在日

著者 :
  • 講談社
3.45
  • (11)
  • (28)
  • (54)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 209
感想 : 43
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062123228

作品紹介・あらすじ

自分の内面世界に封じ込めてきた「在日」や「祖国」。今まで抑圧してきたものを一挙に払いのけ、悲壮な決意でわたしは「永野鉄男」を捨てて「姜尚中」を名乗ることにした。初の自伝。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 在日2世が、日本を、日韓日朝、中朝や世界をどう見ているのか、歴史的事件と個人的出来事とともに綴られている。

    在日といっても、多様な考えを持つ人々の集団だから、在日の方々の考え代表というわけではなく、1意見なんだろうけれど、様々な場面での心境を知ることができた。

    きっちりと言葉の意味が理解しきれていない単語も多々出てくるけれど、そういう言葉を知らない事は、その言葉を意識する環境で生きていないという事なんだろうな。

    東北アジアに生きる…
    自分がアジア人と意識することはこれまでもあったけれど、東北アジアという意識はなかった。東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジアは自分でも使う。東アジアではなく、東北アジアか…。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 2016/9/8
    カン サンジュン

  • 姜氏が個人史に朝鮮半島の歴史を織り交ぜて物語る。

     私にとって特に興味深かったのは、姜氏が日本の大学生だった当時、韓国の民主化運動への連帯を次第に意識していったことを回顧する一節である。
     現在の韓国からは想像しにくいのであるが、80年代までの韓国は、軍事独裁政権による強圧的な政治状況の下にあった。つい最近まで「南」もまた非民主的な状況にあったのである。
     このことは、姜氏をはじめ「在日」の人々の政治的立場と生き方に大きな影響を与えてきた。

     日本の人々の多くは、韓国の軍事独裁政権の圧制を身近な問題として感じることはほとんど無かったと思う。一方「在日」の人々は、軍事独裁政権下韓国の過酷な状況を、我が身の内心の切実な問題として感じて来たのである。
     65年の日韓基本条約後の国籍選択に際して「非・韓国籍」を“選択”してきた人たちも多い。その思いの背景について、本書を機に改めて考えた。

     個人がしっかりとした「歴史観」を培うことの大切さ。
    (もちろん、個人が「歴史観」を内に刻むことを余儀なくさせる状況があった。 )
     そして、「歴史観」を抱き続けることが「知識人・文化人」なのではないか。
     氏の思索を通じて、そう感じた。

  • どうも文章が入ってこないんだな。回りくどいというのか、読んでてクリアに意味が入ってこない日本語文だ。生い立ちから当時(2004年ぐらい)の雰囲気について書いているのだけれど、あいまいというか深さがないというか、誤変換や改行ミスっぽい部分がそのままだったり、かなり荒いつくりの本だと思う。これは講談社なのに文庫は集英社から出ているようで、何かあったのかも知れない。

  • 確かに。

    在日コリアンには、ダブルスタンダードな生き方を選ばざるをえないのかもしれない。

    本書の内容、自伝の部分は多少ドラマチックな切り方があるかも知れないけれど、赤裸々な葛藤の真実だと思います。

    どうしても韓国人の気質として「火病」と言われるような、ヒステリックなイメージがつきまとう。

    あながちステロタイプとも言えないように感じます。

    一方姜尚中は、テレビでしか見たことはないけれど必要以上にトーンが低く、ウィスパーボイスとも言える、感情の起伏を見せない、常に論理的な語り口と佇まいです。

    意識してそうしているのでしょうか。

    この自伝の中では、秘めたるマグマのような静かな熱さを感じます。

    事実、学生時代は運動家でもあったとのこと。

    先ほどのダブルスタンダード、ネットなどでは「二枚舌」とも書かれています。

    日本国内での本書のような発言と、韓国マスコミに向けた発言内容との差があまりにも激しすぎるせいでしょう。

    しかし、テレビで美術・絵画の解説を穏やかにしている姜尚中が本来の彼であり、本人も望む自分自身であるような気がします。

    だが現在、未だそれはつかの間のことであり、許されないことなのか。

    在日の「作られ方」、生き方。

    諦念にも似た、「在日とはなにか」をまとめた本かと思います。

    好きなのですが、シンパシィは今ひとつ得られない。

  • 永野鉄男という名前を捨てて、姜尚中を名乗り、二つの祖国(南北を考えると三つかも・・・)を持つ著者が朝鮮戦争のさなかに日本に生まれ、在日であることを意識し、日本も韓国も好きでありながら嫌いという極めてアンビバレントな悩みを持ちつつ、現在の北朝鮮バッシングに至る日本人の心情を分析する。非常な心の痛みを持ってしか読めないような重い本です。60年代までの韓国のイメージが今の北朝鮮のイメージだったことを考えると、今のバッシングはやはり朝鮮民族に対する私たちの複雑な思いを抜きにしては語れないように思いました。金大中・金正日会談に快哉を上げた話など、日本人には理解できないところかも知れません。著者がエピローグで書いているようにこれは決して成功した在日2世の成功談でもなく、在日の時代史でもなく、私たちが失っている日本人としての良心を呼び醒ます訴えの本として読まざるを得ません。そういうことを考える都度、2002年W杯共同開催は全員が喜べる歴史的な快挙でしたね。

  • 皆が仲良く生きていけますように

  • 在日の人々の自らのアイデンティティーを探し求める過程が克明に記されている。当時の政治・文化も併せて述べられており当時の社会情勢を思い出した。

  • 日本を代表する政治学者である姜尚中氏の自伝的エッセイである。自身の半生への反省を通して、「在日」である「自己」、「在日」という「存在」、「在日」と「朝鮮半島」・「在日」と「日本」の関係、さらには「在日」であることの「可能性」への思考が鏤められている。

    日本の「独立」と同時に国籍を一つの「通知」によって一方的に剥奪された「日本人=大日本帝国臣民」は、「元日本人」というカテゴリーも許されない「在日=パーリア(被差別少数者)」として錯綜とした存在の「傷痕」を強いられることとなった。結果、絶対的マイノリティーとして陰日向に生きざるをえない「非日本人」が誕生したのである。著者もこの歴史の傷跡を刻印された一人として生まれたのである。

    細かい内容は読んでいただくしかないが、著者の経歴とともに多くの興味深い事実を知ることができた。共に六〇年の出来事である日本の「60年安保」と韓国の「4・19革命」の「共振現象」、日本人が「ポスト68年」の「三無主義」に雪崩を打っていった70年代は、在日にとっての「政治の季節」に他ならなかったこと。学校での「パトリ=祖国」という図式が成り立つ「一世」と、「パトリ=日本/祖国=半島」、「パトリなき祖国」を強いられる「二世」「三世」との「断絶」などである。

    快活に日々を送りつつも微妙な「違和感」を感じ始めた時期、「在日」であることの「後ろめたさ」に言いようの無い苦悩に苛まれた続けた時期、反転「通り名」を脱ぎ捨て、熱烈な「民族主義者」として鬱屈した闘争を繰り広げた「熱い」時期、ドイツ留学時代の鬱状態になりながら黙々と取り組んだ「ウェーバーとの対話」の時期、「日本人」市民との共闘、韓国の民主化を経ての累々とした「ルサンチマン」の超克の時期などが深い内面への省察に基づいて描かれている。とくに、「東北アジアにともに生きる」ものとしての不退転の決意表明の段は、今尚も活発な氏の活動の根源として非常に胸を打たれるものがある。

    「日本のエドワード・サイード」とはいささかの飛躍に聞こえるかもしれない。しかし、報われることの決して多くない「発言するマイノリティー」としての自らの人生・存在へ、絶えず身を曝け出し断固として「コミット」し続ける氏の誠実なる姿勢は、サイードのいう「知識人像」からもそう遠くはないだろう。今後も変わらぬ活躍に大いに期待したい。

  • 故郷の祭儀や風習、食生活や儀礼に対する母の異様なほどのこだわりは、もぎ取られてしまった土地と人々の記憶を現在という時間の中で再構成しようとする彼女なりの必死の営みに違いない 母にはその言語という回路が途絶していた じつに成人40%が生まれ故郷を離れた状況にあった 「政治の季節」の終わりが訪れつつあった 政治から「私生活」へ 在日は幾重にも重なり合った大きな政治的暴力の中で生きているのだ 本書を書きたいと思った最大のモチーフは、朝鮮戦争の年に生まれて藩政期あまりを経た「在日」二世が、何を失い、何を獲得し得たのか、そのことを忘れ得ぬ人々の記憶とともに書き留めて置くことにあった

  • 朝まで生テレビではじめて知り
    最近はコメンテータとしてTVにも出演されている
    彼の人格を形成する源となった自分の父親やおじさんについて
    学生時代の活動について克明に書かれている

    少し文学的ですっと読める感じではないが(自分のレベルが低いので・・)
    何か渦巻いた感情が伺える一冊

    従軍慰安婦問題や韓国や北朝鮮の問題について
    深くかかれていればなおよかったと思う。
    それは別の本かな。

  • 在日というアイデンティティとはどのようなもので、どれだけそれが人生を大きく左右するものかを垣間見れる。著者がどのような心の揺れを経験してきたかはとても貴重な話である。

  • 結構むかーしに読んだ本。

    朝まで議論している番組で、喧騒に満ちた空気を一変させる語り口が強く印象に残り、名前を知り、本を読むきっかけとなりました。

    淡々と綴られた人生と思想がじんわりと温かく伝わってくるそんな一冊でした。

  • 「在日」という言葉が示す意味。
    テレビや雑誌では評論家が我が物顔で「在日」について語る。彼らがどんなキッカケで日本に辿り着き、そして暮らし始めたのか。関連書籍がかなりの数出回っている現代ならばほとんどの人が知っているだろう。
    しかし、彼らの本当の苦悩、悲しみを理解することは決してできない。本書を読んだ後でこれだけははっきりと言える。
    では、私たちは本書から何を感じ取り学び取るべきなのか?
    歴史の重みや差別という怪物について痛いほど伝わってくる。そして、「在日」として生まれたばかりに経験せざるを得なかった痛み。そして、姜尚中という人間の内面的強さ。
    ただ、これら以上に、著者がエピローグで述べているように、私たちが感じ取るべきは、「朝鮮戦争の年に生まれて半世紀あまりを経たひとりの「在日」二世が、何を失い、何を獲得しえたのか」ということなのだろう。

    著者は本書の中で、ドイツ留学中にインマヌエルという青年と出会う。彼の両親はギリシャ人であり、やはり彼も差別や偏見と戦わざるを得ない運命だった。著者はインマヌエルに「在日」である自らとの共通点を見つけ、そして人生に希望の光が差し込むことになったのだ。
    世界中に「在日」がいる。この事実が彼を勇気づけたのだ。ただ、私はそんな現代の世界を変えなければ日本のみならず、世界の平和を導くことは難しいと思う。

    ナショナリティ、新興宗教、言語、文化。全てを統一することは勿論不可能。大切なことはどれだけ相手に歩み寄り、共感できるか。これに尽きる。
    朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争。そして、今でも中東を中心として世界各国で争いは続いている。
    専門家たちは口を揃えて言う。「戦争はなくならない」
    そして、国の利権だとか領土だとか経済を切り口に評論を始める。テレビを見ている私たちは紛争地域の映像を見て思う。「大変だな。可哀そう」

    こんな現状にいつも苛立つ。
    何もできない自分の存在にそれ以上に苛立ちを覚える。

    ただ、本書を読んで思った。
    まずは「知る」ことから始める。知らないことが知っていく。そして、自分の本当の意見に出会う。そこから始める。

    姜尚中。誰よりも深く物事を思考する人なんだろう。そして、自分の考えに自信を持つことのできる人。
    「在日」である彼の半世からたくさんのことを知り学んだ。

    朝鮮半島の平和的統一、また世界全体の平和を心から願う。

  • 在日という出自と向かい合ってきた半生を書いた自伝
    を期待して読んだ

    向かい合った自分自身の苦悩については
    殆ど語られていない

    一般的な在日が生きてくるのは大変であったという
    物語=神話でしかない

    これは本人が東大教授となり、テレビへの出演も多い
    (NHK日曜美術館も・・・)
    「成功」した人であるからか

    本人自身の掘り下げのない文章は感傷でしかない

    ソフトな語り口、厳しさも感じさせる顔、
    長身が人気を呼んでいるのかもしれないが
    この本を読む限り在日という出自を仕事にした人という
    感想を持ってしまった

    この人はこの先何をしてゆくのか

  • 図書館本。

    自伝。それでもこの人には学問があったからよかったのだろうな。
    ワイルド・スワンを読んだときも感じたけけど、海外のエリートとそうでない人たちの差は日本どころではないなぁ。。

  • 最近作の「母」を先に読んだ これは文字のかけない母親とのたくさんの会話を元につづられた自伝で 在日という境遇がよく理解できた 
    この「在日」ではさらに深く心のうちを書いている 
    紆余曲折を経てようやく今に至り 自分の生き方だけでなく「東北アジア」の将来について考えている 
     EUが出来たのだから 東北アジアでもいがみ合っている国が集まって同じテーブルで話し合える時代が来るはずだ その時 各国とのパイプ役として在日がはたす役割は大きい・・・と

    わたしには東北アジアという意識はなかった 東北アジアに住んでいながらほとんどの日本人はアメリカ・ヨーロッパの方を向いているのではないか

     155p ・・・わたしは悶々とし、心の平衡を失いかけていた。信仰への目覚めというより、土門先生への尊敬の思いが、わたしを洗礼に導いたと言える。・・・・・わたしは、焦りと悲しみの中で自分を見失って、今の苦境がずっと未来永劫に続きそうな錯覚に陥っていたのだ。大切なことは、必ず時があるに違いないのだから、その為に準備をし、心の平穏を取り戻すことなのだ。そう思うと、いてついた心が少しずつ氷解していくようだった。


    225p  ・・・・ これまで在日は、日本の境界の中でしか生きられないという閉塞した状況にあった。「在日」であって、「東北アジアに生きる」ということは、決して断絶ではない。国や地域を越えて輪のようにつながっている、そういう生き方が出来るのではないか。残された人生を、この東北アジアにつながって生きるということのために、それを阻んでいる要因をひとつひとつ克服していく作業に費やしていきたいと願っている。

  •  「日本はひとつの民族だけが暮らす国ではない」と知っていながらも、自分以外の民族の人の考えに深く触れたのはこれがはじめて。
     歴史もいまの社会情勢も、私には見えていない部分がたくさんある、と思い知らされた一冊。

  • 一度だけ、姜先生の授業を受けたことがある。
    「超ダンディーで授業も面白いし、しかもグレード甘いんだからとにかく一度はとるべし」と友人に勧められて、一般教養の政治学入門か何かをとった。
    政治なんてまるで疎い私でも、70分の授業があっという間に感じるほど、面白くて夢中になってノートをとった記憶がある。

    既に「朝まで生テレビ」などに出演されていて、学内ではダントツに人気があったけど、「在日」という言葉は当時の先生からは全くと言っていいほど連想しなかった。
    むしろ、そういうカテゴライジングはとっくに超越しているのかと思っていた。

    だから発売当時、書店でこの本を見たときちょっと驚いた。
    そして今読んでみて、本書の中にもあるように、「時がきた」のだったと素直に理解できる。
    テレビでのクールな先生の印象しか持たない人には、ぜひ読んで欲しい。
    極めてパーソナルな体験とグローバルな視点が折合わさった展開は、姜先生ならでは。

全43件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

1950年熊本県生まれ。東京大学名誉教授。専攻は政治学、政治思想史。主な著書に『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判』(以上岩波現代文庫)『ナショナリズム』(岩波書店)『東北アジア共同の家をめざして』(平凡社)『増補版 日朝関係の克服』『姜尚中の政治学入門』『漱石のことば』(以上集英社新書)『在日』(集英社文庫)『愛国の作法』(朝日新書)など。

「2017年 『Doing History』 で使われていた紹介文から引用しています。」

姜尚中の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×