メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
- 集英社 (2003年4月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087201901
作品紹介・あらすじ
現代政治におけるメディアの役割に目を向ければ、自分たちの住む世界が見えてくる。二〇世紀初めから現在まで、支配層が大衆の目から真実を隠す手法は、巧妙に構築されてきた。米国の強圧的な外交政策、テロや戦争の実態とは?世界の真の姿を知るためには、それに気づかなければならない。事実をもとに現代社会を理解することをわかりやすく論じた「メディア・コントロール」、9・11を受け、公正なジャーナリズムとは何かを論じた「火星から来たジャーナリスト」の二編に加え、作家・辺見庸氏によるロング・インタビュー「根源的な反戦・平和を語る」を収録。現代の知の巨人として世界から注目を集める、チョムスキーの考え方のエッセンスを伝える。
感想・レビュー・書評
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先進国とは何か? 世界に冠たる言語学者にして反戦論者であるチョムスキーが世界の紛争の底辺にある病巣をえぐり出す。今日、悪は人類学的な視点から人のDNAに刷り込まれたものという観点が重視される傾向にある。著者はそこから距離を置き、正義とは一体何であるのか? それを説くに値する政治家や知識人はいるのかという問題からぶれずに警鐘を鳴らし続ける。
アメリカやロシア、英国、その他の「先進国」は歴史上、何をしてきたのか? それは大いなる罪と、それを糊塗するペテンであると著者は批判する。もちろん日本も例外ではない。だれでも自国のことには蒙昧であり、他国を批判する方がスムーズであるということを承知の上で、著者は歯に衣着せない。本書を通じて、歴史を振り返る意味は大いにあると言っていい。
巻末には辺見庸との対談(というよりチョムスキーへのインタビュー)があるが、本書が書かれて20年を経た今日、逸見の視点の狭さと、チョムスキーの透徹した観点の鋭さを確認できる。
必ず読んで置くべき本だろう。本書を踏み台とし、その先へ進むことを、何より著者は渇望している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会。ノーム・チョムスキー先生の著書。メディア・コントロールに関与してしまうようなメディアはメディアとしての存在価値はないのかも。メディア・コントロールには関与しない、メディア・コントロールに関与していると疑われるような報道もしない。断固とした姿勢で報道するメディアだけがこの先も生き残れるのかもしれません。メディア・コントロールに支配されない自分を維持することも欠かせないこと。ノーム・チョムスキー先生のお話はきっと世界共通で通用する普遍的な内容。
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テロの定義について考え直させられる。
対談形式なので、首を傾げるくだりもあり、もう少し論理だった彼の文章を読んでみたい。 -
アメリカに言論統制はない。しかし、情報が表に出てこない。ただしこれは選択の結果であり統制ではない。→(政府等の取る危険な行動に関して)文書は膨大にある、しかし欠けているのは真実を明らかにしようとする知識階級である。 P147(メモ)
[感想]
戦争に大義名分を持たせたいと考える者は「敵」を作り市民を恐怖で扇動する。「敵」が形成されてきた時、冷静にレッテルを剥がし本質を見抜けるのか、そして流れに身を任せずに如何に抵抗するのか。
戦争のない世界を実現するには、多くの人がいざという時流れに逆らっても泳ぐ覚悟と意志を持つ必要がある。 -
メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会
(和書)2013年12月30日 21:51
2003 集英社 ノーム チョムスキー, Noam Chomsky, 鈴木 主税
チョムスキーさんの様に生きたいと切に願う。
何冊かチョムスキーさんの本を読んでみたけれどこの本はその中でも読みやすく、でも重要な事はしっかり書かれています。とてもいい本だと思いました。
今年の読み納めですね。明日からはハワード・ジン「肉声でつづる民衆のアメリカ史」を読み始めます。 -
主題となっている『メディア・コントロール』は、1991年(湾岸戦争の頃)に発表されたものです。
第一次世界大戦の時代まで遡り、いかにしてアメリカ政府が市民を欺いてきたか、また国民は自国の軍事力が他国の人々の死や衰退をもたしているか無自覚であるかを解説しています。
読んでいてとても恐ろしい気持ちになりましたが、後半のインタビュー記事では、日本も同じようなところがあると指摘されていました。
もっと国際的な視点で外交を見る必要があると思いました。 -
随分前の著書だけど今の日本の現状にも当てはまるように思う。皮肉っぽい文章がよい。
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権力・メディアの欺瞞を暴き、思考統制を受け入れている民衆や知識人のダブルスタンダードを糾弾する一冊。米ソ代理戦争であるニカラグアのコントラ戦争や、イスラエルの支援を通じてアメリカが加担してきた「国際テロ」の実態が明らかにされる。
表題作『メディア・コントロール』では民主主義における選民思想的側面とその支配構造が解説され、具体例を挙げつつ米国の偽善が指摘されている。チョムスキーによれば、自由民主主義は『理性をもった人間が「必要な幻想」をつくりだし、人の感情に訴える「過度の単純」を提供して、純真な愚か者たちを逸脱させないようにする』政治に他ならない。そこでは「とまどえる群れ」である大衆が、専門知識を持つ特別階級の組織的宣伝(メディア・コントロール)によって支配されており、その結果、米国によるニカラグアやレバノンへの国際テロ支援は問題視されることがないという。民主主義社会の全体主義的傾向に警鐘を鳴らす中で『国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む』『全員が賛成するスローガンはなにも意味していない』『自国の加害行為による被害がどれほどかという問題について、国民が正確に把握しているかどうかがその国の政治風土を測る手段となる』といった重要な示唆が与えられる。これらの原則は現代の問題を考える上でも非常に有効だ。本項で解説される組織的宣伝の影響力は現代ーーネットの発達にともなってマスメディアが衰退したーーには適用し難い部分もあるが、ここで語られた体制の民衆支配構造には21世紀にも通用する普遍性が認められるだろう。
第二章『火星から来たジャーナリスト』では9.11以降の「対テロ戦争」を取り上げ、米国がかつて中東に行ってきた国際テロ行為を挙げることで、ダブルスタンダードが糾弾されている。80年代に米国主導で組織された者たちが、00年代の第二次テロ戦争で「文明そのものを否定する堕落した敵」とされている(当時の米国がどのようなアフガン戦士を捉えていたのかは映画『ランボー3/怒りのアフガン』に詳しい)。「他人が私たちに対して行うテロ」のみを犯罪と非難し、自らの加害行為を正当化する姿勢は道徳的な自明の理に反するものだ。結論ではジレンマの克服と二重基準からの脱却が説かれる。
巻末のインタビューではチョムスキー自身の反戦体験をはじめ「知識人の保守的態度」や「米国による宇宙軍事化の展望」「戦後日本によるテロ支援」といった話題が展開されている。米国に言論統制はないと断言し「世界中で、人々がいったいどのような現実と闘っているかに思いをめぐらせたならば、『抑圧』などと口にするのすらおこがましい」(p132)と語ったのが印象的だった。
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まず民主主義の概念から。一つ目は民主主義のあるべき姿ともいえる「主権が国民にあり、国民が自ら国の問題を解決する」概念。そして二つ目は「問題を解決する」力をほとんどの国民が持たない、そして情報が一部の人間にのみ開示される見せかけの民主主義。実際今日の民主主義は後者の方であり、そんな情報の制限を支えているのがメディアである、という導入で始まる。
民主主義国家には国を管理する責任を持つエリート層と、それ以外の人たちがいる。評論家のリップマンはそれ以外の人たちのことを「とまどえる群れ」と称し、彼らには自らのことを何も解決できない観客的な集団であると指している。テレビに釘付けにされ、時々支配者のことを支持していることを公言してもらう、いわば受動的で、意思決定ができない存在。これは頷けると同時に、読んでいて素直に怖いなぁと思った。この「とまどえる群れ」はすなわち思考をやめてしまった人であり、常に世の中に対してアンテナを張っていなければ人はこの群れに押し込まれてしまうことになる。
第三章の対談では、アメリカの宇宙軍備についての話は少しSFじみていて(事実だが)興味深かった。言論統制のないアメリカにおいて、これらの宇宙軍備についての資料は公表されているのにもかかわらず、誰もその危険性については語らない。なぜならば、誰もそのトピックに関心を寄せなければ話はテーブルに上がらないから。「無関心は罪なり」だなぁと、改めて肝に銘じた。 -
105円購入2012-09-05