文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (1408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062735353

感想・レビュー・書評

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  •  百鬼夜行-陽が今年の3月に発売されることを知り、読み返してから読みたいと思い順番に読み始めました。たぶん4回目くらいになります。何度読んでも程よく忘れてしまっているのでとても面白いです。この作品は大好きな関口くんはほとんどでないのですが、それでも面白いことには変わりませんでした。
     ラストはポッカリ喪失感が生まれる結末でした。死んだ人たちは、みんな、死んで欲しくなかった人ばかりでした。真犯人の気持ちを一生懸命想像してみました。でも、ぜんぜん想像できませんでした。
     犯人は他の道を選べなかったのか?これは私個人の考えですが、選べなかったのではなく、すべて自分で選んでいたと思います。だから私はこの犯人に好感を持つことがまったくできませんでした。
     次回作、この犯人が死ぬことを知っています。とても残酷な方法で殺されます。「悪」だから死ぬ、そんな単純な式にしたくないけど、私は少しも憐れに思うことができません・・・。

  • やたらと分厚い本ですが、張りまくられた伏線をきれいに回収して、「あなたが蜘蛛だったのですね」のラストまで徹夜で一気に読んでしまいました。
    個人的には京極堂シリーズの中で最高傑作だと思います。

  • 一番好きな作家の一番好きな作品。

    殺人事件が起きて探偵が犯人捜して事件を解決する、という流れなので、分別するときっと推理小説なのでしょうが、いやはやそんな通り一遍の括り方なんて全く以って出来ません。

    殺人がそこかしこで起きますが、全体像が全然掴めないので何をどう考えながら読み進めれば良いのか分からない。
    犯人も黒幕も1人ではないので後半に至ってもやっぱり何が起こってるのか分からない。
    ただ、随所に散りばめられた伏線を探偵役が綺麗に回収していく為、モヤモヤ感と爽快感を共存させながら読んでいけます。
    そして最後の一行を読んだ後、幻想的な冒頭に戻って事件の全容を知った時、きっと驚愕します。
    声が出ます。腰が浮きます。

    身内の人間同士の掛け合いも薀蓄も面白いし、シリーズの過去作品に出てきた人物が今作にも関わってきたりする楽しさもあります。

    ミステリーや推理小説好きの方にはたまらない作品だと思いますので、ぜひご賞味下さい。

  • 最後まで読んで、スムーズに最初のページに戻る。
    はあ〜凄いなあ...としか出てこない。圧巻。
    年末年始にじっくり読めて良かった。
    鉄鼠から大分空いてしまった。

  • 姑獲鳥で驚愕して魍魎で確信して本作はそれらを超えて、読み終えたらもうすごいのひとこと。このひとやっぱりすごい。。

  • なんか鈍器で頭殴られたみたいな目眩のする読了感でした。このシリーズは時系列に進んでいるから当然刊行順に読んだ方が「理」なんだろうけど、女学院、蜘蛛、呪術…の題目に誘われてWikipediaで人物予習を万端のうえ狭骨、鉄鼠を飛び越えて手を付けてしまった。
    登場人物が多数だけあってとにかく人が死ぬ死ぬ!天罰然りな死もあれば犠牲死(の方が多いんだけど)あれだけの壮大なスケールのシナリオを描いた“蜘蛛”…というより京極夏彦やっぱり凄すぎる。
    「あなたが蜘蛛だったのですね」真犯人を示唆する冒頭であるが、最後まで到達後再読すると桜舞い散る情景なのにゾクゾクと鳥肌が…。そして改めて読み終えた頁数を見て達成感が溢れました。
    ただ、まさかのあの事件のあの人が出てくるとは!やはり“あの人は誰!?”にならない様にフライングも程々に…という事ですかね。今回も京極堂、榎さん共に格好良かったです!

  • 京極夏彦/京極堂がミステリーの皮を被りながら憑き物落としをしようとしているのは、われわれ読者であることを確信した一冊です。認識論、身体論、性と密教、仏教あるいは悟り、と関連性を持ちながら続いた集大成として生き物/ジェンダーとしての男女まで物語は射程を広げ、ある意味第一話にも輪廻するように、ウロボロスの蛇のような趣のある、このシリーズの集大成の物語でした。久しぶりに、読み切ったところで震えが来て、ここまでシリーズを読み込んできて良かったと思いました。ミステリという枠組みで捉えるのが矮小な気がする世界観を提示してくれる、数珠の一冊です。

  • 始めから終わりまでずっとぞくぞくされっぱなしの小説だった。物凄く分厚く、長い物語なのに、長いと思うことがなかった。

    それくらい面白い。

    執拗に(異常に?)蜘蛛という単語が出てくるこの小説。その言葉通り、物語が蜘蛛の巣のように全て繋がっていて、その計算高さに圧倒され、感嘆し、拍手した。

    皆様が書いているように、「あなたが蜘蛛だったのですね」から始まる物語。
    桜が舞う美しい風景の中、犯人と対峙する中善寺。

    はらはらどきどきするシーンのはずなのに、どこか穏やかで物静かに感じた。
    そしてよく分からぬまま、何か解決したらしく、いざ本編へ。

    犯人が複数居る。
    全ての事件は別々に起き、誰の指図も受けずに、個々の犯人が事件を起こす。
    しかしそれらの事件は全て繋がっている。
    何だかスタンドアローンコンプレックスみたいだと思った。

    そして犯人がわかり、「あなたが蜘蛛だったのですね」で閉められる物語。

    うわああああ冒頭のやつだああああああ!!!!ってなって急いで読み返すと、うわあああああああ全部ちゃんと最初に書いてあったんじゃんんんんんんんん!!!ってなる。

    超マジック。

    この本は凄いなー。

  •  上手いタイトルだよなぁ、と思いました。
     蜘蛛の巣というのは、縦糸が中心から放射線状に広がっているのに対し、横糸は一本だけで、渦巻き状になっているそうです。
     で、この物語では、刑事の木場修がその蜘蛛の巣の横糸を辿るように、少しずつ真相に迫っていきます。

     と、ここからちょっと面倒くさい話になります。

     後で気づいたんですが、作者の作品の構造自体が基本的にコレなんですよね。
     そして、この作り方に似ているのが、『モンスター』や『20世紀少年』での浦沢直樹さんだったりします。

     これ、又聞きで申し訳ないんですが、以前、島本和彦さんが浦沢直樹さんのマンガを分析したことがあるそうで、そこで以下のようなことを話されていたそうです。

     普通のマンガというのは、一つの話がだんだん盛り上がり、クライマックスを迎えるとクールダウンします。一度リセットされて、また次盛り上げていかなければならない。グラフで言うと、横軸を物語の進行、縦軸を盛り上がりと取ると、ちょうど富士山のような形になるわけです。二次曲線で盛り上がって、クライマックスからまた二次曲線で下がるわけです。

     このオーソドックスなやり方の欠点は、一度クールダウンしてまた新たに盛り上げなければいけないので、どうしても「下がる」ときが発生してしまいます。

     しかし、浦沢さんの話の組み立て方は違います。浦沢さんは、例えばA・B・C3つの話があるとすると、まずAを描き始めます。そして、ある程度の所まで来たら(便宜上、1から3くらいまで盛り上がってきたとします)、そこでいきなりAの話をぶつんと切っちゃいます。で、今度はBという話を始める。これがまた3くらいまで盛り上がってきたら、突然ぶった切って、今度はCを1から始める。で、Cが3くらいまで来たら、今度はAの話を2か2.5くらいから再び始めるわけです。
     こうやって3つの話を交互に繰り返しながら少しずつ進めていく中で、一つの大きな物語を浮き彫りにしていくわけです。

     このやり方の上手いところは、A・B・Cを回すことで、全てが盛り上がり続けており、クールダウンする瞬間がないのです。つまり、ずっと盛り上がっているように見せることができる。

     …と、ここまでが伝聞です(ちょっと私の整理も入ってるかもしれません)。

     京極堂シリーズの話も3つか4つくらいの話がコロコロ入れ替わりますよね。構造としては浦沢作品と同じなんだと思います。それこそ、複数の話を先に書いておいてそれらをそれぞれ4つのブロックに切り分け、A1・B1・C1・A2・B2・C2…と配列し直しているかのようです。
     このやり方って、また比喩的になりますが、デッサンの線を引くようなモノのだと思います。鉛筆の線を何本も重ねて描いていく中で輪郭を見せていくように、複数の短い線のような物語の断片を重ねることで、一つの大きな物語を見せていくわけです。

     だけど、このやり方には欠点もあります。どうしても反復が多くなってダレやすくなるのと、途中で何となくオチが見えてくるのです。
     正直に言いまして、本作くらいから京極堂シリーズの話は繰り返しがくどく感じられるようになってきました。同じ事を延々と読まされ、読んでいて「もうちょっと編集がハサミ入れてまとめろよ」と思うことがありました。
    (ちなみに、浦沢さんの『モンスター』や『20世紀少年』も途中からそういう印象を受けました。何というか、もったいつけられているというか、引き延ばしをされているみたいに感じちゃうんです)

     話としては面白いんですが、それ以上に冗長を感じるようになってきて、その冗長が構造と密接に関わってるのかな? と思った作品です。

     何だかオススメしにくくなっちゃいましたが、話は十分面白かったです。

  • 『鵼の碑』発売決定記念に再読シリーズその5

    百鬼夜行シリーズで好きな作品を聞かれると、『魍魎の匣』とこの『絡新婦の理』で迷ってしまう。構成もそうなんだけど、織作茜が好きなんだな…。

    場所、時代、状況…そういったものが変われば、理(ルール)というのは変わっていく。
    例えば死刑制度。人を殺すことは良くないけれど、それはそれとして現代日本は死刑制度を受け入れている。江戸時代まで遡れば、仇討ちという殺人はむしろ義務となっていた。
    人を殺すことは良くないのに、場所、時代、状況が変わればそれが肯定される。

    おそらく大事なのは、様々な理があると認識した上で、複数の理を共存させることなのだなぁ。価値を画一的にしてしまった貨幣制度が良い例だけど、ただ一つの理で語れると誤解してしまうから、何かが穢れとして祓い落とされてしまう。
    難しいのは、そういった理を語る時点でそれは別の理に依っている…という循環構造が実際にあるわけなのだけど。
    死刑制度について反対する時に、殺人の是非に関する理に否が応でも立たされている、みたいな…(あんまり上手くないなこの例え)。

    しかし黒衣の男と桜色の女の対比…。小説も良いけど、漫画版のラストシーンも比肩するほど素晴らしい。桜の樹の下に屍体が埋まっているというのも、なるほど頷ける話だ。

著者プロフィール

1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、97年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『死ねばいいのに』『数えずの井戸』『オジいサン』『ヒトごろし』『書楼弔堂 破暁』『遠野物語Remix』『虚実妖怪百物語 序/破/急』 ほか多数。

「2023年 『遠巷説百物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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