坂の途中の家

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022513458

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学小説】最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない。虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていく。社会を震撼させた虐待事件と〈家族〉であることの光と闇に迫る心理サスペンス。

感想・レビュー・書評

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  • 『水穂という見知らぬ女性がそのとき両手で抱いていた赤ん坊の重さ、なまあたたかさ、やわらかさが、里沙子の両手に記憶したもののように広がる。まるで自分が泣き止まない赤ん坊を抱いてそこに立っていたかのように。そうして赤ん坊の重みが、両手からふっと消える。視界には、開いた十本の指』… 浴槽に落ちていく幼児。殺人の現場を生々しく実感する主人公・里沙子。

    我が国で裁判員制度が導入されて10年を超える年月が経ち、裁判員として参加した人の数は約10万人にも達したという現在。このレビューを読んでくださっている方の中にはすでに経験済みという方もいらっしゃるかもしれません。『個人的には、始まると聞いた時から、できればやりたくないと思っていた』という角田さん。『裁判員が経験を話しにくい雰囲気がある。何とかならないかと思う』という角田さんが描いたこの作品。『過度に感情移入することによって、周りにいる人間の言葉も全部意味が変わると思った』という角田さんの言葉通り、裁判員として選ばれた専業主婦が、被告人に深く感情移入し、そこに自らを投影していく、自らを重ね合わせていく、そして自ら深く入り込んでいく姿に迫っていくこの作品。主人公・里沙子の狂おしく身悶えるような内面の葛藤が全編に渡って描かれていきます。

    『図書コーナーにいる文香を見る。このところよく会う萌ちゃんと絵本を開いてくすくす笑っている』という光景を萌ちゃんのお母さんと見る主人公の山咲里沙子。『二時半を過ぎて男の子を連れて二人の母親が帰り』、里沙子も文香を連れて自宅へと帰ります。『結婚したのは、四年前、二十九歳のとき』という里沙子は『二歳年上の山咲陽一郎』と交際一年で結婚しました。『妊娠したら産休をとって、その後また働くのだろうと漠然と思っていた』里沙子ですが『新潟に住む両親と折り合いが悪かった』ということもあり退職を選びます。『寝返りの瞬間。はいはいから立っちができたとき』という初めての事ごとを目にして『やっぱりそばにいてよかった』と喜ぶ里沙子。そんなある日、『ポストに自分の名宛ての手紙を見つけた』里沙子。『裁判所からの郵便物だった』というその手紙には『六週間後に行われる刑事裁判の裁判員候補者に選ばれたので裁判所にくるように』と書かれていました。『裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない』と思う里沙子。『八月二日から十日間』、その間、『文香はどうするのだ。断ろう。断れないはずがない』と考える里沙子。帰宅した夫・陽一郎に『断ろうと思って電話してみたんだけど』と相談します。『辞退をしたいと伝えたのだが、それは不可能』、『あくまでも今の段階では五十人から百人くらいの「候補者」』にすぎない』といわれたことを話します。『候補がそんなにいるなら、まずだいじょうぶだろう』という陽一郎。そして、八月二日、公判を前に裁判所で説明を聞く里沙子は、『戦慄に近い驚きを覚え』ます。『乳幼児の虐待死事件だった』というその裁判。『私は被告の女性と立場が似ている』、『きっと公正な判断なんてできない』、『この事件に私は選ばれない』、そう考える中、『里沙子は名を呼ばれ、立ち上が』ります。そして、補充裁判員に選ばれた里沙子が十日間の裁判に立ち会っていく中での様々な葛藤が描かれていきます。

    2009年に導入された裁判員裁判の舞台を描いていくこの作品では、『法律なんて何も知らない。裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない』という里沙子が補充裁判員に選出され、十日間の裁判に関わっていく姿が描かれていきます。この作品が週刊誌で連載されていた2011年頃には、まだこの新しい制度が導入されたばかりであり、人々の関心も今よりもかなり高かった一方で、まだまだ選出された人も少ない時代です。そんな中で『法律に詳しい人も、社会でばりばり働いている人も、知識経験の豊富な人も大勢いる』、自分が選ばれるはずがないと考えていた里沙子。専業主婦として家に閉じこもりがちなこともあってその不安は日に日に増していきました。そんな不安を和らげるように『専門知識ではないんです、社会経験で判断できることなので、心配しないでください』という説明を最初に受ける里沙子。実際に作品で描かれる『評議』の場面でも、専門用語はほとんど登場せず、様々な年齢、様々な立ち位置の人々が、自らの経験を踏まえて自由に意見を述べ合う場面が描かれていきます。そんな中で、性別、年代の共通点、そして育児中でもある里沙子は『私は被告の女性と立場が似ている』ということを強く意識します。『八カ月と二歳十カ月』とどちらも育児の真っ只中で専業主婦であるという共通点を持つ二人。考えれば考えるほどに『きっと公正な判断なんてできないだろう』と思い悩む里沙子。そんな里沙子の不安は現実のものとなっていきます。

    『あの人がまさか、と、何かの事件が起きたとき知り合いはみんな言う』。何か事件が起きると『あんなやさしい人がまさか』というインタビュー映像が必ずといっていいほど流れるものです。この作品の被告である安藤水穂もそれは同じこと。そして、被告人席に座るそんな水穂の心中に隠された育児の苦悩を証言により知っていく里沙子。『うまく寝かしつけられない、あやせない、体重が増えない等、子育ての自信のなさ』というようなものは、子育てにはつきものとも言えるある意味で一般的な悩みです。それもあって、『そんなの、少し待てばすぐ終わったのに。赤ちゃんのころなんて一瞬なのに。あなたのなかにはおかあさんのもとが入っていなかったの?』と一歩引いた立ち位置で捉えていた里沙子。しかし、被告、被告の夫、そして被告の母親などの証言を聞いていく中で里沙子の内面に変化が生まれていきます。それは『どうして忘れていたんだろう?どうして忘れられたんだろう?』という里沙子自身も同じように苦しんだ過去の記憶でした。『数珠つなぎ的に思い出された』というそれらの苦い記憶。『考えまいとするのに、気がつけば、里沙子は文香が八カ月だったころを思い出している』と、水穂にどんどん自らを投影し、重ね合わせて、そしてその思いに入り込んでいく里沙子。そんな里沙子は『忘れていたのではない、忘れていたのではなくて封印したのだ』と過去に自らが犯した過ちを思い出していきます。それによってどんどん自らを追い込み、自らを追い詰めていく里沙子。ついには『そもそも、私は、文香を愛しているのだろうか』と思い詰める里沙子。そんな里沙子は、『私はあの女性を裁いていたのではない、この数日、ずっと自分自身を裁こうとしていたのだ』とその苦しみの理由に思い至ります。

    この作品では、最初から最後まで、里沙子の視点から物語が描かれていきます。そのために読者はもがき苦しむ里沙子の内面をずっと見続け、共有することになります。もっと気楽にやろうよ、もっと肩の力を抜こうよ、そんな風に声をかけてあげたくなる思いに苛まれる読者。でもそれは叶わないことであり、最後まで、そんな里沙子の心の叫びを、耐えられないほどの閉塞感の中で共有し続けることを求められます。そんな角田さんの圧倒的な心理描写を単行本420ページ(文庫500ページ)に渡って体感するこの作品。読者にはそれを受け止めるだけの覚悟が求められる、それがこの作品の一番の魅力であり、逆にある種の近寄り難さだと思いました。

    『乳幼児の虐待死事件』を裁く裁判員の姿を描いたこの作品では、そのそれぞれが抱える問題を、被告に自身を投影してしまう主人公・里沙子の内面を通して見事に描き出していました。それは、育児中の母親の孤独であり、圧倒的な閉塞感であり、そして周囲からの目に見えない圧力でもありました。様々なものに一人で向き合い、一人で耐える日々を送る育児中の母親の孤独を描いたこの作品。『乳幼児の虐待』という問題の微妙さ、そして裁判員制度の重さ含め、様々な問題提起を感じさせてくれた、とても重く、とても印象深い作品でした。

  • 2019年15冊目。
    妻に読ませたくない本、だそうです。ぼくはどちらかというと読んでもらった方がいいんじゃないかと思ったくらい。それは夫として父親としての自分に自信があるってことじゃなくて、様々な角度からの見方に気付かせてくれるすごい本だから。
    人間関係とはどうも複雑なようで、一対一の関係だけじゃないから、相手の心理状況・身体状態によって同じ言葉を伝えても捉え方は変わってしまう。逆もまた然り。そんなつもりじゃなかったってのは言い訳にもならないし、責任転嫁したって自分さえも守れない。だけど、だからこそ口酸っぱく伝える必要があるし、伝え方を工夫する必要があるし、伝わり方だって考えなきゃいけない。
    相手に同じことを期待するのは野暮だけど、せめて愛してもらえるように愛せよってことに帰結する。少なからず自分からは傷つけることが少なくなるようにしたいな。それも相手の捉え方次第だけど。

  • 1.この本を選んだ理由 
    新井見枝香さんの本にでてきたので。


    2.あらすじ 
    2歳の子どもがいる主婦が裁判員制度に選ばれ、同じように幼い子どもを持つ主婦が子どもを殺してしまった事件に関わっていく。
    わずか10日間程度の裁判の中で、被告の女性と、自分を重ね合わせていく主婦の里沙子。裁判の中で自分の過去も思い出して、自分も被告と同じ道に進んでしまっているような感覚になっていく。
    裁判を通じて、自分を、家族のことを深く考えていく。


    3.感想
    まず、全く自分とは無縁の話だったので、そういう人間の感想になっています。
    ストーリーとしては面白かった。次はどうなっていくんだろうという感じを持ったまま、どんどん話が進んでいく。だけど、気持ちいい感じではなく、イライラする感じが強かったです。

    こういう人がいるのはわかるし、多くの虐待事件が起きたり、離婚する家庭が多かったりするので、ありうる話なんでろうとは思います。
    にしても、こんな人ばっかり揃うのかよ!と、思ってしまいました。こんな人間どうしで結婚するなよ!とも思ってしまう。もう、読んでてイライラしてきてしまうレベルでした。
    もうほんと、登場人物のレベルが低い。陽一郎なんか出されたものを食べるだけで、風呂を追い焚きするボタンも自分で押さない。昭和かよ…!!なんでも、自分でやろうよ。食べたら食器ぐらい洗えよ。という感じで、イライラしてしまうのでした。

    私も子育てしてきた人間なので、子育ては予定をたてるとイライラするのはよくわかりますが、それにしても里沙子のレベルは低すぎ。旦那にも怯えすぎ。旦那も義理の母も変なやつでした。男の子二人の母親なんてサバサバして男っぽい人が多いだろうに…。
    やっぱり専業主婦になった段階で、イーブンな関係は維持しずらいから、これからの夫婦は、共働きであるべきだなとつくづく思いました。

    里沙子も、水穂も、なんで、そこまで人が自分をどう思ってるかに囚われるんだろう。まぁ、でも、承認欲求みたいなもんで、人にどう思われるかを考えてしまうのは、現実的に多いのかな。


    4.心に残ったこと
    子どもを殺してしまった人間と、自分が重なってしまうなんて、よっぽどだ。


    5.登場人物  
     
    山咲里沙子
      文香 娘
      陽一郎 夫

    山咲祐二 弟
      母
      父

    芳賀六実 はがむつみ

    安藤水穂
    安藤寿士

    穂高真琴 寿士の昔の恋人
    安田則子 水穂の母

  • ''23年4月25日、Amazon audibleで、聴き終えました。確か、十数年ぶりの、久々の角田光代さんの作品。

    なかなかに、凄い小説でした。

    アカの他人の事件の補欠裁判員に指名され、裁判を審議していく過程で、いつの間にか被告人に自分自身を重ねていく主人公…自分も、夫と義父義母、娘との間がとても危うい状態である事に気づき…と、苦しい内容でした。
    事件を考察することで、主人公が自分を取り戻していく(?諦めていく?)過程が描かれていました。

    なんという恐ろしい話ಥ⁠_⁠ಥ
    「皆、スレスレなんだよ!」と、首に刃物を当てられたような気がしてます。いや、刺されたのかな?終盤、冷たい汗が出ました。

    角田光代さん、audibleに何冊かあるので…もう少し聴いてみます!

  • 我が子を虐待死させた母親・水穂。
    その裁判の補充裁判員に指名された主人公・里沙子。
    水穂と自分自身をシンクロさせてしまい悩みぬく…。

    あまりの息苦しさに、何度も途中でやめようかと…。
    もちろん子供の問題だけではなく、
    夫婦関係、親子関係のあり方もとてもリアルで…。
    私自身も、母となれていたら、こうなってしまった可能性もあるわけで…。

    ただ、産める喜びと痛み、育てる喜びと苦しみが、表裏一体なんだとしたら、
    母親だけが感じることのできる、至福の瞬間もあるのでは…と思うのです。

    まぁ、それを感じられる余裕すら、失っていたってことなんでしょうけれど…。


    でも、貶め傷つけることで、自分の腕の中から出て行かないようにする。
    それも愛情の一種だなんて、思いたくはないです。

    • 杜のうさこさん
      azu-azumyさん、こんばんは~♪

      優しいメッセージをありがとう~~~。
      とても嬉しいです。

      そうなんです。
      この類のテ...
      azu-azumyさん、こんばんは~♪

      優しいメッセージをありがとう~~~。
      とても嬉しいです。

      そうなんです。
      この類のテーマは、いろんな意味でつらいです…。
      自分もそうなっていたかも…と常に思いながら読んだんですが、
      経験がないから、その苦しみに寄り添ってあげたくても、そうしきれない自分と、
      せっかく母となることができたのに…と、
      心のどこかで責めている不遜な自分もいたりして…。

      角田さんに完全にやられちゃいましたね。
      逃げ出したくても、そうさせない筆力を感じました。
      2016/03/13
    • あいさん
      こんばんは(^-^)/

      重いテーマが続くね。
      私は多分読まないテーマだと思うけど、こうやって杜のうさこさんの感想を読んで一緒に考え...
      こんばんは(^-^)/

      重いテーマが続くね。
      私は多分読まないテーマだと思うけど、こうやって杜のうさこさんの感想を読んで一緒に考えさせてもらって助かっています。
      いつもありがとう(*^^*)♪
      2016/03/14
    • 杜のうさこさん
      けいたんさん、こんばんは~♪

      わぁ、温かいコメント、ありがとう~~。
      嬉しくて、しっぽふりふりしちゃうよ!
      あ、うさちゃんはふれな...
      けいたんさん、こんばんは~♪

      わぁ、温かいコメント、ありがとう~~。
      嬉しくて、しっぽふりふりしちゃうよ!
      あ、うさちゃんはふれないのか(笑)

      東野さんの作品はね、テーマは重かったけど、読後感は良かったの。
      でも、角田さんの方は…。
      修行だったね…。

      でもそう言ってもらえると、読んだかいもあります。
      こちらこそ、いつもありがとう(*^-^*)
      2016/03/15
  • この話も感情移入し過ぎてしまった。
    角田光代さんの話はどれも、「ああ、私の気持ちを代弁してくれてる」と感じてしまう。

  • 書評の通りで「主人公は私の気持ちの代弁者か」と思わせるような、主人公の心理描写。フィクションなので誇張はあるものの、女性読者には、多くの共感を得られると思う。
    一方の支配的な言動に、他方のネガティブな被害的認知。家族関係の輪廻。心理的虐待についても、考えさせられた本。

  • 本作では、育児をめぐっての夫との関係、夫の実家との関係が、わかりすぎるほどわかる。
    口に出せば、大したことではなくなってしまう程度の不満。
    わかっているから口には出さないけれど、だからこそそれは孤独に心の奥にしんしんとたまってゆく。
    私にとっては、もう何年も前のことだ。
    今は子どもも大きくなり、また違った悩みがあるが、本書を読んでいる間、私の心は当時に完全にワープして苦しかった。

    『八日目の蝉』以降、角田光代の書くお話は、どうしてこうも心にグサグサと刺さるのだろう。
    自分の体験と重ねあわせ、既視感とともに読み進めるのは、時につらすぎて、何度も手を止めて深呼吸しなくては先に進めない。
    でも、そういうお話を読んで共感している人が山ほどいるとしたら…悩んで、それを乗り越えようともがいているのは、私一人ではないといつも勇気づけられるのだ。
    だからまた、読みながら苦しくなるのがわかっていても、角田光代を読んでしまうのだろうと思う。

  • Audibleにて。
    毎日の様に起こっている幼児虐待事件。犯人の顔をニュースで見て、酷い、可哀想、そんなことするなら産まなきゃ良かったのに、と思うのは簡単な事だけど、実際その背景に起こってたすべてを知ることは無理だと思った。

    裁判員裁判のことも、実際どういう事をしているのか知れて良かった。

  • 読んでいて段々犯人の事を書いてるのか、主人公の事を書いてるのかわからなくなる。主人公の追い詰められて行く感情が読んでいて苦しいし、フラストレーションを感じた。子育てはここまで母親を追い込んでしまうのかと改めて勉強になった。

  • 苦しくて息がつまりそうでした。子どもを産み育てた経験があれば誰もがそうなるでしょう。
    産まれた瞬間のあの世界中から祝福されているような絶対的な幸福感が、自宅に帰った瞬間から日常の中で薄れていく。理由のわからない泣き声にとまどい、二時間ごとに起こされる夜中の授乳にうんざりし、自分では泣き止まないのに祖母に抱かれるとすぐに泣きやむことに敗北感を感じ、保育雑誌との成長の違いに落ち込む。過ぎてしまえばどれもこれも笑い話にできるのに、あのときのあの絶望の深さたるや。その絶望の淵から抜け出せるかどうかは、そばにいる誰かとの関係による。夫や、実母や、義母。その中のだれかとしっかりと手を取り合って助け合っていられるなら、絶望はいつかまた幸福感へと戻っていくのに。ここにいる不幸な2人の母親。なぜ我が子に手を上げるのか、なぜ虐待は無くならないのか。私はそんなこと絶対しない、なんて絶対言えない。
    夜中に泣きやまない子どもを抱いたまま、マンションの窓から飛び降りそうになったことくらいあるよね、スーパーでだだをこねる子どもの頭を叩きたくなったことあるよね、言う事をきかない子どもに腹を立てて無視したことあるよね、そう、誰もが彼女たちと紙一重なんですよね。
    と書いて来て、ふと思い出しました。この夫たちの許せなさたるや。けど、この夫たちを作ったのはまぎれもない「母親」なんですよね。結局、ぐるぐるとこの連鎖は続いていくということなのでしょうか。

  • 幼児虐待のニュースが頻繁に新聞をにぎわす現代に、タイムリーな題材で、作家角田光代の凄さを如何なく発揮した傑作。
    裁判員になった主人公が、被告人とシンクロしてしまう裁判員裁判が舞台。
    ある書評に、「読むのがつらい小説である。つまらないからではない。むしろ面白い。しばしば逃れたいと思うものの結末が気になる。」と、記されているように、読み手を捉えて離さない、凄まじいまでの磁力がある。
    それは、主人公と同じような立場の女性ばかりでなく、立場を異にする男性にとっても・・・

  • 母親による虐待死事件を巡る裁判員裁判。
    被告人の母親と、裁判員(補充)として選ばれた母親の違いなんてほとんどない。
    一歩間違えれば、自分が逆の立場になっていたかもしれない。それは子育てを一身に引き受けている母親の大半がそうじゃないだろうか。
    母乳神話、成長線に沿った成長、離乳食のペース、排泄の処理、予防接種、乳児湿疹、突発性発疹、夜泣きや卒乳、発達障害の不安…医療従事者でもない、助産師でもない、保健師でもない素人の女性達が、子供を産んだ瞬間に「母親」となる。育児書やネットで調べても理想の子育てしか書いていないし、周囲に相談しても現実的に助けになるわけでもない。他の赤ちゃんとの発達の違いに打ちのめされ、小さな小さな赤ちゃんの命の重圧に押し潰されそうになる。夫や両親達は良かれと思って言うが、心無い一言に苛立ち、突き落とされる。
    きっと誰しも少なからず経験していて、その苛立ちが「虐待」まで度を越してしまう事を本当に恐れている。
    泣き止まない赤ちゃんの泣き声に、何も考えられなくなるのに「近所から虐待と思われたらどうしよう」なんて恐怖心がいつもある。

    読んでいて、凄く共感できて、息苦しくなる話だった。
    被告人と環境は違うが、私だっていつだって紙一重だと改めて思わされて、とにかく怖かった。
    貧乏より、多忙より、孤独が1番子育てなんてできない。協力よりも本当は理解を求めているんだから。

  • 刑事裁判の補充裁判員になった里沙子は、裁判の証言にふれるうちに、
    いつしか彼女の境遇に、自らを重ねでいくのだったー。

    4年前に2歳年上の陽一郎と結婚し、イヤイヤ期のもうすぐ3歳になる文香と
    幸せに暮らしている33歳で専業主婦の里沙子。
    ある日突然刑事裁判の裁判員候補者に選ばれたという裁判所からの手紙が届く。
    補充裁判員に選ばれてしまった里沙子。
    事件は、三十代の女性が水の溜まった浴槽に八ヵ月になる長女を落とした。
    乳幼児の虐待死事件だった…。

    物語全てが里沙子の視点・主観で進んでいく。
    里沙子の日常生活と裁判の様子が並行して進んでいく。
    被告人の夫・夫の母親・被告人の母親・被告人の親友の女性・被告人本人。
    それぞれの証言が、その人の主観だから皆言ってる事が全く違う…。
    そして、里沙子はその裁判の証言を聞くうちに、被告人の水穂のその境遇に
    自分自身の境遇を重ね、被告人の水穂に感情移入をしていく。

    里沙子の日常を描いてるその様子もとても、とても息苦しい。
    夫にどうして、そんなに思った事を口に出せないの?
    どうして、どう見られるか、思われるか気にするの?
    夫の陽一郎もどうしてそんな言葉を発するのだろう?
    どうして、里沙子の説明を聞く耳を持たずに決めつけるんだろう…?
    どうして、直接里沙子に話さず告げ口をするかの様に、実家の父母に隠れて伝えるんだろう?
    どうして?どうしてが、頭の中で渦巻いた状態で、
    里沙子の終始重苦しい感情表現が続き、息苦しくて息苦しくて読むのが本当に辛かった(´⌒`。)
    蓋をしていたはずの自分のこれまでの出来事を次々と思い出すさまも苦しかった。

    裁判の証言を聞いて、自身の境遇と重ねる内に、
    今迄違和感をただ面倒なだけだと片付けて決める事も考える事も放棄していた事に気付く。
    夫や実母の愛し方をこうだって気付く
    『憎しみではない。愛だ。相手を貶め、傷付け、そうすることで自分の腕から
    出て行かない様にする。愛しているから。』
    表面的には笑顔で穏やかなやり取りの中に皮肉やひそやかな攻撃が込められていたり、
    それが本人以外にはわからないもの…。
    夫婦間以外にも人間関係でそういうのってある!経験した事あるって思った。
    そして、こういう種類の男性って少なからずいるって感じさせられた。
    そう、感じられる現実感がとても怖かった。

    終始重苦しい感情表現が続き、本当に読んでいて辛かった。
    裁判員裁判のお話でもなく、幼児虐待のお話でもなく、
    他からは決してわからない、家庭という密室での支配する者のと支配される者のお話だったのかな。
    この微妙な感情のやり取りや支配をこれ程迄に描く筆力は凄いって感じました。
    夫婦間の対等ってどういう事なのだろう…。
    裁判も一体何が真実で何が嘘なのか、事実を知る事の難しさを凄く感じました。
    非常に重いテーマでしたが、色々と考えさせられる作品でした。

  • ⭐️5つで良いのかどうか…

    裁判員制度について考えるきっかけをもらった、と言うことと、事件内容はさておき、登場人物の心理描写が共感できないものの、詳細で揺れ動く感情表現が素晴らしく、恐怖すら感じた、と言うことで5つ。

    乳幼児を自宅の風呂場で水の中に落として死亡させてしまう、という虐待事件の判決に関わる。
    なんとも重い内容で読み進めるのが辛い。

    ただ、被告人と境遇の類似で、主人公の女性が裁判員補佐として関わり、自分と重ねて考えてしまう、女性にありがちなところ、次第に夫や義母にまで猜疑心を抱き、公判なのか、現実なのか区別がつかなくなっていく心理に静かな恐怖を感じる。

    読むのが辛いかもしれないが、一読の価値はとても高いと思う!

  • 正直に言いますと、主人公の心理が丁寧に描かれ、共感するところも多かったのですが、とても読むのがしんどい小説でした

    私自身は、人は法で裁かれるべきであり、心情や感情の介入をまねく裁判員制度には反対です
    その難しさが描かれているのみならず、「地方特有の考え」やコンプレックスから来る「えらいわね」の評価に、子供に追い抜かれることに嫉妬する親の様

    人が気付かない理不尽を悪意の表れと感じて、愛情なのか自身がひねくれているのか判断ができず、六実のように笑って済ませられないために自らが生み出した沼にはまっていく主人公などと、感じさせられる部分は多いです

    冷静に考えれば隠す必要がないことに、変な引け目を感じてしまうことなど身につまされる思いがしました
    単純で面白い小説ではありませんが、多くの人に一度は読んでもらいたいと感じました

  • 女性、特に子育てを経験した母である方が読むと、ちょっとしんどいかな(読むとどっと疲れが出たというレビュー多数)と思いました。ワタシも同じく。

    乳幼児の虐待死事件の刑事裁判の補欠裁判員に選ばれてしまった梨沙子。彼女も3歳になる娘の子育てに悪戦苦闘する毎日であったので、被告の女性、水穂に自分を重ねつつ、公判は進んでいく。

    余談ですが、ワタシはSNSでは、あまり育児系のアカウントが少し苦手です。声高にウチの育児ってこうよ! ウチの子こんな感じ! 凄いでしょ!的な発言を見ると、個人的にどっと疲れてしまうので…(もちろん例外の方もいらっしゃいますし、勝手にワタシが発言読んで疲れると感じるだけなので他意はなく、個人的な好みだと思って下さればいいです)

    描かれた育児のエピソードでは、母乳が出る、出ないのあたり、ワタシも似たようなことで四苦八苦したので、なんだか懐かしかったり切なかったり…これも過ぎし日の思い出になってしまったので今は冷静に語れますが、当時はよく泣きべそをかいていたなぁと思い出します。

    この小説で描きたかったのは母性ではなく、家族というそれぞれ違った主観をもった個人同士の集まりの中で、何が「普通」なのか、何が「幸せ」なのか、お互いの「人の愛し方」がどう違うのか、なら落とし所はどこなのか、という難しさを抱えているのだ、という事実なのではないかと思います。
    それに気づいたときに、ちょっとゾッとしました。

    傍目からみたら全く問題のない、「あら、そんなの、よいご主人(お姑さん)じゃないですか」と言ってしまいそうな、夫や義母のおだやかな暴言というフレーズが本当に怖かったです。
    でもあるんだろうな、こういうのって。
    ワタシは幸か不幸か言葉通りにしか受け取らない鈍感な人間なので、気づいていないだけで、敏感な人だと本当に柔らかな牢獄にいるような感じなのかもしれませんね。
    でも、もし自分がそれに気づいてしまったなら…この小説の恐ろしくて悲しいところはそこなのかもしれません。

    主人公の梨沙子のこれからは、この小説ではあえて描かれていませんでしたが、どうか彼女が柔らかな牢獄から自由になれていまように、と思わずにはいられません。

  • 読んでいてこれは評価4だな・・・と思っていたけど、後半で失速。
    この小説の主人公は幼い子供をもつ母親で、彼女の目線で全編描かれている。
    それが最初は丁寧に細やかに心理描写されているな・・・と思い、刺激的な事柄で読ませるのでなく、人物の心理描写によって読ませるのはすごい!と思った。
    そのすごい!が後半にはあまりにも同じような事を堂々巡りして考えている主人公にむつこさを感じるし、主人公の頭の狭い世界ですべてストーリーが進んでいくことから閉塞感を感じた。

    この物語は裁判員に選ばれた子供をもつ若い母親の話。
    彼女が裁判員として任された事件は自分と同じような若い母親が我が子を虐待し、風呂に沈めたという事件。
    家族構成が被告人と似た境遇にある主人公はだんだん彼女と自分を重ね、自分自身の生活や人生を見直していくこととなる、と言う内容。

    実際、この話は裁判員に選ばれるまでをざっと書かれていて、その後は裁判員として事件に関わる事となったたった1週間程度の事が書かれている。
    それがすごく濃い。
    同じ小さい子供をもつ母親として、親との関係がうまくいってないこと、夫との関係において、だんだん主人公は被告人と自分を重ねていく。
    それに対して他の裁判員は被告人の気持ちが理解できない、と主人公は感じ疎外感を感じる。
    同じように家庭の中でもある種の疎外感を感じている。
    そして、夫との関係である事に気づいていく。

    まず、これを読んで思ったのは狭い世界にいると自信をなくす事につながるし、パワーを人に奪われるという事にもなるという事。
    もちろん、同じ状況であってもそうでない人はいるけど、それはしっかり自己肯定できる人なのかもしれない。
    また、裁判員制度とはこういうものなのだというのもこの小説を読むと具体的に分かる。
    これを読むと、読む前から想像していた通り、やはり裁判員になるという事はかなりな負担になるのだと分かる。
    こんな事を普通に国民に強いるなんておかしいと私は思う。

    主人公は被告人と自分を重ね、自分の生活を改めて客観的に見直すけれど、同じように私自身も主人公と自分を重ねて自分を見つめたりもした。
    主人公の夫は明るくて優しいとあるけど、私にはえらく冷たい男だと思えた。
    だけど、考えてみればうちも似たようなもん・・・というか、これよりひどいか・・・と思ったし、そんな相手に何も言えなくなる主人公に「もっと言いたい事言えばいいのに」と思ったのもつかの間、自分もこんなもんだ・・・と気づかされた。

    刺激的な事柄はなく、読み手によっては退屈と思える話かもしれないけど、私にとっては読みがいのある本だった。
    色々と考えさせられる本だった。

  • 久々の徹夜本でした。
    もうここまでにしよう、と思っても手が止まりませんでした。

    3歳になる子供を預け、子供を虐待死させてしまった母親の裁判員に選ばれ裁判へと行く女性。


    駄々を捏ねる子供の書き方が物凄くリアルで、
    自分の娘と私自身の事を思い出しイライラとした気持ちになりました。

    子供って基本イライラするんです。
    やって欲しくない事いっぱいするし、小さな体のどこから出すんだってくらい大きな声出すし
    言い出したらキリがないくらい。

    引っ叩いてやりたい事なんて毎日です。
    実際に手を上げてしまった事もあります。

    きっと誰もが紙一重なのだと思う。
    1日の終わりにリセット出来なかった感情が
    次の日に繰り越されて、
    その気持ちが溢れた時に何か重大なことを起こしてしまう。


    始終胸が詰まる思いで読んでいました。
    夫婦間での微妙なズレや子育中の周りからのちょっとしたカチンとくる言葉、
    良くここまでうまく書けたなと敬服しました。


    【追記】
    日々イライラし葛藤しながらも、きっとどうにか子供と笑える道を私は見つけていくと思います。
    毎日の疲れが吹っ飛んでしまう様な、嬉しい気持ちになれる事も知っているから。

  • 2歳(3歳近かったかな)の子供を育てている専業主婦の里沙子に、裁判員制度の裁判官の仕事が来ます。

    その被告人が、8ヶ月の赤ちゃんをお風呂に落としてしまった母親で、裁判が続くと同時に、里沙子がその被告人に同調していってしまいます。

    里沙子の気持ちが痛いほど分かり、途中でしんどくなりました。(特に、子供が絡んでくるあたりは、本当にそういう時あるよね。という感じになり)

    あーちゃん(主人公の娘)は、自分に何かあっても、ママだけは私の事をまっさきに考えてくれる。という母と子の信頼関係ができているから、あーちゃんはママにたいしてだけワガママになるんだよって、慰めてくれる人はおらんのかーい!(と、思いながら読みました)

  • 補欠裁判員の里沙子が、子どもを殺してしまった被告の水穂に自分を重ね合わせて、苦しみ、そして気付くお話。途中は私も主人公同様、大分苦しくなった。
    私も元夫との結婚生活では本当に辛い毎日だったし、洗脳的な状態だったと思う。そこから抜けた今が本当に幸せで・・・。そして、インスタ等を見ていると、今まさに辛い毎日を送っている人がたくさんいて。そんな人達が早く気付き、救われますように、、水穂のような人が生まれませんように、、と願う。

  • 角田光代にはまったきっかけになった本。
    主人公の感情の揺れが自分のものかと思うくらい、感情移入してしまった。
    ちょっとした言葉や態度からの、すれ違い…みたいなものに、若干恐怖心を感じたほど。

    角田さんの感情描写、ホントすごい!!

  • 虐待がテーマ?なのかな。
    子育てを経験した母親は共感しやすい内容なのかも。
    と、思ったけど、みんなは共感しないのかも。
    共感した私はやっぱりそっち側の人間なのかも?とも思えた。
    私も思い込みが激しい方だし、ネガティブだから。
    きっとこうだろうって相手の気持ちを決めつけがちで。
    本当は違う事たくさんあるんだろうなって。
    私の中では最後が尻つぼみだったので★3
    だって結局何も変わってない。
    その後どうなったのかもわからない。
    モヤモヤだけが残った。

  • 裁判員制度の裁判員に選ばれた主人公が、被告の女性を通して自分のことを見つめなおす、といったような話です。

    淡々とした日常、2歳の反抗期が始まった子供との毎日が裁判所にいくようになって少しづつ変わっていくのか、変わったのは主人公の心情か…。

    全体的に重い感じなのですが、だんだん、被告についての話だったか、主人公の主婦のことだったかわからなくなるような感じもあって、たとえば子供が居なくても、夫婦間の関係でなくても、同じような状況になって同じような心理状態になることがあるだろうと共感できて、あっという間に読んでしまいました。

    おもしろい、というより、興味深い1冊でした。

  • ため息をつき、眉間に縦皺を刻み
    うっすらと息苦しささえ感じながらこの本を読んだ。
    いやいや期の娘を育てる主人公の思いや、
    彼女が姑や夫から投げつけられた言葉の数々が
    忘れていたはずの過去の記憶を鮮明に浮かび上がらせてきて辛いのだ。
    だけど先を読むことを止めることなんかできない。
    私が漠然と感じ、感じていながらも言葉にできなかった感情を
    作者の角田さんは、見事なロジックで紐解いてくれたのだ。
    あぁ・・・そうだったのか、
    だから私は幸福な時間を過ごしていたはずなのに
    あんなにも悲しくて、あんなにも孤独だったのかと
    20年以上歳月を経て差し出された答えに
    泣きたいような、でも懐かしくて愛おしいような気持になった。
    この瞬間も、朝も夜も泣き止まない赤ちゃんに疲れ
    子育てに悩んで孤軍奮闘している全てのお母さんたち
    どうかどうか、がんばって。

  • 同じような専業主婦として娘を二人育てたので里沙子の気持ちや状態がよく分かる。

    「後半同じことの繰り返し」「閉塞感」が読んでいて辛かった、というレビューを見かけましたが、そう読者に感じさせられたならそれは角田さんの思惑通りだったんじゃないかな?

    あの堂々巡りな繰り返し感とか閉塞感こそが子育てしていた時のあの時そっくり。

    里沙子が外へ出ればその感じる閉塞感は薄らぐと思うけど・・・

    もしこの話に20年後くらいの続編があるならば

    文香ちゃんが大きく育ってお父さんの顔色を伺うようになってその父親の呪縛から解き放たれるには主人公である母親が文香ちゃんの味方になって一緒に旦那に必死に自分の気持ちを伝えようとする事がくるのかな、とか

    そんなふうに味方になったのに娘に疎ましく思われちゃうけどそれが親離れなんだからちょっと寂しいな、とか

    いや、あーちゃんはここまでイヤイヤ言える子だから里沙子とはまた違って、むしろ旦那と一緒になって主人公を下に見るような態度とってきたりして陽一郎とあーちゃんのステレオ状態で苦労するのかな、とか

    旦那の親の死とか介護とか老いに直面して
    里沙子自身が亡くなった後、旦那は娘にどういう扱われ方をするんだろう、娘にどう負担になるんだろう、とか。

    家から出て働いたりして閉塞間はなくなっても
    結局悩みはたぶん死ぬ直前まで続くのかな

    とか色々考えさせられる本でした。

  • 主人公の里沙子さんは、専業主婦です。育児をしています。まだ幼稚園に上がる前の子供。いつもいっしょです。

    「預かってくれる義父母がいるんだから恵まれている」
    「児童館に行って友達つくれば」
    「子供はかわいいんだから、幸せじゃないか」
    「毎日仕事せずに、楽じゃないか」

    というような言葉たちが、世間にありますね。

    義父母に預けるだけで、いくつも電車とバスを乗り換えて、歩いていかなくてはならない。

    その道のりが、反抗期の三歳児を連れている親にとって、どれだけストレスになるか。

    ママ友って言っても、そんなに気楽な関係ではない。

    子供がかわいい?もちろん総論かわいいけど、生活の中で、かわいいばかりな訳がないのだ。

    仕事をしていないということは、仕事仲間もいない。

    家事育児という仕事は、仕事仲間とおしゃべりもできなければ、喜びを分かち合う同僚も、愚痴を共有する仲間もいない。そもそも、うまくいった時に誰も評価もしてくれない。

    そして、駅までバスに乗っていかなくてはならない住宅街。

    いやいや期の三歳児を連れて、気軽にお茶1つ、できるわけでもないのだ。

    #

    そういう、具体な生活の細部が分からないと、総論として「専業主婦は呑気で良いね」で終わってしまう。

    バスや電車の中で、子供がぐずったときのストレス。

    義母から持たされた重たい食べ物を持って、子供を引いてバスに乗って、夜道を歩く。

    ひとりきりで、喫茶店でお茶をするだけでも、久しぶりでほっとする。

    ママ友との会話も、お互いに踏み込まない、互いの子どもの優劣の刺激の無い範疇の会話しかできない。

    そして、ネットから情報が入る。一方で、意外と人と話す機会がない。あの人と友達になれるかな。互いの家庭について話したいな、と思っても、子供がいる身。時間が取れない。

    そして、働いている女性、結婚しても働いている女性、を観たときの、気持ち。働いている人の独特の、なんというか、自信があふれているかんじ。

    夫が浮気したら。離婚を言い渡されたら。不景気の世の中、どうすればいいのか。

    #################

    角田光代さん「坂の途中の家」。

    かなり、重く苦しく、でも面白い本でした。

    「すごいなあ、傑作だなあ」、という感想と、「でもちょっと不満がある!」という、両方の感想があります。

    主人公は、どうやら吉祥寺からバスで10分とか20分とか?の住宅街に住んでいるよう。
    「いやいや期」の娘。三歳。
    基本は優しいし、殴ったりは当然しないけど、なんとなく上から目線の夫。会社員。
    同居ではないけれど、夫とよく連絡をとっている、義理の母。

    この主人公が、「裁判員」に選ばれてしまう。
    そして、手がける裁判は、
    「専業主婦の女性・水穂さん、が、育児に疲れ、1歳弱の娘を、風呂場で溺死させた事件」。

    物語は、この裁判が始まってから終わるまで、という時間の中で進みます。

    裁判が進む中で。
    一見、「たかがそんなことくらいで、いたいけな娘を風呂場で殺してしまうなんて」
    という事件にしか見えません。
    被告の水穂さんは、夫から暴力を振るわれたわけでもなく、極貧だったわけでもない。

    ところが。「娘を殺してしまった」ということは、許されないことだったとしても。
    「自分は仕事をして稼いでいるのだから」という無言の上から圧力の夫。
    仕事とその付き合いを優先して、心理的に育児に協力してくれない夫。
    うまくいかないことを伝えると、全て「君が悪いのでは」という論法にすり替えられてしまう関係。
    浮気はしていないにしても、黙って元彼女の女友達と連絡していた夫。それも自分のことを相談されていた。
    そして、「アドバイス」「協力」という言葉のもとで、自分のことを下に見てくる、夫の両親。
    ゼロ歳児の育児。初めての子供。完全母乳のプレッシャー。エトセトラエトセトラ...
    そして、「そんなのは当たり前」「みんなやっていること」「すぐにそんな時期は終わる」「母親なら当然できるはず」...

    「娘を殺した」という結果はともあれ、過程としての苦しさを、裁判員である里沙子さんは痛いほど感じてしまう。

    一方で自分も。
    三歳児の育児と家事に追われる日々。
    帰りの遅い夫。
    反抗期の娘。
    たまにしか会えない父親には媚を売り、父親も娘を甘やかす。
    疲れていらいらしているときも、夫は「君おかしいんじゃないの」という感じ。
    ちょっと自宅でビールを飲むと、「アル中扱い」を軽口でされる。
    日々、細かく、カミソリで切られるように傷ついていく。

    反抗期の娘に手を焼き、ちょっとしたことで、
    「君それ虐待じゃないの?」みたいな軽口と不信の目で夫に見られる。

    そして、裁判員をやっている間、娘は浦和の義父母に預けるしかない。
    表向きは友好的だが、常に結局は息子の味方、息子の心配しかしない、義父母。
    そして、夫は自分に黙って、「妻が疲れてるみたいだから助けてやって」など勝手に連絡しているのだ。

    実の両親とは仲が悪い。というより、ほぼ、仲が無い。
    岐阜の両親は、昭和の田舎町の精神風景から全く抜け出せていないのだ。

    仕事をやめなければ良かった、と後悔することもある。
    だが、一方で「仕事と家事育児は両立できなかっただろう」「あたしには無理だったろう」という思いもある。と、言われるから。

    …と、まあ。

    そういうカタチで小説は進んでいきます。

    裁判の進行と、里沙子の心象風景。

    そしてこの小説は、犯罪ミステリーではありません。真犯人、どんでん返し、などはないんです。

    どこかで、里沙子さんは、被告のことと自分のことを考えているうちに。
    気づくわけです。

    自分の周りは今、何故だか、誰も暖かく自分を応援してくれていない。

    と、言うと、無論語弊があります。
    みんな、「そんなことないよ」なんです。
    協力してくれる。
    殴ったり怒鳴ったりはしない。

    なんだけど。

    日常のやり取りの中で、
    カンナで削られるように、微妙に自分を低く押し付けてくる。
    なにもできないだろう?常識がないのじゃない?普通はそうなのかなあ?
    それは違うんじゃない?おかしいんじゃない?普通はそうじゃないでしょ?…

    いつの間にか、それに支配されている自分がいた。
    気がついたら、缶ビール一本飲むだけで、夫や娘に見られまいと緊張している自分がいた。

    ここのところが、この小説の、いちばん凄いトコロで、素晴らしいところです。

    つまり、

    「家族なんだから、義父母なんだから、友達なんだから、あなたに悪意があるわけないじゃない?良かれと思ってるのよ?」

    という言葉がある訳です。

    「だって、あなたに悪意を持って、傷つけても、何の特もないじゃない?」

    ということなんです。

    そのとおりだなあ、と。

    一見そう見えますが。

    そこに縛られて、そこに囚われて。
    「あたしの方が気にしすぎなのか」「あたしの方が悪いんだな」という、スパイラル…。

    そうでもない、と。

    #

    人は、周囲のひとを、自分より下、劣っているもの、と位置づけることで、自分を正当化する。

    あるいは、自分のやり方、自分の価値観に、同意を求める。強要する。従わせる。

    そのためには、相手を傷つけることなんて、実は全く、かまわない。

    相手を愛してる、とかと、全く矛盾しないんですね。同居できます。

    だって、「自分が従わせることが出来ているから、相手を愛することができる」という愛し方しか出来ないことが、いっぱいあるんですね。

    気づいていないだけで。

    特に、相手が自分と違う生き方や環境にあるときに、なおさらそうなる。

    つまりそこに、自分を肯定して、自分を優位に置くためだけに、

    夫婦でも親子でも、平気で悪意を持てる。

    「悪意を持ってる」と言葉として意識することは、ゼッタイに無いのだけど。

    でも、確実に「悪意を持っている」としか言いようのない態度、言い方をするのは、そういうことでしかないんですね。

    #

    ということなんです。

    考えてみれば、実は当たり前のことなんですけどね。
    殺人事件の、被害者と加害者の関係でいちばん多いのは、「家族」ですから。
    そして、愛しているからこそ、憎んだ末なんでしょうから。
    もしくは、「愛しているはず」「ということは、相手も自分を愛しているはず」「自分は愛される権利を持っているはず」「なのに、自分の望むように愛してくれない」「自分は被害者だ。悪いのは相手だ」
    というロジックの末、でしょうから。

    この、
    「近しい間柄に、普通に悪意が潜在することがある」
    という炙り出しが、この小説のモノスゴく、面白いところですね。ぞくぞくします。

    そして、主人公の生活感、細部、ストレス...
    主人公の心理を、きめの細かい布で丹念に濾していくような、筆力。

    さすがですね。

    #

    その代り...

    で、そういうことに主人公が気づきます。
    だからまあ、やはり、夫や義母の望むままに、家にばかり居ても、あかんなあ、と思います。
    お友達と会ったり、これから働いたりしようかな、と思います。

    というあたりで、フツっと終わるんです。。。

    ちょっとまあ...フィクションの小説な訳ですから。ノンフィクションの新書などではないわけですから。
    もうちょっと、小説ならではの、救いと言うか、爽快感というか...欲しいじゃないですか...

    確かに、面白い。視点が強烈です。
    また、ココまでの事態にならなくても、知らず知らずに自分が、被害者もしくは加害者になっているのでは、という警戒の一助ともなります。すばらしいです。

    でもねえ...

    これ、読み手によっては、却って心理的に追い込まれちゃったりするんじゃなかろうか。
    見方によっては、ワイドショー的に「かわいそうな専業主婦さん」を悲劇ドラマチックに書いてるだけって受け取られるのでは...。

    もうちょっと、リアリズムからずれてでも、フィクションらしい気持ち良さが...

    ハッピーエンドに持って行く力技、一粒のユーモア...そんなものが個人的には欲しかったです...。

    もし、万が一、主人公と類似の立場にいる人が読んだ時に。
    自分の状況の見方について、目からウロコ的な感動があるかも知れません。
    そこからもう一歩、なにかに向かって勇気が出せる、応援歌の要素が欲しかったなあ...って。

    まあ、完全に、その辺、好みなんですけどね。

  • ネット上に本作について語る著者のインタビューがありました。「出版前にゲラを読んでいたとき、最後の最後に、実はこの里沙子という女がおかしくて、周りは何ひとつ悪くないんじゃないか、と思ってぞっとしたんですけど、まさに読み手がそう感じるように書きたかったので、ぞっとした後で、自分で『よっしゃあ』と思いました(笑い)」
    私は、まんまと、著者の術中にはまっていました。

    この作品キャッチフレーズは「感情移入度100%の社会派エンターテイメント」だと帯にありますが、かなり強烈な皮肉ではないかともいます。
    実は、これほど世代、性別、経験(子供がいるかどうか、あるいは何歳か)によって、共感できるかどうかに差が出る小説も珍しいのだから。
    ある人にとっては、「これは私の話だ。」かもしれないけど、ある人にとっては著者の狙い通り、「里沙子だけおかしい」になりうる。その気持ち悪さ、これがこの作品の最大の「味」なのだと思います。

  • 気が詰まるというか、息苦しさが満ちた物語で、実際に子育て真っ最中だったりする方は、はたしてフィクションとして楽しめるのか、不安になるほどでしたが…

    補充裁判員に選ばれた主人公が担当することになったのは幼児虐待死事件。その事件にのめりこんでいくうちに、彼女は自身と被疑者を重ね合わせていき、それまでの平和な日常すべてがずれていくようになる…

    細やかな日常描写、なにげない台詞の応酬から、どうしようもない無理解が横たわっていること、その絶望的な悟りがやってきて、深い崖底を覗きこんでいるような気持にさせられます。そしてけして主人公の「結論」が正しいのかどうかはわからないというぼやかし方が、やはり読み手を不安にさせます。彼女の懸案は本当に、そうなのか?否定する材料も肯定する材料もない。

    ただ、「彼女の事件」はだれにでも日常に起こりうるものだったと感じさせる手管に飲み込まれてしまいます。そうでない、と否定したいのに。

    …この後彼女は、つつがなく日常を送るのだろうとは思います。胸底に不穏をため込んだまま。けれどいつそれが表出するか、それとも沈殿するのかは、だれにもわからない。

    それがとても恐ろしくてたまらなく思うのでした。

  • 幼児虐待事件の裁判の裁判員に選ばれた里沙子の目線で語られる公判の様子と、その事件に自分を重ねていく様になる里沙子の苦悶の日々の話。

    かなりきつい話でした。
    先が知りたくて、目が離せず、一気読み。
    今は、ズシンと、重苦しい読後感を味わっています。

    過ぎてしまえば、何だったんだろうとも思うことでも、私も最初の子の時には、同じような思いを感じたこともあり、他人事とは思えないシーンがいくつかありました。
    一生懸命であればあるほど、子育てって大変で、でも、だからこそ実りが多いものなのだろうなと、この年になり静観出来るようになっている気がします。

    虐待、モラハラ、嫁姑問題、アルコール依存など、ひとつぐらいは心当たりがありそうな問題が目白押し。

    興味があった裁判員制度にも触れられて、勉強にはなりましたが、考えさせらたかな。
    裁判後の里沙子がどうなるのか、少し心配にもなりました。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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