- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101126098
感想・レビュー・書評
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初期の短中編5編が入っている。この大江健三郎さんの独特の文体は初めて読んだときはまどろっこしくて戸惑ったが、慣れてくると逆にこの詳細な遠回しな比喩含めた文体が、気持ちよくなってきてこれじゃないと駄目だなと思ってしまうほどだ。
どの作品も興味深かったけど、「走れ、走りつづけよ」が自分的にはブラックユーモア的にも感じ、大変面白かった。
「核時代の森の隠匿者」は名作【万延元年のフットボール】の後日談的な話なので、さきに【万延~】を先に読むのをお勧めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日、ノーベル賞作家大江健三郎さん自選の短編集(『大江健三郎自選短編』)を眺めてみて、とても面白かったので、海外でも有名な作品の一つとなっている本作(短編)を読んでみました。
まずもってオーデンの詩から引用されたタイトルがふるっていますね。それにたがわず内容もふるっていて、だれもかれも戯画的で、こらこら、もう少し足元から引いてみたらどう? と思わず言いたくなるような、何かに必死すぎた男たちは、あまりにも痛くてユーモラスで滑稽で、いやはや、人間ってかくもおかしくてかわいいものだなぁ~。
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「僕」のいとこはイケていると妄信するエリート青年、そんなファンキーな彼の痛すぎる迷走(「走れ、走り続けよ」)。
世界中の子どもたちのために自ら「生にえ」になろうと迷妄する「善男」のけなげでグロテスクな滑稽さ(「生にえ男は必要か」)。
都会のなかで野人のように暮らす「山の人」に困惑しながら、どこか懐かしい郷愁と羨望を抱いていく男(「狩猟で暮らしたわれらの先祖」)。
父の呪縛に苦しみながらいつのまにやらその安寧をむさぼる中年男、父の背中を追い求めてさまよう男の明暗はいかに?(「父よ、あなたはどこへいくのか?」&「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」)
戦争や核拡散といった時代背景をない交ぜながら、どれも残酷なほどユーモアに富んでいます。ひどく不機嫌で多様性を認めない、自分の考えだけが正しいと凝り固まった狂信性や独善を打ち破る力が「笑い」には備わっています。
とりわけ「父よ、あなたはどこへ行くのか?」&「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を引用しながら、まるで生身の父とユダヤの神(父)との確執に苦悩したフランツ・カフカ的な哀愁やペーソスに満ちた笑いがみなぎっています。あるいは私の好きなポール・オースターの『孤独の発明』にも似た、ある種の父親さがしの物語です。
自分の思いどおりにならない幼い息子を全的に保護し支えているのは自分なのだという思い込みで生きてきた男。なんとも荒々しいショック療法? をきっかけに、じつは自分が子に支えられ、まるで片面的依存関係にあったことにハタと気づいた男の喪失感たるや、もう気の毒でひどく憐れです。面子丸つぶれになった男の落胆、やるせなさ、滑稽さ。そして男は解放感を得ながら自分の父親という呪縛からも解き放たれていく成熟物語。
でも、ほんとうに男は救われ生き延びたのか? それは読み手の想像にまかされた、可笑しな円環作品で、「父」なるものの多義性や両義性にも富む、奥深い作品です。
どの作品も詩情に溢れていて、芸術家としての大江さんの才気に感服し、まだ読んでいない他の作品もながめたくなるような魅惑的なものばかりです。
もし! 『大江健三郎自選短編』のレンガのような分厚さ(P848)にたじろいでしまいそうな方は(笑)、まずこの作品を眺めてみるのはいかがでしょう(^^♪ -
人間の内奥に居座る、根源的な黒いものを「狂気」として捉えている。
福永光司著の「荘子」にて、人間は非合理で混沌な存在であると述べられているのを思い出したが、この説明のつかない非合理性は「狂気」の表出ではないだろうか。
詩、私小説、エッセイを総合した、40年前の短編・中編集でありながら、「新しい」文学の試みだと思う。
「走れ、走りつづけよ」も好きだが、やはり最後の中編「父よ、あなたはどこへ行くのか」は難解ながらも味わったことのない読書体験を得られた。掴みきれていない部分もあるので、必ず読み直したい。 -
キレキレのオーケン中期。
文の生々しさと滑稽さのバランスが絶妙で、作中の作者の分身に愛おしさを感じる。
当時のコテコテ多弁気味“私小説風小説”の作品群の中、表題の通り救いを求める作者の魂に触れた気がした一冊。 -
3.11以降のこの時代に、この時期の大江を読むことには感慨を覚える。核の時代の孤独と閉塞感は今に通じる感覚があるのではないか。恐怖によってのみ連帯する人々の中で自由とは狂気と同義なのだろうか。
しかし、詩篇を核とした大江流の私小説が見事に結実し、見事な完成度を誇る作品群である。 -
われらの狂気を生き延びる道か術かがこの本(とかこうする行為)、ていう話。(しらんけど)実は意味もなく恥ずかしいけど大江健三郎の作った言葉の端々にはハッとこれだよと気付かせられるおれなので、恥ずかしいけど(にかいいった)☆5つにしまつ。恥ずかしいのはシャイだからです。しるかー
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プロローグでその後の小説の核となる狂気の話、詩と小説の話を紹介していて、それが面白かった
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大江の描く人間は情熱的であるほど滑稽でグロテスクでそれがやたら心地いい。