げられる艦隊戦の中をパルパティーン救出に向かうオビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーは、パルパティーンが捕らえられている敵の旗艦インビジブル・ハンドに突入し、再びシスの暗黒卿ダース・ティラナスことドゥークー伯爵と対決、アナキンはこの戦争で鍛え上げられ遥かに力を増し、以前は自身を圧倒したドゥークーを体術を織り交ぜた戦術で両腕を切り落とし勝利する。パルパティーンはドゥークーに止めを刺せとアナキンを扇動し、アナキンはドゥークーの首をはねてしまう。墜落寸前のインビジブル・ハンドからオビ=ワン、アナキン、パルパティーンは無事生還する一方で、分離主義勢力のリーダー格であるグリーヴァス将軍も無事脱出していた。
帰還したアナキンは妻パドメ・アミダラの妊娠を知るが、やがて彼女が出産で死亡する予知夢にうなされる様になり、かつて母シミ・スカイウォーカーを死なせた悔恨からより強い力を求めようとする。一方、ジェダイ評議会は非常時大権を盾に長年権力の座にあり続けるパルパティーンに疑いの目を向けていた。評議会はパルパティーンと親しいアナキンをスパイとして情報を探ろうとするが、アナキンのジェダイ・マスターへの昇格は認めず、アナキンは自身に対する処遇に不満を抱く様になる。
そんなアナキンに、パルパティーンはフォースの暗黒面の力を説き、パドメを救う方法があると囁く。彼こそがすべての黒幕であるシスの暗黒卿ダース・シディアスその人だったのだ。メイス・ウィンドゥにその事を報告したアナキンだったが、パドメを想うがあまりにパルパティーンの誘惑に屈し、パルパティーンを追いつめたメイスを逆に倒してしまう。遂に暗黒面に堕ちたアナキンは、シスの暗黒卿としての新たな名「ダース・ベイダー」を与えられる。
アナキンはクローン・トルーパーを率いて、ジェダイ聖堂に残っていたジェダイ達を幼い訓練生も含めて全員虐殺し、各星系で戦っていたジェダイ・マスター達もパルパティーンが発した極秘命令「オーダー66」により、次々と非業の死を遂げる。難を逃れたジェダイは、オビ=ワンと、チューバッカの助けにより落ち延びたヨーダと一部の者だけだった。親ジェダイ派の元老院議員ベイル・プレスター・オーガナの助けでコルサントに戻ったオビ=ワンとヨーダは、アナキンがシスに堕ちた事を知る。
アナキンは更に惑星ムスタファーでヌート・ガンレイら分離主義者の幹部を抹殺し、ジェダイを糾弾して全権を掌握したパルパティーンは銀河帝国皇帝を名乗る。アナキンを追ってムスタファーに到達したパドメは、愛する人のあまりの変貌に絶望する。そこにパドメ艇に密航していたオビ=ワンが現れ、見かけたアナキンは思わずパドメの首を絞めつけ、遂に運命の師弟対決が始まった。一方コルサントではヨーダがパルパティーンに一騎討ちを挑んでいた。激しい戦いの末、ヨーダはベイル・オーガナの船で敗走。 一方ムスタファーではオビ=ワンはアナキンの両足と左腕を切り落とし、アナキンが溶岩の近くで全身に大火傷を負われる姿を見届けつつ、アナキンに苦しめられて倒れたパドメを連れてパドメ艇でムスタファーを去る。
パドメは息子「ルーク」と娘の「レイア」を産むと、息を引き取る。アナキンはパルパティーンに救われ、コルサントの医療機関で大火傷の手術を受け、生命維持装置を取り付けダース・ベイダーとして暗黒卿の姿へと変貌する。 最後のシーンでダース・ベイダーとパルパティーン皇帝は巨大宇宙要塞「デス・スター」の建設作業を査察する。そしてレイアはベイル・オーガナ、ルークはタトゥイーンのラーズ夫妻に引き取られる。(ウィキペディア) -
映画館で観たとき途中で寝てしまったのを思いだした。ようやくダース・ベイダーになったのが分かった。
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スターウォーズ・シリーズ全7作の最終作品。
最初の作品が1977年だから、28年にわたって撮り続けられた壮大なSF映画ということになります。
考えたらすごい話だなあ。
まあ1961年からはじまって日本でも300巻以上が出版され、今後いつ終わるか誰もわからないという宇宙最長のSF小説「ペリーローダン・シリーズ」(ドイツ語原作はその4倍の長さで、現在も毎週出版されているという)に較べればかわいいものではありますが。(まさかこれを映画化しようとする人はいないだろうな)
今回の映画は、前2作、エピソードⅠ、エピソードⅡに較べれば面白かったと思う。
どこが面白かったかというと、ああなるほど、こういうふうにしてエピソードⅣに繋げるのかあ、と了解できた部分かな。
もちろんいまいち疑問な点もなきにしもあらずだけど。
あれ、レーア姫とスカイウォーカーって双子だったっけ。
こっちもうろ覚えだし、30年前に作った話とつじつまをあわせてるんだかから、すこしぐらいへんなところがあっても、まあ気にしない気にしない。
でもR2D2かC3POかを、記憶を削除した上で、生まれてきた子供に付き添わせるというのは非常にマズイんじゃないでしょうか。
パドメの子どもたちが生きていると分かったら、ベイダーやシスが血眼で探すはずなのに、製品番号か何かで昔使っていたロボットの居場所がすぐ分かるような危険なマネは絶対にしないと思うんだけど。
スペースオペラなんだから、そんな重箱の隅をつつくようなことを言わなくてもいいじゃないかといわれればそのとおりなんですけどね。
第一作のエピソードⅣから見始めた観客としては、やっぱりこのシリーズ、ハンソロ船長(ハリソン・フォード)が出ていた頃の方が面白かったなあ。
彼がいなくなってから、どうも映画が一本調子になってしまった気がします。
ああいう魅力的な脇役というのは、物語に幅をもたせる上で大切なんだろうなあ。
時代を一世代遡った第1作目(全体では第5作目)のエピソードⅠでは、凄く綺麗で不思議な髪型のナタリー・ポートマンが出てきて、異星人っぽくてよかったんだけれど、Ⅱ、Ⅲと進むにつれて、普通の恋する乙女、普通の妊婦へと、こういってはなんだけど、ありふれたキャラクターになってしまって、だんだん存在感がなくなってしまいました。
なにより致命的なのが、なんでも許されるはずのSFというジャンル、その中でも荒唐無稽が売りもののスペースオペラなのに、時代を遡ったせいで、舞台設計に大きな制約が課されしまったことだと思う。
SFというのは、やっぱり新しい魅力的な仕掛け、予想もつかない最新兵器や超未来的な道具やシステム、奇抜なデサインやコスチューム、異様な宇宙人、奇怪な異世界、そういうのがどんどん登場してきて、物語もどんどんふくらんで、もう支離滅裂なぐらい壮大な舞台背景になっていくのが常道だと思うんだけど、Ⅰ、Ⅱ、ⅢはエピソードⅣより時代的に古いせいで、そういう新しい道具・新しい映像を出せなくなってしまった。
SFであるにもかかわらず、時代考証をある程度考えざるをえなくなってしまったわけです。
作る方としては、さぞ頭を痛めただろうし、きっと面白くなかっただろうなあと思う。
あのどでかい宇宙船の腹部のシーンを延々と見せた第1作の冒頭のシーンは、当時の観客の度肝を抜き、SFファンを狂喜乱舞させたものだけど、そういう映像的なインパクトを与えることができなくなったのは、SF映画にとっては大きなハンディだったと思います。
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの帝国と革命軍の戦闘シーン、いずれもそれまでのシリーズの焼き直しだとしか思えませんでした。
最後に登場する最新兵器がデススターなんてのも、じつに情けない。
登場人物は誰もその威力を知らない最終兵器ということになっているけど、観客にとっては30年前の旧式兵器を見せられているわけですからね。
こういう新兵器も珍しいといえば珍しい。
物語の展開も、いかにしてⅣに収斂させるかという、拡大発展が命のスペースオペラとは逆方向の展開。
テーマはもちろん、主人公アナキンがいかにしてダースベーダーに身を落とすか、シリーズの展開上これしかないわけです。
でも加えて言えば、破天荒なスペースオペラと、緊密な状況描写が必要な心理ドラマが相性がいいわけないですね。
真面目に心理描写すればするほど、なんでこんなに異常な背景なのに、人間の心理だけ普通なんだろうとか、はるか遠い未来が舞台なんだから、その頃の人間の心理も今とは違ってるんじゃないのという根本的な疑問に行き着いてしまうし、そんな背景でなんで古くさい人間ドラマを見せられなくちゃならないのということで、真面目に関わり合わないようにするのがSFの決まりごと(だと思うけど。違うかな?)。
だからパドメもアナキンも一生懸命やっているけど、まあ無理なことやっているわけで、この2人の演技を見て、アナキンの転落は必然であった、2人の悲劇的な運命に涙を誘われるとか、そんなところまで観客に期待するのはなかなか難しいと思う。
映画として最低限やらなければないけないことは、結果はみんな知っているわけだから、そこに至るまでの妥当な理由を示すことで、それ以上の部分、2人の生涯に関してなにがしかの感動を与えるという部分、それは無理でしょう。
作る側も、そこまで期待はしていないと思うな。
で、見た感想としては、妥当な理由という点ではまあ違和感なかったし、全体としてよくぞエピソードⅣまで話をつなぎましたね、めでたし、めでたし、パチパチパチというところでした。
それでオシマイといえばオシマイの映画ではありました。
否定的なニュアンスで語りましたけど、でも、けっして不出来な映画というわけではないと思います。
そういった厳しい制約の中で、やれることは精一杯やっている映画でした。
いずれにしろ、これまでスターウォーズを見続けたファンは、その最後を見届けるために見にいかなければならないでしょう。
エピソードⅣ公開時のエポックメイキングな当時を思い起し、このシリーズが現在のSF系映画の隆盛に与えた大きな貢献を考えれば、SF映画ファンにとって必見の映画だといっていいかもしれません。
(大長編小説の最後の一冊を読み終えないと、読んだとはいえないという意味に似ているところもありますけどね) -
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【要約】
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【ノート】
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