大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880435

作品紹介・あらすじ

いま、大学でいかに学ぶのか。大学全入時代だからこそ改めて問う体験的エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • いわゆる大学論ではない。読みものとして楽しめた。こういうのもせっせと読んでいきたい。

  • 大学での学生との日々や学生たちを美しく書きすぎているような気がするのは、ひがみか?
    ちょっと変わった学科だからこの本のようなことになるのか、
    他の大学でこういう盛り上がりがないところは教える側がダメなのか?
    いずれにせよ、教える側として時間や労力を割いているのはすばらしい。

  • <閲覧スタッフより>
    大学教員が学びのおもしろさを語った本、学生がゼミや授業で学んだ成果をまとめた本を集めました。大学での学びがよく分からない方、さまざまな学びに興味のある方、ぜひご覧ください!
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    所在記号:新書||377.1||オエ
    資料番号:10196816
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    ※『大学で学ぶとは』にも使用

  • マンガの大学で教えることを通して学ぶ。
    マンガを支える思考と方法(技術では内)の論理を学生が見つけ身につける環境として機能する。

  • よかった.

    筆者の体験を踏まえて,大学4年間での学びをこのようにしたという話が書かれている.

    話が行ったり来たりして,ついていけないところもあるし,
    うんちくが地の文に書かれていて,
    アニメーションや漫画のことを知らないとすっと読めないかもしれないけれど,
    本質はそこではなくて,
    大学の教育についてどのように考えて実践したかということ.

    学ぶことについて悩んでいたこともあり,
    今の私には良い書籍だと感じた.

  • 神戸芸術工科大学でマンガの授業をおこなっている著者が、大学教員の立場からどのようにマンガに関わったのかを振り返り、同時に著者が民俗学を学んだ千葉徳爾にまつわるエピソードを紹介しながら、「近代」という時代における「教育」の行き着く先についての考察を展開している本です。

    雑多なエピソードがちりばめられているために、ややまとまりの悪さを感じますが、そのような仕方でしか語られないような「教育」がある、というのが、著者の立場なのかもしれないという気がします。例えば著者は、学生時代に民俗調査の実践に放り込まれることで「人に会う」という社会的な振る舞いを身につけたことを語り、それは「現代思想」でしばしば「他者に対して開かれる」と述べられていることを、地を這うようにして身につけることにほかならなかったと述べています。そして、著者が大学で学生たちに教えている内容も、アミカケの仕方のような具体的なテクニックでもなければ、現代思想を駆使してマンガ批評をする作法でもなく、現実の歴史の中でマンガがたどってきた道筋を、まさに身をもって知ることだと言ってよいと思います。

    そのような著者の立場から離れてややうわついた言葉を使えば、「近代」を生きる個人が、まさに「近代」の中に「棲み込む」ための作法を、本書を通じて学ぶことができると言うことができるのではないかと思います。

  • マンガという特殊な分野ではあるが、他の一般大学教員としても考えさせられる点は多い。
    著者の教員という仕事への思い入れが感じられる。
    たぶん多くの大学教員はこういう思いで仕事に取り組んでいないのではないかと思われるが、これからは大きく変化していくだろう。
    大学に秘められた可能性を信じて、教授ではなく教員として学生との関わりを楽しんでいければいいなと感じた。
    現実は難しい面も多いのだが・・・

  • 「大学とはこうあるべきだ」とか
    「今の大学がここが悪いみ」たいな大学論とは違い、
    著者の大学講師を経験するなかで感じたこと、考えたことを中心に書かれたエッセイ。

    私が芸術面には疎いので、
    マンガは映画の手法を取り入れているから、
    もう一度映画に置きなおして実際に撮影する
    という手法を解説しているなど、興味を覚える内容だった。

    また、大学講師を通して「教える」ということに対して
    感じたこと、考えたことは参考になる部分もあった。

  • 前半と後半は著者の千葉徳爾像を語り、中盤は著者による大学講座の話をしている。学びの方法としての「例のあれ」は興味深いと思った。

  • 通訳者の柴原智幸氏のコメントを見て、興味を引かれて手に取った。

    面白かった。いろんな意味で。

    今、フィルムスタディーズやまんが論も文学研究の対象となってきてるけど、この本を読んで「やっぱりなー」と思った。

    映画の手法を学んで、映画を文学のように「読んで」分析するのももちろん意義あることだと思うけれど、実際に映画を制作してみないと分からない事は沢山あるんじゃないかなって、ずっと思ってた。映画論の場合は着目点によっては新しい視座を開いてくれるものではあるけれど、そういうものを書くのはやっぱり思想的に鋭くて、碩学な方なんだよねー。

    著者の大学では、学生は実際に物語をまんがに「翻訳」(呼び方はどうでもいい、と著者は付け加えている。こういうの、大好きだ)したり、まんが科専攻学生が、漫画を映画に「翻訳」することを課せられているというのも面白かった。

    ある枠組みのものを違う枠組みで表現するには、どうしても欠如するもの、削除するもの、付加しなければならないもの、置き換えなければならないもの等等が出てくることを、頭だけでなく身体で体験できる学生はしあわせだ。

    多分、著者の方法論にそって履修(といっても、ほとんど研修と呼んでいいくらいだと思う)した学生達は、著者が言うように卒業の頃には大多数がプロとしてのスタート地点レベルの漫画が描けるようになるんだと思う。

    でも、彼らのホントの試練はその後だろうなー。これは私自身あるスキルをある程度身につけて、その現場で10年ほど仕事して感じたことだけど。現場で通用する技術を達成し、ある程度の仕事をこなすようになった後、センスとか感性という問題が首をもたげてくる。クリエイターよりもその指導者になる方が適する人も出てくるだろう。

    著者が教鞭をとる大学で学び巣立った学生が、今も健闘しているといいなー。

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著者プロフィール

大塚 英志(おおつか・えいじ):大塚英志(おおつか・えいじ):1958年生まれ。まんが原作者、批評家。神戸芸術工科大学教授、東京大学大学院情報学環特任教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。まんが原作に『アンラッキーヤングメン』(KADOKAWA)他多数、評論に『「暮し」のファシズム』(筑摩選書)、『物語消費論』『「おたく」の精神史』(星海社新書)、他多数。

「2023年 『「14歳」少女の構造』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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