洲崎パラダイス (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087482133

感想・レビュー・書評

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  • 凄く久しぶりに本読んだ。東京に洲崎と言う遊郭があったと知って興味持って読んでみた。赤線地帯に暮らす女性達の哀切さと力強さがとても良かった。この人の小説もっと読んでみたい。

  • 公娼通いという普遍の衝撃

    昭和30年代赤線廃止前夜、「洲崎パラダイス」と呼ばれた東京深川の遊郭街を舞台に、哀しくもたくましく生きる女たちを描く。表題作「洲崎パラダイス」「黒い炎」「洲崎界隈」「歓楽の町」「蝶になるまで」「洲崎の女」の7編を収録。

     生活力の無い男とのくされ縁を絶ちきれない娼婦上がりの女、家族間のトラブルから婚家に放火し服役していた女の行方知れずになった夫へ向けた執念、遊郭街の一杯呑み屋に勤めた16歳の少女の来るべき運命を予感させる意地、客を取れなくなった上最後の頼みとしていた一人息子に背かれた中年娼婦の孤独と悲哀…戦後復興と高度成長の狭間にぽっかり落ち込んだような洲崎パラダイスに、もがき生きる女たち。

     当時でいうところの場末の女たちであるにもかかわらず、「洲崎パラダイス」に縁付いた彼女たちは幾ばくかの哀しみをまといながらも「何が何でも生きてやる」というバイタリティーに満ちている。この哀しみとバイタリティーという一見正反対のベクトルを持つと思わせるものを掛け合わせたところに、娼婦も堅気も取り混ぜた洲崎に生きる女の造型が見られる。

     各話の間には脈絡は無いが、いずれの話にも遊郭街への入口にあたる洲崎橋のたもとにある小さな一杯呑み屋「千草」とそのおかみが出てくる。おかみは、店で一杯あおってから「なか」へ繰り出す男たちを「いってらっしゃい」と送り出し、「なか」で働く女たちの話を聴いてやる。「千草」は世間と夜の街の結界にあって同時にその「なか」と「そと」とを結ぶ役割を果たしているのだ。

     この千草を立ち位置として見る昭和30年代前半の東京は、男性の公娼通いを社会全体がまるで「銭湯にでも行く」かのような気軽さで受け止めている。確かに洲崎パラダイスの女たちはかつてのように親の借金のかたとして「身を落す」のではなく、その理由はともあれ自らの意思や都合で「なか」で働く。しかし先進国仲間入りの証としてアジア初の東京オリンピックを迎えようかという当時の流れの中で、風俗遊興についての男女含めた―ここが重要なのだが、社会的感覚が江戸以来の「吉原通い」とほとんど変わっていないということはちょっと驚きだった。

  • 傑作映画「洲崎パラダイス・赤信号」の原作。境界をめぐる連作短篇集。

  • ===qte===
    芝木好子「洲崎パラダイス」 東京・江東
    あああ、あたしたち、この河の外にいるのねえ
    2023/7/1付日本経済新聞 夕刊
    かつて夜の洲崎を彩ったネオンの灯はもうない。当時のように横たわる目ぬき通りを、赤信号が照らしていた=積田檀撮影
    かつて夜の洲崎を彩ったネオンの灯はもうない。当時のように横たわる目ぬき通りを、赤信号が照らしていた=積田檀撮影

    高度成長は東京の古い掘割や運河をほうぼうで埋めた。だから、歩くと川の名残によく行き合う。その路地だけやけにくぼんでいたり、街なかを緑道が貫いたり。

    地下鉄東西線の木場駅を出てすぐ、大通りを江東区東陽1丁目方面へ折れる一角もそうだ。アーチを描く路面から、以前は川をまたいでいたのだと知れる。道路の下で埋め立てられた洲崎川は公園になっている。海が近い。


    かつて洲崎弁天町と呼ばれたこの近辺には、1950年代の売春防止法施行まで赤線地帯があった。まだ流れていた洲崎川を渡り、ネオンが彩る「洲崎パラダイス」のゲートをくぐれば色街であった。

    もっとも、本作の舞台は廓(くるわ)の内側ではない。川を渡る手前の一杯飲み屋だ。

    若い連れ合いの義治と根無し草で暮らす蔦枝は、ここに転がり込み女中として働き始める。金もつてもない、あてどない男女の襞(ひだ)が描かれる。

    実は蔦枝は洲崎の元娼婦である。赤線の境である洲崎川は、蔦枝の過去と今を隔てる一線でもあるわけだ。川の向こう側へ戻るつもりはない。だがぐずぐずと甲斐(かい)性のない義治にもひどくいらつく。

    閉塞する蔦枝は、飲み屋にやってくるきっぷのいい中年男にまとわりつく。すしでもつまもうか。雨の夜、もつれ合うように飲みに出れば、あとはもう一気。翌朝には日本橋で真新しい着物まで買わせる手管である。

    「売春宿のいわば蛭(ひる)のような吸い口が、彼女の生き方にもあった」。川を渡ろうが渡るまいが、蔦枝は何も変わらなかったのだ――といってしまえばそれまでだ。だが人のそんな哀歓と矛盾をこそ、作家は見つめた。しげく洲崎へ通い、人間観察を重ね、連作「洲崎もの」を開花させた。

    今は静かな住宅街である。川が消えて彼岸も此岸(しがん)も既になく、町名からさえ「洲崎」が失われて久しい。それでも往時を思いつつ、ふらりと歩くのは悪くない。

    古いそば屋に入る。「夕方になると、おねえさん方が外にイス出してきて座ってね。きれいだった。子供は早く帰んなって言われてね」。おかみさんが幼いころのパラダイスの様子を語ってくれた。街が移ろっても、人の記憶は時に意外なほど鮮やかだ。

    梅雨空を見上げながら歩いていたら、街路樹が落とした実に蹴つまずいた。だいだい色、熟れた梅だろうか。

    「アンズだよ。ジャムにするんだ」。背中から老婦人の声がした。手には拾った実が詰まったポリ袋。なるほど。とろ火の鍋で煮詰まってゆく果肉。ほんの一瞬、昭和が匂った気がした。

    (編集委員 山本有洋)


    しばき・よしこ(1914~91) 東京・浅草の呉服商の娘として育つ。東京府立第一高等女学校卒。41年発表の「青果の市」で芥川賞。下町への追憶や、仕事や芸術に打ち込む女性を細やかに描いた。「湯葉」「隅田川暮色」などで受賞歴多数。

    「洲崎パラダイス」は「洲崎の女」「歓楽の町」など一連の洲崎ものをおさめた短編集のタイトルでもある。作者は「夜ふけの洲崎の暗い海を幾度のぞいたことだろう」と振り返っている。川島雄三監督による56年の映画化では、蔦枝を新珠三千代、義治を三橋達也が演じた。夜の洲崎川にゆらめくモノクロームの光が、新珠の物憂い表情に照り返すのが美しい。(作品の引用は読売新聞社「芝木好子作品集第一巻」)



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著者プロフィール

芝木好子(しばき・よしこ):1914-91年。戦後を代表する小説家の一人。生まれ育った東京下町への哀惜を託した文章で知られ、芸術と恋愛の相克に苦しむ女性の生き方を描いた小説に独自の境地を拓いた。芸術院会員。文化功労者。主な著書に、『青果の市』(1941年、芥川賞)、『湯葉』(1960年、女流文学者賞)、『夜の鶴』(1964年、小説新潮賞)、『青磁砧』(1972年、女流文学賞)、『隅田川暮色』(1984年、日本文学大賞)、『雪舞い』(1987年、毎日芸術賞)がある。

「2023年 『洲崎パラダイス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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