- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062748698
感想・レビュー・書評
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村上春樹節恋愛小説。
懐かしいな。
銭湯帰りにボロアパートで読んでた頃を思い出すよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
レイコさんの台詞、
「私たちもみんないつかはあんな風に死ぬのよ。私もあなたも」
生と死について考えさせられる物語。
自殺者が多いのでちょっと鬱になるが、
読んでいると心に刺さることも多い。
ただ単純に要領よく生きられる人とそうでない人。
誰しも感じたことのある自分に対する心の歪みを気にする人と気にしない人。
自己に向く純粋な精神への葛藤にむけられた名作だと思います。
非常に読みやすいのが素晴らしい。
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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が社会現象になった時に、初めて村上春樹の作品を読み、他にも読んでみたいと思い、購入していた本書。先日上巻を読了し、下巻も一気に読了しました。
村上春樹の作品を読んだのは2作目でしたが、リズムがあり読みやすく、情景描写や表現が巧く、そのストーリーと世界観に引き込まれました。登場人物は皆、心にどこか傷を抱えていましたが、個性的で魅力的でした。その中でも自由奔放な緑が1番好きです。
ついつい一気に読了してしまいましたが、またいつか、ゆっくり味わって再読したいと思います。 -
描写が繊細で物語の中に引き込まれるように読んだ。
有名な恋愛小説って聞いてたけど恋愛小説と言っても王道のやつではなくて人間の深い心の闇の部分を描いたり、思い悩む若い主人公の混沌みたいなのを描いてて一筋縄ではいかない恋愛模様だった。
もやもや〜とした沼に嵌ったみたいな感覚。
でもドロドロとした話じゃなく登場人物たちは真っ直ぐでとても人間味があってなんだか切ない。
性的な描写はどちらかというと多めだなと思ったけど若き日の思い出だからかな?
自分的にはレイコさんが唯一さっぱりとしてるからか好感が持てて、彼女の過去の話もとても気になってしまった。
主人公が前に進むのにレイコさんの存在はとても大きかったと思う。でも最後のところはえ?ってなるが考えてみれば彼女も不完全だもんね。
人は皆弱い生き物なんだろうな。 -
上巻からは雰囲気が変わり、臨場的で性的な描写の多さを感じた。死は生の対極ではなく、生の中にうごめいているものであるというのを感じる本だった。
とにかく登場人物は不幸になる者が多かった。最終盤のワタナベとレイコさんの関係においても、それが前に進む選択として正しいものとは思えなかった。
人間のありのままの姿と、性的な葛藤を描いた作品であり読後感はスッキリしないが様々考えさせられた。 -
読後、とてつもなく心が暗くなった。
僕は最後にどこにいたんだろう。「どこでもない場所のまん中から緑を呼び続けていた」という文から、僕が精神疾患を患い始めていることを暗示しているのではないかと思ってしまう。
キズキが直子を引っ張り、直子が僕を引っ張り、生から死の世界へと連れて行かれる…ある意味で死の連鎖である。
これからの僕が幸せになることを願うしかないが、緑に任せたところで幸せになれるとは感じない。緑は相当な変わり者だし、なんなら気がおかしいのではないかと感じる言動を取る。(僕はいつも変わり者に引っかかる。)でも、緑は心の傷さえあれど、自身に起きた残虐な出来事をしっかり乗り越えてきたという過去がある。それなりに強い心の持ち主なのだろう。また、僕に対して弱みを曝け出しているという点でも直子とは異なる。こうしてみると、やはり僕は、緑とお互いの弱い点を補完し合いながら将来的に上手くいくのではないか、と改めて感じた。
この小説が一体何を言いたかったのか、全くもって掴めなかったが、村上春樹の小説はいつもそうかもしれない。これといった大きなテーマを持たず、(この小説に限るがリアリズムを徹底し、それを淡々と描く)、解釈を読者に完全に委ねる。何度も読み重ねることによってこの物語を自分に落とし込み、何か大きなものを得られるようになるかもしれない。
しかし性の描写があまりにもリアルすぎて、尚且つ頻繁に登場しすぎて参った…。始めの頃は耐えられたが(むしろ興味ころ湧いたが)、後編の怒涛の性描写続きには気持ち悪さを覚えずにはいられなかった。村上春樹さんいい加減にしてください笑
以下、ネットで納得した感想
この本を読んで学べるのが、恋愛は「与える」だけではダメなんだということ。同時に「弱み」を見せて、お互いが補完し合わないといけないんだと。直子には自身の現状から、ワタナベとお互い補完し合う関係ができないことを悟っていたし、ワタナベは今になって直子の気持ちに気づいたんじゃないかと思います。
文脈をわかりやすくすると、ワタナベは、自身が考える「愛する」を実行し続けたが、直子の「愛する」と定義が根本的にずれていた。そして「忘れないで」の一言でそのことを悟り、たまらなく哀しくなった。
直子が自殺した理由も、この本でいう「公正さ」が保てないと悟ったためじゃないでしょうか。そしてスズキの元にいけば、またお互い弱みを補完できる「公正さ」が保たれた恋愛ができると思ったため、だと私なりに解釈しています。
この世界においては、明確なことなど何もない、対極的に考えられている生と死においても、それらを明確に分割して考えることはできないだろうということを伝えたかったとおもう。現代社会は西洋科学的な考えによって、事実か否か、現実か空想か、等の二分割をすることが正しいことであり、事実や現実のみに目を向け過ぎていることによって、生きづらさを感じている人たちへのメッセージでは無いか。
「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」
死は突如として外部から現れるものだと思いがちではないでしょうか。しかし、実は人間は死を内包しながら常に存在しています。人間は生まれた瞬間から死に向かって生きており、すでに死は約束された確実なものなのです。
ワタナベの周りで起きた大切な人の死は、突然起こったものではなく、常に仄めかされているものでした。その死というものの身近さ、常に存在するということが本作の柱になっているようです。
全編にわたって執拗にセックスが出てきますが、これも「生」や「生命力」の象徴として描かれていると思います。その証拠に、直子や施設にいたレイコさんのように「死」に近い場所にいる人はセックスをしません。キズキが自殺したのも、愛する直子とどうしてもセックスできない、結ばれない事への絶望が決定的な影響を与えていると思われます。
また、かつてレイコさんが愛する男性と出会って絶望から脱した際、それまでは処女だったというのも偶然とは思えません。作者はここでもセックスを「生」の象徴として描いていると思います。一方でその後の女の子との同性同士のセックスは、非常にグロテスクで間違ったもの、不吉なものとして描いています。
レイコさんは、精神を病んで家族と別れて以降の自分を「ここにいる私は、かつての私の残存記憶でしかない」と言っていました。
ワタナベとのセックスは、過去の残存記憶の入れ物でしかなかったレイコさんが「生きた肉体」を完全に取り戻した事を意味しています。それはすなわち今までの人生と決別して、前を向いて生きていくという事です。
ずばり、ワタナベ自身が直子を愛していなかったからに他ならない。
自分の記憶の中に作り上げた直子を愛していると錯覚していただけだったということを、自己中心的なワタナベは自然と自分が愛されていないとサラっと言ってのけたのだ。
ワタナベ恐るべし。
直子の死後、ショックで放浪するが大したきっかけもなく立ち直り戻ってくるのはそうした錯覚した愛が故であるだろう。
その他にも心に残ったフレーズは沢山あった。付箋を貼った(もちろん貼ってないとこもある)ので、いつか読み返してみたい。
解釈の仕方が沢山あって大変!笑
でも本ってこうやってたのしむんだ!っていうのが分かった。
http://bookclub.tokyo/?p=1812
https://note.com/mon2/n/n0106e4748572
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死は生の一部で生もまた死の一部
だからこそ真剣に向き合ってもいいし考えることを放り出して流されるように生きてもいいんじゃないか
人生の意味について分からないまま生きていくが答えでもいいと思った。 -
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」