草の花 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101115016

作品紹介・あらすじ

研ぎ澄まされた理知ゆえに、青春の途上でめぐりあった藤木忍との純粋な愛に破れ、藤木の妹千枝子との恋にも挫折した汐見茂思。彼は、そのはかなく崩れ易い青春の墓標を、二冊のノートに記したまま、純白の雪が地上をおおった冬の日に、自殺行為にも似た手術を受けて、帰らぬ人となった。まだ熟れきらぬ孤独な魂の愛と死を、透明な時間の中に昇華させた、青春の鎮魂歌である。

感想・レビュー・書評

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  • あまりに美しく純粋な青年の孤独な愛の物語。
    決して誰とも分かり合えない強い孤独。
    友人に囲まれているときもそれは消えない。それどころか自分との違いを感じてより強まっていく。
    愛が孤独を強くしていったようにも、孤独が愛を深く重くしていったようにも思う。
    また戦時中という時代背景も、死が身近にある恐怖から孤独を強めていったのだろう。
    青年はとても理知的だった。
    考え抜く。貫き通す。揺るがない信念が青年を苦しめたようにも見えた。
    自分の大事にしているもの。信仰もそうだ。生き方にも通じる譲れないもの。そういったものが違う相手と結ばれたとしても苦しい。
    愛することは信じること。この一瞬を悔いなく生きること。青年の真っ直ぐな想いが心に残った。

  •  汐見茂思、あまりにもピュアすぎ。私には読む資格ないのではないかと思いながら、最後まで読んだ。
     「愛することは傷つけること」という汐見君の言ってる意味が初め分からなかったのだが、汐見君ほど相手のことを自分の理想と重ねて、その相手と一体でいたいと思われたら、そして「愛されないなら死んだほうがまし」とまで思われたら、そりゃあ、相手は重くて重くて、それに応えたら傷つくかもしれない。でも、この小説の中の登場人物は、こんな私のようにレベルの低い思考回路ではなく、みんな凄い理知的で研ぎ澄まされているのだ。
     汐見君のように現実の怖さから目を背けないで悲しく生きるのと現実から目を背けて楽観的に生きるのとどちらが不幸なのだろう。
     こんなレビューではこの本について何も分からないと思うけれど、あまりにも精神的すぎる内容で、書きにくい…。だけど汐見茂思のようなピュアな人をこの本の中だけでも残してもらえて良かった。

    • Macomi55さん
      地球っこさん
       マイスキーさんのチェロは好きです。借りられたCDにもし、シューベルトの「アルペジョーネソナタ」も入ってたらいいですね、私がマ...
      地球っこさん
       マイスキーさんのチェロは好きです。借りられたCDにもし、シューベルトの「アルペジョーネソナタ」も入ってたらいいですね、私がマイスキーさんのも含めて4種類もレビューに上げた曲です。
      2022/01/13
    • 地球っこさん
      Macomi55さん

      別のCDでありました!
      明日は雪っぽいので図書館には行けなさそうなので、予約だけしたおきます。
      楽しみっ♪
      Macomi55さん

      別のCDでありました!
      明日は雪っぽいので図書館には行けなさそうなので、予約だけしたおきます。
      楽しみっ♪
      2022/01/13
    • Macomi55さん
      地球っこさん
      私も楽しみっ!
      地球っこさん
      私も楽しみっ!
      2022/01/13
  • 福永武彦自身の体験がもとになった私小説の雰囲気漂う、著者の中では数少ない作品の一つである。主人公の汐見の純粋すぎるがゆえに、後輩の藤木やその妹の千枝子との恋愛感情をこじらせている様は、非常に胸が痛んだ。ひねくれた性格によってこじらせる場合もあるが、純粋すぎる性格によってこじらせる場合もあることをこの作品で認識することができた。
    自分はここまでの純粋な気持ちを持っていないので、なぜここまで汐見が戦争や孤独、恋愛に対して深く考え、潔癖であろうとするのか、理解に苦しむ部分もあった。戦中の時代だからこその感情なのかもしれないが、当時の若者とは少し違う感性、考え方を持っているがために、自分を苦しめてしまっているのだろうか。そうなのではないかと思いながら読み進めていたため、自分も辛くなってしまう場面がいくつかあった。ここまでの長文を手記として綴った汐見の文章力には脱帽である。

  • 汐見茂思はサナトリウムで見込みの少ない手術を望んでそのまま死んだ。
    ”私”は汐見と年が近く、彼から手記を残された。

    汐見が生涯で愛したのは、高等学校で一学年下の藤木忍と、その妹の千枝子だった。
    高等学校で汐見が藤木に望んだのは、魂が共鳴し合うような友情を願っていた。
    しかし藤木は自分はその想いに値しないと答えるのだった。
    藤木はその二年後に病を得て死んだ。

    汐見は藤木の家に残された母と妹千枝子のもとを訪れる。
    千枝子との恋愛は静かに進んでいた。汐見はそのつもりだった。
    しかし汐見には独自の孤独があった。それは信仰でも埋められない孤独だった。藤木のような若者が突然死ぬ。自分の学友たちが次々に出兵する。戦争には嫌悪感があるが自分には止める力はない。戦争に対する恐怖は、生理的な死への恐怖と、自分が望まなくても人を殺さなければいけないことがあるかもしれないという慄れがある。
    自分を強くするために汐見は孤独を深め、そして千枝子は汐見が見ているのは彼自身の理想であり、本来の自分ではないとの不安から汐見のもとを去る。

    汐見は戦争から生きて帰ってきたが、胸の病でサナトリウムに入る。
    死ぬまで抱えていた孤独は手記に残された。
    多感な青春の時期を戦争の時代に過ごした汐見の想いは、自分の意思では変えられない時代である分、自分の精神を削って孤独の中に自分を確立させよとうとしていた。汐見は精神の底からの愛情を求めていたけれど、あまりに確立させていたため、周りの人間には精神的に近寄りがたくなってしまっていた。


    「本当の友情というのは、相手の魂が深い谷底の泉のように、その人間の内部で眠っている、その泉を見つけ出してやることだ。それを汲み取ることだ。それは普通に、理解するという言葉の表すものとは全く別の、もっと神秘的な、魂の共鳴のようなものだ、僕はそれを藤木に求めているんだ、それが本当の友情だと思うんだ」(P114)
    「僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた。(…)自分が耐えたがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神にすがることが僕にはできなかった。人間は弱いからしばしばつまずく。しかし僕は自分の責任においてつまずきたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗きにいることの方が、むしろ人間的だと思った」(P229)

    最初から最後まで福永武彦の文章描写がとにかく美しい。サナトリウムで見られる季節の変化、学生同士で交わす精神論、最後を締める千枝子の手紙の品の良さ。
    真摯に生きた人たちを美しい日本語で表しています。
     オリオンの星座が、その時、水に溶けたように、僕の目蓋から滴り落ちた。(P153)
     藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。(P295)

  • すばらしい読書体験でした。 芸術家を志し、自分を靭(つよ)くすることに執着し、そして孤独を愛しすぎた男の、儚く切ない青春の物語。 藤木に対する、千枝子に対する盲目的な愛に、苛立ちすら感じてしまうのだが、目の前に情景が浮かんでくるような美しい文章が、主人公汐見の数奇な運命を救済しているような気がする。 しかし、なぜゆえに浮かばれぬ恋の顛末はこれほど人の心をうち震わせるのだろう

  • 情景が美しい。
    美しすぎるからこそ、現世に遺す若者の悔恨の情が痛々しいほどに伝わる。

    戦争、結核。
    抗いえない運命に、神も信じられず人も信じられず、孤独なまま死ぬ男。

    「神=愛」というものが存在するならば戦争は起こりえるのかという問いを忘れないようにしたい。

  •  愛と孤独。

     言葉にしてしまえば、たった3文字。

     内容を問いただせば、何文字あろうと足りない。そんな作家冥利に尽きるテーマに真っ向から向き合った死闘を思わせる作品だった。

     まずこの『草の花』に出会えたきっかけを作ってくれた人と、作者に感謝したい。

     〝愛する〟この途方もない言葉は、最も汎用性の高い言葉に思う。この言葉に序列はない。ペットを愛する気持ちと息子を愛する気持ちに優劣はつけられない。

     〝愛する〟は、主体と客体がなんであれ結びつけてしまう不思議な感情の結晶だと分かる。

     この本を最後まで読んだ人は、その途中で、汐見が愛しているのは、何なのだろう?と思いつづけた筈だ。

     セクシュアルを問わない、汐見の愛は、多くの人間が愛の終着に帰結する肉体的接触を伴わなかった。ここに愛と孤独の深淵が詰まっていると思う。

     単なるエゴイストでしょう。

     それもしっくりは来なかった。エゴイストだとしても、汐見が守り通した孤独や、人との間に作り上げた壁は少なくとも、自分の欲求のために相手を恣にする性質ではなかった。

     藤木と交わした愛のなかに、汐見自身が藤木を愛することを諦めきれない。また、藤木も汐見の愛に応えることができない。

     一見、愛の不能を予見させる結末が、藤木は汐見の愛の形を理解した上で、それに応えることができないという真実と、責任のある応えを返している以上、愛の存在が感じられてもおかしくない。

     千枝子の宗教感と、汐見の孤独に支えられた倫理観のすれ違いも表面的なすれ違いだけではない。

     汐見自身は気づいていたのかどうか分からないが、彼が千枝子に向けた愛のなかには、友愛と親愛、異性愛とが入り乱れていて複雑に絡み合っていた。

     愛を向けられた当の千枝子は、そんな愛の複雑さを背負いきれないで、対立する要素としての宗教を引き合いに格闘する。

     兄、藤木の面影を汐見の視線に感じた千枝子はどんなにか、辛く肩身の狭い思いをしただろう。浅間での決定的な溝の出来。彼女は、どんなにか自分を呪っただろう。傷ついただろう。

     でも、彼女が傷ついたのは、彼女のためだけではなく、汐見への愛があったからに違いないと思う。

     対して汐見は、戦争へ徴兵を前に、精神は追い詰められ、藁にも縋る思いで彼女の愛へと縋ろうと戦慄いている。が、ここでも彼自身が目を逸らさずに、見たくない現実まで見つめて、彼の言う〝理性的な行為と理性的な死とを課す〟は明らかに三人称視点で、自身を見つめる生き方で、決してエゴイスティックではなかった。

     汐見に対して尊敬の念と、悲しい思いが募る。作品の大半を占めるのは汐見の主観なために、どうしても汐見に同情的な眼差しを向けてしまうけれど、彼の生き方、生き様は、尊く、それでいて悲しいものに感じた。

     理性とは、もう一つの心と言えるかもしれない。

     本能では千枝子を欲して止まなかった。とても自然で、誰にも咎められることのない真っ当な愛だった。その一方で、理性(相手を見つめ、未来を見つめる、自己からかけ離れた心)が自然な心を押さえつける。

     書籍の裏には、〝研ぎ澄まされた理知〟と書いてあるけど、やはり、本文の言葉を用いてほしい。

     〝小宇宙〟は、彼に生きる力を与え、生きる力を奪った。結果から見れば、彼が自らの命を削るようにして、作り上げた〝小宇宙〟は、その行為を、無限だった世界に定規をあて、測量し、自らの内部に世界を作ったに等しい。その行為は、時間を無限に引き伸ばし、生の範囲を限定させ、彼を生きていても死んでいても変わらない、美しい不滅の世界へと閉じ込めてしまった。

     これが汐見茂思の人生だった。

     〝小宇宙〟には法律があり、この世を去った藤木や、意識の中の千枝子が住まい、一つの実態世界を作り上げている。

     理性とはかくも恐ろしいものだとは。

     その世界は、彼が自信を厳しく律すれば律するほど、強靭に変わって行ってしまった。

     願うことなら、千枝子がその世界を崩してやって欲しかった。が、千枝子は、汐見の手紙を最後まで手に取らなかった。そのとき汐見は既に息を引き取っていて、その死と共に遂に〝小宇宙〟の世界の証人はいなくなってしまった。

     受け取ってくれれば、、そう思った人もいるかもしれない。私も思った。

     が、千枝子の人生のなかには、確実に汐見が息づいている。汐見自身は、病のなかで、完成された過去を生きた。千枝子は、余生を汐見の思い出ともに生きていく。

     〝草の花〟は、汐見は、その手紙を読むものに、問いかけ続けている。

     どのように生きるのか、自分で選び抜くことができる。

     でも、〝一人で死ぬのはあまりにも悲しい〟ことなんだと言っているように思う。

     汐見は死ぬとき一人だったのか?

     彼は〝生きた〟と言い切って生きていた。

     敬服と共に、折に触れて、〝草の花〟を思い出そうと思う。

     強いては、〝生きる〟ということを、考えようと思う。

  • サナトリウムで望みのない手術を自ら受け、帰らぬ人となった汐見。彼は、同部屋で親しくしていた「私」に二冊のノオトを遺していた。
    物語は、この二冊の手記が中心となっている。

    一冊目、「第一の手帳」
    汐見が十八歳の時に下級生の藤木を愛した過去が、H村での弓道部合宿をメインに描かれる。
    汐見は忍をプラトニックな愛(友情)で激しく愛するのだが、忍はしだいに汐見から離れていく。そして悲しい結末が訪れます。
    (私はこの一部を中学の現国問題集で読み、腐女子だったので「はっ!ボーイズラブが!」と短絡的思考でテンションを上げて、その日に本屋に寄って購入しました。この出来事をきっかけに小説を好んで読むようになったのだから、私の読書体験の原点といえる作品ですねw)
    第一の手帳の時系列として、中盤すぎたあたりで悲しい結末が描かれた後に、過去に戻って忍との幸福な触れ合いや、叶わないけれど爽やかな読後感があり、胸を打たれるわけです。

    で、その何ともいえない余韻をひきずったまま「第二の手帳」へ。
    こちらは、藤木の妹である千枝子を愛した手記となりますが、そこには男女の恋愛にとどまらず、キリスト教や戦争・徴兵という、いわば人生、生き方が問われる展開となっていきます。
    この辺は中学の時に読んでもピンと来ませんでしたが、さすがに歳くった今読むと、わかりみが深いですね。

    そして二冊のノオトを読み終えた「私」は千枝子に連絡をとります。
    最後の千枝子の手紙に泣きました。

    全体を通して、とにかく美しい文章。ショパンの旋律のように甘い。音楽のように流れてくる文章で、哲学的な考えが随所にありますが小難しくなく、するする読める。そして、藤木の瞳が澄んだ美しさを持っていたように、冬空に浮かぶ星のような、雪解けの水が小川を流れるような、心が洗われる美しさに溺れます。それを「私」の語りである冒頭とラストの「冬」「春」でのサナトリウム(死の象徴)での厳しい出来事ではさんでいて、喪われた人、喪われた記憶、といった喪失感を際立たせています。

    名作!

    『藤木の眼、ーーいつも僕の心を捉えて離さなかったのは、この黒い両つの眼だ。あまりに澄み切って、冷たい水晶のように耀く、それがいつも僕の全身を一息に貫くのだ。そして僕はその度に、僕の心が死んで行くように感じ、そしてまたより美しくなって甦るように感じる』

  • 心理描写が秀逸で、複雑な心のすれ違いもすんなり読み進められた。バイセクシャルの主人公というのは現代でも珍しいと思うが、当時はもっとインパクトがあったと思う。

  • ひたすらに孤独な青年の恋と愛の物語。

    サナトリウムに入っている私は手術で帰らぬ人となった汐見からノートを託される。そこには汐見が愛した二人の人、藤木忍とその妹千枝子との想い出が綴られていた。忍には渇望に似た感情を持ちつつも忍から拒絶され、千枝子には青年的な恋を心に抱えつつ、結局は汐見は孤独を選ぶ。

    悪人や意地悪な人が出てこない、優しい人しかいないのに、それでも汐見は孤独だったということが、ひたすら寂しい。

    想いを寄せられた兄は戸惑うばかりで妹は汐見の持つ兄というフィルターに困惑。解説の「夢を見る人」として、藤木兄弟から恐れられた、というのは寂しいけれど真実なのだろう。

    恋も愛も難しい。青年にとってはなおさら、なんだろう。

  • かつて、藤本ひとみ氏が、コバルト文庫で活躍していた時代に、私はその作品を千切れるほど愛読していた。
    10代の子供だったけれど、藤本さんの作品は少女小説という枠をはるかに超えて、若い読者に対し、愛をするとは、生きることとは、命を尽くすとは、繰り返し考えさせる物語を編んでいた。
    本書『草の花』は、若い時代に受けた、あの強いメッセージと葛藤を、少し生き過ぎた私へ、再び、そして立ちどころに蘇らせた。
    冒頭に、汐見のダンディズムを強く匂わせながら、彼を退場させ、遺された2冊の「ノオト」で、その過去を、生きる汐見の一人称で、現在として語らせる。この構成の巧みさが素晴らしい。
    戦中から戦後に青春を送った彼が、愛の為に、孤独の為に、心を揺らすたび、鋭利な刃のように相手も自身も傷つき、傷つける生き方に、私自身の過去が重なって見えた。すべてが苦しかった、それでも目眩する程甘やかだった日々が、確かにあった。
    死を忌避しながら、最期は自ら死を選び取った汐見の孤独と、その魂の透徹した美しさを描いた作品。
    愛と孤独の不可分を知りながら、その身を厳しく屹立させようと生きた汐見に、もっと若い時に出会えていたら、と悔いながら、再読を誓う。

  • あまりにも美しい文章で書かれた物語は透明な悲哀に包まれ、愛することの悲劇が孤独と絶望の影を生に色濃く落とす。肺を患っていた汐見はサナトリウムで自殺行為ともとれる無謀な手術を受け、命を落とした。汐見と同室であった「私」は彼の死後、2冊のノートを手にする。それは汐見の18歳の春、24歳の秋の頃を綴った手記だった。読みながらずっと人を愛することの難しさ、人を愛するとは結局どういうことなのだろう?と考えずにはいられませんでした。汐見は藤木を、彼亡き後は妹である千枝子を愛した。とても真剣に。怖いようなまでの彼の愛の眼差しは愛する人達を遠ざけてしまった。ふと思い出したのは太宰治のこの言葉。「愛は、この世に存在する。きっと在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。」もしかしたら、この時の汐見も愛の表現や作法というものが、頭では理解していても実感としては悟ることが出来なかったのではないか。物語の冒頭である「冬」に描かれる汐見は何もかもを悟りきって、とても静かだ。完成された孤独。完全な孤独。覚め切ったその境地はまさに今、死ぬる人、自ら死のうとする人のそれだ。その心持ちは少しだけ解る気がする。胸が締め付けられるような切なさと、触れれば膚を切り付けるまでに透明に純化された、孤独な魂の物語。素晴らしい作品でした。また再読したい。

  • 純粋な恋愛小説だと思って読み始めたら、全く違った。
    特に、茂思の(藤木)忍への想いは、恋愛という言葉ではあらわせないように思う。けれど、いわゆる同性愛という一言で片づけてしまうのではなく、彼の感情に本当の意味で共感できる人は、実際多くはないのではないだろうか。

    ―藤木、と、僕は心の中で呼び掛けた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう……。―(p249)

    なんという寂しさだろう。茂思は潔癖なまでに愛を求めたが、自分の孤独を大事にするあまり、与えられる愛に気付かなった。
    茂思の絶対的な孤独や愛し方、彼の純粋ゆえのある種のエゴや過ちが我が身に重なり、苦しくなる。
    心を深く抉られる作品だった。

    巻末の本多氏の解説は、茂思の感情をセンチメンタリズムや同性愛的な恋愛感情と括ってしまわずに、茂思の孤独や潔癖さ、それゆえの寂しさといった、青年期ゆえの苦悩や葛藤に、静かに寄り添っている。
    この解説のおかげで、自分の心の言葉にならないいくつもの感情が腑に落ちたとさえ思う。
    もしかしたら私は、作品本編と同じくらい、巻末の解説に救われたのかも知れない。



    以下、巻末の解説より引用


    p268 なんという、ぞっとさせるような孤独だろうと、読者はお考えになるかもしれない。しかし、冷静な理智の眼には、人生の現実はそういう残酷なものだ。人は、ついに、お互いを完全には理解することができない。極言すれば、人間は、誰でも、ひとりぼっちなのだ。もしも、恋愛が完全な理解の上に築かれなければならないという潔癖さを持するとするならば、この世には、おそらく一つの恋愛も築かれないであろう。主人公汐見の悲劇は、そのような潔癖から起った。
    このような絶望的な孤独は、多分、作者のものであろう。その絶望の深淵の中から自分を見つめ、人生を見つめることは、さぞつらいことであろうと思う。しかし、そのような深淵の底でこそ、真物が作られる。波の間に間に浮ぶようなものから、われわれは何ものをも期待しはしない。

    レビュー
    http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-501.html


  • 作者の魂が乗り移った様な、登場人物のひたむきな愛の渇望や孤独に、言葉を失う一作。
    書簡形式はあまり得意ではないが、それを差し引いても引力のある一冊。

  • 一文一文が叙情に溢れ、その繊細で美しい文を身体に染み込ませながら読んだ。恋愛のみならず戦争の羅列があったのも、私には色々と感じ入るものがあり。汐見の孤独にも深く共感や既知感があり、夢中になって読んだ。名刺代わりの10選に必ず入れる一冊。特別な小説となった。

  • 美しい筆運び、とぎすまされたみずみずしい感性の文章がいい。特に「第一の手帳」が好きだ。青春の輝き、うつろいをかくも美しく書けたらいいなーと思わされた。三島由紀夫もその美少年「藤木忍」にいたく魅せられたと書いている。

    サナトリウムで知りあった主人公汐見茂思(しおみしげし)は、無謀とも思える手術を進んで受け死んでしまった。雪の朝、語り手に残された手記を読んでいくと、戦争の影におびえる青春の悲劇があり、孤独な一人の青年の魂の鎮魂歌がせつせつと語ってあった。

    『生きるということは、その人間の固有の表現だからね。』
    『思い出すことは生きることなのだ。』

    芸術家は作品を残すことによって未来を持つかもしれない。しかし、芸術家ではない人間は一日一日が終わっていくと死が待っているばかりだ。現在も未来もなくて過去があるばかりだ。と思いつくままに書き綴ったノートが「汐見茂思」の人生そのものだったのだということである。

    その美しい「第一の手帳」にくらべると「第二の手帳」はちょっといらいらさせられるが、「第一の手帳」をいやがうえにも際立たせていることになる。そして「春」という終章は「汐見茂思」のすさまじい孤独の影の謎を解いてくれるのだ。

  • サナトリウムで療養生活を送ることを余儀なくされた「私」は、おなじ部屋の汐見茂思という男と知りあいます。彼は、周囲の反対を押し切って危険な手術を受けることをきめますが、その結果は彼に死をもたらすことになります。

    「私」は汐見から託された二冊のノートを読み、彼がそれまで歩んできた道について知ることになります。そこには、弓道部の後輩である藤木忍と、その妹の藤木千枝子への愛と挫折がつづられていました。

    プラトンの説く愛を信じ、それにしたがって藤木を求めた汐見は、そのために藤木を孤独へ追い込んでしまいます。一方、汐見の信じるようなプラトンの愛が現実において成立することを受け入れられない千枝子は、神への信仰を通じて現実に結ばれる道があるという考えをいだいていましたが、汐見はその考えを受け入れず、みずからの孤独のなかに入り込んでいくことになります。

    『愛の試み』という著作もある著者ならではともいうべき、思想的な背景に裏打ちされた文学作品で、日本の小説にはめずらしいように感じられました。同時代の読者として本書を読んでいたならば、日本の小説でこうしたテーマを臆面もなくあつかうことにむずがゆさを感じたのではないかとも考えました。適当な距離を置いて読むことのできる時代に本書を手にとることになったのは幸運だったのかもしれません。

    • エチカさん
      コメント失礼します。

      >日本の小説には珍しい。
      読んでいて私もそう思いました。肉体的ではない、精神的な愛を詳細に描くこと。それ自体が敬遠さ...
      コメント失礼します。

      >日本の小説には珍しい。
      読んでいて私もそう思いました。肉体的ではない、精神的な愛を詳細に描くこと。それ自体が敬遠されてきた、というか、こうあるべき愛が先に立つというような印象を受けました。

      『愛の試み』読んでみたいと思います。
      2022/04/01
  • 愛と孤独について。
    祈りのような、音楽のような、美しい文章。
    ああ、もっと、若いころに出会いたかったなあと思う。10代20代くらいの、寂しくて寂しくて仕方なかったころに。孤独と向き合い続けるのは辛いけれども、空っぽは、自分で埋めるより他にどうしようもない。

    汐見の思う「愛する」ことについて共感できるところもあるのだけれど、やっぱり本当に藤木きょうだいを愛していたかとなると千枝子の意見に賛成…
    「人から愛されることには何の孤独もない」と汐見は言うけれど、愛されていても孤独はなくならない、と思う。藤木くんもそう言ってた。
    ふたりが愛を返したとしても、汐見の孤独はそのままそこにあるのだと思う。

    汐見が千枝子にあてたさいごの手紙があんまり軽やかで、そういうところだよ!って思うし、千枝子が日常のふとした瞬間にひどく違和感を感じてしまうのも苦しいし切ない。

    (それにしても、汐見のことをいちばん理解していたのは立花なのでは…と妄想してしまう…)

    • エチカさん
      コメント失礼します。

      共感の嵐です。。
      千枝子への手紙だって自己完結も甚だしいですよね。千枝子にしたら違和感だらけで「もう会わない方がいい...
      コメント失礼します。

      共感の嵐です。。
      千枝子への手紙だって自己完結も甚だしいですよね。千枝子にしたら違和感だらけで「もう会わない方がいいと思うの」までも、よく譲歩して汐見を受け入れていたじゃん!と汐見に噛みつきたくなる気持ちでいっぱいです。

      (立花が理解者‥)まさに、ですね。。出征前のホームで立花が見送りに来たとき、汐見が救われたんじゃないかなと、ホッとしました。
      2022/04/01
    • あんみつさん
      エチカさん
      コメントありがとうございます。

      汐見はきっと、子どものころに愛された記憶がないのかなあとも思いました。
      立花について、同じよう...
      エチカさん
      コメントありがとうございます。

      汐見はきっと、子どものころに愛された記憶がないのかなあとも思いました。
      立花について、同じように感じた方がいて嬉しいです(^^)
      2022/04/02
  • 汐見に共感できるところばかりだったし、どの登場人物の心情も理解することができた。
    時代背景がよく透けて見えて、その当時に想いを馳せることができた。

  • 何とかたくなで、潔癖というか頭でっかちなのだろう。自分のほうを向いているようでいて、自分を透かしてさらに先を見詰められてしまったら、立場ないでしょうよ。汐見もつらかったかもしれないけれど、千枝子もまたつらかっただろうと、思わずにいられない。

  • 現代の恋愛小説と比べると純潔さが際立つ。人によっては変化に乏しく退屈と感じるかもしれないが、実直に自身と向き合って苦悩する姿が清々しく感じた。
    村上春樹さんの「ノルウェイの森」と似た空気感を感じたのは、「私」と汐見が出会ったサナトリウムの印象が、直子がいた療養所と重なったせいかな。

  • テーマは愛と孤独。高校生の頃にこの小説を溺愛していたものの、今読んだらどうかな〜?とちょっと不安だったのだけれど、予想を遥かに超えて「めちゃくちゃいいじゃん」と思った。話の内容はちょっと厨二病的っていうか「人間やっぱり偶像崇拝しちゃうよね」っていうのと「汐見、もうちょっと柔軟になれよ…」感が否めなかったのだけれど、とにかく情景描写が美しすぎる。冬には冬の、春には春の美しさがここぞとばかりに描かれていて、更には心情を反映した情景描写も多くてとにかく描写がすごすぎてひっくり返った。キラーワードが多くて、冒頭の一文「私はその百日紅の木に憑かれていた。」は名文。他にも「僕は僕にとって可能な限り愛した。しかし愛するということの謎は、遂に僕に解くことが出来なかった。」とか「僕は月影のやわらかく落ちる暗闇の中で、じっと目を開いて天井を見ていた。部屋は仄かに明るく、花の匂が人を慰めるように甘かった。」とか「オリオンの星座が、その時、水に溶けたように、僕の目蓋から滴り落ちた。」とか、とにかく凄すぎる!こんなに言葉の美しい日本文学があったなんて、と度肝を抜かれたし、一気に自分の中での大切な小説に繰り上がった。この本の描写、本当に舐めるように読み尽くしたいと思う。何度も何度も読み返したい大切な小説に改めて出会い直せて感謝。

  • 戦後間もない時代、まだ死病だった結核のサナトリウムで「私」が出会った汐見という男は、他の患者と違い容態が悪くても恬淡とし、生に執着を見せないどころかまるで自殺行為の危険な手術を自ら望み、術中に亡くなる。亡くなる前に「私」に託された2冊のノートには、彼が愛した二人の男女とのいきさつが綴られていた。

    純粋で真面目で、人恋しいくせに孤独を好む汐見の恋と半生が、理知的な文体と緻密な構成で描かれる。一言で言うとこじらせ系の汐見なのだが、宗教論や戦争に突き進む世相も含め、一貫して真摯な作品となっている。

    今読んでも古びてはいないが、彼が初めて愛した藤木への想いについてはどうも不可解。彼の想い自体どうしたいのか意味不明なうえに、周囲が皆彼の気持ちを知っていて、片思いに弱っていく彼を心配している。そして藤木の死後汐見が愛するのは藤木の妹の千枝子で、彼女も汐見の兄への想いを知っていて、別に違和感も持っていない様子。汐見は友情だというが、同性の同級生を熱狂的に愛することがあるって、当時の旧制高校ではよくあることだったんだろうか。


  • 元々好きな小説だったけれど、サナトリウム文学を読み直すならコロナ禍こそがタイミングだと思い立ち読み直した。結核が不治の病だった頃と未だにコロナウイルスに対して治療法が見つからない今、これまでに無く共通項が多い時代だと思う。

    主人公の汐見は少年時代には藤木を純粋に愛し、青年時代には藤木の妹の千枝子をより現実的に愛したけれど、2人ともにそれは偶像を愛しているに過ぎないと言われ、孤独を深める。

    しかし、結核や戦争という自力では抗うこともできずにただ奪われる環境に置かれた中で、人間が最後に守れるものは自分の孤独、つまり自分の世界や思想である。
    汐見は孤独に固執するからこそ、他者と孤独を共有できず、愛を受け入れてもらえず、他者に失望し続け、また自分1人の孤独に戻っていく。

    悲しい結末とは思うけれど、自分の孤独を確立してこそ、本当に人生を生きたと言えるのでは?と感じた

  • 自分の思考方法に囚われてしまったが故にからまわり、回りくどく自分の願いを叶えることが出来なかったそんな話

  • 汐見と藤木とその妹千枝子とのすれ違う愛と孤独の物語。読書会の課題本。

    サナトリウムで汐見にあったわたしは、彼の死後2冊のノオトを託される。
    そこに汐見の藤木や千枝子との思い出が書かれている。そのノオト読みたい。千枝子に連絡して手紙がかえってくるが、それも読みたい。と思わせてくれた。
    純愛、プラトニックだからか、清純で哀しく、美しい。汐見は藤木を愛してたから、そのかわりの千枝子と一緒になってたとしても、どうにも寂しさは埋められない気がした。

    オリオンの星座が、その時、水に溶けたように僕の目蓋から滴り落ちた。
    甘いショパンの調べと、ときおりでてくる横文字。ショパンを甘いか聴いてた。
    戦後の混乱のとき人々はどう読んだのだろう。戦争と宗教は彼らにどんな影響を与えたのか。なぜ千枝子は石井を選んだのか。

  • 汐見は藤木を永遠に忘れられず、それに絶望して、危険な手術に踏み切ったのだろうと思った。全然ちえこを好きな感じもしないし、ちえこ自身も「兄と重ねて見られるのが辛い」と後年の手紙に書いている。
    本人は悦に入ってると感じてしまうくらい「孤独」を見せるが、現実よりも面影を選んだ人間の末路だと思う。
    しかしながら文体が上品で丁寧なので読ませる。

  • 驚きの小説。
    魂が揺さぶられた

  • 昭和十年代の明治でなく戦後でもない人物たちの恋愛小説
    演歌な恋愛とは違うのは
    歴史と宗教とを行動の理由として語るところ
    そこに入り込むのでなく
    自覚的に自身を観察されていながら
    筋書き進行の淀みなさが素敵だが
    全体の構成が効果的ではないかもしれない

  • 戦争という非日常や、恋愛や病気、友情という様々な人生の出来事においても、決して流される事なく、自分の命の終わらせ方にまで強い意志を持っていた茂思の生き方は、激動の時代においてもどこかイノセントな雰囲気で、なんだか静かに心を打たれる感じがした。人間臭いのに泥臭さが無い、絵画的な作品。

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著者プロフィール

1918-79。福岡県生まれ。54年、長編『草の花』により作家としての地位を確立。『ゴーギャンの世界』で毎日出版文化賞、『死の鳥』で日本文学大賞を受賞。著書に『風土』『冥府』『廃市』『海市』他多数。

「2015年 『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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