- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004312345
作品紹介・あらすじ
戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。
感想・レビュー・書評
-
戦中からの戦後へと。著者の経験が語られ、出会い、影響を受けた本、体験。著者の記憶を追体験しながら、読み手も過去に出会い、鶴見俊介に影響を与えた構成要素に触れていく。
登場する本の一部を書き出してみる。
『余白の春』『何が私をこうさせたか』『詩人の愛』
『ゲド戦記』『釈迦』『反動の概念』
『おだんごぱん』『星の牧場』
『思い出の作家たち』、漫画の寄生獣なんかの話も出てきて、大正生まれの著者の読み物として、その柔軟さと共になんだか嬉しくなる。
言葉は読み、なぞり、発し、いつの間にか自分のものになる。染みつき、思考化し身体化される。そんな要素が伝わってくる。
例えば、金子ふみ子。
ー 今この時は永遠の中に保たれるという直観、キルケゴールの永遠の粒子としての時間という直観と響き合う。
内山節。鶴見俊介はこれに感動した。
ー 1950年代から狐にばかされる日本人はいなくなった。大陸から仏教が日本に伝わった時、年月をかけて本地垂迹説現れ、山や川、草木自然が村の信仰となり、狐はその一部であった。狐にばかされなくなったのは、それまでの信仰が消えたということ。
トクヴィル。
ー 自分の富の増大と地位の向上を目指すことが、人間の使命だというような精神が社会を覆っていた。
読み手には二次的な影響だが、しかし、大正時代から生きた人間の語りには少なからず真理が含まれ、それは古典のようでもあり、ありがたく読んだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者、鶴見俊輔さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。
---引用終了
最後に、戦後の進歩的文化人を代表する方々の生年没年を見ておきます。
鶴見俊輔(1922~2015)
都留重人(1912~2006)
丸山眞男(1914~1996)
●2024年2月16日、追記。
著者は、ベ平連の結成時のメンバー。
ベ平連は、米軍の北爆開始を受け、鶴見俊輔、高畠通敏、小田実らによって1965年4月24日に結成された。 -
鶴見さんの作品を読むのは初めて。いろいろすごい思想と文章を積み重ねて、80代のときにたどり着いた表現という印象を受ける。平易な言葉でくり返し同じエピソードがつむがれる中に、ドキッとするような一文がまぎれこんでいる。
中でも大江健三郎のことを描いた「内面の小劇場」は圧巻。内面のせめぎ合いなしに、何かを主張することはできない。迷いながら、問い直しながら、生きていきたいと思った。 -
著者の本はお初。哲学者、思想家とのこと。
御齢80を超え、自身の戦中戦後の過去を通じて、知り得た知識や思索を重ねてきた思いなどを、自由闊達に語り尽くす。「一月一話」という連載ということは、月に1話、年間12話。それを7年間にわたり綴った、ある意味「知」の結晶だ。
2015年に亡くなられているので、最晩年の著者の、遺志に近いものだろう。
「少しずつもとの軍国に近づいている今、時代にあらがって、ゆっくり歩くこと、ゆっくり食べることが、現代批判を確実に準備する。」
「ところが歴史のない国、正確には先住民の歴史の抹殺の上につくられた開拓民の国アメリカでは、「金儲けの楽しさ」は妨げるものをもたずに展開していくことになる。」
2010年の著作、連載時期はさらにその前ではあるが、まさに現代に対する警鐘のような言葉が綴られていることに驚く。
〈もうろく貼〉という備忘を付けているという話も興味深い。からだの衰え、忘却のかなたへ消えゆく記憶と、いかに折り合いをつけて老いてゆくかの感慨も綴られる。
教育への不安と期待は、後世に送る切なる思いであろうとも思う。
「大学とは、私の定義によれば、個人を時代のレヴェルになめす働きを担う機関である。」
と、横並びの、金太郎飴しか作らない日本の教育への懸念はそうとうなもの。
「もし大学まで進むとして、十八年、自分で問題をつくることなく過ぎると、問題とは与えられるもの、その答えは先生が知っているもの、という習慣が日本の知識人の性格となる。今は先生は米国。」
青年期に米国留学もした著者ではあるが、今のアメリカの存在にも、要注意と語りかける。 -
感想
本を読むだけでは知識人は作られない。肌に触れ耳に入ったものから多くのものを吸収し血肉とできる人。一朝一夕でできると勘違いしてはいけない。 -
鶴田俊輔という知識人。しびれる。
加藤周一の「羊の歌」の隣に置いてます。 -
子どもの頃のことを実によく覚えているな、とその記憶力に舌を巻く。そして、その他愛もない(失礼!)記憶がそのまま鶴見俊輔という思想家の思考の原点/本質となって結実している。肩肘を張らず、見聞きした出来事や書物や人々などの「体感」した体験をそのまま筋の通った思索/思考につなげていくスタンスは実に無理もムダもなく、この小書の中に(も)鶴見俊輔の思考のエッセンスはそのままで立派に息づいている、とさえ言えるのではないか。おおらかに相手/自分の弱さを許容し、立場の違いを超えて普遍的な真理を目指す。これは実にアナーキー
-
とても、おじいちゃまが書いたとは思えない、するする読める文体でした。
失われた時を求めて。百年の孤独(さらば孤独)など、さらに気になってしまいました。 -
鶴見俊輔入門に最適。