- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313410
感想・レビュー・書評
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古代ローマのハイパーリアリズム(仮)
11 老い=権威、英知、名誉
頭蓋進行
36 カントーロヴィッチ「王のふたつの身体」
47 トランジ
52 遺体処理の方法
肉と骨の分離
身体の分離→複数の場所に埋葬
58 アガンベン
権力の二重化←天上の神と子イエスの二重化という神学的構造
80 教皇至上主義=フランス王家への対抗意識
サケル 聖なると呪われたという両義性
『イメージの地層』
技芸ars 職人artisan
118 パスカル『パンセ』
ポール・ロワイヤル
138 レアリテとフィギュール
人民の友 マラー
151 ロベスピエール
フランス革命
国民的催眠状態ジュリア・クリステヴァ
176 天才崇拝
→自律的存在
ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『死とは何か』「ぞっとする風習」批判
隈取り
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書架でみかけて。
むかし見た映画で、
ヨーロッパでは亡くなった人の写真を撮る風習があったと知った。
随分奇妙な風習だな、とその時思ったが、
その流れは「デスマスク」からきたものかもしれない。
ローマでは死者の蝋人形(イマギネス)が先祖崇拝の一種として屋敷に飾られ、
蝋人形をつくることが高い家柄にのみ認められた権利だったこと、
子孫の葬列に先祖の人形が持ちだされたこと、
デスマスクをとってイマギネスを作ったことが明らかにされている。
その流れをくんで、ヨーロッパの王たちは亡くなるとデスマスクをとられ、
それをもとに肖像人形をつくり、生きているかのように扱われて、
壮大なる葬儀の主役を務めたということは初めて知った。
そう言われてみれば、ヨーロッパの教会の中で、
生前の姿の大理石彫刻が施されたお墓や、
もっと生々しい人形があるのを見たことがある気がする。
(遺体からは心臓と内臓がとりさられて、それぞれ柩に収められるとあった。
まるでエジプトのミイラ?)
マダム・タッソーの蝋人形館も行ったことがあるが、
マダム・タッソーは単なる興行主ではなく、
蝋人形の製作者だったのを知っておどろいた。
有名人に生き写しの蝋人形は見て、
何となく怖いなと感じていたのは、
その起源、存在が「死」とともにあるからなのかもしれない。
いろいろ知らなかったことを知れて面白かったが、
日本では「腐敗」が進むのが早くて一カ月も遺体を保管するのは難しいだろうな、とか、
デスマスクを取るにも「平たい顔族」では全部同じ顔になってしまうだろうな、
と余計なことばかりを考えてしまった。 -
デスマスクという興味深いが、多分にイロモノ的な一ジャンルに限ってのややマニアックな評論——かと思いきや、「裏」西洋美術史とも言うべき、非常に刺激的な快著であった。
西洋美術と聞かされると、ミロのヴィーナス、モナ=リザ、ダヴィデ像、絢爛華麗な宗教画や、豪奢で権威的な王侯貴族の肖像画などがまず思い浮かぶ。それらのとりすました美しさこそが西洋美術だという私の貧しい固定観念は、本書によってみごとに転覆させられた。
為政者、富豪、革命家、天才、罪人、自殺者たちの生と死の軌跡を、くっきりと浮かび上がらせた石膏像。あの「お高くとまった」西洋美術に、かくもなまなましく、鮮烈な表現があったとは…これまで敬遠してきたジャンルに親近感が湧いた。
終章の「名もなきセーヌの娘」など、特に私好み。彼女のことは寡聞にして知らなかったのだが、俄然興味をかきたてられた。
2012/6/7読了