007/スカイフォール 2枚組ブルーレイ&DVD (初回生産限定) [Blu-ray]

監督 : サム・メンデス 
出演 : ダニエル・クレイグ  ハビエル・バルデム  レイフ・ファインズ  ナオミ・ハリス  ベレニス・マーロウ  ジュディ・デンチ  ベン・ウィショー 
  • 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
3.79
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本棚登録 : 754
感想 : 146
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988142945921

感想・レビュー・書評

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  • ジェームスボンド映画50周年の記念すべき作品。

    過去の作品へのオマージュもちらほらあり、ボンド作品をすべて観ている私には大満足の作品だった。

    今回はメインはボンドとMの信頼関係だからボンドガールへのフィーチャーがいまいちだけどね。

    ダニエル・クレイグになってからは無骨なドSって感じだから、今までのチャラい感じとか甘い感じはないのよね、私はそっちの方が好きだけど。

    このメンバーでの次回作は楽しみでならない。

    トムフォードの衣装、さすがのかっこよさ。
    列車に飛び乗ってスーツ直すシーンとか悶絶ですよ♡

  • 派手さはないけど、いちいち格好いいボンドとMに焦点を当てたストーリーが良かった。
    地味だけど洗練された世界とアデルの主題歌がマッチし過ぎていて冒頭から痺れる。エンディングでも流して欲しかった。
    ジュディ・デンチのMがこれで終わりなのは寂しいけど、お疲れ様でした。いい最期だった。

  • いや満足です!
    ダニエル・グレイグ作の「カジノ・ロワイヤル」があまりに面白かったので前作「慰めの報酬」にはちょっと納得いかなかった私ですがこれは面白かった!

    ジェフリー・ディーヴァーの小説にはこう繋がるのかぁと関心するところもあったりと色々な面で楽しめます!

    尚、ちょっと気になるところが.....


    ....本作のボンドガールはやっぱり....あの人なんでしょうか?

    何にしてもお勧めですっ!

  • 2作目でちょっと疲れたけど、巻き返した感じ。旧シリーズを知っていれば楽しめるところも用意され、娯楽要素もたかまった。

  • いつもなら、マカオの売春婦がカギを握る展開になりそうなのだが、そこは今回は変えたのか、けっきょくばあちゃんを軸に最後まで突っ走っていた。事前の講評で、ボンドが感傷的なのが良い/悪いという二分論に終始していた。いざ見てみると、視野狭窄な見方だ、と分かる。讃えられるべきは、モトクロスバイクによるバザールの屋根の上の横移動(どうやって撮ったのか検討もつかない)であり、そこにあったのか!と思わずうなる往来のアストンマーチンが少ししか活躍せずヘリの機銃掃射によって、日本の桜のようにはかなく散るシーンなどである。個人的には、マカオのビルにうつるクラゲやカジノのソフィスティケイテッドさ(監督のドヤ顔が腹立たしいが)が出てるシーンが金がかかってそうでよかった。あと、スコットランドの荒涼さも。一言でいうと、見ても見なくてもどっちでもいい。

  • 007シリーズが大好きで、映画館で観ました。
    結構軽い気持ちで観に行ったのですが、かなり楽しめました。テレビでの予告しか見ずに行ったので、ほとんど内容を知らずに観、衝撃的な展開で少し驚きました!!!!
    これはDVD化したら購入したい!!!と思います☆

  • 007って、こんなに派手にドンパチやってたっけ? と思うほど、アクションが凄かった。香港映画かよ!? いや、やはり007らしくゴージャスではあるのだけど。スタントマンに心から敬礼。

    スカイフォール、いろいろな意味を含んでいたんだなぁと、映画を観て感心した。ボンドの両親のことが出てきたり、Mの過去が絡んできたり、そういう意味ではシリーズの節目的作品なのかもしれない。

    ハビエル・バルダムの悪役ぶりが気持ち悪くて、めちゃくちゃ印象的でした。ダニエル・クレイグとは真逆な容貌なのも面白い。そして、二人があまりに目立っていたため、ボンドガールの印象があまり残らなかったとも付け加えておく。いや、もしかして、真のボンドガールはジュディ・ディンチだったのかも……!?

    軍艦島もバッチリ映っていた。どこにある島なのかがわからない、という流れの体で登場していたけれど、でもあれを見ると、マカオ沖にあるみたいに思えるかも。

  • 映画007シリーズは誕生から50年。荒唐無稽なスパイ映画の代表格として現在では親しまれる同シリーズも、長い歴史の中で何度かリアルの血を入れようとしたことがあった。例えばジョージ・レーゼンビーをボンド役に迎え制作された『女王陛下の007』は、原作の持つスパイ小説としての陰影、ハードな部分を押し出そうと制作された。しかし興行的にはショーン・コネリー時代ほど振るわず、観客の評判もよくはなかった。これによりシリアス路線を推す一派はシリーズの制作から退くこととなり、大衆コメディ路線を主張してきた人間が中心となり3代目007(ロジャー・ムーア)が作られる。

    ロジャー・ムーアが元々備えていたコミカルな雰囲気と作品の荒唐無稽な楽しさとが噛み合い興行成績はV字回復。ムーアはシリーズ中興の祖となる。

    だがしかしと言うべきか。何作も作り続けていると制作陣には再び迷いが生じ始める。確かにムーアのボンドは興行的に成功し大衆映画として大成功を収めたが、イアン・フレミングの原作からは大きくかけ離れてしまった。スパイ小説としての矜持を取り戻そうじゃないかという揺り戻しが起こる。ボンド役をロジャー・ムーアからティモシー・ダルトンに代えて制作された『リビング・デイライツ』では、ボンドは本来の殺しのプロとして登場するし、次の『消されたライセンス』でもムーア時代には見られなかったハードな一面を覗かせる。こうした制作陣の挑戦は残念ながら従来の007ファンには受け入れられなかった。興行成績は2作続けて下降し、シリーズそのものの方向性を再検討せざるをえなくなってしまった。

    ピアース・ブロスナンを新たなボンド役に迎え次作『ゴールデンアイ』が制作されるまでには6年を要した。

    ブロスナン時代にも制作陣はリアルさを導入しようとした。現代でスパイ物を取るには「リアルであること」はもはや避けようがない。現代で昔どおりの007映画を撮ってもコメディにしかならないのは明白だった。だがリアルさの導入と言っても、それはあくまでジェームズ・ボンドのキャラクターを壊さない範疇のものであった。最後にボンドのテーマが鳴り響けばジェームズ・ボンドはボンドなのだ。いつもどおり無敵っぷりを発揮して悪人を叩き潰す。

    いやさ。しかし、それって最後はボンドのキャラにおんぶに抱っこして、昔から何も変わってないじゃんと思ったか知らないが、ボンドの設定を刷新して撮られたダニエル・クレイグ版007ではリアルさの導入が一気に加速した。

    『カジノ・ロワイヤル』は私たちがかつて知っていた007映画ではない。だからといってこの映画を貶める気は一切ないが、しかし決定的に違ってしまっているのだ。かつて007は世界よりも大きかった。ボンドのテーマが鳴り響けば彼は無敵状態となり宇宙の法則さえ曲げて見せた。ボンドのテーマとは、スーパーマリオブラザーズでマリオがスターを取ったときに流れる、あの軽快なBGMと一緒なのだ。あれが鳴り響けば世界は007に跪く。そうしたボンドが世界を支配する瞬間、あの高揚感が『カジノ・ロワイヤル』以降の007にはない。

    『カジノ・ロワイヤル』は単体として見たら面白いスパイ映画に仕上がったと思う。イアン・フレミングの原作を巧く引用しながら、007のキャラクターを保ちつつ現代のアクションを加えた。なのに悲しいかな007ではない。

    ダニエル・クレイグ版007の特徴を一言で表すなら「007をヒーローではなく、一人の人間として描く」ことにある。ジェームズ・ボンドという世界一有名なスパイの存在を決して特権化することなく、我々と同じ人間として悩み苦しみ考え走ってもらう。それがダニエル・クレイグ演じる新ボンドだ。ダニエル演じるボンドは世界を掌握することができず、敵に毒を盛られた彼は心停止状態をエヴァ・グリーンに助けてもらい、何とかカジノのテーブルに戻ると悪役に軽口を利いてみせるのだが、それは旧シリーズにあったような無敵のヒーローの帰還ではない。この瞬間を決してカメラは高揚させずすぐに切り替えてしまう。

    『カジノ・ロワイヤル』はコピーにもあったとおり「ボンドがジェームズ・ボンドになるまでの物語」だった。新生ボンドはこの映画で爆誕したのである。

    してみると今回の『スカイフォール』は何なのだろうか。

    本作でボンドは「老いたスパイ」として描かれる。味方の誤射により生死不明の状態で行方をくらましたボンドは、本部が何者かに爆破されたことをテレビのニュースで見て帰還する。彼の上司Mはそんなボンドに冷たい。「あなた一人に何ができるの?」と言いたげだ。もはや無敵のヒーローでなくなってしまったジェームズ・ボンドにできることは限られている。彼は復帰テストを受けるが体力テスト、射撃テスト、心理テストいずれも不合格。Mは現場に復帰させるが本来ならデスクワークに回らなければならない。『スカイフォール』では至る所に古いものと新しいものとが対置される。全盛期を過ぎ職務遂行能力に疑問符が付けられるボンドは古いものの筆頭だ。他にも兵器担当のQが若い兄ちゃん(ベン・ウィショー)に代わっており、彼は旧シリーズに出てきたペン型爆弾を「古くさいオモチャ」と言い、ボンドには指紋認証式のワルサーと小型発信器を渡す。「装備は無傷で返して欲しい」の一言も忘れずに。

    この辺りでやめておけば良いのに『スカイフォール』の新/旧対置は続く。途中からは主題的一貫性を離れ単なる説明になってしまっている。

    ボンドを私たちと同じ一人の人間として描くことがクレイグ版007の特徴だと先に述べたが、それと同じく本作では悪役の造形にもリアルさが求められている。旧シリーズにあったような「世界征服を企む悪者」ではなく、複雑な事情とMに対する愛憎相半ばする想いとに突き動かされロドリゲスは彼女の命を狙う。彼はかつての上司Mを母さん(Mother)と呼ぶのだが、これはボンドがMの命令に答えるときの「YES,Ma’am(女性上司への敬語)」と対になっており、あたかもボンドの「YES,Ma’am」は「YES,mom」と言ってるかのように聞こえる。

    Mにとってボンドとロドリゲスは自分の内から生まれた子供のような存在である。過去の作戦中に捕まり敵から拷問を受け続けたロドリゲスは、最後まで口を割ることなくmomを守り抜き、見捨てられたのだと知るや自ら奥歯に仕込んだ青酸カリを飲む。しかし死にきれず地獄の淵より生還した彼はMを執拗に付け狙うのだった。もう一人の息子であるボンドはMを守って戦う。一人の人間が生み出した善と悪との戦い。またボンドにとっては古い自分を打ち壊し新たなステージに進むための戦いでもある。新生ボンドが誕生するための通過儀礼。

    ……なのだが。何ともまだるっこしく小賢しい高校生が考えたような映画ではないか。退屈で退屈で途中ペプシがなければ眠ってしまってたぞ。

    あらゆる行動や言葉に意味が先んじており、意味なくしては何ひとつ存在できない世界がここにはある。アクションに遅れて意味が到達するのではなく、意味がアクションを連れてくる。この息苦しさが現代的と言えば現代的ではある。物語の意味内容などより。

    ジェームズ・ボンドは世界を支配できなくなった。それはボンドが小さくなってしまったのか。違うだろう。小さくなったのは世界の方なのだ。

    I am big! It’s the pictures that got small.

    本作はジェームズ・ボンドが21世紀にも生き残っていくため、どうしても経験しなければならない場所だった。この作品によって007は今しばらく延命されるだろう。そのために『カジノ・ロワイヤル』で誕生したはずの新生ボンドを、もう一度ここで生まれ変わらせたのだろう。短期間に爆誕話を2回もやるなよとは思うが。

  • 映像がカジノロワイヤル、慰めの報酬と比べていちばん好み!監督が違うとこんなに映像って変わるものなのかと思った。
    Qが可愛い。シルヴァのサイコパス感が超良くてMとのラストシーンに頭抱えた。

  • 「007/スカイフォール」評判通りの良作。高画質のゲーム画面を観ているような映像美。初代ボンドのような軽妙・小粋さは薄く、シリアス。非情な世界だが信頼がある。ゴジラとシンゴジラは違うがそれぞれ良いようにDクレイグボンドも良い。Mが好き。Mのくれたもの私も欲しい。ボンドの過去、Qやマニー・ペニーも登場。軍艦島が撮影地。シアン化水素は怖い。

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