小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101030050

感想・レビュー・書評

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  • 収録されている全編読了。

    マインドフルネスという言葉がよぎる。人々の日常生活のなかで起こる些細な出来事を繊細に美しく描く。死生観や男女の恋愛心情の描き方が卓越している。繰り返し読みたい。

  • 女中を雇っている家がある。可愛い一人娘がいる主の父親。巷では風邪が流行っている。娘に感染してほしくない。だから女中には外に出るなと厳命する。が、主人の命に背いて女中は近所の婦人に誘われて芝居を観に行ってしまう。
    主は言う。なぜ芝居に行った?風邪を拾ってきたらどうする!と。
    しかし女中は芝居に行っていないと言い張る。
    行った、いや行っていない、の口論の末、女中の嘘(ホントは独りで芝居に行った)がバレる。もうお前は田舎に帰れ!と主は怒る。
    そんなことをしているうちに、主が風邪に罹る。それが妻にうつる。仕舞いには娘にまで伝染ってしまう。
    健康なのは女中だけになり、田舎に帰そうとした女中が甲斐甲斐しく家族のために働く。娘を看病するその姿をみて主は、’なんか気の毒なことをしたな‘と思う話。(流行感冒)


    浮気を繰り返して妻にバレる。もうしませんね?と妻に泣かれ言われても、「さあ、それは分からない・・。」と平然と答える厚かましさ。(瑣事)(山科の記憶)(痴情)(晩秋)。
    女中が妊娠すれば、妻に「今度のは俺じゃないぞ」と言ってのける図々しさ。(好人物の夫婦)
    いまの世や女性には受け入れがたい男が描かれる。
    どの短篇みても、お前なんだ?としか思えないような、厚かましく、女性には上から目線で、エゴイズム丸出しのクズ野郎が出てくる。
    自分の不始末を恥じ入る気配さえない。むしろ聞きいれない周囲に対して開き直りの逆ギレ。自我の全肯定と勝手気ままな奔放さは、読んでいて逆に清々しい。
    さすが志賀直哉だよ!

  • 城の崎にて。
    久しぶりに読み返しましたが、文章が美しいです。
    静かに横たわる蜂の死骸、死ぬまいともがき苦しむ川に落ちた鼠、筆者が投げた石にあたって偶然死んでしまったイモリ。
    そして、電車にはねられるも生きながらえた筆者。療養中の筆者の暗い気持ちが、蜂と鼠とイモリを通じて、生々しく描かれています。

    大学生のときにこの本を読んで感動して、一人で城崎旅行した思い出がよみがえりました。懐かしい大切な一冊。

  • 「濠端の住まい」
    『人と人と人との交渉で疲れ切った都会の生活から来ると、大変心が安まった。虫と鳥と魚と水と草と空と、それから最後に人間との交渉ある暮らしだった。』
    この文を読んだだけで、胸にくるものがある。内容も命についての考えさせられるものでとてもいいのだけど、なにより、この「虫と鳥と魚と水と草と空…。」ってところがいい。

  • 図書館から拝借。「城の崎にて」のみ読了。
    事故に遭い九死に一生を得た経験から、療養先の城の崎で考えた死生観を描いた作品。
    虫や小動物の死や生が無駄の無い筆致で描かれ、写実の緻密さに凄味を感じた。また、自身が生きている事への感慨深さが文章に滲み出ている。

    自分はそれ(生きている事)に対し、感謝しなければ済まぬような気もした。然し実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。

    志賀の死生観と私の死生観、通ずるものがある様に思う。

    その他収録の短編は何れ拝読させて頂く。

  • 一つ一つのお話は短いのだけれど、描写がやはり凄い。ちょっとした人の感情なのに、どの作品も感情の描写から、あぁこういう気持ち分かるなぁとか、こういう気持ちってあるんだなぁと逐一思ってしまいます。夫婦に関連した話で2つほど興味深いものがありました。言葉にしにくい心の動きが伝わってくる感じがしました。

    「城の崎にて」に出てくる虫や爬虫類などの描写は良い意味で独特さを感じました。

    志賀直哉と聞くと難しい作品という印象もありますが、短編小説であり、作品に登場する人の心、見ているものの描写に興味を持つことができるので、ためしに読んでみようというときにお勧めかもしれません。

  • 男女の抜き差しならぬ状況でのやりとりのある作品が多く、そのどれもが上手だなと感じられましたし、先を読みたくなるような惹きつける力がありました。浮気モノを書くのにも手慣れている印象を受けるほどさらりと落ちついて言葉を並べています。それでもって読みながら、そりゃひどいな、とか、そりゃ困るだろう、だとか、一文単位で気持ちを揺さぶられたり転がされたりしました。作者の術中に落ちたわけです。

    そういうわけで、読者を作品世界にすっぽりと誘いこむ筆力はさすがでした。それに、全18編の作品水準は実に安定していて、派手さを求める人には物足りないかもしれないですが、テンポやリズムの乱高下に見舞われることなく楽しむことができます。そうしたある種の安定下で、男女のあれこれが持ち上がる作品をいろいろと読むことになるせいか、読んでいる自分の気持ちと小説世界でうごめいている心模様が、すうっと肉薄してくるような感じがしました。

    あと一言付け加えると、標題にもなっている「城の崎にて」という作品には、芥川賞をとる作品群の調子と似通っている何かを含んでいるような印象を持ちました。たとえば、芥川賞選考の基準のひとつとして、「城の崎にて」の作品感覚を重要視しているのではないか、という想像が膨らんだのです。なんていいますか、混沌としたなかでの確かな瞬間をとらえている、というような作品といえばいいでしょうか。それが、「文学的な芸術性」と言われるものなのかもしれません。

  • 志賀直哉、1971年88歳没。長生きし過ぎや。もうチョット早く死んでれば今頃は青空文庫で読み放題になってたのに、腹立つおやぢや。

    いくつもある短編、ちょっとずつ読む。文庫本2〜3時間で軽く読み流せる人が羨ましい。…芦田愛菜ちゃんも読むの相当速い、らしい。
    太宰、坂口、織田の無頼派三人があんまりボロクソに書いてるので、代表的短編を読んでおこうか、と。(順次書き加えます。)

    ⚫小僧の神様
    余も鮨が大好物。夜中に読んでた。飯テロや! Aの気まぐれの理由は理解できない。〆はユーモラスで良かった。

    ⚫城の崎にて
    軽い鬱状態だったのか? 蜂、鼠、イモリの死に方三態を見ながら、もうちょっとでヤバかった我が身を顧みる。
    感想は、 「それがどないしてん!?」
    天下の名文と、呼ぶほどのものかね?

    ⚫清兵衛と瓢箪
    趣味の瓢箪造り?は今も細々とあるはずだが詳しくは知らない。
    12歳の清兵衛が授業中、夢中に瓢箪を磨いてるのを教員に叱責され瓢箪は没収。その後教員が家に訪ねて来て母親に食ってかかる。話を聞いた父親は激怒。
    昔の教員は、こんな権柄ずくで通ったのかと、ちょっとした驚き。
    没収した瓢箪は家庭訪問の際に親に返すものと思うが。たとえ昔のことでも。
    ひょっとして志賀直哉、話のオチを付けるため、デタラメを書いたのではないかと疑惑がわく。

    ⚫真鶴
    サッサと読もうと軽く流してると、極めて短い作中で 時間が行きつ戻りつしてることの見落としをやらかした。
    時間軸の切れ目に目立った符号があるわけでなし。期待してない作家だからと、余り雑に読んでるといけませんね。
    解説の最後に「が、真鶴まではまだ一里あった」の「が、」の解釈が京大の入試問題になったとのクダリがあったが、その正解をハッキリ書けよ。解説になってないではないか!

  • 「城の崎にて」でなんで電車に轢かれたのか不明なのがおもしろかった。
    追記 なんか最近「なんでそうなったの?」ってことが多い。デジャヴ。志賀直哉パワーか?

  • 夏目漱石と弟子の芥川龍之介が「文章の達人」と賞賛し、坂口安吾が嫌った「不機嫌小説」の作家・志賀直哉の入門書。志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれたが、それは彼の『小僧の神様』という短編が評価された結果という説もある。

    晩年の芥川は「志賀直哉の話らしい話のない心境小説」を評価した。『城の崎にて』などがそうだが、短編でもテーマは明確になっている。

    が、志賀直哉は歴史小説・私小説・パロディ・話らしい話がある小説も書く作家で、この本で一番面白かったのは「不倫の連作」。茶屋の中居と不倫をしたのが原因で、志賀直哉と妻の康子の悶着が始まる。

    『山科の記憶』(浮気の発覚)→『痴情』(康子に責められて愛人と別れる志賀直哉)→『瑣事』(浮気を再開した志賀直哉が捜していた愛人に会っても声をかけない)→『晩秋』(締め切りに追われた志賀直哉が雑誌に『瑣事』を発表したのが原因で妻の康子に不倫をしていたことが発覚)

    ……「妻に強要されて浮気をやめるのは嫌だ」だの、「妻と愛人の二人を愛しているのだから仕方がない」と語る自分勝手な志賀直哉。康子は当然、夫の身勝手さに呆れ嘆くのだが、彼女は「無形文化財・日本三名夫人の一人」と呼ばれた天然ボケ。私小説的要素が強いが、読者が「志賀直哉がアホで、奥さんの康子が可憐で可哀想だ」と思うように計算して書いている。

    「不倫の連作」は単独で読んでもあまり面白くないが、『山科の記憶』から『晩秋』を「一つの小説」として読むと「不機嫌小説」になって面白い。

  • 近代文学の作家、いわゆる文豪に括られる作家の中での好きが増えた。
    初めて読む志賀直哉。
    好きだわ、視線が優しくて。
    アレもコレも包括してて。
    都合良くも都合悪くも全てひっくるめて。
    再読必須。
    優しくなりたい時に。
    そして今度は長編にも挑戦したくなった。
    ついでに顔も好み。

  • 有名な城の崎にて。死がテーマの作品。忙しなく働く蜂の中で放置された死骸。喉に串を刺され川に捨てられた鼠。石を投げたら偶然死んでしまったイモリ。療養中の主人公はこれらを見て生と死について思いを巡らす。他の短編では我孫子や尾道が登場。旅に出たくなった。

  • 「流行感冒」を目当てに手に取る。
    新型コロナウィルス禍で。

  • 久しぶりに本棚から取り出して読んでみると、新たな発見があったりする。高校時代に教科書で読んだ志賀直哉であったが、年齢を経てから何度も読み直してみると、若い頃には見落としていた描写があったりすることに気づく。年代とともに読み方は変わるし、受け取る側のチャンネルが増えている事もあるのだろう。
    これからも名作と呼ばれる作品は時折読んでみたいと思うのであった。

  • 2011 8/15読了。WonderGooで購入。
    最近、西の方に引っ越した先輩が「城崎の近く」と繰り返すので「城崎って『城の崎にて』しか知らないけどそういやそれも読んだこと無い」と思い、そもそも志賀直哉を読んだことがないことにさらに気が付き、買ってみた本。
    白樺派の小説読んだの下手すると初めてではなかろうか。
    小説なのか随筆なのかすらわからないこともある私小説、というのを、友人の同人活動以外ではあまり読んだ覚えがなく、新鮮だった。
    少し行ってみたくなった、城崎。

  • 志賀直哉の作品は初めて。
    森鷗外をずっと読んでいる中で、
    三鷹の墓参りをしたら、その前の墓が太宰治。
    太宰治が批判した志賀直哉、ということで行きつく。

    小説の神様、と形容され、簡潔で独特な文体が美しい、ということだが、そのような実感は得られず。
    ただ、その観点か、読みやすい。
    (鷗外の文章の方が味があると思うが)

    短編なので、一通り読んでも、全てのストーリーが思い出せないのも困る。

    とはいいながらも、個人的に好きな短編はあり、それは以下の通り。
    「赤西蠣太」、「小僧の神様」、「冬の往来」

    夫婦関係を描いた幾つかの短編があるが、ストレートに読むと、時代錯誤。
    深く読むと、自らに正直に、それを自我の解放のように書いている志賀直哉の思いが伝わる。それが一貫していることがわかる。

    何れにしても、志賀直哉の長編も読んでみたい。

  • 情景描写の天才。表現の一つ一つをリアルにイメージすることができる。それでいて、一切の無駄もない。
    著者の死生観を基に描かれる「3つの死と1つの生」或いは「4つの死」。その中で、変動する男の死に対する感覚がこの作品のポイント。
    後養生のために訪れた「城崎温泉」、それがこの話のメインかと思いきや、入湯シーンが一切描かれていないのも、良い意味での裏切りだった。

  • 『城崎にて』は昔、教科書に出ていて読んだが、少しずついろいろな箇所を省略していたことがわかった。
    遠藤周作の『沈黙』も抜粋が載っていて、当時良さがわからなかったが、数年前に全編読んだら心理描写が細かくて、良い作品だと感じた。

    高校生には抜粋したのを読ませるより、じっくり一冊読ませた方がいいのでは?
    合理的にたくさん読ませる教育方針と、最近の若者の倍速映画鑑賞とおんなじだな、とふと思った。

    残念ながら高校生の時にピンとこなかった作品は今回読んでも良い読後感は得られなかった。
    死がテーマだから仕方がないか。

    短い文章で物語を紡いでいく手法は、簡単に物語の世界に入り込ませることができるのだとわかった。
    抜け出すのも早いが。
    その反動で海外の長編作品を読みたくなった。

    『小僧の神様』のほうが好き。

  • 表題の、小僧の神様と城崎にてはさすが小説家らしい、心の動き、自然を素直に捉えて表現している。寂しかった、嫌な感じがした、明るい気分になった、ずいぶん素朴で感情の種類が少ないなと思ったら、10年前に暗夜行路を読んだ時も同じ感想を持っていたらしい笑
    小僧の神様は、再読だけどメタ的なオチは覚えておらず興味深かった。ひらひら揺れる木の葉、静かな蜂の死、もがき苦しむ鼠、あっけないイモリ。
    その他は、不倫(当時は既婚者が商売女や女中に手をつけるのは問題ではなかったと見える)や浮気症の男と妻の押し問答や、妻が悔しい思いをする話で、読んでて微妙な気分(というか古くさくて不快)になった。冒頭になんでこんな短編を持ってきた?と思ったら、どうやら年代順なのね…

  • ◇ 城の崎にて
    死にゆく経過すら不明な不動の蜂と生を体現するように働く蜂
    自殺を知らない動物の、死が決まっているのにそれに至るまでの必死の努力(と、それを笑う人間)
    偶然死ななかった自分と偶然死なせてしまったヤモリ
    生かされていることに喜びを見出せないのは自然なように思える

    風がない中揺れ、風がある中止まる葉の描写が好き

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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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