- Amazon.co.jp ・本 (660ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102130254
感想・レビュー・書評
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この小説を初めて読んだのは、今から10年前の18歳だった。
あの頃ぼくは、途方もない劣等感に苛まれ、酷く悲観的で、そして世を儚んでいた。
この作品を読んで以来、フィリップの辿り着いた境地をもって人生に相対し、ややもすると足を掬おうとする感傷を牢に縛り付けるよう、強く意識するようになった。
"人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、なにもない。人間の一生も、なんの役にも立たない。生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、一切なんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ。"
しかし、どんなに徹底したつもりでいた小哲学も、受け入れ難い現実を前にすると力を逸する。
無意味であることをいくら認識しても、無意味ですらない自分に直面すると、無様にも泣きそうになる訳だ。
10年振りに主人公フィリップと向かい合おうとしたのは、修繕を繰り返してきた砂上の楼閣が、もはや崩れ落ちかけているからに他ならない。
今になって思うと、過去に読み取った最大のポイントは、何事も客観視することで、畢竟解決のしようのない世迷言を葬れる、という点だったように思う。
今回受領したメッセージは、恐らく全く別のものだろう。言語化しても現世の問題を解決しえない、観念的なものに過ぎないだろう。
しかしそれでも、20代の終わりにこの作品を手に取れたぼくは、幸せな人間に違いない。
この小説を、劣等感に苛まれて生きる全ての10代に薦めたい。
この小説を、細やかな小哲学が現実の前で崩れつつある全ての20代に薦めたい。
次にフィリップと出会うとき、今抱えるあれこれは自分の中でどのように位置づけられているのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
☆☆☆2020年1月☆☆☆
サマーセット・モームの時点ともいえる作品。
主人公のフィリップは纏足。幼くして両親と死に別れ、コンプレックスを抱えながらも生きていく。
物語は母の死から始まり、叔父叔母に引き取られるところから始まる。
エマという乳母と涙の別れのあと、フィリップはけろっとしてしまい、エマの事はすぐに忘れてしまう。
エマはその後二度と出てこない。
「人生ってそんなものさ」
エマはきっとフィリップの事を忘れないだろう。彼女はその後どうなったのか?
やがてエマは成長し、人生の岐路に立つ。
叔父と同じ聖職者の道を歩むか?
しかし彼が選んだのは芸術の道。おいおい大丈夫か?という感じだが、突き進んでいく。
厳しい現実、貧困。才能の限界。挫折。
この小説は、一人の人間を通して多くのものを見せてくれる。
ミス・プライスの自殺というのが
この小説全体でもっとも忘れられない場面だ。
ミルドレッドというより、ミス・プライス。
彼女の存在こそが、もっとも強く訴えかけてくるものがある。努力は報われないのか?なぜ彼女は自殺しなければならなたっかのか?
いずれもう一度読む日が来るかもしれない。
その時はどんな感想を抱くか楽しみだ。 -
W.S.モームの精神的自伝であり、唯一彼自身のために書いたとされる作品で教養英文学の最高傑作のひとつです。自己解脱、己のための、しこり落としの書。
「えび足」という宿命の劣等感にさいなまれながら真摯に生き抜くフィリップの姿を、みじめな少年時代から、パリでの画家志望の暮らし、悪女ミルドレッドとの果てしない葛藤、医学への転身、サリーとの邂逅と愛の希望までをえがいています。
前半、フィリップの鬱々とした少年時代はあたしもややうんざり気味で、なかなか読み進みませんでしたが、彼が信仰心を失いやがて旅立っていくあたりから徐々にスピードアップ。元来感情過敏なフィリップなだけに、次々と新たな刺激が彼に感動を与え、心を揺さぶり突き動かして行く。そして、その陰で忘れられていくのは過去の痛みではなく、人々とのかかわり。芸術を志しパリへと旅立つ彼の叔母の愛情を深く感じながらもすぐさま忘れてしまう、その残虐ともいえる若さに苦笑い。あぁ、誰もがその道を通るのだな。失って初めて、また遠く離れて初めて思いおこす。若さゆえ、自己中心的ゆえ、不甲斐なさ、愚かしさ、そして残忍さもあるが、不器用ながらに真剣に自分のためになることを求めて行く。それが決して人を傷つけることのないように働いたことが、彼の道徳であり、私たちにとっての救いである。でもミス・ウィルキンソンも、ファニー・プライスも傷ついたけどね。それもしょうがないこと。それは、彼のせいじゃない。
上巻での見どころは、詩人クロンショーとの「人生とは何か」という哲学論議。その答えは下巻へと持ちこされるこの物語のテーマとなる。
なるほど、なるほどクロンショーの言う普遍抽象の道徳の不在、運命論、あくまで自己中。あくまで俺様の主は俺様だ!と。そのうえで人生は「面白い、こんな話を人としてみたいものだ。
ロンドンへ舞台を移し、いっそう盛り上がりを見せつつ下巻へ突入。こっちのが長くなりそう。
あ。因みにYondaのほうです。読んだの(あれ?)
えっと、翻訳 中野好夫氏 -
前半~牧師館と学校での生活によって、フィリップの精神を覆った英国国教会。その重圧から逃れるためのハイデルベルヒ遊学。人々との交流を経て、フィリップは己の宗教心の欠如に気づく。聖職者への道を捨て、英国国教会からの自由を手に入れたフィリップの今後や如何。
後半~パリでの画家修行を断念したフィリップは、医師を目指すべくロンドンの医学校へ入学。フィ リップの医学生生活が始まった。医学校の友人に連れられて入った喫茶店。その店の女給ミルドレッド・ロジャーズに、フィリップは恋をする。 -
モームが主人公フィリップに託した自伝的長編小説です。
主人公の名は、「フィリップ・ケアリ」。生まれつき足に障碍があり、繊細でお人よし、しかし少し自己中心的なところもある青年です。その青年の9歳から30歳までの人生が濃厚に描かれた長編です。
【あらすじ】
(1)9歳のとき、母親の死別により、牧師である伯父に引き取られ、教会での生活が始まる。
(2)18歳までは神学校生活を送る。
(3)神学校を辞め、ドイツへ語学留学。書物や思想について語り合える友人・ヘイウォードと出会う。
(4)20歳のとき、故郷イギリスで年上のウィルキンソンとの恋があり、ロンドンの経理事務所で仕事をする。
(5)経理の仕事が向いてないと悟り、絵の勉強のためパリへ留学。
(6)2年間、パリで画家志望の生活を送る。そこで詩人クロンショーや芸術仲間のローソンなどと出会う。
(7)芸術の世界でも一流にはなれないと悟り、ロンドンに戻り、医学校に入学。
(8)フィリップのことなどまるで愛していない賤しい心の女、ミルドレッドとの愛憎的関係が始まる。ミルドレッドに捨てられ自殺を考えていたが、小説家ノラと出会い、ノラに惹かれていく。
(9)別の男の子供を身篭ったミルドレッドとの再会、そして医者友達グリフィスとミルドレッドの色恋沙汰(三角関係)。
(10)フィリップの患者で、子沢山のアセルニー家族と出会う。
(11)何週間も会っていなかったミルドレッドとの再会後、愛情を抱くことなく同居をするが、そのことにミルドレッドは愛想を尽かし、フィリップの元を去る。
(12)株に手を出したが、戦争の影響もあり、株が紙くずになり、食うのにも困るほどに。野宿をするような生活になり、一時は再度自殺を考えるが、元患者のアセルニー家族の助けで麻問屋の案内係に職を得る。
(13)かつての芸術仲間であるローソンと再会し、ドイツで知り合い、議論を交わした旧友ヘイウォードの死を知らされ、人生についての答えを見出す。
(14)医学校を一時中断していたが、伯父が死ねば遺産が入り、医学生生活を再開できると思い、残酷にも、伯父の死を待望する。
(15)やがて伯父が死に、遺産が入り、なんとか医学生生活を再開する。
(16)医者になるために産婦人科の実習で貧困層の出産を多く担当していく。
(17)医学校の入学から7年近くかかって医者になり、30歳になったフィリップは、最初の赴任地で漁村に行き、気難しい医者・サウスの助手になる。
(18)その漁村での赴任が終わり、イギリスのアセルニー家族のところへ戻り、その一家の長女サリーと結婚へと至る。
フィリップは、いつでもとても幸福な状況とはいえない環境で育ちます。医者である父はすでに他界していて、母も亡くなり、フィリップのことなど全く愛していない伯父の元に引き取られるのです。神学校生活
では、足の悪いことをからかわれ、嘲笑の的になります。
パリで芸術家を志しますが、誰にも絵を評価されず、自分自身、才能のないことに気づきます。そこから医者を志望して、医学生になり、通っていたカフェの女給ミルドレッドにだんだん惹かれていきますが、ミ
ルドレッドに常に振り回され、お金も失っていき、どん底に陥っていきます。まあ、自業自得な一面もありますが…。
で、この小説のテーマは『人生には意味があるのか』です。フィリップが出した答えはシンプルでした。つまり「人生に意味などあるものか。」
これだけでは身も蓋も無いわけですが、肝心なのは、意味などないけれども、だからと言って、フィリップは絶望に陥っていないところが重要です。自業自得な面もありますが、フィリップは苦労や貧困、悩みや
迷いをたくさんくぐり抜けて、ひとつの大切な真理に気付きます。
「考えてみると、半生、彼は、ただ他人の言葉、他人の書物によって吹き込まれた理想ばかりを、追い求めていて、ほんとうに彼自身の心の願いというものは、一度も持ったことがないようだった。いつも彼の人生は、ただすべき、すべきで、動いており、真に全心をもって、したいと思うことで、動いてはいなかったのだ。今や彼は、その迷妄を、一気にかなぐりすててしまった。いわば彼は、未来にばかり生きていて、かんじんの現在は、いつも、いつも、指の間から、こぼれ落ちていたのだった。彼の理想とは、なんだ?彼は、無数の無意味な人生の事実から、できるだけ複雑な、できるだけ美しい意匠を、織り上げようという彼の願いを、反省してみた。だが、考えてみると、世にも単純な模様、つまり人が、生れ、働き、結婚し、子供を持ち、そして死んで行くというのも、また同様に、もっとも完璧な図柄なのではあるまいか?幸福に身を委ねるということは、たしかにある意味で、敗北の承認かもしれぬ。だ
が、それは、多くの勝利よりも、はるかによい敗北なのだ。」
いわゆる「幸福」の尺度は人それぞれであり、その尺度に気付き、自信を持てたならば、これほど勇気の湧くことはないでしょう。それによって、人ははじめて、本物の「自由」を獲得することができるのです。誰かが勝手に築いた「人生の目的や意味」だとか、くだらない「運命」だとかいったものからの解放、自由。
上下巻合わせて1300ページを越える大作ですが、様々な気付きを与えてくれる傑作です。興味がありましたら、是非読んでみることをオススメします(o`∀´o) -
ずっと読みたいと思っていて、今まで手を出していなかったもの。10年近く前にモームを読みふけっていた時代があったが、その時以来のモーム。モームの自伝的要素を含んだ作品。600ページ超のボリューム。描写や比喩の表現はやっぱり綺麗ですごく好き。でも、なんだろう読んでると眠くなる……。
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4.17/628
『人生の意味など、そんなものは、なにもない。
そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ――。
文豪モームが描く、自伝的小説。青年は官能の世界を彷徨う。
幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。
誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。
本文冒頭より
くらい灰色の朝が明けた。雲が重く垂れ下り、ひどく冷え冷えとして、雪にでもなりそうだった。子供の寝室に、乳母が入って来て、窓のカーテンを開けた。彼女は向いの、玄関(ポーチ)のある漆喰壁の家をチラと機械的にながめると、そのまま子供のベッドの方へやって来た。
「おめざめでございますよ、坊ちゃま(フィリップ)。」
いいながら掛布団をめくると、抱き上げて、階下へ降りた。子供はまだ半分寝ぼけている。
「お母様がお呼びでいらっしゃいますからね。」……』(「Amazon」サイトより)
原書名:『Of Human Bondage』
著作:サマセット・モーム (W. Somerset Maugham)
訳者:中野 好夫
出版社 : 新潮社
文庫 : 660ページ(上巻)
メモ:
・20世紀の小説ベスト100(Modern Library )「100 Best Novels - Modern Library」
・英語で書かれた小説ベスト100(The Guardian)「the 100 best novels written in english」
・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」
・一生のうちに読むべき100冊(Amazon.com)「100 Books to Read in a Lifetime」 -
総合研究大学院大学長 長谷川眞理子氏
いくつもの人生を経験
2021/4/3付日本経済新聞 朝刊
自然が大好きな子どもだった。
3歳から数年間、和歌山県紀伊田辺の祖父母の家で暮らしました。海と川と裏山には、トンボや貝、イソギンチャクといった色々な生き物が当たり前のようにたくさんいて、あの自然の素晴らしさが私の原風景です。
小学校に入る前に東京に戻りました。少年少女世界文学全集が定期的に家に届くようになり、小学4年生のとき面白くてなめるように何度も読んだのが『ドリトル先生航海記』です。
ドリトル先生はご存じ動物の言葉が話せる博物学者。行方不明になった世界一の博物学者を探しに仲間と共に航海に出ます。とにかくワクワクし、生き物への興味をかき立てられました。
博物学者のような職業は今はないですが、昔は西欧文明にとって「前人未踏」の地が世界中にあった。探検に行き、動植物を記載・記述し、採集して持ち帰る。その生活が垣間見えました。商売とは無縁で紳士然として大きな家に住んでおり、子供心に憧れました。
中学に入ると大人の世界文学全集を買ってもらい、アーネスト・ヘミングウェイやグレアム・グリーンの作品に出合いました。ヘミングウェイは最初に『武器よさらば』そして『誰がために鐘は鳴る』。『日はまた昇る』は大学生になってからですが、あの主人公たちの大人の人間関係はよくわからなかった。これがヨーロッパの大人なんだろうという感じですかね。
多感な時期にはまったのがサマセット・モームの『人間の絆』。主人公が成長過程で葛藤する姿が我が事のようにうれしく、楽しく、涙しました。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』『ビーグル号航海記』は最初の頃は全然理解できなかった。すごいことを言っているな、とは思いましたが。
彼の著作に真剣に向き合ったのは後に同僚らと訳を手がけるようになった時です。ダーウィン流のものの書き方なのですが、文章がくどい、まだるっこしい。すぐ結論を言わず、可能性について、ああだ、こうだという。
キリスト教の人間観が全世界を支配する時代に挑んだ科学者ですから、慎重居士になるのも無理ないです。
28歳の時、博士課程を休学し、国際協力事業団(現国際協力機構、JICA)の専門員としてアフリカに行く。
歩いてキャンプをしながら野生動物を見る国立公園を日本の援助で造る計画に参加しました。場所はタンザニアのタンガニーカ湖のほとり。私からするとまさに「前人未踏」の地です。
文化の全く違う、しかも年上の人を使ってプロジェクトを遂行しなければなりません。日本からは予定通り進めよとプレッシャーがかかる。くじけそうなとき、心の支えになったのが、「アラビアのロレンス」ことT・E・ロレンスが書いた『知恵の七柱』です。
第1次大戦下、ロレンスはアラブ軍を率いて立ち上がる。が、命じても部下たちは思うようには動いてくれません。英国の国益とアラブの国益との板挟みにあいながら、自分がちゃんとやり遂げねばならぬという強い意志がとても共感でき、参考になりました。
研究職のポストがなかった。
東大理学部の教授から「女は東大で教授になれない」と言われたことがあります。研究を続けようと他大学でポストを探しましたが見つかりません。
1990年から専修大学法学部で科学を教えることが決まり、最初に手にした本がシモーヌ・ヴェーユの『ヴェーユの哲学講義』。哲学を大学で教えなければならない理由についてのメッセージが強烈でした。若い頃に哲学を学ぶのは、当たり前のことに疑問を持ち、批判精神を養うためである。哲学を科学に置き換えられます。科学の知識ではなく、この思考法を身につけてもらおうと決めました。
学生に科学リテラシーがないと文句を言いながら、自分に社会リテラシーがないことに気づきました。『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著)や『レクサスとオリーブの木』(トーマス・フリードマン著)などを読むようになり、読書の幅が広がりました。
本を読むと想像する力のおかげでいくつもの人生を経験できます。若い人にはぜひ読書をしてもらいたいです。
(聞き手は編集委員 矢野寿彦)
【私の読書遍歴】
《座右の書》
『ドリトル先生航海記』(ヒュー・ロフティング著、井伏鱒二訳、岩波少年文庫)
《その他愛読書》
(1)『日はまた昇る』(アーネスト・ヘミングウェイ著、高見浩訳、新潮文庫)
(2)『情事の終り』(グレアム・グリーン著、上岡伸雄訳、新潮文庫)
(3)『人間の絆』(全3巻、サマセット・モーム著、行方昭夫訳、岩波文庫)
(4)『種の起源』(上・下、チャールズ・ダーウィン著、渡辺政隆訳、光文社古典新訳文庫)
(5)『人間の由来』(上・下、ダーウィン著、講談社学術文庫)は自身が訳した
(6)『知恵の七柱』(全3巻、T・E・ロレンス著、柏倉俊三訳、平凡社)。現在は全5巻の完全版も
(7)『指輪物語』(新版、全10巻、J・R・R・トールキン著、瀬田貞二ほか訳、評論社文庫)
(8)『ヴェーユの哲学講義』(シモーヌ・ヴェーユ著、渡辺一民ほか訳、ちくま学芸文庫)
はせがわ・まりこ 1952年東京生まれ。理学博士。専門は行動生態学と自然分類学。イェール大客員准教授や早大教授を歴任し、2017年から現職。 -
こんな小さいけど、素敵な作品があるんだな、と何だか幸せな気持ちになりました。
私は"Lデパードとアリエット愛の物語"が、一番好きです。
お父さんも亡くなったぢろうに、会いに行けばいいのにー、とか思うけど、そういう問題では無いんだろうな。
愛の凄さでしょうか。
私には無理だな。
何とも言えない、切なくて温かい気持ちになりました。