さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061975620

感想・レビュー・書評

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  • 新書・エッセイやら書評やらはそれなりに読んでるんだけど、小説作品はこれが初めて。そして著者のデビュー作。これまでに触れた、著者の書評における着眼点とか、それこそ読書論そのものとかを読みながら、『凄い発想だけど、これを自分で実践できるかと言われると…』っていう思いが拭えなかった。そしてそれは、小説作品を読んでみて、確信に変わることとなった。おそらく読者側の空想に充てるために開けられたと思しき余白が多く、逆に空想に耽らず読み進むと驚くほどすぐに読み終えてしまうんだけど、読了できたのはそのおかげかも。これで、行間なくビッシリ系だと、多分無理でした。解説で加藤氏が書いていたけど、やっぱり感性が足りないってことなんですね。またしても文学への隔たりを痛感させられることになった読書体験でした。

  • 大学2年の時に友人宅で薦められて読み、冒頭数ページで心をガッツリ持って行かれ、帰り道に書店に寄り「文庫なのに高いなぁ…」と思いながら購入した記憶がある。
    とにかく勢いのある小説なので読み進めるスピードのコントロールが不可能。特に授業シーンのスピード感リズム感はハイフェッツの演奏並。逆に立ち止まると内容が頭に入ってこない。そんな小説。どんな内容かと問われると説明が難しい。
    愛についての小説でもあるし、死についての小説でもあるし、読み手によってどんな小説にもなり得るというまるで変幻自在なスライム状のように存在している作品。そろそろ再読してみようと思う。

  • 私にはよくわかりませんでした。
    本書のすごさはもちろんのこと、
    面白いかどうかもよくわかりませんでした。

    著者の思考と言葉の一人遊びを見ている気分。
    小説というより、詩なのかな。
    ただ、読んでいて飽きない。
    飽きないまま最後まで来てしまい、
    読み終わってしまうことにさみしさを感じる。
    不思議な本だ。

  • 著者のデビュー作らしい。30歳ごろに書かれたということになる。
    著者の経てきた経験、見てきたものについて全く何も知らずに読んだので、何を書いているのか、理解を深められていない部分も多々あって、開設でいろいろ知ることもあった。

    所感としては言葉の世界、秩序ある世界が、一度バラバラになってそれを作り上げているみたいな場面場面であった。
    何かを話そうとしていて相手は何を話そうとしているのか、想像する力、聴く姿勢、みたいなものを求められているようにも思った。
    また読もうと思う。

  • 初めて読んだ高橋源一郎さんの本。

  • 2019年度第6回新歓ビブリオバトル

  • 映像的でしばらく眼窩に留まっていて、一度読んだら癖になってしまいました。もう何度も読んでいます。唯一無二の小説。

  • p.246「私たちは、ギャングであることは相対的なものだと考えました。」

    耳にすることがある題名だけど、全くどんなジャンルの本なのかわからなくて読んでみた。読んだけれども内容はわからなかった(笑)

    チョムスキーではないけれども、文法も文のつながりも規則に従っているのに、今までこんな言葉の組み合わせはなかっただろうというか脈絡がわからないというか。

  • 不思議な本です。解釈するものでもないような気がしてくる。でも、小説としては成立していて、さくっと読めてしまうし、読んでいたら急に、著者が何を表したかったのかがグッと近づいてくる感じがしました。

    言葉って、ときどき私の言いたいことから勝手に独立してしまって、感じているとおりに伝えられなかったりします。そういう不自由さを生む、言葉の手垢とか背負ってしまった過去とかから、言葉を解き放って、言葉とそれを使う「私」の関係性を築き直そうとしている小説なのかな?と思いました。

  •  再読。
     再読、とはいっても今までは単行本、及び講談社文庫で発売されていたものを読んでいた。
     今回は講談社文芸文庫として出版された版で読んでいる。
     うちには三種類の「さようなら、ギャングたち」があるということだ。
     
     もっとも多く読み返した作品がこの「さようなら、ギャングたち」だろう。
     二桁、までは到達していないだろうけど、七、八回は読み返したと思う。
     それほどまでに読み返すほどの魅力がこの作品のどこにあるのだろう。

     すでに内容を知っている状態で読み返すと、始終切ない気持ちで読み通すことになる。
     本当に切ない気持ちになってしまう。
     本当に哀しい気持ちになってしまう。
     何故なんだろう。

     短いフラグメントが集積されてひとつの物語を形作っている、という形式。
     バーセルミや村上春樹の「風の歌を聴け」やブローティガンの「アメリカの鱒釣り」「西瓜糖の日々」のような形式、と言えば分りやすいだろうか。

     詩、なのかも知れないし、前衛的なのかもしれない。
     たった一行だけのフグラグメントもあれば大島弓子の漫画のみによるフラグメントもある。
     僕は全く前衛的とは思っていないのだけれど、やはり他の小説とは全く異なった言葉、全く異なった文章で書かれていると思う。

     コクトーの「恐るべき子供たち」やコルタサルの「南部高速道路」その他過去の様々な小説へのオマージュともとれる箇所も随所に見受けられる。
     きっと僕が読んだこともない作品にも触れている箇所があるのだろう。

     万人向けでは決してない。
     読んでみて「全く意味不明」と思われる方もいると思う。
     僕もきっと意味不明のままに何度も読み返しているのだと思う。
     それでもこの切なさ、この哀しみの疑似体験は得も言われぬ快楽を呼び起こす。
     だから何度でも浸ってしまう。

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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