- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784040821344
感想・レビュー・書評
-
新聞書評欄によると
生きる目的や悪に対峙(たいじ)する正義などを求めがちな私たちの心性は、どこかへエスカレートしていく危うさを秘めている。がんばらず、ぐずぐずに生きるのもありではないか。〈人生は意味だらけだと考えることが、足元をつまずきの石だらけにする〉〈「目的のなさ」とは、欠如や空虚ということよりも、むしろ自由な空間ということであり、器の大きさでもある〉と著者は説いているらしい。
人生にやたら生き甲斐を求める風潮に対し、ただ「ここに居る」という存在だけで充分であるということか。在ることは奇跡に近いのかも・・・。
硬く読みにくいのが難点。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文字通り、人生を生きるにはどうしたら良いかを説いた一冊。
可もなく不可もなし。 -
倫理学、難解。何がいいたいのだろうかと探るが分かりそうで分からない。深すぎるということなのか、ただ伝える気がないのか。
人生に目的などなくていいのだ、努力至上主義で生きる必要はないのだ、今そこにあること、ただそれだけでいいということなのだろうか。
目的なく、ただ読んでみた。完全に理解しようという努力もせず、なんとなく読み流してみた。んー、複雑だ。 -
散発的にいろんなことが少しずつ書かれているようで、読むのが大変だった。けして理解したとは言えない。スピノザなどの哲学者の考えを基にしているようなので、基本的な理解が必要かも。
拾って一番共感したのは下記。
> 何でもかんでも 、必死になってがんばることがよいことだと考えられていて 、がんばらない人は悪人であるかのような風潮になっている 。必死になってがんばりすぎていることは 、過剰適応といって 、ぎりぎりのところまで能力を使っているということだ 。それは 、非常口を玄関にしている家のようなものだ 。火事になって玄関から出られなくなると 、それ以外に非常口がないから逃げられない 。
まさに自分が努力至上主義みたいなところがあって、良くないなあと思い返してみたり。 -
私には合わなかった。読むのがしんどかった。
-
前作の「小さな倫理学」が良くて、手を出した本。こちらの方がやや込み入っているが、基本同じ考え方。なるほど、そう言う見方もあるかと思うところが多数。同感というところも、多数。
TVのお笑い番組は権力を学ぶ為の家庭内学習、宿題みたいなもの。集団の中で1番大きな声で笑う者は1番権力を持っている者。
今ここにいて歩いている「私」は何者かの社、容器なのだろうか。社である以上、豪勢で威風を払うような容器であることを人は求める。人間は一人一人が神社みたいなもの。
目が利くが故に見誤る人が人生において少なくない。顕微鏡や望遠鏡の様に倍率を誤ると見えるモノも見えなくなってしまう。
人生の目的は何か?1つしか目的がなければ、多くの個体をこの世に増殖させる必要はない。次々と新しい個体がこの世に現れ出てくることだけで目的が1つしかないことを否定するし、目的がないということを論理的に含蓄している。
人生において目的は分散し、迷い、見失う者が多くいなければならない。人生の答えはありそうだが、ないという形でしか存在し得ない。多様性というのが唯一の答え。
人間とは過つ者。失敗して価値が減るのはある特定の「役割」に関してであって、人間としてではない。
言葉は人間が世界と関わるための粗雑な道具。世界そのものをありのままに表現する道具ではない。そこが利点であり長所でもある。
p141悪意を醜くぶつけてくる人、自己と言う深遠の底からヘドロのように湧き上がってくる悪意をぶつける前にすると、心よりも肉体の方が先に反応する。言葉を武器として使う人々は、激しい言葉を使ってできるだけ深く心に傷をつけようと切り込んでくる言葉と刃物とどちらが鋭いのだろう。海馬は似たような記憶を取り出してきて他社の攻撃性に面した場合の心と体の構え方、つまり臨戦態勢を取るように体に命じる。言葉が傷として肉体に残る。しかし存在は傷の中に定着するのではなく、流れとして重く漂い続ける。