日本人はなぜ戦争へと向かったのか: メディアと民衆・指導者編 (新潮文庫)
- 新潮社 (2015年6月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101283753
感想・レビュー・書評
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なぜ日本は太平洋戦争という無謀な戦いに突っ込んでしまったのかを考察したNHKの5本の特集番組を書籍化したもの。本書は第2集で、メディアについてと、当時の日本の指導者にフォーカスしている。
メディアについては、当時の、新聞とラジオという2大メディアが、揃って軍部の行動に異論を唱えなかった、というよりも、進んでそれに協力していたこと。それは、大衆の雰囲気の反映であったことが書かれている。
指導者については、陸軍、海軍、政治家、官僚が、自分たちの組織という狭い範囲の最適解を求め、日本全体の国益を本当には考えていなかったこと、等が示されている。
第1集で書かれていた、国際情勢の読みの甘さや、陸軍が持っていた組織的な欠陥等と相まって、日本は戦争へと突き進んで行った。
実は、「突き進んだ」というのは正確ではない。指導者たちは、戦争をするのかしないのかの意思決定の先送りを続け、時が経てば経つほど、はっきりと戦争をしないという意思決定をすることが難しい状況に陥っていった、という方が正確であろう。
300万人の日本人が太平洋戦争では亡くなられたということである。やり切れない読後感が残る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史の授業なんぞをぼんやり聞いていると、どうも当時の国民やメディアは軍部の暴走に逆らえず、戦争に突き進まざるを得なかったのか、前述の2つの主体は被害者だったのかという認識を抱く。が、この本においては当時の日本国の国民やメディアにスポットを当て、複合的な要因で日本が「後に引けなくなった事情」が述べられている。
現代においても安心しちゃおれんぞ、という気になるし、今後の日本の将来諸々を考えるためのタネ本として優れている。どうもきなくさい昨今だからこそ、是非読んでみては。 -
輿論と世論というの初めて知ったし、特に佐藤卓己の軍部の言論弾圧はなく、自己統制であったマスメディアへの指摘は鋭い。
現代にも繋がるマスメディアへの警鐘であろう。 -
戦時中におけるメディア特にラジオへの言及は新鮮でした。
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☆☆☆2020年9月☆☆☆
いったい誰と戦争をしていたのか。
アメリカという強大な敵を目の前にして、海軍と陸軍の争いは激しさを増し最後まで統一した行動が出来なかった。
一般的には、海軍のほうが善玉(比較的マシ)とみられることが多いが、海軍こそ寧ろ戦争を無限に拡大さえたように書かれている。この視点は興味深い。 -
陸軍ばかりのせいではない。マスコミも世論を煽り、その背景もある。開戦の振り返りを敗戦からでなく、日露戦争後から戦争に向かった背景を知ることは、現在を考える上でも重要である。2015.10.10
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軍部の暴走が戦争へつながったと思いがちだけれど、その首脳部は日米の国力の違いを正しく捉え、負け戦になることを予想し、ぎりぎりまで戦争回避を考えていたということを知った。人々の中のどこから湧いてきたのかと思われる戦争への熱気、その熱気をとらえてさらに煽るメディア、それら世論をとどめられず、後戻りもできなくなっていくリーダーたち。外交の失敗や軍部の暴走だけが、戦争への道筋を作ったのではないことを、今一度考えなければならない。
現代においては、国と国とではなく、内戦や紛争が争いの中心になっているけれど、それを防いだり、解決するにはどうしたら良いのか考えるために、過去の失敗を学び、考えなければ。
熱狂には気をつけるべし。 -
日本人が何故戦争へと向かったのかを、メディアと民衆、指導者たちの面から考える一冊。
こちらの方が興味深く読み進められた。
戦争の何故を考えると、当然指導者たちに責任があることは否定しないが、メディアの責任を問うようになったのは最近のことではないかと思う。
メディア自体が自分たちの報道の在り方に問題がありましたと認めることは難しいことだとは思うが、民衆を煽った責任はきちんと自覚して繰り返さないようにはして欲しい。
正直NHKの纏めた本なので、そこを曖昧にしたり言い訳をして過ごすかと思いきや、当時の新聞やラジオの状況などの説明と共に、責任の一端があったことは認めていた。
メディアにも利益は必要であり、当時国益とされている軍部の方針に背く報道をすると、不買運動が起きたり、新聞に必要な紙が滞ったりしたため、軍縮を唱える新聞も軍部の思う報道をせざるを得ない状況もあったりしたということなどがわかった。
すっかり躍らされた民衆から首相官邸には、日米開戦を望む投書が届いたということも知らなかった。
情報を得るにも限りのある当時は、扇動的な文言に躍らされてしまうこともあるかもしれないが、いつでも被害者でいたがる民衆にも責任の一端はあったのだろうとは思う。
現代のようにメディアの選択など出来ない当時の人々に責任があると言うと反発されそうだが、戦争において責任の無い人間は子供だけではないかと思う。
本書で元朝日新聞記者である武野氏が、戦争は、始めさせてはだめだということですと言っている。
当たり前なこのことが本当に大切なことだと思う。
始めてしまうと戦死したひとのためと勝つまで終えられない。
絶対に戦争を始めてはならないのだ。
ドイツの新聞社は戦後一度全て閉じたらしいが、日本の新聞社は継続している。
継続したからこそ見えるものもあったかもしれないが、全員ではなくても政府や軍部は何らかの責任を負っているのに、メディアは退陣した上層部もいるだろうが、それだけで良かったのだろうか。
決断出来なかった指導者たちのことも書かれていた。
度々登場する永田鉄山というひとを、優秀な人物らしいという程度で余り知らないでいたが、この人物の殺害は日本の開戦に大きな影響があったようだ。
戦争のことを少し知ると、他にまた疑問や知りたいことが出てくる。
政府にアメリカとの戦争を望んでいたひとはいないのに戦争へと向かう歯車は止められなかった。
進んでその歯車を押すひともいないが、止めようと懸命になれるひともいなかった。
それぞれが何か言い訳をつけて、ならなければならない誰かになることを避けた。
わかっているのに回避しない、何とも不思議とも思えるけれど、こういうことはいつでも起こり得るのだろう。
本書の最後の一文を転記する。
私たちは、なぜ日本人はあのとき、戦争への道を選んだのかということを考えることをやめてはいけないのだと思いました。 -
輿論; いわゆる公的な意見
パブリック オピニオン
意見
世論; 感情的な
ポピュラー センチメンツ
空気
それがあることで得をする人のために
作られたもの
大衆政治状況を"輿論の世論化"