万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960145

感想・レビュー・書評

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  • 再読。何度読んでも、一種の難解さが立ちふさがるようだ。それは、ひとえにこの小説が、大江の極めて個的な体験と、その時期の思想に立脚しているからだろう。大江文学の重大な転換点にもあたると思う。『個人的な体験』は、第3者を仮構したバードを主人公として語られていたが、ここでは大江を思わせる「僕」が主人公であり、物語の語り手である。もちろん、「僕」は大江自身ではないし、何重にも時間と空間が重層したメタフィクションの中でのフィクションとしての「僕」である。自己処罰、恥辱、絶望と物語世界はひたすらに沈鬱だ。

  • この人の文章って、一文が長い。主語から述語まで何行にも渡り、あれ?主語誰だっけ?と読み直さなければならないことしばしば。だからめちゃくちゃ時間がかかる。俺だけ?

    もう何冊目かになるんだけど、いつもゲンナリして、でもまたしばらくすると、いや、我が国の誇るノーベル賞作家(カッコワライ)なんだからきっと何かあるはずなんて考えてまた次の本を手に取りまたゲンナリ(笑)

    ありがちな主人公成長もの。すったもんだの末成長した主人公(カッコワライです。あくまでも)。最後の10ページぐらいは、なんか(著者らしくない)すがすがしさだった(笑)

  • レビューすることを放棄したくはないけれど、
    この作品を的確に言い表すのは難しい。

    中盤まで文章は深く淀み、息苦しい。
    得体の知れない嫌悪、不安がまとわりつく。
    後半は物語が展開して文章的には読み進めやすくなるが
    不安はますます確信めいて目を離すことも出来ない。

    寝取られとか読んでるだけでも辛いよ。
    これ以上苦しめないで!苦しまないで!
    登場人物より読者のほうは思い悩むのは何故だ。
    しかし最後前向きに終わるのに違和感がある。
    どこに希望があったの……?

  • 彼自身の状況を象徴するような「どん詰まり」の谷間の中で、最後に思いもかけない地下室を発見するところがなんとも言えず爽快。この頃から円環の要素が出てくるのか?万延元年の出来事に似たことが再び繰り返されるならば、出来事というものが反復されるならば、万延元年の事件の思いもかけない「抜け道」であった「地下室」は同時に閉塞した今の自分を励ますという…。そして「スーパーマーケットの天皇」のスーパーであるようなものが後の『燃え上がる緑の木』などで川沿いのスーパーまで行って来たのよ、などと登場するところも面白い。

  • 古典文学を再度チャレンジしてみたが、数十頁で断念。どうしてこう暗い心理描写が続き読みづらいものか。。

  • この本を人に説明できない。

  • 障害を持つ子どもを抱える兄とアメリカ帰りの弟が高知県の村へ移り住み、曽祖父が起こしたという万延元年の一揆を現代に起こそうとする。ノーベル文学賞作家大江健三郎の代表作。又吉のおじいちゃんを思い出すらしい。

  • リゾナーレで読み終える
    文学的なのにあまりにも適格な描写にはっとすることもあった。

  •  戦後日本文学史における最大の跳躍点は、大江健三郎から村上春樹への過程なんじゃないだろうか、これが読了後の正直な感想。別に間に中上健二を挟んでもいいかもしれないけど。
     ノーベル文学賞受賞者でもある著者の最高傑作ともいわれる本書において重要な要素は3つ。一つは、戦後民主主義の一つの沸点である安保闘争の挫折という政治的要素。二つ目が、万延元年?つまり、発表された1967年よりおよそ100年前から伝承されている先祖の話や兄弟関係といった、血縁関係。最後の一つが、舞台となる主人公の故郷である、四国の山奥という土着的共同体という社会。この、政治・家族・社会という3つの要素が絡まり合う重層的な寓話であることが、60年代という沸点を示していると同時にどこか"過去の小説"という印象を与えてしまうのだ。
     そして、村上春樹だ。彼が1980年に発表した2作目のタイトルは本書をもじった『1973年のピンボール』。そこには"翻訳家"、"鼠"といった本書と同様のモチーフが扱われている。ただし、最大の相違点として、村上春樹は上記で示した"政治・家族・社会"というエレメントについて、全く触れる事はない。そこで書かれるのは都会的な生活を営む家族関係が不明な主人公が他者との関係をいかに築くかという点であり、社会的とか人生と言うものは幻想なのだとすっと出している(イメージで書いてます)。そして僕等はそのような物語にこそ、共感しやすい文化で暮らしている。
     もちろん、これはどちらが良くてどちらが悪いという話じゃない。ただ、このようなパラダイムの変化に無自覚でいると、本当に面白い物に気が付かないままでいるよ、って話。こっちの方が楽しいよ。

  • 作家って、すごい!
    じっくり読んで澱んだら、三浦大輔の脚本が読みたくなりました。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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